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Psychic Pavilion R.P.G.  作者: 金島 宗治
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第1章:草原

<第1章:草原>


「あっ! あのコウモリ、まだいやがるぜ」

「大丈夫でしょう。昨日僕が説得しましたから、何もしてこないはずです」

 庄左衛門は大きなため息をついた。「どっからそんな自信がわいてくるんだか……」

「目を合わせないようにして通り過ぎるのです」

「何じゃそりゃ?!」

 急ぎ足で二人はコウモリの群れがたむろしている場所を通り過ぎようとした。すると突然数匹のコウモリが彼らめがけて舞い降りて来た。その真っ赤な口から鋭い牙がのぞいている。

「げげっ!」庄左衛門は青ざめた。

 キキキーッ!

「いててーっ!」庄左衛門の腕に一匹のコウモリが噛みついた。「おい剣士! 昨日の説得、効いてないようだぜ!」

「こ、これはおそらく昨日のコウモリとは違う集団」

「こっ、こんな時によくそんな冗談が言えるな!」

 二人はコウモリの攻撃をただぶざまに受けているだけである。剣士はともかく庄左衛門も闘うことを忘れている。

 ひゅっ! キキーッ!

 一匹のコウモリが悲鳴を上げた。普段の鳴き声も悲鳴のようなものだが、その直後にそいつがばたばたとあわてて二人から離れて行ったので剣士も庄左衛門もそれが悲鳴だったのだと後で認識したのだった。好運なことに他のコウモリたちも一斉に逃げて行った。

 『ひゅっ!』と飛んで来たのは一枚の木の葉だった。

「助かった……」庄左衛門は腰を伸ばした。木の陰から姿を現わしたのは一人の少女だった。カールした長い髪を後ろで束ねている。そして二つの鈴がその髪に飾られていた。

「なによ、今の。あんたたちモンスターとの闘い方、知らないの?」

「むっ! 口のきたないやつ!」

「ほっといて。生まれつきなのよ。それよりあんた筑前屋庄左衛門でしょう?」

「な、なぜ俺の大嫌いな俺の名前を……」

「そっちは馬飼野剣士」

「そうです。そういうあなたは?」

「あたいは小川(おがわ)ゆかり。17歳」

「なんじゃい、その不釣合いな名前は」

「何が不釣合いだってのよ」

「ナリはいかにも格闘家って感じだぜ」

「失礼ね。あたいはね、草木使いの軽業師よ」

「草木使い?」

「そう。あたいの投げたこの葉っぱが、」そう言ってさっき『ひゅっ!』といって飛んで来てコウモリをやっつけた木の葉を拾い上げた。「あんたたちを助けたことを忘れないでちょうだいね」

「その葉っぱは?」剣士が興味を持った。

「これはヒイラギの葉」

「そうか、その葉の回りのとげとげでコウモリをやっつけたんだな?」

「ちっちっち」ゆかりは否定した。「あたいはそんな粗暴な性格じゃあないわ」

「そうは見えんが」

「黙って真相を聞かんか」ゆかりは庄左衛門を睨んだ。

「刺で攻撃したのでなければ、いったい……」剣士がさらに興味を持った。

「この葉を投げる時に、コウモリが嫌がる超音波を発するように回転させたってわけなの」

「ほ、本当ですか?」剣士は目をまるくした。

「その証拠にみんな一斉に逃げたでしょ?」

「なるほど。僕はまたてっきり、やっつけたのが丁度あのコウモリギャングのボスだったんで、みんなつられて逃げたのかと」

「おめえの頭ん中、いっぺん見てみてえよ」庄左衛門が頭を抱えた。

「ま、とにかくあんたが俺たちとパーティを組む勇者ってわけだ」

 ゆかりの首には黄色いペンダントがかかっている。

「よろしく。あたいは小川ゆかり、17歳」

「それはさっき聞いた」

「よかったですね、庄左衛門さん。若い女性で」

「教訓だな」

「何がですか?」

「若い女もいろいろだってことだよ」

「どういう意味よ」居住まいを正しながらゆかりは庄左衛門をじろりと睨んだ。


「で、どうするんだ? 剣士」

 三人は森を抜けた。再びオープニングの場所である。

「長老の話では、北の山を目指すんですよね、僕たち」

「おめえ、あのじじいの言う通りの勇者になりてえのかよ」

「じゃあ、どうするんです? 庄左衛門さん」

「ど、どうするったって……」

「誰なの? そのじじいって」

「ゆかり、おめえ会わなかったのか? あの妙ちくりんな、得体の知れねえハイホーのじいさんに?」

「ハイホー?」

「お調子もんでよ、俺たちをさんざたぶらかして、挙げ句の果てにこんなふざけた石なんか押しつけて旅におん出しやがったやつさ」

「あたいのこの石は今朝、気づいた時には首に下がってたわ」

「僕たちもそうなんです」

「おまけによ、この石捨てたら命がなくなるなんて、めっちゃ不吉なこと言いやがったしよ」

「ふうん……」ゆかりは自分の黄色い石を手にとって見た。

「ふうん、って、おめえ何ともねえのかよ」

「ちょっとおしゃれじゃない? これ」

「そういう問題じゃねえよなあ」庄左衛門は剣士に同意を求めたが、剣士は何も反応しなかった。庄左衛門は少しきまり悪そうに口をとがらせた後、話題を前に立っている少女に向けた。「ところでゆかり、その髪にくっつけてる鈴は何のまじないだ?」

「これ?」

「そうだよ。鈴なのに音がしねえな」

「と思うでしょ」

 ゆかりは自分の髪についたその鈴を振ってみた。チリチリと涼しげな音がした。

「な、なんだ、ちゃんと鳴るんだその鈴」

「あたいを誰だと思ってんのよ。泣く子も黙る小川ゆかりさんよ。この鈴が鳴るような身のこなしじゃ、とても軽業師とは言えないわ」

「す、するってえと、おめえ、いつもその鈴が鳴らねえように身体動かしてんのか?」

「修行のためだと思ってくれればいいわ」

「な、なんだかすごいですね、庄左衛門さん」

「確かにすげえな」

 二人の男は本気で感心していた。

「それはそうと、あんたたちも聞いたかもしれないけど、北の山にはそう簡単には近づけないって話よ」

「誰がそんなこと言ったんだ?」

「村で噂を耳にしたの」

「噂?」

「他にも、この世界には季節がないとか、過去の時間が失われているとか、モンスターの全ては何か巨大なものによって操られているとか」

「よくそんな情報集めたな」

「あたい得意なの。そういう諜報活動」

「へー。ま、何かの役に立つかも知れんな」

「そうそう、運が良ければ導きの神が姿を現わすってことも聞いたわ」

「導きの神だと?!」

「な、何よ、その驚きよう」

「そのじいさんが言ったんだよ。『わしは導きの主じゃ』ってな」

「ほんと?」

「ひょっとしたら、あのおじいさん、僕らを本当に導いてくれる人なんじゃないかなあ」

「あほか、おめえ。あんなこきたないちゃらんぽらんなじじいが神なわけあるか。俺は信じないね」

「どうでもいいけど、これからどうするのよ」

「じっとしててもしょうがないから、とにかく北に向かって歩きながら考えましょう。ね? 庄左衛門さん」

「俺は別に」

「なにふてくされてるんです?」

「どうにかなるだろ。さ、行こうぜ」

 三人は歩き出した。


「ねえ、ゆかりさん、あなたどこの生まれなんです?」

「それが全然覚えがないのよ」

「おめえもか」

「過去の時間が失われている、ってそのことじゃない?」

「そうらしいな」

「僕も、生まれも親のことも、庄左衛門さんとの出会いも全然覚えていない。でも、なんとなくこういう世界に興味はある」

「興味?」

「『ロールプレイングゲーム』って言葉を思い出すんです。なんだか、昔とてもなじみ深かったような感じがして……」

「ロールプレイングゲーム?」

「はい。その世界では剣を持つ者、弓を引く者、魔法を使う者、身が軽い者、羽を持つ者、慈悲深き者などがいて、その者たちがパーティを組んでモンスターを倒しながら成長していって、最後に巨大な力を持ったボスを倒せばハッピーエンドっていう……」

「で、おめえはここがそんな世界だとでも?」

「ええ、直感で」

「直感ねえ。ゆかりはどう思う?」

「あながち間違っていないかも。だって村での噂を総合するとそんな世界になるもの」

「その話が本当だとすると、剣士が文字どおり剣を持つ者で、ゆかりが身が軽い者、俺が魔法を使う者ってことになるな。モンスターもいるし……」

「間違いなさそうね」

「で、剣士、その世界ではどんなことが起こるんだ? それに勇者のパーティは何をしなきゃいけねえんだ?」

「たいてい、人や古文書や碑文なんかから情報を集めたり、罠を切り抜けたり、謎を解いたりする。あ、それから何か課題を与えられて、それを達成すれば道が開けたりすることもよくあるなあ」

「課題?」

「例えば隠された重要なアイテムを7つ揃えると、空が飛べるようになって、それまで行けなかった所に行けるようになるとか、他にも特殊な能力が身につくとか」

「夢みてんじゃねえのか? そんなこと現実に起こるわけねえじゃねえか」

「あら、現実ってなによ。あんたの魔法も現実なのよ、それも見たことのない人にはただの夢でしかないわ」

「むむ……」

「ここは、きっと剣ちゃんの言う通りの世界なのよ。覚悟を決めましょう」

「け、剣ちゃん?」庄左衛門が眉間にしわを寄せた。

「気に障った?」ゆかりは剣士を見た。

「い、いえ、僕は別に……」剣士は照れて頭をかいた。


 そうして三人は朝からずっと歩き続けた。太陽は真南を通り過ぎて、やがて西に傾きかけた。

「むっ!」

「どうしたんです? 庄左衛門さん」

「モンスターだぜ」

「さっそく出ましたね」

「なに言ってんのよ、ただの猛獣じゃない」

 三人の前に何の前触れも脈絡もなく豹が二頭、トラが三頭、雄のライオンが一頭現われた。

「な、なんだ、この組み合せは?!」

「まったく、非常識ですね。豹とトラとライオンなんて……。ここ、いったいどこなんでしょうねえ」

「なんて、のんきなこと言ってる場合じゃないわよ、襲われるわよっ!」

「よしっ! フォーメーションAだっ!」庄左衛門が叫んだ。

「な、なによ、その『フォーメーションA』って?!」

「ゆかりが先頭でなんとかしろ。俺が右後ろ、剣士が左後ろだ」

「な、なんですって?! そんな無計画な、」

 ガルルル!

 ゆかりは庄左衛門への悪態を中断せざるを得なかった。いきなり二頭の豹がゆかりに飛びかかってきたからである。ゆかりは信じられないジャンプをした。滞空時間が異様に長いのだ。豹から見れば、その人間の女は自分たちの目の前から消えたとしか思われなかった。そうして、ゆかりは空中から二頭の豹めがけてなにやら黒い小さな粒を投げつけた。それは彼らの背中のほとんど同じ位置を直撃し、その獰猛な獣は出し抜けにぶっ倒れてしまった。

 一方雄ライオンは、普通は雌のライオンが獲物を捕る時にいつもそうするように、牙を剥いて剣士に飛びかかった。すでに剣士は自分の背中の剣を鞘から抜き放っていたが、剣道でいうなら下段の構えをしたまま相手を見つめているだけだった。そして、ライオンの前足がまさに彼の両肩を押し倒そうとした瞬間、彼は大声を出して剣身ではなくその柄頭の部分でライオンの顎を一撃した。

「ごめんなさいっ!」

 ばきっ!

 ライオンの巨体はまるで猫のように吹っ飛ばされた。

 残るトラを相手にしたのは庄左衛門だった。彼は大きく両手を広げると、その二つの人差指で天を差した。短い深呼吸の後で、庄左衛門は叫んだ。「『閃光』っ!」一瞬あたりが真っ白になった、と三頭のトラは思った。そして彼らが気づいた時にはそこにいたはずの三人の人間は姿を消していたということになるのだった。

「よしっ! フォーメーションAの仕上げだ。逃げるぞっ!」庄左衛門が叫ぶと、三人はダッシュで走り去った。


「ここまで来れば、もう追っては来れまい。川を渡ったからな。はあはあはあはあ……」ずぶ濡れの庄左衛門は相変わらず虚弱な体力を露呈していた。

「いやあ、軽業師とは言え、ゆかりさんのあのジャンプ力には驚きましたね」剣士の脚もぐっしょり濡れている。

「それほどでもないわ」ゆかりだけが濡れずに、ちょっと自慢気に髪を掻き上げていた。

「それに髪飾りの鈴も鳴りませんでしたよね、庄左衛門さん」

「俺にはそんなこと確かめる余裕はなかったぜ」

「それはそうと、ゆかりさんが豹に投げつけたのはいったい……」

「ああ、あれは黒種草の種」

「くろたねそう?」

「べつに何の種でもいいのよ。やつらの全身麻痺のツボを叩ければね」

「ぜ、全身麻痺のツボ?」庄左衛門は目を丸くした。

「そうよ」

「す、すげえな。じゃあ、動物の身体中のツボ、おめえ知ってんのか?」

「当然よ」

「肩こりや疲れ目のツボも知ってんのか?」庄左衛門は色めき立った。

 ゆかりは真顔で返した。

「お断りよ。ほんっとにおやじなんだから」

「……やっぱやめとこ」

「なによ」

「治療すると見せかけて、とんでもねえツボ押さえられたんじゃ、たまらんからな。呼吸停止とかよ」

「ぶっとばすわよ」

「まあまあ、二人とも落ちついて」

「それはそうと、おい剣士、いちいち敵をやっつける時に相手に向かって謝るのはやめてくれねえかな」

「だって、僕、他人を傷つけるの、好きじゃないんです」

「たまんねえ……」

「剣ちゃんって優しいのね」

「ありがとうございます」剣士は微笑んだ。

「腹減った」出し抜けに庄左衛門が言った。

 ぐきゅるるるるる……。

「誰の腹の音だ?」

「あたい」

 ぷっと笑った庄左衛門に向かってゆかりは顔を赤くして言った。「あ、あんたが腹減ったなんて言うから」

 昼時をとっくに過ぎているということでもあったが、今の闘いで三人ともエネルギーの補充の必要性が高まったと言った方がよかった。

「おい、剣士、何か食うもんねえのか?」

「干し葡萄が数粒ありますけど」

「干し葡萄だと? そんなもん腹にたまるか!」

「そういうあんたは持ってないの? 庄左衛門」

「こっ、この娘、年上の人間を呼び捨てにするたあ、いい度胸じゃねえか!」

「なに言ってんの。この期に及んで年上もへったくれもないでしょ。妙な所で封建的じゃない、庄左衛門」

 ぐぎぎぎぎ! 庄左衛門は歯ぎしりをした。

「それになによ、さっきのフォーメーションAってのは。あたいを一番危険な場所に置いて! あんたには女性をいたわる気持ちがないの?」

「うっせえ! おめえが一番身が軽いからそうしたんだ! なにが女性をいたわれだ! おめえこそ封建的で前近代的じゃねえか!」

「まあまあ、二人とも落ちついて。お腹がすくと怒りっぽくなる。人間もっと広い気持ちでいなきゃあ」

「剣ちゃんは平気なの?」

「僕だってお腹の一つや二つ減りますよ」

「腹ってのはたいてい一つなんだよ。剣士」庄左衛門は剣士を一瞥した。そして彼はゆかりに向き直って続けた。「そういうおめえはよ、何か持ってねえのか? ゆかり。食いもん」

「不必要に重いものは持ち歩かない主義なの」確かにゆかりの荷物はないに等しい。「でもそろそろごはんにしないとね、最初っから干上がっちゃみっともないわよね」

「な、何かあるのか?」

「捜すのよ。何かあるわ」

「さ、捜すったって、ただの草原だぜ」庄左衛門はあたりを見回した。

「一番歳くってるくせに何も知らないのね。あんた。たとえ砂漠でも捜せば飢え死にしない程度の食料は集まるのよ」

「で、どうするんだ?」

「この時期黄色い花をつけている、膨根草を捜して」

「膨根草?」

「そうよ。さあ、捜して」

 剣士と庄左衛門は地面に這いつくばって、その黄色い花のついた植物を捜した。

「おい、あった、あったぞ!」庄左衛門はその植物を引きちぎった。

「ちょっと! 何してんのよ庄左衛門、根をつけとかなきゃだめよ、だめ」

「根だと?」

「そうよ、根の部分しか食べられないんだから」

「そ、そんなこた早く言え!」

「僕も見つけました。これだな」

「持ってきて剣ちゃん」

 剣士がゆかりにその草を持って来ると、彼女はそれを見て残念そうに言った。

「剣ちゃん、悪いけど、これ違うわ」

「え?」

「これは瘴根草」

「瘴根草?」

「そう。全草アマニタトキシンでいっぱいの猛毒の植物」

「な、何だと?!」

「ア、アマニタ?」

「死亡率70%を誇る毒成分の王者よ」

「ぶ、物騒なもん採らすなっ!」

「掘ってみて根が灰色なのが瘴根草、茶褐色なのが膨根草よ。わかった?」

「掘ってみないとわからんのか?」

「文句言わずに掘りなさいよ」

「な、なんで俺がこんな小娘に指図されにゃあならんのだ……」ぶつぶつ。庄左衛門はそれでも空腹を癒すすべが他にないとなれば、不本意でもその小娘の言いなりになってせっせとその黄色い花を掘るしかなかった。


「いいわ。これだけあれば十分よ」ゆかりはその草の根が片手のひらいっぱいになったところで二人の作業をやめさせた。

「こ、こんなんで三人の腹がいっぱいになるもんか!」庄左衛門はまだまだ掘り続ける覚悟である。

「試してみましょうか?」

 ゆかりは懐から小刀を取り出してその根の一本の皮を薄くむいた。

「手を出して」庄左衛門に命令して彼の手のひらにその根をそぎ切りにした。指でつまめる程の量である。

「おめえ、俺をからかってんのか?」

「いいから、それ飲み込んでごらんなさいよ」

「これを?」

「一気に飲み込むのよ」

「噛まずにか?」

「噛んでる暇なんかないわ。いいから言う通りにしなさいよ」

「本当なんだろうな?」

「ええい! いちいちうるさいわねっ! あたいが信用できないならずっと腹すかしてなさいよ!」

 庄左衛門は覚悟を決めて、その爪切りくずのようなほんの僅かの草の根を口に放り込んだ。

 ごっくん!

 言われた通りに飲み込んだ彼はしばらく自分の腹の様子をうかがっていた。剣士も興味津々といった表情で庄左衛門を見つめた。

「やっぱり全然……ん?」

「ど、どうなんです? 庄左衛門さん」

「お、お、おお、おおっ! 腹が膨れる!」

「す、すごいですね。たったあれだけで」剣士は感動した。

「草木使いのあたいをばかにしないでね」

「でも、どうして……」

「この根の成分は純度の極めて高い高分子化合物なの。ほんの少しの水分とでも反応して数百倍に体積が増すのよ。普通は太り過ぎの人がダイエットのために使う植物よ」

「ダイエット?」

「そ。ただ、栄養分はほとんどないから、またすぐお腹すくわよ」

「構わん。しかし、ゆかり見直したぜ。ま、欲を言えば、味わって空腹を満たした方が、食事の楽しみってもんが、」

「贅沢言うんじゃないわよ。あんたが腹減ったって言うから、その腹を膨らましてやったんじゃない!」

「まあまあ、みんなとにかく空腹が癒せたところで歩きましょう。山もずいぶん近づいてきました」

 それは事実だった。まあ、朝から昼過ぎまで歩けば相当な距離をこなすものである。実際、北に最高峰を頂く山脈の荒々しい山肌もよく見えるぐらいの距離まで来ているのだった。ただ、その端正な三角形の峰の手前にいくつかの低い山が折り重なるように腰を据えていた。

「夜までになんとか山の麓にたどり着きたいもんだな」

「同感ですね」

「ん?」ゆかりが立ち止まった。

「どうした? ゆかり」

「村のにおいだわ」

「村の?」

「ええ、山風に乗って生活のにおいが漂って来る」

「助かった。どうにか味のある食事にありつけそうだぜ。おい、二人とも、急ごうぜ!」庄左衛門は走り始めた。

「俄然元気になったわね」

「本当ですか? ゆかりさん。村のにおいなんて……」

 ゆかりはじっと目を閉じて、また鼻に神経を集中させた。

「……少し危険なにおいも混じってるけどね」

「庄左衛門さん!」剣士が、先走る三十男を呼び止めた。


「おい、ゆかり、この村のどこが危険なんだ?」

 三人は村の様子が見える岩陰に隠れていた。ゆかりの言葉をとりあえず信じて、彼らは注意深く村に近づくために、わざと遠回りをして村の者にこちらの存在を気づかれないようにしたため、もうすっかり日が暮れて夜になってしまっていた。

 見たこともないほどの満天の星空である。月は見えなかった。おかげで銀河の姿が鮮やかに浮き立って見えた。

 すでに山の麓である。かなり急な傾斜を持った低い木の雑然と生い茂った所に、その小さな村はあった。

 数件の家々の窓に憂鬱なオレンジ色の灯りが揺れている。しかし、月も出ていない闇夜である。村の様子はほとんどわからなかった。

 三人は炎を最小にしたランプを囲んでいた。お互いの顔の表情が辛うじてわかる程度の灯である。

「確たる証拠はないわ。でも、なにか気になるのよ」

「どれ、様子を見てみっかな」庄左衛門はかけていたサングラスを外した。「見張りがいるぞ」

「見張り?」

「居眠りしてやがる」

「な、なんでそんなことがわかるのよ!」ゆかりが驚いて聞き返した。

「ややっ! あいつ、首に俺たちと同じような石、ぶら下げてっぞ!」

「庄左衛門、あんた、いったい!」

「ふっふっふっふ……」庄左衛門はゆかりに向き直るとそっくり返って威張ってみせた。「俺の秘密を今こそ明かしてやろう」

「秘密? な、なんですか、それ」剣士が怪訝な顔を横から二人の間にこじ入れた。

「俺の目はな、赤外線を感知するのさっ!」

「赤外線?!」

「ほ、ほんとなの!」

「ま、特殊能力ってやつかな」

「なるほど、それで昼でも夜でもグラサンかけてんのね」

「そうだ。このグラサン、赤外線フィルターでな、昼間これを外そうもんならまぶしくてしょうがねえんだ」

「それって威張れるほどのことじゃないんじゃないの?」

「……」

「例えば、真っ昼間にモンスターに急襲されて、そのメガネ壊されたら、あんた闘えないってことよね」

「むむっ」

「弱点ですよね。はっきり言って」

「け、剣士まで!」

「ま、いっか。夜はそれはそれでいちおう便利な能力じゃあるわね」

「でも、なんで勇者候補の人が村の見張りに立ってるんでしょうねえ」

「居眠りしてるって言っただろ?」

「忍び込みましょうよ」

「えーっ!」

「そう言うだろうと思ったわ。しょうがない、あたいが偵察してくるからここでおとなしくしてるのよ。わかった?」

 そう言うが早いか、ゆかりは村の方に駆けて行った。

「なんと! 何の物音もたてねえんでやんの」

「すごい身軽さですね」

 剣士と庄左衛門が感心しているすきに、実は数人の男たちが彼らの背後に忍び寄っていた。そして間抜けなことに二人はそのまま奇襲を受けることになったのだった。

「きさまらっ! 何者だ!」二人の背後で男の鋭い声がした。

「え? え? え?」剣士はうろたえた。

「さてはこの村の秘密を探るスパイだな!」数人の男たちが二人を取り押さえた。

「こ、こっ、こらっ! 放せっ!」庄左衛門もうろたえた。

「縛り上げろ! ボスに引き渡すのだ」野太い声の命令で二人はごつい荒縄でぎゅうぎゅうに縛り上げられた。彼らは抵抗したつもりだったが、賊たちの体格と体力と、剣士たちのそれには歴然とした差があった。だから、抵抗したことはついに理解されることはなかった。それが妙に癪に障って、庄左衛門は引き立てられながら大声を出した。

「やいやいやいやい! なんだ? てめえらは! いったい俺たちに何の恨みがあって、」

「黙らせろ!」

 続の拳が庄左衛門のみぞおちに入り、うっ、と呻いて庄左衛門はあっけなく気を失った。剣士はそれを見て思わずあっと叫んだが、庄左衛門と同じ目に遭うのが恐くて、それ以上何も言わなかった。


 粗末だが頑丈な鉄の柵に囲まれた牢屋のような建物に二人は幽閉された。どうやら村の中心あたりらしい。外の様子をうかがった剣士は、ごろんと横たわった庄左衛門に耳打ちした。「庄左衛門さん、庄左衛門さん!」

「ん……ううん……」

「気がついたんですね、庄左衛門さん」

「あ、ああ、剣士、ここは?」

「牢屋です」

「村の中なのか?」庄左衛門は目をしばたたかせた。

「そうです」

「いったい、この村は……」

「確かに危険な所でしたね」

「ゆかりの言った通りだったな、まったく……俺としたことが……」

「庄左衛門さんのせいじゃありませんよ」

「そうだ、ゆかりは? ゆかりはどうした?」

「さあ、わかりません。あれっきりです」

「そうか、だが、この村にいることだけは確かだな」

「おそらくは」

「捜さにゃならんな、ゆかりを」

「ここを出ましょう、庄左衛門さん」

「出るったって、おめえ、俺たちゃ縛られてんだぜ」

「任せてくださいよ」いつの間にか剣士は自分の縄を解いていた。

「お、おい、剣士、いつの間に」

「僕は剣士ですよ、こんなの朝飯前ですよ」

 剣士の手には小さな、小指ほどのジャックナイフが握られていた。そしてそれで庄左衛門の縄を切った剣士は、彼の耳元で囁いた。「あたりに誰かいますか?」

 庄左衛門は、まだ縛られているふりをしてあたりの様子をうかがった。「問題ないようだぜ」

「そうですか。それじゃ、すぐにでも行動を起こせますね」

「俺のグラサン、どっかにいっちまったぜ。まぶしくてしょうがねえ」

「さっき、襲われた時に?」

「おそらくはな」

「明るくなる前にゆかりさんを捜し出しましょう。庄左衛門さんのその特殊能力を最大限に活用しましょう」

「そうだな」

「さて、この丈夫な鉄の柵……」剣士が困惑の表情で呟いた。

「任せな」庄左衛門は二本の太い鉄の棒を両手で握りしめると、目をつぶって呪文を唱えた。「『軟化』っ」すると二つの鉄の棒がぐにゃりと変形した。彼はそれを思いきり左右に広げると剣士を促した。「それ、出るぞ」

「す、すごいですね。さすが世界一の魔術師」

「ありがとよ」

 二人は牢から抜け出した。人のいる気配はない。今度は二人はあたりに最大限の注意を払いながら行動した。

「前後左右、抜かるなよ」

「はい。前後左右」剣士はきょろきょろしながら庄左衛門の背中にひっついて歩いた。だが、どんなにきょろきょろしても剣士にはただの闇しか見えなかった。

「真っ暗なんで、どうも……」

「しょうがねえな。いいか、俺から離れんなよ」

「はい。庄左衛門さん」

 それから数歩歩いて再び剣士が口を開いた。「ところで庄左衛門さん、」

「何だ?」

「ゆかりさんの手がかり、何かあるんですか?」

 庄左衛門は立ち止まった。

 どすん!

 剣士は勢い余って庄左衛門に追突した。

「ゆかりの?」

「はい。何かあてがあって歩いているんでしょ?」

「……」

「庄左衛門さん」

「……」

「ど、どうするんです? ただ闇雲に歩いたって、ゆかりさんには会えないと、」

 剣士がそこまで言った時だった。突然彼らの頭上から何者かが舞い降りてきた。

「うわわーっ!」庄左衛門は大声を出した。ここが村の中だというのに、である。

「上から襲って来るなんて卑怯だぞっ!」庄左衛門はあわてた。

 空から降ってきたそいつは二人の口を手で塞いだ。「おとなしくしなさいよ!」

「あっ! その声は、ゆかりさん!」

「村の連中に気づかれるじゃない! まったく、こんなとこで何やってんのよっ!」ゆかりはそう言うと、二人の腕を無理やり引っ張って駆け出した。

「お、おいっ! ゆかり、どこ行くんだ」

「とにかくこっから出るのよ!」

 めでたくゆかりと再会した剣士と庄左衛門は、わりに情けない格好で彼女に引きずられながら村を脱出することに成功した。

「はあはあはあはあ……」庄左衛門は息が切れている。「きょ、虚弱な俺を走らせやがって!」

「なに言ってんの。この村の連中は、かなりのワルよ。捕まったら命の保障はないのよ」

「ほ、本当ですか?」

「話してあげましょうか、偵察の結果を」

「ああ」庄左衛門はあたりを見回した。

「北の山へ行くものを阻む連中が住んでいる村らしいわ」

「っつったって、もうここはその山の麓じゃねえか。阻むんならもっと目立たねえように、」

「誰でも山に登る前は、身支度を整えるものよ。だから普通の村を装って旅人である勇者をおびき寄せるってわけ」

「なるほど、巧妙なワナですね。相手が入って来るのを待っていればいいわけだ」

「で、捕まったらどうなるんだ?」

「洗脳されて村人の一員になる」

「せ、洗脳?」

「見張りをやってた男が例の勇者の石を着けていたのを見たでしょ?」

「ああ」

「自分が山を目指していることが、何か重い罪であるかのように思いこまされてしまう。もともと勇者の心を持っているから正義感は強い。だから山を汚すものは許さない、ってことになるわけ」

「そうすると、実際山に登ったりしようものなら、」

「洗脳された元勇者の皆さんに引きずり降ろされ、幽閉され、最悪の場合殺されてしまうことも」

「ううむ……」

「油断できませんね」

「別のルートから登るってのは?」

「できそうにないわ」

「なんでだ?」

「なんでって……。あたい、この村の裏手から登るルートしか知らないもの」

「村の裏手?」

「おめえ、そんなとこまで偵察したのかよ」

「よくこんな短時間にそんなことまでわかりましたね、ゆかりさん」

「任せてちょうだいよ。なんてったって、あたいは軽業師の、」ゆかりがそこまで言った時、

「しっ!」庄左衛門が言葉を遮った。「人影だ」

 その言葉にはっとして口をつぐんだゆかりは思わず村の方を振り返った。

 ちりん。

 かすかに鈴の音がした。

「おい!」庄左衛門が突然ゆかりから身を離した。「おめえ、本物のゆかりじゃねえな?!」

「……」

「剣士、この女から離れろっ!」庄左衛門は剣士の腕を掴んで無理やり引き寄せた。「おめえ、誰だ! 正体を現わせ!」

「ふ、よくわかったね」急にゆかりの声色が変化した。

「剣士! 剣を抜け!」

 だが剣士は背中の剣を抜かなかった。庄左衛門は舌打ちをして続けた。

「おかしいと思ったんだ。本物のゆかりならそんなに簡単に髪飾りの鈴を鳴らすなんてことはしねえからな。こんな敵の近くならなおさらな」

「正体が暴かれたところで、我々の計画は狂ったりはしないさ。おまえたちもきっとこの村の住人に成り下がるだろうからね」不適な笑い声を残して、ゆかりそっくりのその女はきびすを返して村に向かって駆けて行った。

「あっ! 待て! 待ちやがれっ!」庄左衛門は後を追おうとしたが、剣士に引き留められた。

「待ってください、庄左衛門さん、すぐ追手が来ますよ。とりあえず姿を隠さないと」

「そ、そうだな。よしっ、剣士一旦逃げよう」

 二人は村を背にして全速力で駆けた。暗闇で目の利く庄左衛門が先導した。かなりあわてていたので、庄左衛門は何度も石や木の根に足を取られてすっころんだ。その度に剣士はひょいと庄左衛門を飛び越えて振り向きざまに彼が起きるのに手を貸すのだった。後ろを行く者の特権である。庄左衛門は少しおもしろくなかった。

「追手が来る気配はありませんね」

「そ、そうだな」

「どこに身を隠します?」

「お、おめえ、ま、毎度のことながら、なんでそんなにタフなんだ?」

「はい。若いですから」

「聞かなきゃよかった」

 庄左衛門が息を落ちつけるのにしばらくかかった。

「おそらく、このあたりが村の裏手から続く山道だと思うぜ」

 剣士がランプに火を灯してかかげてみると、確かに木のない踏み分け道が坂になって伸びている。

「とすれば、この道を下って行けばあの村にたどり着くってわけですね?」

「たぶんな」

「でも、庄左衛門さん、あの人がゆかりさんじゃないって、よくわかりましたね」

「勘だよ、勘」

「にしても……」

「あの女が髪飾りの鈴を鳴らしたのが運の尽きだったってわけだ。でもな、剣士、もう一つゆかりと違う所があったんだぜ」

「えっ!?」

「やつの下げてたペンダントにはな、青い石がついてたんだ」

「青い石?」

「うかつにもやつがしゃべってる間は俺も気づかなかったが、鈴が鳴った時にその石に目がいったってわけよ」

「ということは、あの人も元勇者の、魔法使い……」

「やつの言ったことが全部本当のことだったとしたら、やつ自身洗脳された人間だったのかもな」

「ゆかりさんも、まさか……」

「間に合えばいいが……」

 沈黙が二人の間を通り過ぎた。

 こんっ!

 不意に、俯いた剣士の頭に小石が当たった。

「ん?」剣士はその石の飛んで来た方に目をやったが、暗闇が広がっているだけだった。

「あっ!」庄左衛門が身を固くした。「ま、また、」

 暗闇から、ランプの灯の照らす範囲に入ってきた娘の姿が剣士の目に入った。

「ゆ、ゆかりさん!」

「お待たせ」

「お、おめえ、またニセもんか?」

「信用しないのなら別に構わないわ」

「確かに黄色い石、ぶら下げてんな」

「本物のゆかりさんなんですか?」

「あたいはそう思ってるけどね」

「どっから戻ってきたんだ?」

「あんたたちがニセのあたいに騙された所から、後ろをついて来たのよ。気づかなかったでしょ?」

「なんだと?!」

「大したもんだわ。庄左衛門。本物のあたいとの違いがわかるなんてね」

「けっ!」

「で、どうでした? 村の様子」

「この村はセコンダの村と言ってね、北の山へ行くものを阻む連中が住んでいる村らしいわ」

「ふむ」

「山に登る前に、身支度を整えるために立ち寄る勇者を捕まえるってわけ。そして洗脳されて村人の一員になる」

「な、なんだか、ニセゆかりと同じこと言ってやがるな」

「しょうがないじゃない。本当のことなんだから」

「で、自分が山を目指していることが、何か重い罪であるかのように思いこまされて、もともと正義感の強い勇者の心を持っているから山を汚すものは許さない、ってことになるわけだな?」

「そ」

「なんでい。あの女の言ったこと、そのまんまじゃねえか」

「村にいた元勇者たちは、もうすっかり北の山を目指すことなんか、忘れてしまってるわ」

「ふうん」

「どうなるんでしょね。彼ら」

「さあな」

「で、とりあえずこの先の洞窟の入口の鍵を手に入れたわよ」

「洞窟の入口の鍵だあ?」

「北の山へ行く近道なんですって。それに、」

「それに?」

「魔術師にとっての最高の宝が手に入るんですってよ」

「俺にとっての? 宝? なんじゃそりゃ」

「さあね」

「とにかくその洞窟に入ってみましょうよ」剣士が促した。あとの二人もその意見を拒みはしなかった。

「一本道らしいわ。この道を登って行けばすぐみたいよ」

「わかりやすくていいな」

「庄左衛門さん、先導してくださいよ」

「へえへえ」庄左衛門が先頭で坂道を登り始めた。

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