6.代筆屋
以前街で聞いた、代筆屋の店員が産休に入ってしまったという話。
エレオノーラは勢いのままにその話をしていた人達に話しかけ、店の場所を教えてもらっていたのだ。
「ここで、お仕事をさせていただけないでしょうか!」
と、後日平民の服を着て(と、彼女は思っているが実際はかなり裕福な商家の娘ぐらいにしか見えない)、その店に面接に向かった。特に求人広告も出していないのに乗り込んできた美女に、店主はひどく驚いていたが。
しかし。
「わざわざ来てくれたのに申し訳ないんだけどねぇ……」
店主が言うには、店員が産休に入るのは予定していたので産休中の代わりの代筆要員は準備してあったのだという。
貴族なので母国語と近隣諸国の外国語を操り、勿論令嬢の嗜みとして飾り文字なども得意なエレオノーラにとって富裕層向けの代筆屋は天職なのではないか、と意気込んで来たのだが、そう言われては仕方がない。
「突然お邪魔してしまって申し訳ありません……」
がっくりと華奢な肩を落とし、すごすごと帰ろうとする彼女があまりに哀れだったのか、店主は慌ててエレオノーラを止めた。
「あーじゃあほんの少しの間でよければ、お願いしようかな……?」
「いいんですか!?」
ぱぁっ!と笑顔になった彼女の破壊力たるや、凄まじい。
う!と眩しそうに店主は目を細めつつ、今にも感激して抱きついてきそうなエレオノーラの間に手を翳して牽制した。
そうしないと、彼女の背後に立った長身の侍女が怖かったからだ。なんかお嬢様に触ったら殺す!みたいな目で見てくるから。
「ええ……まぁ、元々の産休に入る予定より少し早く彼女がお休みに入ってしまったものでね、交代で来てくれる店員の予定とは少し間が空いてしまっていたんだよ。短い期間なのでさらに人を雇うよりも、しばらく店を閉めておこうかと思っていたんだが……あなたがその間勤めてくれるというのなら、助かるよ」
「まぁ……ありがとうございます!私、頑張って勤めさせていただきます」
エレオノーラは嬉しくて神と店主に感謝しつつ、真面目に働くことを誓った。
そんなわけで、今日に戻り、初出勤である。
一番目立たないドレスを着て、髪を三つ編みに編み込んで邪魔にならないようにお団子に纏める。踵の低いブーツと、変装用に伊達メガネ。これはちょっと職業婦人ぽくてカッコイイと思っている。
装飾品はない方がいいと思ったが、どうしても心細かった為お守り代わりに今朝つけていた真珠の耳飾りだけは付けていくことにした。
「今朝旦那様が触ってくださったし、効果バッチリの筈!」
よし!と気合を入れる主に、何の効果もないと思うけどまぁお嬢様がいいならいいか、とオルガは笑顔を貫く。
護衛は店に入りきらない為、エレオノーラが仕事をする小部屋にオルガだけが同席し、屋敷から付いてきた護衛達は店の外で待機することになった。ちなみに護衛は実家の侯爵家からついてきてくれた面々で構成されていて、ユベール伯爵家の者にはエレオノーラがこの時間に何をしているかは秘密にしてくれている。
想像以上の物々しさに代筆屋の店主はまたもや驚いたが、当のエレオノーラははきはきとしていてとても好感の持てる女性だったし、字は綺麗でスペルも正確、おまけに筆記速度も速かった為、まぁしばらくならばいいか、とおおらかな気持ちで受け入れた。
「エレーナさん、これお願いしますね。便箋はこれで、飾り文字はこっち、今日の夕方まででいけますか?」
「はい、出来ます」
渡された紙をざっと確認して、エレオノーラは頷く。
エレーナ、というのは勿論偽名で、当初お金をもらうのだしきちんと身元を明かしておこうとした彼女に対して店主の方から提案された。
店主はエレオノーラの働きたい理由を金持ちのお嬢様の道楽か何かだと考えていて、仕事さえきちんとこなしてくれるのならば彼女のことは詳しくは知りたくなかったのだ。
彼の言い分も尤もだと思うし、実際外から見ればまさに金持ちの道楽なのだろう、とエレオノーラは納得し店主の配慮を有難く受け入れることにしていた。
仕事自体は、識字率の低い下町の代筆屋とは多少意味が違い、文字は書けるものの美しくなかったり、表現が間違っていないか、だったりと自信のない書類などの清書が主な業務だった。
そして一番多いのが恋文だ。
エレオノーラの意見としては、悪筆であろうと表現が間違っていようと自身の手で書かれたものの方が一番気持ちが伝わる、と思うのだが、確かに彼女も独身時代に貰ったことのある手紙は、サイン以外は他人の手で書かれた筆跡のものも多かったように記憶している。
「失敗はしたくない、からかな?」
少し首を傾げて、彼女はデスクに向かった。実際下書きとして持ち込まれた原本は、字に癖があったり、時折線を引いて修正した痕が残ったままのものも多い。
手紙自体を書きなれていないと、こういう書き損じや読みにくいものになってしまうかもしれない。そう考えて、エレオノーラは便箋を取り出してペン先をそっと紙面に乗せた。
読みにくかろうと、誤字が多かろうと、この手紙の原本には溢れるような愛が詰まっている。
その熱情の一端でも手紙に込められるように、読んだ人に、差出人の気持ちを少しでも伝えられるように、と心を込めてペンを走らせた。
どうか、この手紙が人を幸せにしますように、と願いを込めて。