17.解説付きの夫婦喧嘩
「ユベール伯爵、私の屋敷での私に対する暴行、さすがに見逃すことは出来ないな」
「……申し訳ないことをしたとは思っているが、謝罪はしない。エレオノーラは俺の妻だ、彼女に触れた男を俺は許すつもりはない」
ウルドが真っ直ぐにクラウスを睨んで言う。琥珀色の瞳は怒りにギラついていて、冷静に事態を把握していなければさすがにクラウスも慄いただろう。
「それは聞き捨てならないな。あなたの浮気現場を見て、泣いて駆けこんできた幼馴染を慰めていただけなのに?」
クラウスはクッと嘲るように笑ってウルドを睥睨する。
二人の男の間でハラハラと状況を見ていたエレオノーラが驚いて目を見開き、クラウスを見上げた。
嘘だ!
いや、状況は似てるが、こんな風にわざわざ誤解を招くような言い方をする必要はない筈だ。
「クラウス、旦那様が悪いみたいな言い方しないで。大丈夫です、旦那様、私ちゃんとお屋敷を出て行きますから!」
「エレオノーラ?どういう意味だ、何故お前が屋敷を出て行く必要がある」
エレオノーラの主張を聞いて、ウルドは驚いて妻の肩に触れる。
こんな状況だが、久しぶりに触れられる夫の体温にエレオノーラは泣きたい気持ちになった。
「……だって……さすがに旦那様とそちらのお嬢様が仲良く暮らす姿を平気で見ていることは出来ませんから……」
う、と口元に手をやって涙を耐えるエレオノーラに、シャーロットが素早く反応した。
「奥様!私、ヨークベリルです!副官の!」
「……まぁ、ヨークベリル様。ええと、いつも夫がお世話になっております…………部下の方を愛しておられたのですね、旦那様……」
騎士服姿しか知らなかった所為で気付かなかったが、部下のシャーロット・ヨークベリルだとようやく認識したエレオノーラはまず挨拶をした後に、改めて落ち込んでいく。
「……ここまでくるとお前すごいな」
クラウスは小さく呟いた。
馬鹿ではないと思っていたが、馬鹿なのかもしれない。思い込みが激しいにも程がある。
「エレオノーラ、落ち着け。先程のヨークベリルとのやり取りを見てお前が勘違いをしたのだろうと思って、証言をさせる為に彼女も同行させただけだ」
「だって、旦那様……お手紙をヨークベリル様にお渡しになってました……手紙、昨日はあんなにお嫌いだと、怒っておられたのに……」
それを言われると、ウルドはう、と詰まる。昨夜の醜態は後々有耶無耶にして誤魔化そうと思っていたのに、エレオノーラにはものすごく注目されていたらしい。
「あー……すまん、それにはわけがあってな」
「っ!どんな理由があろうと、私にくださったことのないお手紙を、別の方に差し上げるなんてひどいです!ずるいわ、私は旦那様にお手紙をいただいたことなんてないのに!」
ついヒートアップして本音を言ってしまったエレオノーラは慌てて両手で口を塞ぐ。が、時すでに遅し。
クラウスの生ぬるい視線がものすごく痛い。背中に突き刺さる。
「は……それを言うなら、お前も俺に手紙などくれたことがないだろう。姉君や彼にはしょっちゅう送っているのに!」
ウルドの方もムッとして、クラウスを指さしてつい言い返す。
彼もずっと気にしていたのだ。楽しそうにレターセットを選び、嬉しそうに手紙を書くエレオノーラの姿を。
他国に嫁いだ姉にはまだしも、頻繁に会いに行っている幼馴染の男に一体何をそんなに書いて送ることがあるというのか。
指を差されたクラウスは、心底不愉快そうにウルドの指をギギギ、とよそに向けさせて自らの金の髪をがしがしと掻いた。
先程から溜息ばかりついていて、この夫婦の所為で彼の幸せば逃げっぱなしだ。
「……ユベール伯。なんならエリィの手紙を見せてやろうか?毎回毎回飽きるほどあなたに関する内容ばかりだぞ」
「きゃああ!ばかばかばかクラウス!なんてこと言うの!」
「ばかとは失礼だな、この阿呆」
エレオノーラは慌てて振り向いてクラウスの口を塞ごうとする。が、二人の距離が縮まる前にウルドが彼女を背中から抱き寄せた。
「……今のは本当か、クラウス卿」
呆然としつつウルドがクラウスに問うと、彼は呆れたように肩を竦めた。
「ここで嘘をつくのは合理性に欠けるだろう?本当だよ、エリィは手紙でも、ここに来てもいつもあなたの話ばかりしている。結婚式以来ほとんど会ったことのない私が、あなたの好物や最近の訓練で傷を負った箇所まで知っている程にな」
「クラウス!ばか!喋り過ぎ!」
ウルドの腕の中で、エレオノーラはせめてもの抵抗で小さく腕を振る。更にぎゅっと抱き寄せられて、抵抗虚しくエレオノーラは硬直せざるをえなかった。最近全然触れられていなかった所為で、ウルドの体温や掌の固さにドキドキしてしまってまともに考えられなくなる。
「エレオノーラ……どうして……」
耳元で囁かれる形になって、彼女はぞくりと震えた。もう何も考えられない。
内緒にしていた、嫉妬や不安や、好いて添ったわけではないので言ってはいけない、と裡に留めていた恋心が溢れ出て行ってしまう。
「だって……好きなんですもの……旦那様のことが……」