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11.暗転

 


「最近機嫌がいいな」

「は!?……い……?」

 晩餐の席で、ウルドから唐突に声を掛けられてエレオノーラは狼狽えた。それを言われるのは今日二度目だ。

「ちょっと……最近いいことが続いていて、とても楽しいのです」

 へにゃ、と彼女が笑うと、ウルドは目を細める。

 しまりのない顔をしてしまった、とエレオノーラはすぐに表情を改めた。

「そうか」

 そこで話は終わり、食堂に沈黙が落ちる。

 ウルドの方から話しかけられたのは久しぶりで、嬉しくてはしゃいだ気持ちになったエレオノーラは、このままもう少し彼と会話を続けたくて話の接ぎ穂を慌てて探した。

「…………旦那様、あの、お聞きしてもいいですか?」

「……なんだ」

 ううん、とエレオノーラは少し悩んでから口を開く。聞いてみるだけなら構わない筈だ。

「旦那様は文通とか、したいと思いますか?文通……まではいかなくても、手紙を書くのはお好きでしょうか……?」

 私は好きなんですけど、と続けようとしたが、ガン!と強い音がしてエレオノーラは震えた。

 見ると、ウルドが持っていたゴブレットをテーブルに叩きつけるように置いた所為だった。彼の顔はひどく険しい。

「……旦那様?」

「手紙は、好きではない」

 彼はそう言い残すと音もなく立ち上がり、食堂を出て行った。

 バタン、と扉が閉まる音を聞いて、エレオノーラの紺碧の瞳にみるみる涙が溜まる。


「ふぇ……なんで……?」

 ぽろぽろと涙が零れ、エレオノーラの手元を濡らしていく。

 怖かった。

 さっきの様子は、いつもの不愛想なそれとは違い明確な怒りのような感情が溢れていた。

 エレオノーラの質問が不愉快だったのか、手紙自体によほど嫌な思い出があるのか、いずれにしろウルドの機嫌を損ねたのはエレオノーラの所為だ。

 先程までは、機嫌がいいな、と言ってくれて、少し会話が弾んでいたのに。一瞬にして楽しい晩餐は消え去ってしまった。


 嫌われてしまったら、どうしよう。

 ただでさえ興味をもってもらえていないのに。


「うっ……ふ、ぅぅ……」

 しくしくと泣き続けるエレオノーラに、オルガが寄り添う。喘ぐように息をすると、喉が痛い。

「お嬢様、あまり泣かれてはお体に障りますわ」

「うん……オルガ、あの、料理長、に、ご飯残してごめんなさい、って言っておいてね……」

「ええ、ええ。大丈夫ですわ、お嬢様。万事、オルガがこなしておきますわ」

 オルガはたまらなくなって不敬と心得つつもエレオノーラを抱きしめた。すると、彼女の華奢な腕がオルガの背に縋るように回される。

「旦那様に嫌われたらどうしよう……旦那様のこと、好きなのに……大好きなのに……私、ちっとも上手くいかない……」

 声を押し殺してしくしくと泣く主を壊さないように丁寧に抱きしめて、オルガはウルドに向けて本気で殺意を抱いた。



 その夜は、エレオノーラは湯浴みもせずに泣き疲れて眠ってしまった。かろうじて夜着には着替えさせたが、ほとんど意識はなかっただろう。

 支度以外で主の寝室に長く留まることが許されない為、オルガはふわふわのタオルでくるんだ氷嚢をエレオノーラの目元に宛がってから退室していった。



 そうして。


 深夜という時間帯になった頃、そっと夫側の部屋の扉が小さな音をたてて開いた。

 部屋に入ってきたのはウルドで、彼はベッドに腰かけると目元を赤く腫らしたエレオノーラを痛ましそうに見つめる。脇に落ちていた氷嚢を拾い、彼女の目元に宛がった。

 そのひんやりとした冷たさに、とろとろと眠りの淵を彷徨っていたエレオノーラの意識が覚醒に傾く。瞼はタオル越しの氷嚢に遮られているが、騎士たるウルドの屋敷で狼藉を働く者はいない、と彼女は信じていたのできっとオルガか誰かが目元にずっとあててくれているのだろう、と判断する。

 自分が眠ってしまってからもずっと当ててくれていたのなら申し訳ない、もう大丈夫だよ、と意思を示そうとした瞬間、耳に飛び込んで来たウルドの声に硬直した。


「……すまない、エレオノーラ」


 旦那様だ!


 ひゅっ、と息が漏れて、エレオノーラは呼吸が苦しくなる。

 何を言われるんだろう?

 いや、彼はまだエレオノーラが眠っていると思っている筈だから、独り言?それとも騎士は気配に敏いというし、起きていることがバレているのだろうか?

 考えが纏まらず硬直し続けるエレオノーラに気付かず、ウルドは独白を続ける。

「こんなにも泣かせてしまって……俺では、お前を幸せに出来ないのかもしれない」


 そんなの嫌!


 叫びたいのに、緊張しすぎて声が出ない。

 泣き疲れた体は指先も動かないし、まるで押さえつけられているかのように動くことが出来ない。体はひどく重く、意識も混濁してくる。

 今、ウルドが話しているのは夢なのか、現実なのかが分からない。

 でもとにかく嫌だった。


 泣き虫が嫌いならば、泣くのは我慢出来る。大丈夫だ、エレオノーラは元々我慢強い方だと自負している。兄が寄宿学校に入った時も、姉が嫁いだ時も、寂しくて寂しくて泣きたかったけれど我慢出来た。

 一人で部屋でちょっと泣いたことはカウントにいれないで欲しい。ちょっとだけだし。



「俺は…………それでも……」


 ウルドの声が遠い。

 泣いた所為でかなり消耗した、非力で体力のないエレオノーラの体は急速な睡眠を欲していた。

 頭は冴えていた筈なのに、体に引っ張られて眠りへと真っ逆さまに落ちていく。



 ”それでも、お前のことを愛している”




 最後にそう聞こえた気がしたが、目覚めた頃には忘れてしまっていた。



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