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餓鬼狩り 第二回  作者: パワーミツオン
1/1

熾烈な戦いの中で…………

この作品は拙者のブログ「三文クリエイター」に掲載したものを改稿したものです。

興味のある方は、そちらの方もよろしくお願いします!

      餓鬼狩り  第二回



                  9、


 室緒は、村中、高橋とともに五十嵐元国務大臣が率いる組織AHO(おー)の特殊車両に乗っていた。見かけは、トヨタのハイエースにしか見えない特殊車両は、一般市民に不信感を与えないためにハイエース ワゴン標準ボディ スーパーカスタムGモデルでカモフラージュしているが、もともと耐久性が高いハイエースのボディーを特殊ポリマーでさらに強化し、トランスポーター部分には、最新のハイテク機器を積み込んでいる。車両の上部にはスキーボーダーに見せかけたロケットランチャー砲を備えていた。

 運転席には警察庁の地下五階の部屋で、出会ったばかりの大野が乗っている。助手席には八木が乗っていた。室緒らは後部座席にいた。

「あの~う、すいません。これからどこに向かうんですか?」

 村中が、大野に訊ねた。

「新宿御苑だ」

 大野は短く、吐き捨てるように言った。

「新宿御苑ですか。すると、そこに蒜壷一族がいるわけですね」

「そうだ」

「俺たちは……。その~う、蒜壷一族とやらに勝てるんですか? 蒜壷一族っていうのは、いうなれば化け物の集団でしょう」

 俄蔵山に現れた餓鬼、食吐は那美が葬ったが、那美があの場にいなければ、ヘリごとやられていたかもしれない。 村中は、いまでも食吐に襲われた恐怖を忘れることができないでいた。

「勝てる。俺たちはこの手で何十という数の蒜壷を葬って来た」

 大野が、村中の困惑を退けるように言う。

「しかしですね。身長五十メートルを越す餓鬼を葬ったことはないでしょう」

「食吐は例外だ。我々の組織でも食吐の出現は予期できなかった」

 組織AHOが、いままで確認した餓鬼の種は十三種。食吐は十三番目の餓鬼の種になる。俄蔵山に現れた食吐は、文献でその姿を伝えられるのみで、存在を確認されていなかった。

「その~う。またその例外が出てきたら?」

「食吐は例外だと言っているだろう。蒜壷一族とて、そう簡単に食吐みたいな巨大な餓鬼を地上に降ろすことはせんだろう。都会の真ん中にそんな巨大な餓鬼を下ろしたら、直ぐに蒜壷一族の存在を、人に知られてしまうからな」

「それじゃあ聞きますが、鑊身って、どんな餓鬼なんです?」

「なんだ、おまえ怖いのか?」

「いえいえ、そんなことはありません。ただ、これから戦うにあたって……」

「鑊身は、身長三メートルほどの餓鬼だよ。口も目もなく、鼻で人の存在を感じる」

「目も口もないんですか? それっておかしいじゃあないんですか? 餓鬼って、ひとを食する化け物でしょう。どうやってひとを食べるんです。口がなけりゃあ、食べることができないじゃあないですか?」

「鼻だ。鼻から惨殺したひとの血液を、すする」

「鼻!? 鼻からですか」

 村中は、おもわず自分の鼻を左手で押さえた。

「ナビを代々木の視点に切り替えろ」

 大野が助手席に座っている八木に指示を出した。特殊車両のナビ画面が夜八時の新宿御苑の様子を映し出す。

「代々木、そっちはどういう具合だ。荻隊長の作戦は?」

「オペレーション Dで掃討します」

 ナビから、代々木という男の声が聞こえた。

「オペレーション Dか。鑊身相手なら、そのオペレーションだろうな。いいか、鑊身は殺しても、H-3Aは殺すなよ。身柄を確保しろ」

「はい」

 荻班の副隊長である代々木は、短く応えた。

「H-3Aとは、どういう蒜壷なんです?」

 室緒が、八木に訊いた。八木は答えない。話したくないのか、室緒の方を見もせず、ただ黙っている。

「八木、話してやれ。いずれこいつらもH-Aシリーズの蒜壷と会いまみえることになるだろう」

 と、大野が言った。

「ふっ、大野さんの命令だから、しかたがないか……。まだ組織に入ったばかりのあんたらに言うのは早いと思うんだけどな。……我々は、蒜壷一族をH-AシリーズとH-Bシリーズに大別している。H-Bシリーズというのは、鑊身、食吐、食肉、針口などの知能の劣る、生存欲だけで生きている下等な餓鬼のことをさし、それに対してH-Aシリーズというのは、高い知能を持ち、戦闘力に長けた蒜壺のことを言う。中には人に化ける能力を持つ蒜壷もいるから気をつけなければならない」

「人に化ける!?」

「ああっ、奴らは人に化けることを化身するといっている。人に化身し、人間社会に入り込み、下等な餓鬼を指揮し、人を襲い続けている。蒜壷一族の殲滅は、指揮者であり、幹部ともくされるH-Aシリーズを確保することにかかっていると言っても過言ではない。いくら下っ端どもを殺しても、蒜壷一族の繊細な情報を掴まなければ、奴らを根絶やしにはできんのでな」

「人に化けたH-3Aの顔は? 顔写真はないんですか?」

 室緒が八木に言う。

「……大野さん、見せてもいいですか?」

 八木が特殊カーを運転している大野に訊いた。

「かまわん、見せてやれ」

「了解」

 八木が助手席にあるパネル版に触れると、上部中央のルーフがスライドし、十二インチのモニターが三つ現れた。それぞれのモニターが、H-3Aのバストアップ、全身正面、全身側面、の姿を映し出す。

「こいつは伽羅という。狼の化けもんだ」

 大野がちらりとモニターを見た。

「狼の化け物!? 人間に化身する前は狼だというんですか?」

「我々のメンバーからの情報だ。信頼できる」

 日本狼はすでに絶滅しているが、狼の化け物とは、どのようなものなのだろう。狼の特性を備えているらしい蒜壷のようだが、西洋の妖怪狼男のようなものではあるまい。

「化身を解いた伽羅の画像……。狼の姿の画像はないんですか?」

 室緒が、大野に訊ねる。

「ない。過去に狼の姿の伽羅を見たメンバーは、伽羅によって惨殺されている。優秀な奴だったが……」

 大野は目を閉じた。

 モニターに映る人の姿に化身している伽羅は、髪を肩まで伸ばした痩身の男だった。

 一見してみると、頼りなく見える。が、この男は屈強で知られる組織AHOのメンバーを難なく葬り去ったという。

(狼の蒜壷か……)

 室緒は、人の姿から蒜壷本来の姿の戻った伽羅を想像して、身を震わせた。

「伽羅は、二日前に渋谷で発見された」

 と、大野が言う。

 二日前、喧騒がごった煮しているような渋谷の路上に現れた伽羅は、どことなく落ち着かない様子で、渋谷の街を彷徨っていた。

 夜の九時過ぎに、伽羅を発見した組織AHOのメンバーは、ただちに伽羅の尾行を開始し、伽羅の後を追った。追いつめ、人けのないところで伽羅の身柄を確保しようとした。が、H-Aシリーズである伽羅の身柄を確保することは困難だった。組織AHOのメンバーは、人ごみの中を泳ぐように自由自在に動き回る伽羅に度々翻弄され、何度も伽羅を見失うはめに陥ったのであった。

「昨日は池袋で、今夜は新宿だ。今夜こそケリをつけてやる」

 大野は拳を固く握りしめた。




                    10、


 新宿御苑内にいる荻隊長率いる組織AHOと、伽羅率いる鑊身との戦いは、組織AHOが優位を保っていた。強力な銃器の使用を前面の押し出したフォーメーションDの作戦が、図に当たり、身長三メートルほどの化け物鑊身が、次々とグロックXXX(スリーエックス)(スリーエックス)の餌食になっていった。

「隊長、やれます。このまま伽羅を追いつめることができます」

 隊員の一人が、荻隊長に言った。

「慢心するな! 伽羅は、まだ化身していない」

 伽羅は、ただ黙って組織AHOと、鑊身との闘いを観察していた。配下の鑊身が、組織AHOの手によって一人、また一人と倒されて行っても、後方にいて、参戦しようとはしなかった。

 荻隊長が、ゴーグルの左の側から伸びているマイクを伸ばした。

「代々木、映像はボタモチに届いているんだろうな」

 副隊長である代々木と連絡を取る。

「この戦いの内容は、すべてボタモチに届けられています。大野さんたちも、直ぐにこちらに来るでしょう」

「了解」

 荻隊長は、マイクをゴーグルを押し込んだ。

 ボタモチとは、組織AHOの特殊車両のことである。ハイサンダーZという名があるが、隊員たちは不格好な特殊車両を愛情を込めてボタモチと呼んでいた。

 轟音とともに、また一匹の鑊身の頭が吹き飛ばされた。頭部を失った鑊身は、数秒の間、ピクピクと身体を震わせていたが、やがて膝をつき、そのまま大地に倒れた。

「残った鑊身は……。三匹か……。時間稼ぎには、少し高くついたかな」

 伽羅が、生き残った鑊身を後方に下げる。

惟三(これぞう)、来ているんだろう。姿を見せろよ」

 組織AHOのメンバーの真上の木々の幹が揺れた。黒い物体が地上に降りる。

「那美さんは、まだ来てませんわ。代わりといってもいいか分からんけど、(こく)が来とるぜ」

 黒く見えた物体は、人に化身したヒキガエルの惟三だった。惟三は、鴉の蒜壷、刻の居る辺りを横目で見た。

「闇夜に鴉か……。ふっ、大方、琥耶姫に命じられたんだろう。……刻なんぞ使わず、ここに来て見学したらいいのに。そう思うだろう、惟三」

 伽羅も、刻の居る辺りをなぞるように見た。

「さいでがすな。琥耶姫は、よっぽど化瑠魂が大事なんでしょう」

 惟三は、にちゃにちゃと嗤い、突き出た三段バラを叩いた。

 五分刈の頭に、アニメのプリントが入ったトレーナーを着用し、よれよれのジーパンを履いている身長百五十三センチメートルほどの饅頭のような肥満体。それが、人に化身した惟三の姿だった。歳は四十代後半の男に見える。

「伽羅、そいつも蒜壷のものか」

 荻隊長が言う。

「だとしたら」

「そうだとしたら、おまえと一緒に身柄を確保する」

「惟三、おまえ、こいつらに捕まりたいか?」

 伽羅の問いに、惟三はニヤニヤ笑って答えた。

「捕まりたくないだろうな。おまえは下がっていろ。こいつらは、俺一人で充分だ」

「刻は、どうします? 上でわいらのことをジロジロ観てますさかい」

「ほっとけ。鴉の蒜壷になにができる」

 伽羅がそう言い放つと、夜空に不気味な鴉の鳴き声が、闇に沁みるように響いた。

「さて、どう始末つけようか」

 と、伽羅がいう。

 グロップxxxが火を噴く。組織AHOのメンバーが、伽羅に向かって撃ったのだ。

「おいおい、いきなり撃ってくるとは礼儀というもの、しらないんじゃあないの」

 伽羅は、グロップXXXを撃った隊員の背後にいた。

「いつのまに……」

「おまえが撃ったのは、俺の残像さ」

 伽羅が、隊員の背中に手刀を突き刺す。

「ぐっふふっ」

 背中越しに心臓を一突きされた組織AHOの隊員が、口から血を噴き出して崩れ落ちた。

「おい、おまえら。食事の時間だ」

 伽羅が、惨殺したばかりの遺体を、鑊身に投げ与える。生き残っていた三匹の鑊身が、我先に伽羅が放りだした遺体にくらいついた。汚らしい鑊身の体液が異臭を放つ。鑊身が遺体に爪をたて、遺体を引き裂いた。人の臓器が辺りに飛散し、遺体から溢れ出た血潮が、鑊身の顔面に飛び散った。

「おのれっ、よくも仲間を!」

 組織AHOの隊員たちが、伽羅、めがけてグロップXXXを撃つ。

「待て、フォーメーションを乱すな」

 荻隊長が、フォーメーションを崩した隊員を叱咤した。が、時すでに遅し、伽羅の手刀が、隊員の命を奪ってゆく。

「二人……。いや、これで三人」

 伽羅は、反す刀で、三人目の隊員の首を手刀で叩き折っていた。

「おい、そこに隠れている奴……。ちゃんと撮っておけよ。おまえは特別に後回しにしてやるから」

 荻隊長たちと離れて行動していた代々木は、建物の屋根の上で、組織AHO屈指の精鋭チーム荻班と伽羅たち蒜壷一族の闘いを記録していた。別行動している大野たちが乗る“ボタモチ”に映像を送るのが任務だった。

 伽羅に名指しされた代々木は、任務を最後まで全うできるか不安になった。蒜壷一族に気づかれぬように、荻たちとは離れて行動してきたはずなのだが、伽羅は、すでに代々木の存在に気づいていたのだ。

「おまえら人間が、いくら強力な武器を用意しても、あたらなければ意味がないだろう」

 伽羅は跳躍した。跳び、木々の間を駆け巡り、荻隊長率いるチームを翻弄する。

「グロップXXXの仕様を散弾仕様に切り替えろ」

 荻が、部下に指示を出した。

 グロップXXXは、特殊な跳弾を包み込んでいる実包を、アタッチメントの中に装弾することによって、散弾仕様の拳銃に替えることができる。組織AHOの隊員たちは、胸のポケットから素早く、特殊な跳弾入り実包を取り出した。グロップXXXを散弾銃に切り替える。

「代々木、ボタモチは? 電磁網の用意はできているんだろうな」

 荻隊長が、再び、ゴーグルからマイクを伸ばして、作戦を確認をした。

「フォーメーション Dを展開したときに、すでに電磁網の用意はできています」

 ゴーグル内のスピーカーから、代々木の声が聞こえた。

「よし、電磁網を動かせ」

「了解」

 組織AHOの特殊車両、通称“ボタモチ”に乗車している大野は、代々木から連絡を受け、新宿御苑前に止めてあるボタモチの上部ロケットランチャー部を操作した。カモフラージュのスキーボーダーが、ボディーの中にしまいこまれ、弾頭に電磁網のコアを装備したロケットランチャーが、ボディーから迫り出した。

 ダッシュボードの上に据え付けられている八型モニターには、緑に揺らめく蝋燭の炎みたいな点と、赤く揺らめく灯が映っていた。

「緑の点が人で、赤が蒜壷一族……。赤い奴の中で、ひときわ毒々しい色の奴があるだろう。それが伽羅だ」

 大野が、ロケットランチャーのボタンを押した。

「荻隊長、こちら側から電磁網が発射されました。そちらはグロップXXXで、攪乱してください。……ん!?」

 代々木から“ボタモチ”に送られてきている映像が、突如、乱れた。

「代々木、どうした? 何があった?」

 大野が叫ぶ。通信機のスウィチをスピーカーモードに切り替え、荻隊長に連絡を入れる。

「隊長、なにがあったんです。そちらの状況は?」

 荻隊長は答えない。

「なんです? なにがあったんですか?」

 後部座席にいる室緒、村中、高橋が身を乗り出した。

「クルマを降りるぞ」

 と、大野がいう。

「ボタモチには八木が残る。我々四人は現場に行く。現場に行って、伽羅を必ず確保する。いいな」

「荻隊長たちに、なにがあったんですか?」

 室緒が聞く。

「わからん。なにがあったにしても、彼らは自分の力で、なんとかするだろう。我々の任務は蒜壷H-Aシリーズ伽羅の確保にある。それ以外は考えなくてよろしい」

 大野は、“ボタモチ”から降りた。      

 夜空に舞った電磁網は、地上にいる伽羅を絡め取るはずだった。

「甘いな、こんなもんで俺の自由を奪えるとでも思っているのか」

 伽羅は、空高く舞った電磁網の数メートル上にいた。“ボタモチ”からの電磁網噴出に、いち早く気づいた伽羅は、驚異的な飛翔力で、電磁網より高い上空に身を踊らせたのだった。

「悪いな、気が変わったよ。今度地獄に行くのは、おまえだ」

 伽羅は、空中に拡がった電磁網の端を掴み、建物の上で映像記録を撮り続けていた代々木に向かって、電磁網を投げつけた。

「うぐぐっ…」

 生身の人間が、強力な体力を誇る蒜壷一族を捕獲するために造られた電磁網のパワーに耐えられるものではない。電磁網に身体を絡め取られた代々木は、もんどりうって建物の上から地上に転げ落ちる。

「代々木ー」

 副隊長の壮烈な最後に、荻が叫んだ。

「残り……、三人」

 空中から地上に降りた伽羅が言う。

「惟三、おまえが殺ってみるか。俺はあきた」

 伽羅が、振り向きざまに言った。

「わてが、殺っていいんですかいな。わてが殺ったら骨まで溶けてしまうですがな」

 惟三が藪から、身を乗り出して言う。

「かまわん、鑊身は腹一杯になったようだし、俺は男は喰わんからな」

「そうですかいな。それじゃあ、わてがいただくとしますか」

 惟三が、生き残った組織AHOのメンバーににじり寄る。

「化身を解かんとな。人の姿をしていたら、わての武器がようつかえんですがな」

 惟三の武器は強力な溶解液である。骨まで溶かす溶解液で、人を溶かし、溶かした後、その体液をすすって養分にするのだ。

「そこまでよ。これ以上の殺戮は許さないわよ!」

 那美が現れた。那美の傍らには相棒である大型犬呂騎もいる。

「やれやれ、やっと那美さまの登場か……。待ちくたびれたぜ」

 伽羅が、よく発達した牙を見せた。

「おい、おまえは離れていろ。化身も解くな。那美には人の姿に化身しているおまえが誰だか分からないだろうからな」

 伽羅が、惟三に言う。

「そうですな。わてが誰なのか分かったら、那美は用心して十種神宝をつかわないかもしれないがな」

「そのとおり。 おまえが惟三と分かるとまずい。計略が無になる。那美からはなれていろ」

「ようでがす」

 惟三は、そろりそろりと後方に下がって行った。

《那美さま、頭上には刻もいます。気をつけてください》

 と、呂騎が那美に精神感応を送る。

「刻……。琥耶姫が近くにいるの?」

《いいえ、琥耶姫はいません。刻のみです》

「そう、じゃあ敵は三人の蒜壷と……、鑊身三匹」

 那美は握りしめていた(とき)色の勾玉を空中に放った。鴇色の勾玉が空中で光り輝く剣になる。光破剣だ。那美は光破剣を握りしめた。

「光破剣……。別名、八握剣(やつかのつるぎ)。邪悪な魔を払う剣に、眼も口もない鑊身どもが怯えておるわ」

 伽羅が手下の鑊身を見下した。惟三が舌を長く伸ばして嗤う。

「伽羅はん、ひとつ提案があるんですが、鑊身の数を、もう少し増やしてくれませんでしょうかね。鑊身三匹では、ちいーっと物足りない気がするさかいに」

「物足りないか……」

「はい。那美さん相手に鑊身だけじゃあ、直ぐに、やられてしまいますがな。餓鬼どもがすぐにやられてしもうたら、わてがここにきた意味がなくなると、違いますか」

「よかろう。では鑊身ではなく、食風(じきふう)を出してやろう。少しばかりうるさいがな」

「食風ですか。いいどすな。あいつら良い働きをしまっせ」

「ふん、風しか食えない、哀れなものだがな……。いでよ、食風」

 伽羅は右手の拳で、思い切り地面を叩いた。

 地面から数十本の腕が現れる。数十本の腕は、土くれを掻い出した。土くれが散らばり、真っ赤な長い髪をした餓鬼が土の中から這い出して来た。

《那美さま。食風の相手は、わたしがします。那美さまは伽羅たちをお願いします》 

 呂騎が、土の中から這い出した数十匹の食風を睨んだ。

 餓鬼ー食風。食風は真っ赤な髪の毛の、眼が一つしかない餓鬼である。身長は百二十センチほどで、常に喚きながら風を喰らい、口から眠気を誘う息を吐き出して攻撃してくる。

「呂騎ひとりで、二十数匹の食風と闘うの?」

 と、那美が言う。

《はい》

 那美の問いに、呂騎がうなり声をあげ、迫りくる食風を警戒する。

「ちょっと、待って」

 那美が胸元から若草色の香袋を取り出し、香袋の中から、紅梅色の勾玉を取り出した。それを呂騎の額に押し付ける。

「これで、食風の毒息を防げるわ」

 紅梅色の勾玉が、呂騎の額の上で、燦然と輝く。

「気をつけてね、呂騎。食風は伽羅に似て、なかなかすばしっこいわよ」

《はい、那美さま。では、いってきます》

 呂騎は、食風たち目がけてかけて行った。 

「ウギャッギャッギャアアー」

 三匹の鑊身が、那美を襲った。那美は左足を軸に一回転しただけで、三匹の鑊身を見事に斬り倒す。その間、わずか三秒。胴体を真っ二つにされた鑊身は、断末魔の悲鳴をあげて朽ち果てて行った。

「もろいな。こうも簡単に殺られるとはな。ふん」

 伽羅は右手で自分の顔を掴んだ。熱気が伽羅の身体を包む。上気がゆらゆらと辺りに立ち上った。

「化身を解く気ね」

 那美が、本来の狼人間の姿に戻る伽羅に対して光破剣を、構え直した。

「化身を解かなくちゃあ、勝ち目がないからな」

 化身を解き、人の姿から狼の蒜壷になった伽羅は、凄まじい吠え声をあげた。顔面を覆う獣毛は月の光に照らされてきらめき、あきらかに犬のそれとは違う朱の色に染まった瞳が、辺りを恐怖に染める。

「俺が疾風(しっぷう)の牙と呼ばれている所以(ゆえん)を教えてやる」

 伽羅は懐から、かぎ爪を取り出し、それを両手にはめた。

 一方、こちらは数十匹の食風と闘っている呂騎である。

 食風たちは、数匹がかりで呂騎に闘いを挑むが、呂騎に致命的なダメージを与えられないでいた。呂騎を取り囲んだ数匹の食風が、呂騎めがけて四方八方から、紫色の毒息を吐くと、呂騎の額の紅梅色の勾玉が光り、毒息を無害なモノに変えるのだ。

 那美が呂騎の額に押し付けた勾玉は、十種神宝の一つ、品物比礼(くさぐさのもののひれ)という、すべてのものの邪を払う十種神宝が、食風の毒息を払いのけていた。

 品物比礼に守られた呂騎は、群がる食風の間をすり抜け、次々と、その牙で、食風を倒していった。                   

 隻眼の鴉、刻は沼杉の枝の上に停まって、戦いの様子をうかがっていた。

 眼下では、食風が、呂騎と闘っている。俊敏に動き回る呂騎に、食風が数匹ががりで、呂騎にくらいつこうとするが、くらいつくことができない。呂騎は、食風たちを巧みに翻弄し、砥ぎすさまれた爪で、食風の皮膚を斬り割き、鋭い牙で食風の喉を食いちぎった。

 生き残った食風が、呂騎を追うことをやめ、立ち止った。よりそうようにひとつになり、手を取り合う。呂騎はひとつの集団になった食風に挑みかかろうとして、脚を止めた。第六感が、呂騎に危険を知らせていた。

「ぐうおおおおっおわっおー」

 風を喰らう食風が、一斉に風を吐き出した。すると、食風たちの身体が解け出した。皮膚が波打ち、血潮が音をたてて噴出し、骨が異様な音をたてて粉状になってゆく。やがて、スライム状になったそれは、ひとつなり、プラスチックを焼いたような異臭を放った。

 ところどころ黒々とした斑点が浮かぶ、半透明な怪物……。

 それは、もう餓鬼といえる代物ではなかった。スライムというより、原始の生物“アメーバ”に近い生き物だった。

 食風アメーバ―形態は、体の中央から、二対の突起物を出した。二対の突起物は視覚であろうか。呂騎の動きに合わせて、左右に動く。クチャクチャと不快な音をたてて……。

 呂騎は、うなり声をあげて警戒した。

「かなわないとみて、最終形態になったな」

 藪の中から、呂騎と食風たちとの戦いを見ていた惟三が、呟いた。

 グロップxxx(スリーエックス)の轟音が響く。組織AHOの生き残り、荻隊長が食風アメーバ―形態に向かって撃ったのだ。

「どういうことだ……。こいつら!?」

 グロップxxxの銃弾を喰らった食風アメーバ―形態は、七つほどに四散したが、すべて生きていた。それぞれ体の中央から二対の突起物を出し、うねうねと蠢いていた。

《気をつけてください。こいつら、その武器では倒せません》

 荻隊長の頭の中に、声が響いた。

「誰だ! 俺に話しかけている奴は誰だ」

 荻隊長が、周辺を見渡した。

《わたしは、あなたの横にいます》

「俺の横にだと……」

 荻隊長の横には、犬がいた。那美とともにここに現れた犬だ。

「おまえが? おまえが俺に話しかけているのか」

《はい。わたしは口では、人の言葉を喋れないので、直接、あなたさまの頭の中に話しています》

「テレパシィーとかいう奴か……」

 荻隊長は、呂騎をしげしげと見つめた。

「おまえのことは本部にあるファイルを読んだ。……テレパシィーを使えるとは知らなかったがな」

《人に対して、普段、テレパシィーは使いませんが、あなたがた組織AHOに対しては別です。わたしたちのことを知っていますから》

「ああっ、おまえたちのことはよく知っているよ。呂騎、おまえらはなぜ、蒜壷と戦っている? おまえらは、一体何者なんだ」

《その問いには答えられません》

「答えられませんか……。そういうと思ったよ」

 荻隊長はオーバーなゼスチャァーでおどけてみせた。

 七つの食風アメーバ―形態の突起物が、チカチカと点滅する。

 黄色、青色と交互に点滅する食風アメーバ―形態の光が、荻隊長の眼を襲う。数秒後、再び、グロップXXXの轟音が夜の闇に響いた。

《な、な、なにをするんです……》

 呂騎の身体は轟音と共に、数メートル後方に吹き飛ばされていた。グロップXXXの弾丸が呂騎の身体を吹き飛ばしたのだ。呂騎は、その場に倒れた。動くことができない。息も絶え絶えだ。ピクピクと身体を痙攣させている。鋼鉄の鎧を身にまとっていなければ、呂騎は最後の時を迎えていただろう。

 食風アメーバ―形態に、意識を乗っ取られた荻隊長は、倒れている呂騎に、グロップXXXの銃口を再度向けた……。




                   11、


 「黙って俺たちに従えば手荒なことはしない。洪暫さまには、おまえを生かして連れて来いといわれているのでな」

 狼人間の姿に戻った伽羅が、那美に言う。

「魔を払う光破剣も、この身に届かなければ、ただの棒切れよ。いま、それを証明してやるよ」

 伽羅が動いた。が、その姿は確認できない。那美が光破剣を構え直した時、那美の背中に鋭い痛みがはしった。

「くっうっ……」

 背中を、伽羅のカギ爪で斬られた那美は、片膝をついた。

「ほんの小手調べに、背中をえぐらせてもらった。次はどこがいい……。腕か、それとも脚か……。いやいや、その美しい貌がいいかな」

 伽羅が動く。が、その動きは、那美には捉えることができない。那美が後ろを振り向いた時、那美は、右脚を襲った激痛に顔をしかめた。

 那美は地面に光破剣を突き刺し、懐から若草色の香袋を取り出した。香袋の中から、藤色の勾玉をとり、それを伽羅、めがけてかざした。

 那美の掌の上で、藤色の勾玉が淡く光る。

「なんの真似だ。そんな石を取り出して」

 伽羅は、ニヤリと笑い、動いた……。いや、動いたはずだった。

「なんだ!? どうした。俺の身体が……」 

 疾風の牙と言われる伽羅の高速の動きが封じられていた。動けるには動けるのだが、今の伽羅の動きは、老人のそれだった。

「おまえ、俺に何をした」

 那美は十種神宝のひとつ、道反玉(ちがえしのたま)を使って、伽羅の動きを鈍化させていた。藤色の勾玉の中には、十種神宝 道反玉の威力が封じ込めてあったのだ。

「伽羅、おまえはそこにいろ。いまは……」

 那美は、そう言い放つと、危機に陥っている呂騎のもとに、飛翔した。               

「どうしたんです隊長! なぜ、呂騎を撃ったんです?」

 組織AHOの生き残り組の二人が、荻隊長の所に駆け寄った。

《ダ、だめだ。いま、そいつに近づいたら……》

 瀕死の重症を負った呂騎が、二人に精神感応を送る。 二人は、呂騎の精神感応に反応して立ち止った。

 荻隊長が振り向く。うつろな目で組織AHOの隊員を見た。

「た、隊長……」

 荻隊長の瞳は灰白色に濁っていた。ぶつぶつと何かを話し、口から泡を噴いている。ゆらゆらと頭を動かすしぐさは、酩酊状態にいる中年の男のそれだった。

 荻は、ゆっくりとグロップXXXの銃口の向きを変え、二人の隊員に、続けざまにグロップXXXの銃弾を浴びせた。

 新宿御苑内に二人の隊員の驚愕の悲鳴が響き、銃弾を浴びた隊員の身体が破裂する。強力な破壊力を持つ銃弾が、一撃で、人を肉塊に変えたのだ。

《なんていうことを……。その二人は、おまえの部下だったんだぞ》

 呂騎が呟いた。荻隊長は、おもむろに呂騎の方を向くと、再びグロップXXXの銃口を呂騎に向けた。

「そこまでよ」

 金属が擦り合わされるような音とともに、グロップXXXが、荻隊長の手から叩き落とされた。那美が頭上から光破剣で、荻隊長が持つグロップXXXを叩き落としたのだ。

「少しの間、眠っていてね」

 那美は、荻隊長の腹部に光破剣の柄を叩きこんだ。荻隊長は崩れるように、その場に倒れた。那美は呂騎を見た。呂騎は命の灯が消える寸前だった。直ぐに手を施さなければ、息絶えるだろう。

 那美は息も絶え絶えに横たわる相棒の元に行き、膝をついた。

「だいぶ、やられたわね……。生玉(いくたま)をつかうわね。私の生体エネルギ―だけでは、あなたの命を救えそうもないもの」

 那美は、懐から若草色の香袋を取り出し、香袋の中から緋色(あけいろ)の勾玉を取り出した。緋色の勾玉を左手で握りしめ、右手を呂騎の身体に置いた。那美の左手の中の緋色の勾玉が淡く光った。呂騎の身体の上に置いた那美の右手の掌が、それに呼応して緋色に光る。

 時間にして、わずか三秒。三秒で、それまで虫の息だった呂騎が立ち上がった。

《那美さま、ありがとうございます》

「礼を言われるまでもないわ。あたりまえのことをしただけよ」

 那美は緋色の勾玉を、香袋にしまいこんだ。

《傷を負ったのですか? 那美さま》

 呂騎が、血が染みた那美の胴着を見る。

「平気よ。傷口はすでに塞がっているわ」

 那美は、常に身につけている十種神宝のひとつ、生玉によってその身体を守られていた。傷を負っても、よほど深い傷ない限り、那美の身体は、瞬時に回復する。

「食風アメーバ―形態ね」

 那美が七つの食風アメーバ―形態を光破剣で指し示した。

「片づけるから、そこでみていて」

《那美さま……。くれぐれも、あの目にご用心を……》

「チカチカと光っているあれのこと?」

《はい……》

「心配しないで。そんなまやかし、通用しないわ」

 那美は風のように走り抜けた。 那美の光破剣が、食風アメーバ―形態を叩き斬る。光破剣を体内にぶち込まれた食風アメーバ―形態は、熱湯が注ぎ込まれた氷が解けるような音をたてて、瞬時に蒸発した。

「まずは、一匹……」

 那美は、食風アメーバ―形態を一匹始末すると、直ぐに二匹目の撃滅に取りかかった。

 一方、新宿御苑内に入り込んだ、大野、室緒、村中、高橋は、見たこともない怪物の姿に戸惑っていた。

「なんですあれは? あれも蒜壷一族ですか?」

 村中の声の先には、食風アメーバ―形態の怪物たちがいた。

「那美と呂騎もいるぞ」

 室緒が言う。

「AHOのメンバーは? 蒜壷一族と戦っていたはずのAHOのメンバーは?」

 高橋が、大野に訊いた。

「隊長は、あそこにいる……」

 大野が、那美の傍らで意識を失っている荻隊長に顎を向けた。荻隊長は、うつ伏せになって倒れている。ここからでは、判断することはできないが、大きな怪我はしていないように見えた。

「うっうっ、ううううっ……。大野さん……。大野さん」

 大野の姿を見つけたのであろうか、藪の中から、ひとりの男が這い出してきた。

「矢口!?」

 男は、組織AHOの隊員だった。腹を斬られたのであろうか、腹部から、大量の血を流している。

 大野が、血まみれになって藪の中から這い出てきた男の元に駆け寄った。男の身体を抱き寄せる。

「大野さん……」

「しっかりしろ! 何があったんだ?」

「……や、やられましたよ。やられ、て……しまいましたよ」

「やられたって……。優秀な君らが餓鬼どもにやられたというのか」

「伽羅にです……。伽羅一人にやられてしまいました」

 矢口は肩で息をしながら、指をさした。

「あれは……。あれが伽羅か」

 指の向こう側、人狼がいる。ぎこちなく動き、こちらを睨んでいる。

「那美が……、那美が伽羅に何かをしたようです。伽羅の動きがとまっています……。大野さん、いまです。伽羅を捕まえるなら、いまです」

「わかった。いまボタモチと連絡をとる」

 大野は、ゴーグルからマイクを伸ばした。

「八木、状況が変わったもう一度、ボタモチから電磁網を打ち出せ」

「了解」

 苑外にいる特殊車両ボタモチから、電磁網が発射された。             

 再び、夜空に舞った電磁網は、幕を拡げたまま下降してゆき、なんなく下にいる伽羅を絡め取った。

 十種神宝“道反玉”の力によって、その俊敏な動きを封じ込められている伽羅は、ろくな抵抗もできずに組織AHOの手の中に落ちたのである。

「八木、麻酔薬を噴霧しろ!」

 大野が、通信機を通して、特殊車両ボタモチの中にいる八木に命令を出す。

「了解」

 八木が、運転席の左側にある、コントロールパネルを指で押した。

 電磁網の頂点にあるリング状のコアから、強力な麻酔薬が噴霧される。霧状に噴霧されたそれは、伽羅の身体にまとわりつくと、黄色い液状になった。

「なんだ、これは? 麻酔薬か……。この俺に、こんなものが通用する……か……」

 伽羅が地面に膝をついた。

「馬鹿な、この俺の身体が、こんなにもろいとは……」

 伽羅は自分を覆う電磁網を掻きむしった。電磁網を掻きむしるたびに、伽羅の身体に高圧の電流が流れ込む。伽羅は電流に身体を貫かれながら、しだいに身体を蝕んでゆく麻酔薬の感覚に翻弄され、朽ちてゆく我が身を呪った。

「くそっ……。那美に動きを封じ込められていなければ、こんなものなど……」

 伽羅は、そのままうつぶせになった。

「巨象さえも、わずか数秒で眠らせる麻酔だ。おまえらでもこいつにかかったらひとたまりもないだろう」

 大野が言う。

「おめでとう……。やっと捕獲できたようね」

 食風アメーバー形態を、すべて倒した那美が、呂騎とともに、大野たちの元に近づいてきた。

「那美……」

 大野の傍らにいる室緒が、那美に視線を送った。

「室緒さんでしたっけ? そのせつはどうも」

 那美は、室緒の視線を軽くいなした。

《那美さま、刻はどうします?》

 呂騎が那美に、精神感応で伝える。

「刻は、ほっといても大丈夫よ。それより、あの蒜壷は? あいつはどこにいったの?」

 あの蒜壷とは、惟三のことである。那美との戦いを伽羅に任せた惟三は、その場から姿を消していた。

《……近くにいます》

 呂騎は左方向に顔を向けた。

《私の鼻は誤魔化すことができません。霧場シーツを被って、巧みに周りと同化していますが、あいつはすぐそこにいます……。あいつは……》

「かないませんなあ~ 呂騎さんのお鼻にかかっては、わいの隠れみの術も通じませんがな」

 呂騎の言葉を遮るように、もう一体の蒜壷、惟三が、暗闇の中から姿を現した。身体にまとっていた霧場シーツと呼ばれる特殊なスーツを丁寧に折りたたみ、ジーパンの後ろポケットにしまいこむ。

「ひさしぶりですんな、那美さん」

 惟三が愛想よく、那美に向かって片手をあげた。

「誰!?」

 那美は、見たことのない男の出現に戸惑った。

「ありゃま、わてのことを、お忘れですか?」

「おまえなど、観たことがないわ」

「こりゃまあ、薄情なおこたえでんがな。昔は刃を交えて対戦したこともあるのに……」

「おまえと、私が戦った!?」

 那美は、目の前のだらしない中年太りの男に眼をやった。

 五分狩りの頭。アニメのプリントが入った黄色いトレーナー。薄汚れたジーパン。ニタニタ嗤う脂ぎった貌……。とても戦闘力、いや戦闘意識がある男には見えない。

《この匂い……那美さま。この男は惟三です。ヒキガエルの蒜壷。卑眼の惟三です》

 呂騎が言った。

「この男が、惟三」

 那美は眉間に皺をよせた。

「そうでがす。わたはヒキガエルの惟三でんがな。那美さん、お忘れですか?」

 仲間たちから卑眼の惟三と陰口をたたかれる男は、得意そうに親指を立てた。

「わてが、なぜ、卑眼の惟三と呼ばれているか、那美さん、ご存じでしょう」

「ヒキガエルの蒜壷、惟三……。他人の秘密を暴く卑眼を持つ嫌われ者の蒜壷…… 」

 那美がそう言うと、惟三は、下卑た笑い漏らした。

「くっくっくっ……。わいの、この目にかかったら、どんな隠し事もできませんのや。つい他人の恥部を口に出して喋るさかいに、わては皆に嫌われています……。那美はん、胸にしまこんでいる香袋の中に、ぎょうさん綺麗な勾玉を隠し持っていますがやな。緋色、青藤色、紅梅色……。その藤色の勾玉は、さっき伽羅はんの動きを止めた勾玉でんな。あの伽羅はんが、あんな小さな勾玉をかざされただけで、動きがとれなくなるとは、意外でしたわ。もしかしたら、那美はんが持っているその勾玉というのは……。十種神宝なんでしょう。わいの目はごまかせんわ」

 惟三は、那美の胸元を、いやらしい目つきで見つめた。

「ひとつ、ふたつ、みっつ……。いやっあ~ こんな小さくて綺麗なものに、あんな大きな力が宿っているとは信じられませんがな」

「見ないで……。汚らわしい」

 那美が胸を抑える。

「いくら、胸を押さえても無駄ですわ。わてのこの目はたいていのものを透かして見ることができるさかいしな。……那美はん、しばらく見ない間に、少し痩せたんと違いますか? 腰のあたりのお肉がなくなっていますがな。胸元はお代わりありまへんけど……」

「嫌らしい、その眼で私をみるな!」

 那美は光破剣を、惟三に突きつけた。                   

「それっ、八握剣でしゃろ。そんな危ないもの、ひっこめてえな」

 惟三は、三段腹を叩いて、おどけた。

「しかし、なんですな。それもですが、那美はんの持っている十種神宝は、(いにしえ)より伝えられたモノと、大分、形が違いますな」

 古代の文献「飯綱本」「山本本」「都本」などに残されている十種神宝の絵図は、それぞれの神宝のあり方を示しているが、勾玉の形の十種神宝はない。 十種神宝の一つ、瀕死の呂騎の命を救った生玉)は、闇夜に浮かぶ蝋燭の炎のようなものだと記してあるし、疾風の伽羅の動きを封じ込めた道反玉は、Tの字に三つの玉を結びつけたものとして記してある。食風の毒息から、呂騎を守った品物比礼は、屏風のようにも、銅鐸のようにも見える絵図で示されているし、俄蔵山の上空、ヘリの中で室緒刑事の心の中の想いを、読み取ったときに光った鳥の子色の勾玉、辺津鏡は、八つの球形を十文字と長方形の線で結んだ図形で、文献に記されてあった。

「十種神宝が、そんな小さな勾玉に変えられているなんて、誰も想像できなかったでしょうな。どうりで、今まで誰もその存在を確かめることができなかったわけですな」

 惟三は、ふんと鼻を鳴らした。

「コレゾウ、アノ、マガタマガ、トクサノカンダカラナノカ?」

 隻眼の鴉、刻が沼杉の枝から降りてきて、惟三の傍にある石の上に停まった。

「わいの眼を信じなされ。どういう経緯でっそうなったかか知らんけど、香袋の中にある勾玉が十種神宝や」

「ソウカ。カンダカラガ、ドンナモノカ、ワカッタ」

 隻眼の鴉、刻はクックックッと鳴いた。

「早く帰って、琥耶姫に伝えておやりよ」

 惟三が、刻に言う。

「ソウスル」

 刻は、羽を広げて羽ばたいた。

《那美さま。刻を追いましょう》

 呂騎が、精神感応で那美に伝える。

 那美がうなずくと、胸の香袋の中の青藤色も勾玉が輝き始めた。十種神宝、足玉(たるたま)が作動し、那美の身体が宙に浮いた。

「足玉を使って、刻を追うつもりやな。けどな、那美はんが、刻を追っていったら、この場にいる人間どもはどうなる? わてが皆殺しにしまっせ」

 惟三が、那美の飛行を止める。

「那美さん、早く、あの鴉を追ってください。よくわからないけれど、那美さんにとって不利な情報が敵に知られそうなんでしょう」

 室緒が言う。

「那美、この男は、我々で対処する」

 大野が腰のホルダーから、グロップXXXを引き抜いた。

「おまえらが、わいの相手を? 笑わせたらあかんでー。おまえらは、わいらの餌だろう。餌が捕食者に勝てるわけないだろうがな」

「ほざけ!」

 大野が、惟三、めがけてグロップXXXを撃った。

「どこに向かって撃ってる。わいはここや」

 大野のグロップXXXが火を噴いた時、惟三は、グロップXXXの弾道から、三メートルほど右方向にいた。

「馬鹿な! この距離で外すわけがない」

 大野は、わが目を疑った。

「大野さん! こっちです」

 その場にいる室緒、高橋、村中が、腰のホルダーからグロップXXXを引き抜き、惟三、めがけて撃つ。

「おまえさんたち、どこめがけて撃っているのや。わいはここや、ここ」

 室緒たちの撃った弾丸は、惟三にかすりもしなかった。

「室緒さん、銃を撃つのはやめてください。あなたたちがいくら狙いをすまして撃っても、惟三には当たりません」

 と、那美が言う。

「惟三の卑眼の能力は、透視能力だけではないの。視界を幻惑する力もあるの。惟三の眼を見た人間は、惟三の幻に惑わされるのよ」

「なんだと!?」

 室緒は、グロップXXXを力強く握りしめた。

 那美の言うことが真実ならば、室緒たちは、そこにいるはずのない惟三の幻に向かって、銃を撃っていたことになる。

「この俺が、幻なんかにたばかれるか!」

 大野は、惟三、めがけて再度、グロップXXXを撃った。

 が、当たらない。大野の撃ったグロップXXXの弾丸は、苑内にある巨木に、大穴を空けただけだった。

「撃たないで! 惟三の作りだす幻は、自分の姿だけじゃあないわ。敵の姿を作りだすこともできるのよ。仲間に当たったら大変な事になるでしょう」

 那美が叫ぶ。

「……惟三の眼をみてない奴なら、惟三を倒せるんだな」

 大野が、再び、ゴーグルから伸びているマイクに手をあてた。苑外にいるボタモチに乗っている八木と連絡をとり、伽羅と同じように電磁網で惟三を絡め取るつもりなのだが……。大野は八木と通信することができなかった。大野が八木と連絡を取ろうとした時、隻眼の鴉、刻が大野の襲い、マイクを破壊したのである。

「外にいる仲間と連絡をとって、電磁網を発射しようと思っても、もうダメでっせ」

 惟三が、にやけた。

「琥耶姫のところに行ったと思ったら、まだ刻が、いたのね」

 那美が、大野を襲った刻の後を追い、宙に舞った。

「やらせん!」

 惟三が、指を鳴らした。すると、蝙蝠の翼を持つ餓鬼の一群が、どこからともなく現れた。

「何にでも化けられる餓鬼“欲食(よくじき)”を呼んでおいたでえ。身体は小さいが、こいつらはてごわいでえ」

 欲食は、浴衣を着た美しい人間の少女の姿に化けていた。数十という蝙蝠の黒い翼を持つ美しい少女が、死神が持つような長い鎌を手に持ち、那美と呂騎、大野たちを襲う。

「那美さん、こいつら本当に餓鬼なんですか?」

 室緒が疑問符を投げかける。

「見かけに惑わされないで。惟三が言っていたでしょう。欲食は、なんにでも化けられるって……。欲食の真の姿は頭髪が薄い貧相な老女よ。……たとえるなら、鬼婆ね」

「鬼婆?」

 少女の姿の餓鬼、欲食は、嗤いながら、こちらの様子をうかがっていた。天真爛漫に嗤う姿からは、真の姿が鬼婆だとは想像がつかない。

「来るわ!」

 那美は、室緒たちを後方に下がらせた。  

 室緒の部下である村中、高橋は、明らかに動揺していた。

 目の前にいる美しい少女が、あの醜い餓鬼だなんて……。

 なにかの冗談だろう? 前髪を下ろした幼女にも見えるその姿の本性が、鬼婆の餓鬼だなんて、誰が想像できる。

「おい、高橋。そっちへ一匹いったぞ。早く、撃て!」

 室緒が、高橋に注意を与える。

「撃てって言ったって……。僕に女の子を殺せと!?」

「ばかっ! そいつは女の子ではない。化け物だ。蝙蝠の翼を生やした女の子がいるか。そんな女の子、いるわけないだろう」

「そうですが……」

 躊躇っている高橋の横で、村中が欲食に向かって発砲した。が、当たらない。震えながら撃つ弾丸などあたるわけない。村中も、躊躇していたのだ。

「情けない……。室緒、おまえの部下たちは、ほんと、だらしがないな。そんなことではAHOではやっていけないぞ」

 大野が室緒に言った

 大野のグロップXXXが、続けざまに火を噴く。欲食の悲鳴が轟き、三匹の欲食がグロップXXXの弾丸の餌食になる。一瞬で、肉塊に成り果てた三匹の欲食の肉体が地面に転がった。空に群がる残り二十数匹の欲食は、変わり果てた仲間の死骸を見ても動じない。ニコニコ笑いながら大鎌を振るい、襲ってくる。

「ひぇ~」

 村中は、足元に転がってきた、か細い左手を見て悲鳴をあげた。

「悲鳴をあげるな」

 大野が言う。

「悲鳴をあげたくなりますよ。どうみたってこれは女の子の手じゃあないですか」

「馬鹿、女の子が大鎌持って、人を襲うか! 」

「そんなこと言ったって……」

 村中には、十歳になる娘がいた。村中の眼には、地面に転がる欲食の手は、赤い血で化粧された我が子の手にも見えた。

「おい、後ろの奴が、おまえを狙っているぞ」

 大野の声に振り向いた村中は、ニコニコ笑いながら大鎌を振り回して襲ってくる欲食に向かって、グロップXXXを撃つ。

 炸裂する欲食の頭部。脳漿が飛び散り、女の子の姿をしたモノは、無残にその姿を変えた。

(いやだ…………。こんなの……。いやだ……)

 村中は、反吐を吐きながら泣いていた。

 那美は、迫りくる数十匹の欲食の大鎌の中を掻い潜り、光破剣で、欲食を斬り伏せていた。呂騎は鋭い爪と牙で、空を飛ぶ欲食を倒そうとしているが、思うようにゆかない。空を飛ぶ欲食に苦戦しているのだ。

《那美さん、早く、刻を追ってください。極異界(きょくいかい)に逃げられたら、私たちには追うことができません》

と、呂騎が言う。

「ここにも極異界への扉があるの?」

《私の知っている限りでは、首都、東京には、この場所と、明治神宮の上空、平将門の首塚の傍らに極異界への扉があります。他にもあるみたいですが、私に解るのはそれくらいです》

 極異界とは、太陽の光の下では生きられない蒜壷一族が、唯一生存できる世界である。蒜壷一族は、極異界から現界に通じる出口を任意で造りだすことができるが、現界から極異界への入り口は、定められた場所にしかなく、蒜壷のモノは極異界に帰るときは、その定められた場所の扉を開けて、極異界に帰っていた。

「きゃああー」

 少女の姿をした欲食の、聞くに堪えない断末魔の悲鳴が、苑内に、ひときわ高く響いた。

「いやだ、俺はもう……。撃ちたくない」

 村中が、膝を屈した。

「しっかりしろっ! おまえ死にたいのか」

 室緒が、跪いた村中の肩に手をまわした。

「殺られば、殺られるぞ」

 室緒は、村中の肩を、激しく揺さぶった。

「高橋だって、必死に耐えているんだ。おまえも頑張れ」

 室緒の部下、高橋は、死にたくない一心で、弾丸を撃ち続けていた。思うように欲食に当たらないが、それでも欲食の攻撃から身を守っている。

「室緒さん……。俺もやります……」

 村中は立ち上がった。

「よし、その意気だ」

 村中と室緒は、空を飛ぶ欲食、めがけてグロップXXXを撃ち続けた。

 最初、苑内に現れた欲食の数は、三十匹ほどだった。那美と呂騎と大野の手によって、十数匹まで数を減らしているが、予断は許されない。苑内にいり組織AHOのメンバーは、大野、室緒、村中、高橋、それと意識を失っている荻隊長の五人。大野と室緒はよく持ちこたえているが、村中、高橋は、いつ欲食に倒されてもおかしくはない。

「大野さん、俺らにかまわず欲食を、確実に倒していってください。でないと、荻隊長の身が危険です」

 室緒が言った。

「わかった」

 大野は軽く会釈して、倒れている荻隊長の息の音を止めようとしている欲食、めがけてグロップXXXを撃った。

《那美さま、極異界への入り口が開いています》

 呂騎が、那美に伝える。

「刻は? 刻はどこに?」

《刻は……。いません。すでに刻は、極異界に逃げ込んだようです》

「そう……。惟三は? 惟三はいまどこに?」

《惟三は、極異界の前にいます》

 ヒキガエルの蒜壷、卑眼の惟三は何もない空間にポッカリと開いた極異界の入り口の前にいた。

「那美はん、呂騎はん、いったんオサラバしまっせ」

 惟三が、極異界に身を躍らせる。

「餌に捕まった伽羅はんの世話、頼みまっせ」

 惟三は、嗤って見せた。

「惟三、逃げるの?」

 那美が言う。

「逃げますよ。十種神宝に守られた那美はんと、戦ってもかなわさかいに」

「逃がさないわよ!」

 那美が惟三を、睨み据える。

「那美はん、わいを追って、この中に入って来る気ですか? 無茶なこといいなさる。那美はんは、極異界に入ることができないじゃあないですか。そのこと、那美はんが一番わかっていることやろ」

 十種神宝に守られている那美は、極異界には入ることができない。怨念の巣窟ともいわれる極異界は、その呪われた地であるゆえに、十種神宝を身に着けている那美を拒み続けていた。

「それじゃあ、おおきに。今度会うときは、胸に隠し持った香袋……、もらいまっせ」

 極異界への入り口が、徐々にしまってゆく。那美は、気合を込めて光破剣の切っ先から、光の玉を、惟三、めがけて撃った。が、渾身の一撃は惟三には当たらない。惟三の身体に届く前に、極異界への入り口が閉ざされたのだ。

「逃がしてしまったのか?」

 大野が言う。

「ええっ、逃がしてしまったわ。そちらの方は、欲食は、片付いたの?」

「だいぶ手こずったが、撃滅したよ。……もっとも大半の欲食は、おまえさんと呂騎が倒したものだが……」

「そう。それで、捕まえた伽羅は、どうするつもりなの?」

「すでにこちらに、H-Aシリーズ用に作った檻を積んだヘリが、向かっている。H-3Aは、それに乗せて本部に運ぶつもりだ」

「本部で尋問するわけね。伽羅がそう簡単に口を割るかしら?」

「割らしてやるさ」

 大野は電磁網の中に横たわっている伽羅に顎を向けた。伽羅は、うつ伏せになって、ビクリとも動かない。

 狼人間である疾風の蒜壷、伽羅は完全に意識を失っているかのように見えた。

「那美、これからどうするつもりだ。今回も、我々から逃げるつもりなのか?」

 と、大野が言う。

「逃げる? わたしが……」

 那美は伏せ眼がちに大野を見た。

 組織AHOと那美は、これまで何回となく接触してきた。蒜壷一族らしきものが現れるたびに、組織AHOは工作員を、蒜壷一族が出現した現地に送り、蒜壷一族と戦い続けてきた。その闘いに最中、那美は忽然とどこからともなく現れ、苦戦している組織AHOのメンバーを尻目にして、蒜壷一族を殲滅させてきたのだ。

 組織AHOのメンバー大野と、那美は初対面である。が、那美も大野もお互いに初対面という感覚はない。ともに蒜壷一族と戦ってきた経緯が二人の距離を微妙に縮小ちじめていた。

「なぜ、そう思うの? わたしは、あなたたちから逃げているつもりはないわ」

「いいや、おまえは我々から逃げている。自分の正体を悟られることを恐れている。なぜ、そんなに恐れる。我々はおまえに危害を加えないし、おまえも我々に危害を与えることはないと知っている。那美……。我々の目的は同じなはずだ。目的は一つ。人を襲う蒜壷一族の殲滅。組織AHOは、蒜壷を滅ぼすことに命をかけているんだ。我々は、いままで捕えることができなかったHーAシリーズを、ようやく確保することができた。これから伽羅を連れ帰り、基地に戻る。徹底的に伽羅の取り調べを行うが、これを機に、協力して欲しい」

「………」

「おまえは、我々の知らない蒜壷一族の秘密を知っているはずだ。彼らが何者で、なぜ、人を襲うのかを」

 大野は挑むような眼で、那美を見た。

「蒜壷が、人を襲う理由はご存じでしょう?」

 と、那美が言う。

「人は奴らの餌。おれたち人間は奴らの食べ物という説か? ふっふっふっふ、おもしろい考え方だが、俺には腑に落ちん」

「なぜ? なぜ疑問に思うの」

「人が奴らの食糧ならば、奴らはその食欲を満たすために、頻繁に人を襲っているはずだ。しかし、蒜壷一族が人を襲う事件はひと月に二度ほど。事件のたびに現れる餓鬼どもの数を考えても、この数は少なすぎる。蒜壷のものは人間だけ食べて生きているわけではないんだろう。違うか?」

 大野は、部下が残した記録や映像で、蒜壷一族が起こした事件の現場を見るたびに、無残に変わり果てた人の(むくろ)を見続けてきた。蒜壷一族の旺盛な食欲は、とどまることを知らず、犠牲者の肉はおろか、内臓や皮までその原型をとどめていない。遺体の中には、骨さえも砕かれ、食用にされたと思われるものもあった。蒜壷のものは、肉を喰らい、内臓をすすり、皮をしゃぶり、骨を嘗めて、胃に収める……。

 そんな蒜壷一族が、ひと月に一度や二度の人狩りで、おのれの食欲を満たすことができるだろうか?

 できるわけがない。蒜壷一族は、決して、人だけ食べて生きているわけではないと、大野は睨んでいた。

「蒜壷の事件は、ひと月にひとつかふたつ……。もっともこの数は、我々の把握している数にすぎないが……。事件のたびに現れる餓鬼どもの数から考えてみても、奴らの食欲は、ひと月に一度や二度の人間狩りで満たされるもんじゃあない。蒜壷一族は、人だけ食って生きているわけではないだろう。そうだろう、那美」

「蒜壷一族は……。蒜壷のものは……」

 那美は言いよどんだ。

「蒜壷のものは……」

「蒜壷のものは何だ?」

 大野が、言葉に詰まった那美に迫った。

《那美さまに代わって、わたしが応えましょう》

 那美の相棒、呂騎が大野にテレパシィーを送ってきた。

「おまえが、応えるだと!?」

 大野が、甲冑を身に着けている大型の犬に視線を送る。

《はい。私が那美さまに代わって、その疑問に応えましょう》

「……テレパシィーという奴か。どうも頭の中に直接話しかけられるのは好きになれんな。で、那美は、なぜ、応えてくれない。応えられない理由があるのか?」

 呂騎は大野の問いを無視した。無視して、蒜壷の事を話し始める。

《御推察どうり、蒜壷のものは、人だけ食べて生きているわけではありません。人のように穀物を喰らい、獣の肉をほうばり、魚を食べます。ただ、蒜壷のものは、七日に一度、人肉を食さなければ、八日目には気が狂い、ひと月も人肉を食べなければ、狂死してしまうのです》

「人肉を食べなければ、狂ったまま死んでしまうというのか!?」

《はい……》

 呂騎は、大野から目を逸らした。

「信じられん話だ……。なぜ、気が狂う? 人の肉と蒜壷の間に、どんな秘密があるんだ」

《残念ながら、その問いには答えられません。いえ、応えられないのです》

「なぜだ?」

《わたしたちにも、その理由が分からないからです》

「分からない?」

《ええっ、呪われている血族とか言いようがありません》

 確かに蒜壷一族は呪われているだろう。

 禍々しい容姿と、狂気ににも似た攻撃性を持ち備えた生物。生存欲だけで生きているとしか思えない餓鬼と呼ばれている、H-Bシリーズと言われている蒜壷と、餓鬼たちH-Bシリーズの体力を上回る頑健な身体と、知識と知性を持ったH-Aシリーズ。彼らは同じように、人肉を食さなければ、一か月後には狂死してしまうのだ。

「呪われているか……。確かに呪われているかもしれんな」

 大野は、地面に散らばった欲食の死体に眼を移した。

 三十数匹いた餓鬼、欲食は、すべて那美と呂騎、組織AHOのメンバーの手によって倒された。そのうち二十数匹が溶けて気化し、残り数匹もジュクジュクと溶けだしている。溶けて、塵と化すのだ。細胞組織一片も残らず、消えていってしまうのも、呪われているせいなのかもしれない。

「……おまえが、おまえ…が、那美か!?」

 荻が気づいた。

「荻、大丈夫か」

 大野が、うっすらと眼を開けた荻隊長に言葉をかける。

「大野さん……。来ていたんですか……。藤堂たちは?」

 荻の部下であった六人の男たちは、すでに伽羅の手によって死に絶えている。

「藤堂たちは? ……台田は? 代々木は助からなかったのか? 救護車両は? 本部から救護班が来ているんだろう」

 荻は半身を、おもむろに起こした。血走った大野の瞳に映る変わり果てた部下の遺体。疾風の伽羅の容赦のない攻撃は、荻の部下たちをただの肉塊に変えていた。

「全員……。全員、やられたのか」

 荻隊長は知らない。生き残った隊員を、自分のその手で始末したことを……。

「生き残りは、あなただけです。荻隊長」

「おまえは? おまえは誰だ?」

 荻隊長は、見知らぬ男たちの存在に気が付いた。

「初めまして、室緒といいます。こちらの二人は、村中と高橋。ともにこれから組織AHOの下で、働きます」

「おまえたちが、蒜壷と戦う? おまえたちに何ができる。俺の部下さえ……、俺の部下さえ全滅したんだぞ」

 大野は、鍛え抜かれた彼の部下に比べて、やや見劣りする室緒たちを見下した。見下されずにはいられなかった。共に何年も蒜壷一族と戦ってきた可愛い部下たちを一度に失ったやるせなさを、室緒たちにぶつけているのだ。

「大丈夫……。その三人は、十分蒜壷と戦ってゆけるわ」

 と、那美が言う。

「戦ってゆけるだと!」

「ええっ……」

「なぜ、そう言える。室緒はともかく、後の二人のざまを見ろ」

 荻隊長は、村中、高橋を指差した。

 村中と高橋は、肩で息をしていた。身体の震えが止まらないのか、歯をガチガチさせている。

「大丈夫、その二人は、怯えながらも数匹の欲食を倒したわ。次はきっと勇敢に戦って見せると思う」

 そう、那美が言うと、

「なぜ、そう思う。蒜壷を何百匹も葬ってきた自信が、おまえにそう言わせているのか……」

 まだ、立つこののできない荻隊長は、力の入らない手で地面の土を掴んだ。

「その眼……。その眼。なにもかも見透かしているような冷たい瞳。……俺は、本部でおまえの写真を見せられた時、背中に旋律が走ったよ」

 荻隊長が那美の写真を見たのは、まだ一介の隊員の時だった。

少女はきゃしゃな姿だった。ファッションショーの舞台で、颯爽と歩くモデルのような細い体だった。

 こんな身体で、蒜壷一族と戦っているのか? 街にたむろするチンピラに、からかわれるような容姿ではないか……。

 荻隊長は食い入るように写真を見つめた。

 見れば見るほど、そこらへんにいるチンピラにもつけいられるような細い体……。が、その眼は……。

 感情を押し殺したような、情も憐憫もなさそうな眼。愁いを帯びた切れ長の睫毛の裏に隠された瞳ー。なにもかも拒絶するような瞳を持った那美の写真は、二十歳そこそこにすぎなかった若者の心を凍らせた。

 どんな人生を歩んできたら、こんな瞳になるんだ!? この少女は、一体どんな人生をおくってきたというのだ。

 直属の上司に手渡された写真の中の那美の姿に、怖れを抱いた荻隊長は、思わず手にした写真を落としそうになった。

(あの写真は、昭和五十年頃に撮られた写真だという……)

 荻隊長は、目の前の那美を凝視する。

 写真の中の那美は、二十歳前後の少女の姿だった。ここにいる那美もまた、二十歳前後の少女にしか見えない。

「歳をとらない……。おまえが歳をとらないということは本当のことなのか?」

 荻隊長が那美に言う。

 那美は応えない。ただ、黙ってうつむいている。

「おい、そこのいる犬コロ、おまえが応えろ! さっきみたいに頭の中に話しかけて来い」

 荻隊長は、呂騎に話を振った。呂騎も答えない。悲しそうな眼をして荻隊長を見つめている。

「どうした、なぜ黙っている。お得意のだんまりか。都合がわるくなると口をふさぐのか!」

 荻隊長は立ち上がろうとして、よろめいた。

「立つな! 休んでいろ。おまえは、まだ立ち上がれる状態ではない」

 大野が、村中、高橋の肩に抱かれている荻隊長に言った。

 夜空にティルト・ローター独特の歪のある轟音が響いた。V22。いやオスプレイといったほうが分かりやすいだろうか。2012年10月に沖縄の米軍普天間飛行場に配備され、沖縄県民の配備反対の集会を呼び起こした水直離陸輸送機ヘリ、あのオスプレイである。

「佐賀空港に配備予定の機から、一機、借り受けている」

 大野が、当惑顔の室緒たちに言った。

「あれで伽羅を運ぶわけですね」 

 と、室緒が言う。

「小笠原諸島にあるN島に運ぶ」

「N島ですか?」

「N島に組織の研究施設がある。蒜壷一族に対抗するために造られた施設がな」

 小笠原諸島に浮かぶN島は、周囲五百メートルほどの小さな島だ。島の周りは断崖絶壁で覆われていて、立ち入ることさえ容易でない。組織AHOは、万が一のことを考えて、組織AHOの本部がある警察庁にではなく、N島に対蒜壷一族施設を造っていたのである。

「おまえらも、これからそこに行く」

「俺たちもですか?」

 室緒が応えた。

「そうだ。怪我をしている荻隊長を除いて、ここにいる全員が、オスプレイに乗り込み、N島に行く。……那美、おまえもこないか? 来て、協力してくれると嬉しいんだが」

 大野の問いに、那美は首を振った。

「そうか……。それじゃあ、今回はあきらめよう」

 大野は踵を返した。

 水直離陸輸送機V22オスプレイが、苑内に着陸した。ハッチが開き、数人の男たちが、蒜壷専用の特殊な檻を中から下ろした。それは、檻というよりも巨大な透明な棺桶と言ってもいい代物だった。男たちはキャスターにそれを乗せて、伽羅の所に運んだ。

「八木、電磁網のスィッチを切れ」

 大野が、ボタモチ内にいる八木に連絡を入れると、周辺に響いていた耳障りな音が消えた。

 オスプレイから降りた男たちが、電磁網の電源が切れていることを確認し、伽羅の身体から電磁網をはぎ取った。うつぶせに倒れている伽羅を二人がかりで檻の中に運び込む。意識が失っている伽羅を、オスプレイの中に運び込むまで数分しかかからなかった。




                   12、

                      

 平安初期の学者、源為憲(みなもとのためのり)の著書の中に、当時の大建造物のおぼえ歌がある。

 「大屋を(しょう)して()う。雲太(うんた)和二(わに)京三(きょうさん)

 雲太とは、出雲地方にあったと言われる(現在の出雲大社とは別物)出雲大社ことで、雲太という俗名は、その昔、寂蓮法師という人物が出雲の地を初めて訪れたとき、出雲大社の大きさに驚き、「雲に分け入るほど大きい建物」と表現したことから、その名がつけられたという。和二とは、東大寺の大仏殿のことで雲太の次に大きく、三番目に京都の平安神宮が大きいと謳われている。

 当時の奈良の大仏は45メートルの大きさを誇っていた。雲太と言われる出雲大社はそれより大きく48メートル、いや96メートルもあったという。

 蒜壷一族が、住処(すみか)としている極異界に、その昔日の出雲大社を思わせる巨大な神殿があった。

 全体を黒く塗られている巨大な神殿は、黒神殿(こくしんでん)と呼ばれ、蒜壷一族の(かしら))と呼ばれる人物と、その一族が棲んでおり、頭の親近者以外、滅多に入殿できぬ場所となっていた。

 その神殿の中。二十畳はある板間に、極異界に舞い戻って来た惟三の姿があった。

 惟三の前に男が立っている。白髪交じりの総髪をオールドバックにした男が、膝まづいている卑眼の惟三を見下ろしている。色羽二重の紺色の長着を身に着け、無地の仙台袴を穿いた男は、六十代後半の男に見えた。

「すると、十種神宝は勾玉に形を変えられているというのか?」

 と、男が言った。

「さいでがす。那美はんが香袋の中に入れ、肌身離さず持っています」

 惟三が、男の問いに応える。

「不思議なものよのう……。ニギハヤギの神が物部一族に与えたという十種神宝が、形を変え、勾玉の中に秘められているとはなあ」

 男が言う物部氏とは、その昔、蘇我氏との戦いに敗れ、没落の道を歩んでいったあの物部氏であろうか?

「親分さん?」

 惟三が、男に訊ねる。

「ひとつ、訊いていいじゃろか?」

「なんだ? なにか聞きたいことがあるのか。わしに分かることなら、こたえてやろう」

 惟三に、親分と言われた男が、眼を細めて惟三を見る。

「……親分さん、そんな目で、わいを見たらいけませんですが。わいは小心ものさかいに、そんな目で見られたら、小便、もらしちゃいますがな」

「怖いのか? このわしが」

「怖いでがす。正直言って、親分さんほど怖い人、知りません。親分さんの眼を見ただけで震えてしまいますがな」

 惟三は、卑屈に嗤った。

「おまえが、震える? 幻惑を見せて、相手をたぶらかす、卑眼の惟三が、わしの眼を見て震えるか。おかしなことをいう奴よ」

 男は鼻で嗤った。惟三を嘲笑っている。

「あっ、親分さん。いま笑いましたでしょう」

「嗤ったが、それがどうした? 笑って悪いか」

「いやいや悪いだなんて……。滅相もない。身も凍る目で見られるより、よっぽどマシですがな。それで、親分さん。ひとつ訪ねていいですか?」

「なんだ? なにが訊きたい」

「モノ……、すなわち(もの)ともいわれた物部のものと、蘇我氏と争った物部氏とは違う氏族やろ。十種神宝を持つ物部が蘇我氏にまけるわけないさかいになあ」

 惟三が、自分に問うように言った。

「十種神宝は、人には操れん。ただの人間が、神の宝を操るなど笑止千万」

「というと? やはり、十種神宝をもらいうけたという物部一族とは、鬼こと、鬼部(もののぶ)一族のことですな」

「さよう、この国には、人が大和政権をうちたてる以前から鬼と呼ばれる一族がいた。そのものたちが十種神宝の力で、この国を支配していたのじゃ」

「すると、なんですかい。わいら蒜壷一族も鬼部一族に支配されていたのですか?」

「わしらが支配されていただと! バカめ。わしらは何人(なにびと)にも支配されたことなどないわ」

 男は惟三を叱った。

 板敷の大広間の扉を開けて、ひとりの女と、女の従者と思われる犬の顔をした二人の蒜壷のものが入ってきた。女の肩には一羽の鴉が止まっていた。トカゲの顔をした女の名は琥耶姫といい、鴉は刻といった。

「洪暫さま……。わらわをお呼びでしょうか?」                          

 琥耶姫は、洪暫の前に膝まずいた。お供の犬の顔をした二人の蒜壷も、琥耶姫の両脇に陣取って膝まずいて黙礼した。

「ありゃま、わいだけここに呼ばれたと思ったら、あんさんもよばれましたか?」

 惟三が、わざとらしく驚いて見せる。惟三は琥耶姫の登場がおもしろくないようだった。琥耶姫も不快なようである。あからさまに琥耶姫を侮蔑する惟三の滑稽な振る舞いに、琥耶姫は薄い唇を噛んでいた。

「十種神宝の秘密を知ったのは、おまえだけではないのだよ惟三。琥耶姫とその相棒の鴉、刻も、その秘密を知った」

 洪暫が惟三に言う。

「十種神宝の秘密を知った者は、蒜壷一族の中でも、我々だけだ。秘密を知った我らだけが、那美の手から十種神宝を奪えることができると言えよう。惟三、琥耶姫たちと、ともに協力して、是が非でも、那美の手から十種神宝を奪え」

 洪暫は、隻眼の鴉、刻の報告により、十種神宝の秘密をすでに知っていた。先程、惟三に十種神宝のことを訊いていたのは、その確認にすぎなかったのである。

「わいが、琥耶姫と組むんですか?」

「いやか?」

「いやだなんて、滅相もない。わいは女に、とんと縁がないさかい。蒜壷一族のユリの花ともいわれる琥耶姫と組むんなら、こりゃあ願ってもないことや。えろう歓迎しまっせい」

 惟三は、ニタニタ嗤った後、舌をうった。

 惟三は、内心では、琥耶姫と組みたくはなかった。手下の餓鬼を使い、那美から十種神宝を奪いたかった。手柄を独り占めにし、洪暫に認められたかったのである。

 洪暫は、なにゆえ惟三と琥耶姫を組ませるのだろうか?

「おまえは、このわらわをユリの花にたとえるのか? このトカゲ貌のわらわを」

 琥耶姫が、惟三を睨む。

「そんなキツイ眼で、わいを睨まんで。わいはこれでも、人間の姿に化身したあんさんを見たことがあるんや。ずっーと昔にな。ごおつうべっぴんさんでしたで、あんさんは」

「昔って、いつのことじゃ」

「昔、昔の大昔ですがな」

 惟三は、ニヤニヤ笑った。

 人に化身できる化瑠魂一粒造るのに、精魂を注ぎ込んで、約二ヶ月はかかる。それゆえ、琥耶姫は、滅多に化瑠魂を使わない。琥耶姫が、前に化瑠魂を使って、人に化身したのは、鎌倉時代のことだった。

「惟三、おまえ、まさか……。そんな昔から……」

 と、琥耶姫が言う。

「だから……。そんな目で、わいを見なさんな。わいは……。えっーと……。そうそう、いまでいうストーカー行為をしただけですがな。なにも問題はないやろ。わいらは人間さまじゃあないさかいになあ。陰からあんたさんをジロジロ見たってなんの罪にもならへんのや。……琥耶姫はん、人の姿に化身したあんたは、本当に綺麗でしたぜ」

「ええっーい、言うな! 気色悪い」

 琥耶姫は、惟三に掴みかかろうとした。琥耶姫の供の蒜壷が慌てて琥耶姫を止める。

「そこのお兄さんたち、しっかりと琥耶姫を抑えててくださいよ。毒針でも口から噴かれたら、かなわんさかいに」

 惟三が、琥耶姫の身体を抑えている二匹の蒜壷のモノに、そう言った。

「惟三……、おまえの皮膚は琥耶姫の毒針を通さなかったんじゃあないのか?」

 洪暫が、惟三に言う。

「そうやと思いますけど、いまはこんな姿ですから、もしかしたら、琥耶姫の毒針を通すかも知れないと思いましてな」

 化瑠魂一粒での化身時間は三日間である。蒜壷一族は自分の意志で化身を解くこともできるが、惟三は極異界に帰ってきた現在でも、その化身を解いていなかった。

「プシュー」

 琥耶姫が、いきなり惟三の胸をめがけて、口から無数の毒針を吐いた。しかし、人の姿に化身しても、卑眼のヒキガエル、惟三のぶ厚い皮膚には通じない。琥耶姫の放った無数の針は、惟三に突き刺さることなく、パラパラと板敷の床の上に落ちて行った。

「なにをするんや。いきなり……」

 惟三が、唇を尖らせた。

「まったくもって、油断できんおなごやな」

 えへらへら笑う惟三に、唾を吐くように、琥耶姫はプイっと横を向くと、

「洪暫さま……。わらわは、この男と組むのは嫌でございます。わらわにも女の意地があるゆえ、このような男とは……」

 と、洪暫に嘆願した。

「わしの命令がきけるというのか?」

 洪暫の鋭い視線が琥耶姫を貫く。

「いいえ……。そのようなことは……」

 琥耶姫は、洪暫の心の臓を刺すような視線に射抜かれて、たじろいだ。

「そのようなことはないというのだな……」

「はい……」

 琥耶姫は頭を下げた。

「琥耶姫よ。そなたが連れて来たお供のモノどもを、わしに紹介してくれ」

 洪暫にとって、琥耶姫のお供のモノたちは初顔の男たちだった。値踏みするように琥耶姫のお供の蒜壷を見た。

「はい、こちらが風のイで……」

 琥耶姫が右手の犬の顔をした蒜壷を紹介し、左手の犬の顔をした蒜壷を「こちらが大地のヌです」と、洪暫に紹介した。

「ほう、そのほうたちが、風のイと大地のヌか……。そのほうたちの噂は耳にしている。顔を見るのは初めてじゃがな」

「はっ、洪暫さまは、我らのことをご存じでしたか」

 風のイが言う。

「知っているとも、一族に中に風を自由自在に操る蒜壷と、大地を揺り動かす蒜壷のモノがいると噂に聞いておる。……おまえたちがそうなのだな」

「はっはぁー」

 風にイと、大地のヌの蒜壷はかしこまった。

「おまえたちが、琥耶姫についているのなら、ここにいる琥耶姫もこころづよいだろう。頼むぞ風のイと大地のヌ」

 洪暫は、洪暫の前でかしこまっている二人の蒜壷モノの肩に手を置いた。

 洪暫が、琥耶姫に視線を移すと、琥耶姫が、何か言いたげに洪暫を見ていた。

「わしに何か言いたいようだな……。琥耶姫」

「洪暫さま……。ひとつ聞きたいことがありますのじゃ」

「ほう、なにが訊きたい」

「十種神宝……。十種神宝のことを詳しく教えてくださいませ」

「前に話したはずだが……」

「わらわが知っているのは、断片的なものばかり……。わらわは、もっと詳しく知りたい」

「そんなに知りたいか?」

「はい……」

 琥耶姫は、深く頭を下げた。

「……よかろう。わしが知っていることを全てはなしてやる」

 洪暫は、眼を閉じた。やがて、おもむろに眼をひらくと静かに話し始めた。

「十種神宝のうち、八握剣というものは……」

「それっ、那美はんが、光破剣といっているものでしょう」

惟三が茶化すと、洪暫は惟三を睨み付けた。

「八握剣は……」

 洪暫は話を続ける。                 

 内なる邪を断つ剣。

 洪暫の話によると、八握剣のこと光破剣は、時おり人の心の中に湧き上がってくる邪心を断つ剣だという。

「己自身の邪悪な感情や欲望を断ち切り、断ち切った欲望を浄化させて、敵を切り刻む剣と言ったほうが分かりやすいかな」

 と、洪暫が言う。惟三は、

「欲望を浄化!? なんや、それっ? 聖人君子にでもなれっていうんですかいな。欲望を浄化って、欲望がなくなったら生き物は終わりですでぇ~」

 と、言って茶化した。

「どんな清い人間でも、心の片隅に、薄汚れた(おり)みたいなものがある。怒り、嫉妬、妬み、猜疑心、おのれのみのことしか考えない自己愛……。那美とて、例外ではない」

 洪暫は、惟三を無視して話を続けた。

「那美の場合、わしらに対する怒りが、八握剣の力の(みなもと)になっているようだがな」

「怒りが……。邪悪な感情というのですか?」

 琥耶姫が聞く。

「怒りは憎しみにつながる。人を憎む感情は邪悪なものだろうが」

「それはそうですが……」

 琥耶姫は言葉を濁らせた。

「次に足玉……」

 洪暫は十種神宝の話を続ける。

 十種神宝のうちのひとつ、足玉といわれるものは、空を自由自在に飛行するときに使われる。これを使うと、使用者を球形の薄い膜で包んで、宙に舞い上がらせる。薄い膜は一種のバーリアみたいなもので、飛行時の風圧、敵の攻撃から使用者を防御するのである。球形の中は常に一定の気圧が保たれ、酸素が欠乏することはない。球形は外からの攻撃を受けることはないが、中からの攻撃が可能で、那美は球形の中から光破剣を使って敵を倒したことがあるという。

 洪暫は、そう足玉の説明をした後、道反玉のことについて話し始めた。

 道反玉は、敵を身動きできない状態させる力を持つ神宝である。道反玉の力に翻弄された敵はその場から一歩も動けなくなる。いままで空を自由自在に鳥さえも、道反玉にかかれば、地に落ちるのである。

「その神宝のせいで、伽羅はんが動けなくなってしもうたや。もう一歩で那美はんをたおせたかもしれんのになあ~」

 惟三が、ため息をついた。

 奥津鏡(おくつかがみ)は、敵の居場所を映す鏡である。那美は蒜壷一族の出現を感じると、奥津鏡を使い、敵がいまどこにいるか確認する。

「その奥津鏡の力で、那美はんは、いつもわてらの前に現れるのでっしゃろ」

 と、惟三が言う。

「奥津鏡は、わしらの姿と居場所を那美に見せ、那美は相棒の呂騎の鼻を頼りにわしらの元に駆け付ける」

 洪暫が、惟三にそう応えた。

 もう一つの鏡、人の心を読み取る能力を持つ辺津鏡(へつかがみ)の前では、人は隠し事ができない。 隠し事さえ吐露させてしまう辺津鏡は、時と場合によって、人の深層心理まで読み取ってしまう、おそるべき神宝なのだ。

 那美が相棒の呂騎が瀕死の重傷を負った時に使った生玉は、生命力の源の玉である。那美の桜色のオーラ―でも治癒できない重傷な傷でも、瞬時に回復させる力を持っている。

 品物比礼は、身に降りかかる邪を払う力を持つ神宝である。那美は、餓鬼“食風”との戦いの時、相棒の呂生の身を守るためにこれを使い、食風の毒霧から呂騎の身体を守った。

 蛇比礼(おろちのひれ)は、地上から襲ってくる敵に放たれる迎撃ようの武器である。また、地雷などの罠を回避するのにも有効であり、地下に潜む地雷さえも無力にする力を持っている。蛇比礼に対して蜂比礼(はちのひれ)は、空中からの敵に対して効力を発揮する武器である。蜂比礼は、ライフル銃などの飛び道具にも有効で、銃などから放たれた弾丸は、那美の身体に届く前に、失速して地上に落下してしまうのである。

 死者の声を聞きことができるという死反玉(まかるがえしのたま)は、十種神宝の中で最大の謎を秘めた神宝である。幽界にいる死者の声も聞き取ることもでき、死反玉を最大限に使用できれば死者さえも生き返らせることができるという。

「それっ、本当の話しでっか? いくらなんでも死んだ者が生き返るはずないやろっ」

 惟三がそういう。

「惟三……。死とは何だと思う?」

 洪暫が不敵に嗤った。

「死でっか? 死とは心臓が止まって肉体が滅びることでっしゃろ」

「魂はどうなる?」

「魂は、でっか? そりゃあ~ 良い魂は天国っていうところに行き、悪い魂は地獄行きと決まっているやろ」

「死とは肉体が滅びることであって、魂は消滅しないということだな」

「そう思いますけど……。違いますか?」

「そのとおりだ。死んだら終わりではない。魂が消滅しないかぎり、命の灯は消えない」

「てっいうと……。死反玉が死人を生き返らせるということは?」

 惟三は、眉をしかめた。

「その昔、鬼部(もののべ)一族が、死反玉を使い、死人の魂を生者の魂と取り換えたという」

「魂を取り換える?! どうことですか? 肉体を乗っ取るっていうことですか。肉体を乗っ取ったら乗っ取られた方の魂はどうなるんですか」

「それは、わしにも良く解らぬ……。わしに解ることは、死さえ越えようとする死反玉を頻繁に使った鬼一族は、神の怒りにふれため、地獄に堕とされてしまったとういうことだけじゃ」

「地獄に落とされた? するってーと、いま地獄で亡者どもをいたぶっているのは、あの鬼どもは鬼部一族でっか?」

「そう、あれは鬼部一族の成れの果てじゃ」

「へえ~ 地獄の赤鬼さん、青鬼さんが鬼部一族の末裔でっか?」 

 惟三はふうん~と鼻をならした。

「洪暫さま、わらわのもとに十種神宝がそろうと、わらわにかかった呪いが解けて、わらわが地上に戻れるというのは本当ですか?」

 琥耶姫が、訊く。

「琥耶姫よ。はるか昔、わしらは人を越えたもの。蒜壷のものとして地上に君臨していた。そのわしらが、なぜ、地上から追い出されたと思う?」

「呪い……、わらわらにかかった呪い……」

 琥耶姫が眉をひそめる。かつて蒜壷一族は地上でも平気で活動できた。が、呪いをかけられた後の蒜壷一族は、太陽が照りつける日中は、数時間しか活動できない。そのまま陽の光を浴び続けていると、解けて行ってしまうのである。

「わしらにふりかかった呪いは、先代の頭であるわしの兄、千寿(せんじゅ)が、わしらにかけたものだ」

「えっ? いま……。なんと?」

 惟三が、目を剥いた。

「先代の蒜壷一族の頭、千寿がわしらに呪いをかけたのじゃ……」

「そ、そ、そ、そんな馬鹿な! 嘘でしゃろ。蒜壷の頭であった千寿さまが、わしらに呪いをかけただなんて……」

 惟三はおののき、琥耶姫、大地のイと風のヌは驚愕した。

「嘘ではない。先代の頭が、わしらに呪いをかけたのじゃ」

「なにゆえ、そのようなことを……」

 大地のイが自分自身に問うように言うと、

「気が狂ったとしかいいようがないではないか」

 と、風のヌが、そう応えた。

「まさか、あの噂は本当のことですか? 千寿さまの()が、蒜壷のモノではなく、ただの人間だったという、あの噂は……」

 惟三が、口をあんぐりと開けた。



                   13、


 蒜壷一族の頭目である洪暫には、(とう)違う兄が一人いた。

 名を千寿といい、蒜壷一族の先代の頭だった。体力に優れ、戦闘能力が著しく強く、人格的にも優れていた千寿は、気性が激しい者が多い蒜壷一族の者を、よく統率していた。誰もが千寿を崇め、千寿のいうことなら何でも良く聞いていたのである。

「わいは、あの噂を聞いた時、腰が抜けてしもうたがや……。わてら蒜壷のものを誰よりも思うとる、敬愛する千寿さまが、わてらの餌にすぎない人の女を妻にするなんて……」

 惟三が、そういう。

「兄者とて、心惑うときがある」

 洪暫が言った。

「兄者が弥生(やよい)と会った時、兄者は瀕死の重傷を負っていた……」

 千年ほど前、蒜壷一族がまだ日中も活動できた頃、人との戦いに大勝した千寿は、古い寺の中で、疲れた体を横たえていた。千寿は、本体の龍の姿から人間体に化身して、勝利の余韻に酔いしれていたのであった。

 心地良い疲れが千寿の油断を誘ったのか、それとも、勝利のおごりが千寿に眠りをもたらしたのか……。千寿は、疲れ切ったおのれがいる古寺に見張りもつけずに、その場で眠ってしまった。

 何時間、経ったのだろうか。千寿は首に走る鋭い痛みと共に眼を覚ました。

「な、なんていう硬い首をしていやがる。マサカリが食い込んで離れねえ~」

 千寿の首を斬りおとそうとしていたのは、身長が二メートルもある筋肉質の巨漢だった。巨漢の周りにも、それに勝るとも劣らない屈強な男たちがいた。

「おのれ~ 人間どもめ!」

 千寿は、おのれの首にくいこんでいるマサカリを引き抜き、それで周辺をなぎはらった。マサカリを千寿の首に食い込ませた巨漢の身体が、腹から真っ二つに両断され、大量の血潮が辺りに飛び散る。

「怯むな! そいつは蒜壷の頭だ。なんとしても討ち果たすぞ」

 真っ二つにされた巨漢の遺骸を尻目にし、屈強な男たちは勇敢にも千寿に立ち向かって行った。その数、およそ二十。強者(つわもの)ばかりの男たちが、千寿に向かって攻撃を仕掛けてきたのである。

 斬馬刀と呼ばれる巨大な刀が、千寿、めがけ、振り下ろされ、豪傑と呼ばれる男だけが使うことができる強弓から、毒の塗った弓矢が、千寿に向かって放たれる。だが、斬馬刀も、強弓から放たれた矢も、剃刀のように鋭く磨いた刀剣も、千寿に傷を負わせることができなかった。最初の一撃、巨大なマサカリだけ、千寿の受けた損傷だった。

「人間などに、このわしを倒すことなどできぬ」

 そう、うそぶく千寿。事実、わずか数分で半数を超える男どもが、千寿の手によって絶命していた。

  千寿によって殺された男たちは、ほとんどが無残な死にざまを示している。腹を裂かれ内臓が飛び出た死骸や、頭を潰され脳漿が飛び散っている遺体。遺体の中には人の原型をとどめていない肉塊もある。首に傷を追った千寿が怒りに身を任せた蛮行が、惨たらしい死体の山を築いたのだ。

「たわいのないものよ」

 千寿は、目の前の男の両腕を引き抜いた。

「千寿! おまえは……。お、お、まえは、もう終わりだ」

 千寿に、両腕をもぎ取られた男が、苦し紛れに言う。

「なにを馬鹿なことをいう。わしが終わりなどと……」

「終わりだ……。おまえのその血を見ろ。首から流れ続けている血が、おまえの最後を謳っているわ」

「血が謳っているだと……。笑わせるな」

 マサカリは千寿の首を切断することはできなかったが、千寿にそれ相当のダメージを与えていた。人間体に化身し、眠り呆けていた千寿には、巨漢が振り下ろした不意の一撃を防きれなかったのである。

「うぐうっうっつ……」

 戦いが一段落し、息を整えると、激しい痛みとめまいが襲ってきていた。

 千寿は、首を左手で抑えた。確かに大量の血が溢れ出ている。放っておくと致命傷になりかねない。

「運のいい奴らよ……」

 千寿は、駆け出した。古びた寺から、外に出る。追う屈強な男たち。追う男たちは五人。二十数人いた男たちが、数分で五人にされてしまっていたが、男たちは怯んではいなかった。この機会を逃すと、二度と千寿の命を奪うことなど不可能だろう。

「待て! 千寿。逃がさん」

 男たちは千寿を追った。千寿に追いつけない。

「人が蒜壷に勝てるものかー」

 千寿は、そう言い残すと、霧のように消えてしまった。

 古寺から東に四里ほど離れた山中に、蒜壷の者しか知らない苔むした洞窟があった。スギナやオオ二ゾデンダなどのシダ類が出入り口に密生しており、そこに洞窟があることなど、人が知るはずもない。

 首から大量の血を流し続けた千寿は、古寺から逃げのび、この洞窟の中にいた。

「……ここまでくれば、大丈夫だ。、わしとしたことが」

 千寿は、首を斬られ、全血液の半分の量を流した。いくら蒜壷の者とて、無事ではすまない。

「血を……、血を止めなければ……」

 千寿は、そう言ったまま気を失ってしまった。

 次に千寿が目覚めたとき、千寿の首に治癒が施されていた。薬草が滲みこんだ清潔な綿の布巾が千寿の首にまかれていたのである。 

「おまえは……。おまえが、このわしを助けたのか?」

 千寿を助けたのは、まだ二十歳にもならない可憐な少女だった。

 少女の名は弥生と言った。山の奥に薬草を摘みにきていた弥生は、傷を負って苦しんでいる千寿のうめき声を偶然、聞いてしまい。声を頼りに洞窟の中にいる千寿を見つけたのだった。

「やっと、お気づきになりましたのね」

 弥生は、涙ながらに言った。

「女、人であるおまえが、このわしを助けだだと……」

 蒜壷である千寿は、古寺から洞窟に逃げる途中、本来の姿である全長三メートルある巨大な龍の蒜壷に戻っていた。たいていの人間は、龍である千寿の姿を見れば、その姿におののき、卒倒するだろう。が、弥生は龍である千寿の姿を見ても驚くことさえなかった。

「このわしが、怖くないのか……」

「傷ついているものに、恐怖を感じる(おなご)がいるでしょうか。たとえいたとしても、わたしはあなた様を恐れはしません」

「わしは人ではないのだぞ……。おまえらからみれば、わしは化け物だ」

「傷ついているものがいれば、人であろうとなかろうと、わたしは助けます」

 弥生は、そう言った。

「わしは、おまえを喰ってしまうのかもしれないのにか……」

「あなたさまは、わたしを食べません。あなたのその眼をみれば解ります」

「眼を見れば、わかるだと……。おまえ、このわしがどのような化け物か分かっているのか。わしは、おまえら人を食べている蒜壷の者なのだ。おまえらを食べている……」

 千寿は身体を起こし、弥生を正面から見た。

(か弱い……。こんなひ弱な女が、わしを助けたというのか……)

 弥生は、野に咲く雛菊のような少女だった。にじみ出る暖かさは慈愛に満ちている。

(この女からにじみ出ているこの感覚は何なんだろうか)

 人を餌としてみていた千寿にとって、その出会いは生まれてから一度も受けたことのない衝撃だった。

(暖かい……。まるで、春の陽だまりの中にでもいるような……)

 千寿は、弥生と恋に落ちた。

 それからしばらくして、種族の垣根を越えて結ばれた千寿と、弥生は、弥生の中に新しい命が宿ったことを知った。弥生と恋に落ちたその日から、人である弥生の眼を避け、隠れて人肉を食していた千寿だったが、子ができたことを知ると、人の肉を食さなくなった。

「えっ!? 嘘でっしゃろ。わてら蒜壷のものが人肉を食べなかったら、気が狂うでっしゃろ」

 と、惟三がいう。

「狂ったよ。人を食しなくなってからの兄は、気が狂ったとしか言えない蛮行を重ねるようになった。直属の手下を皆殺しにし、蒜壷の女に悪態をつき、平気でとんでもない嘘をつくようになった。あまつさえ、十種神宝を使って、わしらに呪いをかけたのだ」

「だから、洪暫さまは実の兄である千寿さまを、その手にかけたのね」

 と、琥耶姫が言う。

「気づくのが遅かった……。まさか、兄者が十種神宝を使ってわしらに呪いをかけていただなんて」

 洪暫の顔が苦悶色に染まった。

「するってーと、十種神宝は、もともとはわいらの手の中にあったものでっか?」

 惟三が右手を握りしめた。

「気が狂う直前、兄は鬼部一族から、われら蒜壷が受け継いだお宝があると言っていた。本来つかうべきではない十種神宝というものが、我らの手の中にあると」

 洪暫が言葉を続けた。

「本来使うべきでないもの……」

 琥耶姫が、眼をむいた。

「さよう、鬼部一族は、それを多用したため、神の怒りをかい、地獄に落とされたのだ」

 洪暫は、言葉を区切った。

 十種神宝……。鬼部一族が神から譲り受け、鬼部一族が地獄に堕とされた後、十種神宝は蒜壷一族の手の中にあった。先代の蒜壷一族の頭である千寿は、その十種神宝の力を使い、蒜壷一族に呪いをかけたという。

「兄は、蒜壷のものより、妻である弥生と、弥生の腹の中にいる人と蒜壷の血をもつものを愛してしまった。それゆえ、わしら人を食する蒜壷のものに呪いをかけたのだ」

「妻と我が子を守るために、わてら蒜壷を裏切ったんですかいな」

「愚かな男よ……」

 洪暫の脳裏に、兄、千寿を手にかけたその日の映像が甦る。

 心臓をえぐりとられ、無残な死体となってしまった兄、千寿。憎しみの(まなこ)で洪暫を睨み付ける千寿の妻、弥生。弥生の腕の中には生後三ヶ月目の双子の赤ん坊がいた。

「琥耶姫、風のヌ、大地のイ……。そして、惟三。おまえたちに強力な助っ人をさずけてあげよう」

 洪暫は、神殿の奥の扉に眼をやった。

「遠慮するでない……。入ってまいれ」

 扉が開き、少女の姿をした蒜壷が中に入ってくる。

 少女は淡いクリーム色の胴衣と紺色の袴を身に着けていた。真っ直ぐに伸びた長い髪が艶やかに光る。白陶器を思わせる白い肌と、切れ長の愁いを帯びた瞳が少女の持つ可憐な美しさを際立たせていた。

「おまえは……。まさか……。那美!」

 琥耶姫は、絶句した。

 絶句する琥耶姫の傍らで、風のヌと大地のイが、腰の刀に手をかけ戦闘態勢をとる。惟三は口をあんぐりあげて、二歩ほどあとずさった。

「な、那美はん、いつのまに来やがってんですか」

 惟三が言う。

「おのれ、那美! われら同志の仇。眼に物をみせてやる」

 風のヌが刀を抜いた。

「琥耶姫、後ろに下がっていてください。ここは我らに任せて」

 大地のイが、琥耶姫を後方に下がらせた。

 荒涼たるこの世界にそびえ立つ黒神殿には、蒜壷のものとて、洪暫の許しがなければ立ち入ることはできない特別なところである。その黒神殿に蒜壷の宿敵である那美がいる。

 いや、そもそも那美は十種神宝に身にまとってる故、極異界に入ることができなかったはずなのだが…………。

 琥耶姫たちは驚愕するしかなかった。

「おぬしら、そのものが那美だと思うか?」

 洪暫が、鼻で嗤った。

「わしは、那美を倒すために、おぬしらに強力な助っ人を授けると言ったはず……。その那美が、ここにいるはずなかろう」

「しかし、このものは……」

 風のヌが、洪暫に言いよる。

「よく、そのものを視るがいい……」

 洪暫が、意味ありげに言った。

 確かに良く見ると、目の前の女は、那美とはどこか違うように思える。つややかな漆黒の髪は、肩までしかなく、先端に軽くウェーブがかかっている。瞳も違う。同じ形の瞳なのだが、優しさがない。那美の瞳には命を慈しむ温かさがあるが、この者の瞳には優しいぬくもりが感じられなかった。

「そのものは女でもないぞ」

 洪暫が不敵に嗤う。

女子(おなご)じゃあないと……」

 大地のイが警戒心をあらわに、目の前の那美の姿をしたものを凝視する。

 優美な少女、那美と見間違うほどの美々しい容姿を持つこの者は、女子でもないという? 

「そのものは男じゃ。弥生が生んだ双子の片割れ……。那美の弟、ナギ」

 洪暫は、那美そっくりな者の正体を明かした。

「どひゃあ~ 那美はんの弟さんですか。那美はんに弟がいたんですか!」

 惟三が、大げさに驚いて見せた。

「洪暫さま……。弥生と千寿の間にできた双子というのは、那美と、ここにいるナギのことなんですか」

 琥耶姫が訊く。

「そうじゃ。那美とナギは、兄者の妻弥生の子供だ。弥生は、おのれの命と引き換えに、赤子の存命をわしに託したのじや」

 夫である洪暫の兄でもある千寿を、目の前で殺された弥生は、自分もまた蒜壷一族の手で殺されるだろうと悟った。弥生は蒜壷の頭であった千寿の亡きあと、洪暫に加護を求めたのである。

「わしは、人と蒜壷との間に生まれた赤子など生かしておくべきではないと思ったが、オババに止められてのう」

「オババとは……、蒜壷一族が誕生したときから生きているというあの化け物ばあさんのことですか?」

 惟三が眉をひそめて言った。

 数千年前から生き続けていると言われるオババは、蒜壷一族の頂点に立つ蒜壷の頭でさえ、頭が上がらない蒜壷であった。普段は黒神殿の奥にある閻娑部屋と呼ばれる部屋に住み、滅多に表に出てくることはないが、蒜壷一族の存亡の危機があるときだけ、その顔を見せる。

 洪暫が一族の存亡をかけ、千寿を手にかけたとき、オババはその場にいた。蒜壷の行く末を見定めようと、その場で事の成り行きを見守っていたのである。

 必死になって、わが子の助命を嘆願する弥生の姿にうたれたのであろう。

 千寿の傍らにいたオババは、「洪暫よ、蒜壷一族、数千年の歴史の中で、人と蒜壷との間に生まれた赤子などいやしないのじゃ。人と蒜壷との間に生まれた子が、どのように育つのか、わしは視てみたい。どうじゃ、その赤子らを、わしにくれんか。わしが蒜壷のものとして、大事に育てあげる。責任をもってな」といった。

 洪暫は、千寿と弥生の間に生まれた子たちなど生かしておくべきではないと思ったが、オババの頼みゆえ、断ることができず、しぶしぶ、オババの願いを聞き入れたのだった。

 その後、那美は蒜壷一族を裏切った。蒜壷の脅威から人間たちを守る側にまわったのである。

「……ナギよ、おまえの姉さんは、なぜ、蒜壷を裏切ったと思う?」

 洪暫が、ナギに訊く。

「姉は、父、千寿と同じように人を愛していました。愚かで弱々しい人のどこに、愛すべきところがあるのか、僕にはわかりませんが……」

 那美と、瓜二つの弟ナギが言う。

「おまえ、姉を許せるか? 誇り高い蒜壷を裏切り、人間どもを助ける那美を」

「僕は、姉のことを決して許すことができません。育ての母でもあるオババを殺害し、十種神宝を奪い、人間界に堕ちた姉を」

 ナギは唇を噛みしめた。

「しかし……」

 風のヌがナギから目を逸らす。

「しかし……、しかし、なんだ? ヌよ」

 洪暫が、風のヌに訊ねた。

「蒜壷一族の裏切り者、那美に弟がいるとは……」

「おぬしらが知らぬのも、無理にない話じゃ。オババの手で育てられた那美とナギは、蒜壷の眼を避けて、人里で暮らしたからのう」

「人里で暮らしたのですか」

 大地のイが、訊ねる。

「さよう、人と蒜壷との間に生まれた那美とナギは、人と同じ匂いを持っていたからな。蒜壷のものが、間違って、那美とナギを食べないように人里暮らしたのじゃ」

 


              =餓鬼狩り 第三回に続く =







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