女神の勇者たち
勇者側時点
女神アンドロメダに召喚されて始まった、魔族軍との戦争。
その終着である魔族軍の本拠地、シェオゴラス城の聳えるフラウロス山脈に、女神アンドロメダの加護を受けた勇者、天野 光聖が率いる一行は辿り着いた。
後ろをついてきている人間軍も、いよいよフラウロス山脈に突撃するというだけあり、士気も高い。
魔王を倒して因縁の戦いに終止符を打つ。
戦争の終わりが見えてきていた。
すでに戦勝気分が満ちている人間軍と連戦連勝で調子付いている勇者天野とそのハーレムメンバーたちを見渡しながら、異世界から召喚された異世界人の1人である近衛 都華咲は彼らにこそ油断大敵という諺が似合うという辛辣な感想を抱いていた。
(静かすぎる……罠の可能性があるのでは?)
近衛はこの最終局面と言える場面において、昨日まで魔族軍の魔王に次ぐ最上幹部である三体の魔族の一体、三元帥の次席すら動員して進行を阻止しようとしていた魔族軍が、今日は本隊であるこの中央の軍勢に対して一切接触せずに道を開けていたのに不信感を覚えていた。
一応このことを名目上の人間軍の総司令官である勇者、元の世界では近衛とともに生徒会にて学校を引っ張っていた短絡熱血暴走バカの光聖に対して言っていたのだが、当人は魔族軍が三元帥の2人目も討ち取られて怖気付いたんだろ、などという短絡的な結論をつけて進軍してきた。
それは自信というよりも、敵を侮っているとしか思えない発言だった。
確かに、異世界から召喚された者たちは超人的な力を持つ。魔族軍の最高幹部である三元帥も、すでに筆頭であるベルゼビュートを除き2人を討ち取っており、対峙していた魔族軍を破竹の勢いで打ち破ってきた。この世界に来てから苦戦することこそあったが、負けを知らずにここまで来ている彼らは自信に満ちていた。
女神によって突如として異世界に召喚され、魔族を戦えなどと言われ、光聖が正義感をこじらせて暴走しそれを二つ返事で承諾して、他の面々を強制的に巻き込んで参加した戦い。
どこか、彼らには戦いを楽しんでいる節さえあった。
いくら総兵力が勝っており左右の戦場でも魔族軍に余裕はないように見えるとはいえ、光聖は挟撃されかねない危険を無視して進軍をしてきた。
おかげで戦場全体で見ればこの主力軍は他の戦線に比べて明らかに突出している形となっている。
最後の三元帥であるベルゼビュートや、まだ対峙したことのない魔王ルシファードが出てきたとしても絶対に勝つという気概は良いが、連携をおろそかにしては足元を掬われかねない。
しかし、再三の警告を無視して光聖はここまで来た。
ここまで今日は不自然なほどに妨害はなかったが、シェオゴラス城に着けばさすがにあの魔族のトップ2体が立ちふさがるはずである。
山や城にどんな罠が仕掛けられているかもわからない。
このまま本隊だけでシェオゴラス城に向かうのは、やはり危険である。
そう思い、近衛は何度目になるかわからない警告を光聖に言う。
「やはり両翼の戦線と足並みをそろえて進撃した方が良い。このまま本隊だけで山に登るのは危険だ」
近衛としては、何かあった時のためにも味方と足並みをそろえて総攻撃を加えるべきだという安全策を進言したつもりだった。両翼も少しずつとはいえ、魔族軍を上回る兵力と向こうの戦線で戦う仲間のおかげで徐々に押してきており、もう1日あればこの本隊とともにフラウロス山脈に到達できそうな戦況だという。
しかしその近衛の言葉は、今まで順調に進撃しようやく敵の本拠地が見えてきたというのに、その先の勝利を微塵も疑わず自信にあふれていた一行の高揚した気分に水を差すものだった。
それが初めてだったならば、反感は買っても決定的な亀裂にはならなかったかもしれない。
だが、魔族軍との戦いで順調な勝利を重ねていた光聖たちに対し、近衛は何度か調子に乗りすぎたりしないようにと諌め役に回ることが多く、勝利に対して何度も水を差されてきたことで他の異世界人のメンバーの何人かから悪い印象を抱かれていた。
そして、このもうすぐ勝利して元の世界に戻れると期待している戦いを前にした一言が、近衛に対して溜まっていた鬱憤という名の爆弾、その導火線に火をつけた。
「このっ………!」
明らかに不快感を浮かべる異世界人のメンバー。
その1人で、向こうの世界でも光聖や近衛たち生徒会と対立していた過去があったこと、光聖のおかげで和解したがその問題で特に対立していたことから、今だに近衛に良い印象を抱いていない玖内 沙羅が、近衛の言葉にとうとう我慢の限界に達した。
それは、一触即発だった。
不穏な空気を察知した召喚された異世界人の1人、光聖や近衛とともに向こうの世界で生徒会の書記として活動していた少女、樋浦 綾音がすかさず近衛と彼女を快く思わない面々、特に今まさに声を荒げそうになっていた玖内との間に割り込む。
「まあまあまあ! ラスボス挑む前なんだからさ、今はそれだけを目指そうよ! 近衛さんも、みんなの安全を考えてこういうことを言ったんだしさ! みんなも、今は魔王を倒すことに集中しよ!」
近衛と玖内の対立は、光聖が和解策を出して両者を納得させてくれるまで樋浦が主な仲裁という名の板挟みの役目を背負わされてきた。
それはこの異世界でも変わらず、今まで近衛が何度か面々と対立しかけた台詞を言った時も、樋浦が仲裁に入ったことでなんとか衝突することなく来ることができた。
「そうだぜ、近衛。沙羅も。ここまで来たらやることは一つだけ、どんな障害が立ちふさがっても魔王ルシファードをぶっ倒すだけだ! 頑張ろうぜ!」
さらに不穏な空気を感じ取っているかどうかは不明だが、光聖も仲裁に加わってくれた。
光聖の爽やかな笑みを向けられ、それまでの剣呑な空気はどこに行ったのか、玖内は顔を真っ赤にして大人しくなる。
「ま、まあ……光聖がそう言うなら……」
生徒会との和解以来、何かと光聖と関わるようになり、今ではすっかり惚れ込んでしまっている玖内。樋浦では不足でも、光聖が間に入れば彼女は大人しく引き下がる。
顔を赤らめてモジモジしている玖内から、今度は近衛の方に爽やかな笑みを向ける光聖。
「ほら、近衛も、な!」
「なにが『な!』だ」
それに対して近衛は、嫌悪感を隠そうともしない表情を浮かべて呆れたように吐き捨てた。
玖内らと違い、近衛は光聖に対しては暑苦しくて鬱陶しい上司という印象しかなく、恋愛感情の類は抱いていない。
そのため近衛は光聖に対して特に冷たい対応が目立ち、それが玖内ら光聖を慕うメンバーの反感をさらに買っていた。
しかし、この対立の元凶である光聖はそんなこと知る由もなく、人間軍も含めた面々の方を向いて高らかに演説をする。
「よし! みんな、敵の本拠地シェオゴラス城は目と鼻の先だ! これで人間と魔族の争いに終止符を打ち、世界に秩序と平和を取り戻す! 両翼で戦っている仲間たちのためにも! 俺たちはこれからシェオゴラス城に向かい、魔王ルシファードの首を取る! 女神アンドロメダに聖剣を託された勇者として、必ずみんなに勝利を約束しよう! 俺にはかけがえのない、最高に信頼できる仲間たちがいる! 魔王を倒すことを目指して戦い抜いてきた歴戦の勇者たちよ! 俺を信じて、ついてこい!」
「「「オオオオオォォォォォ!!!」」」
光聖の無駄に格好つけた、あとやかましいことこの上ない演説に、人間軍の士気は最高潮に達する。
結局近衛の進言は却下され、本隊のみでシェオゴラス城に攻撃を開始するらしい。
だが、子供らしいと言える正義感の塊である光聖は、昔から人を引っ張る才能に溢れていた。
人々の心をつかみ、彼らの前を常に走ってきた。
だからこそ多くの人に慕われる。
「光聖君……」
「……照れること言わないでよね」
「すっかりかっこよくなっちゃって……」
異世界人の面々も、特に光聖に対する好意を抱いている者たちも、決戦の前に檄を飛ばす英雄のような光聖の姿に、一様に見とれている。
「オーホッホッホッホッ! さすが、私の旦那ですわ!」
そして、面々の中でひときわ目立つ金髪縦ロールが目立つ、召喚された異世界人たちの中で唯一の西洋人であり、向こうの世界では光聖の許嫁でもあるお嬢様、エイラの高笑いがその中でひときわ高く響き渡った。
いったいどこからそんな自信が出てくるのか。
勝利できる現実的な根拠を何一つ言わない光聖の演説にも、それに聞き惚れて鬨の声を上げている群衆にも、呆れの感情を抱く近衛は冷めた目で彼らを見渡している。
向こうの世界でも、こちらの世界でも、光聖はどこでもそのカリスマ性を遺憾無く発揮して人々の心をつかみ引っ張って突き進んでいく。
だが、彼の演説は理論と根拠で語ることをせず、いつも群衆の心に語りかけていくものだ。
それは、根拠も示さぬままに人々を先の見えない道に誘い込んでいく、止まることのない独裁者。
能力もある、実力もある。演説だけでなく、人々を引っ張るに足る資質がある。
それは民衆に民主主義を自ら捨てる選択をさせるカリスマ性を備えた独裁者の姿だと、近衛はいつもこの演説の姿を見て感じていた。
結局、近衛の意見は取り入れられなかった。
光聖を先頭に、本隊がシェオゴラス城に向けて進撃を開始しようとする。
–––––––その最中、彼らの元に1人の伝令が駆け込んできた。
「報告!」
そして、その伝令がもたらした報が、順調に進んでいた最終決戦の行先に雲をかけることになる。
「左翼に三元帥筆頭ベルゼビュート率いる魔族軍が多数出現し、左翼軍に被害甚大! 本隊に援軍を求めています!」
その伝令がもたらした報告に、本隊の軍勢に動揺が走った。
ベルゼビュートは最後にして最強の三元帥、人間軍によれば単体の戦闘能力ならば魔王ルシファードを上回る実力者であり、ルシファードの右腕として最大の信頼を受けるという魔族の将軍である。
女神によって召喚された人間軍の最強の戦力である異世界人もこの最終決戦にここ以外の戦場でも参加しているが、右翼と後方、そしてこの本隊のみであり、フラウロス山脈でも登ることが難しい斜面に差しあたるために主戦場から外れている左翼にはいなかった。
左翼の戦場は戦いに大きな影響を及ぼさないとみられていたから、人間も魔族も大きな戦力を整えていなかった。
だが、魔王がそこに最強の戦力を投入してきたという。
当然、三元帥なんて大物と戦えるのは異世界人くらいであり、左翼の人間軍が立ち向える敵ではない。
本隊に動揺が走る中、さらに次の伝令が入ってくる。
「報告! 右翼にてフラウロス山脈から魔族の大軍が強襲! 右翼軍を上回る規模であり、敵の大軍に戦線が押し返されています!」
さらなる報告に、本隊が動揺する。
「どこにそんな戦力が……!?」
魔族軍の戦力は把握していた。
だが、中央が手薄になっていたとしても、右翼の人間側の軍勢はかなりの大軍である。それを上回る規模の兵力を出す余裕など、魔族にはないはずだ。
このまま両翼が崩壊すれば中央の本隊は退路を失い敵中に孤立することになる。そうなれば魔王の居る城の攻撃などしている場合ではなくなってしまう。
右翼には異世界人がいるが、その戦場に限っては魔族軍が人間軍を数で上回った。
女神の作る自然の秩序が与える恩恵、人間が扱う属性魔法に対し、混沌の魔神の眷属である魔族たちは高い耐性を持っている。
この世界では、人間は倍の数で当たって魔族と互角と言われる個々の実力差がある。数で劣勢に立たされた上に奇襲を受けては、異世界人がいても戦線が支えられるとは思えない。
本隊が進むか退くかを迷い、足が止まる。
シェオゴラス城が聳えるフラウロス山脈は目の前だ。妨害もなく順調にここまできた。魔王を討つ機会はここを置いて他にないだろう。
だが、このまま進軍して退路を失うことがあれば、敵地で孤立するという最悪の事態に陥る。
「どうすれば……!」
光聖でさえどうすればいいのか迷う。
その中で、それまで後ろ側で静かにしていた異世界人の1人、光聖が以前向こうの世界で不良に絡まれていたところを助けたことがあるという少女、日向 夏希が声を上げた。
「私が左翼に向かいます! 私の魔法なら、今から行ってもきっと間に合いますから!」
その発言に、一瞬唖然としてから光聖が反対した。
「いや、待て! 1人で行くのか!? あそこにはベルゼビュートがいるんだぞ!」
確かに、彼女の扱う属性魔法、光魔法の力を使えば瞬時に左翼軍のもとにたどり着けるだろう。聖属性の魔法も扱える彼女ならば、怪我人の治療もできる。
だが、左翼にいるベルゼビュートは魔族の中でも最強の存在だ。あの敵には光聖の扱う国造りの聖剣アルフレードでもなければ、属性魔法によるダメージを与えられない。
左翼の救援は必要だが、異世界人でも日向1人で立ち向かって勝てる敵ではない。
「必ずどうにかしてみせます!」
「待つんだ、夏希!」
だが、光聖が止める間もなく日向は光魔法を駆使して左翼の方に向かってしまった。
「くそ! すぐに左翼に–––––––」
「無駄だ。今から行って間に合うわけないだろ。左翼は見捨てるしかない」
日向を追いかけようと、本隊全てを左翼の戦場に向かうよう指示を出そうとする光聖。
だが、これは明らかなベルゼビュートを使った陽動だ。
ここで本隊を左翼の戦場に向かわせるのが愚策でしかないと見た近衛は、光聖に冷たく言い放った。
このまま本隊全ての戦力を左翼に向かわせれば、勝利を収めベルゼビュートを討つこともできるかもしれない。
だが、左翼の戦場は遠い。
空間の属性魔法を操る玖内は転移魔法を使えるが、見知った場所しか行けないので瞬時に左翼の戦場に向かうことはできない。それまでに左翼の軍勢がベルゼビュート相手に持ちこたえられるとは思えないし、そのままベルゼビュートたちが本隊が到着する前に左翼を平らげ直ぐに退いた場合は無駄足となる。
その間にベルゼビュートたちが右翼の方に回り込みただでさえ人間側が劣勢に立たされている戦場に介入すれば、人間軍は各個撃破されて戦線の維持ができなくなり敗北する。
左翼の戦場は味方を見捨てることをしない光聖の性格を利用した陽動である。
助けられない戦場に向かうならば、別にやるべきことがある。
最悪の一手を踏もうとした光聖を近衛は窘めた。
「だけど–––––––」
「ならどうする? 右翼に襲来した大軍のことを考えれば、魔族の兵力は当初の想定を覆すものになる。左翼は見捨てて右翼の救援に向かうか、本隊だけでも撤退させるしか手はない」
「でも、夏希が–––––––」
「だからなんだ? あいつも見捨てるしかないだろう。それとも直ぐにでも追いついて救ってみせるなんて妄言をはくつもりか?」
「くっ……!」
納得いかない光聖だったが、近衛の正論に反論することができずだまりこむ。
一方、納得いかないのは光聖だけではなかった。正論であっても仲間の1人が迷いなく助けに向かった戦線をその仲間もろとも見捨てるという冷酷なことを言う近衛に、玖内たちは堪忍袋の緒が切れた。
「さっきから好き勝手言って……」
玖内が近衛の方に向かっていく。
その手は明らかに近衛を叩こうと振り上げられているもので、慌てて樋浦が止めに入ろうとする。
「こんの、冷血女–––––––!」
「まっ–––––––」
「–––––––ッ!?」
喧騒に比べれば小さいのに、全てを黙らせる高い音が鳴った。
それは人が人の頰を叩く音。
叩かれたのは近衛で、自分が叩かれたことに驚きを隠せないという表情をしている。
だが、叩いたのは玖内ではない。彼女は立ちふさがった樋浦によって止められており、今は自分が叩こうとしていた相手が別の人物に叩かたていることに驚いていた。
近衛のことを叩いたのは、光聖でもない。
彼にとっての従兄弟であり、近衛にとっても姉のような存在であり、向こうの世界では彼らの前任の生徒会長を務めており、今までの旅でも水を差す発言の多い近衛をかばうことの多かった橘 咲耶だった。
「何で……?」
誰かに叩かれるくらいの恨みを買っている発言をした自覚はあったが、橘から叩かれるとは思っていなかった近衛は、叩かれた頰に手を当てて唖然としている。
普段のおせっかいを焼きたがりな頼れる姉御肌からはかけ離れた冷たい目で近衛を見下ろし、橘は一言。
「見損なったよ、近衛」
いつものように『都華咲』ではなく、ひどく他人行儀に思える『近衛』と呼んだ。
「わ、私は……」
姉のように慕っている相手からそのような目を向けられ、近衛は普段の冷静な表情がなくなる。
(私は、みんなことを考えて……1人でも生き残らせるために……)
それは声となって出ることはなく、詰まった言葉にも橘はもう近衛に背を向けて、言葉をかわすことに対する拒絶の意思を示した。
予想外のことに呆然としていた他の面々に向き直った橘は、光聖の方を向いて先ほどまで近衛に向けていたものではない、普段の頼り甲斐のある姉御の顔となって言った。
「私が夏希ちゃんのところに行く。綾音だけ借りるから、本隊は右翼の救援に向かいな。見捨てるんじゃないよ、絶対に」
「姉貴……」
「頑張れよ、色男! 綾音、つかまって!」
「は、はいさ!」
そう言うと、橘は自身の扱う木属性の魔法を駆使して生み出した植物を使い、樋浦を抱えて日向の向かった左翼の方に行ってしまった。
残された本隊は、光聖の言葉を静かに待っている。
そして、彼らを率いる勇者は、姉と慕う従兄弟に教えてもらった道筋を見ており、もう迷いはしなかった。
「よし……みんな、これから右翼の救援に向かう! 俺は決して、誰も見捨てない!」
「「「オオオオオォォォォォ!!!」」」
勇者の声に、動揺していた本隊は歓声に満ちた。
その中で1人へたり込む近衛に目を向けるものはおらず。
この出来事は、苦楽を共にして異世界を生き抜いてきた彼らの間に、決定的な溝を作っていた。