海魔の正体
魔神の使徒サイドです
硬い表情、赤い顔色、不服と恥辱と嫉妬と様々な感情が混じっているが誠意と謝意は微塵もない。
姉に比べればよほど大人と見えるヘンリク少年に監視されながら、姉の獅子人は不本意だと書いてある顔で俺に向かって頭を下げた。
「い、命を救っていただき、まことに感謝する……そ、それと先ほどは……恩人である貴殿に対し、非礼を働いた……お、お詫びする……」
「……お姉ちゃんカッコ悪いよ」
「ぐはっ!?」
ヘンリク少年は姉に対して容赦がない。
彼女が俺を警戒するのは弟であるヘンリク少年を慮ってのことである。これ以上はさすがに可哀想なので、助け舟を出す。
「こちらは気にしていない。氏素性知れぬ相手を警戒するのは当然のことだ。弟を思っての行動だ、君もお姉さんを許してやってくれないか」
「おじちゃんが言うなら……もういいよお姉ちゃん」
ヘンリク少年はまだ子供だというのに、物分りが良い。こちらも助かる。
そして弟に許してもらった姉は、満面の笑みを浮かべて弟へと飛びついた。
「ヘンリク〜! ありがと、お姉ちゃんも大好き–––––」
「大好きとは言ってないから! 恥ずかしいよ、抱きつかないでよ!」
姉弟仲も元どおりである。
口と顔では嫌がっているが、ヘンリク少年もやはり姉が大好きなのだろう。拒絶はしていない。
「……フッ」
その微笑ましい光景に、思わず兜の下で笑みがこぼれる。
無意識とはいえ常人の耳には聞こえないだろうそれを姉弟は聞き取り、弟は満面の笑みを、姉は嫌悪感満載の表情を同時に向けてきた。
「おじちゃんが笑った!」
「私の愛する弟を邪な目で見るな、ケダモノめ!」
「……随分と耳がいいな」
亜人の特徴だろうか。
そして姉の性格が一部つかめてきた。思い込みの激しい重度のブラザーコンプレックスで、弟が懐く相手には嫉妬し特殊性癖の持ち主だと決めつける癖がある。
無垢な愛らしさを持つヘンリク少年の虜となってしまうのは理解できるが。
「……いやいや、そんな冷静な対応を見せるあなたの方が特殊だと思いますよ」
隣から冷静なツッコミが入った。
こちらの受付嬢からは変人扱いされている。召喚前の日常ではそういう目で見られるのに慣れていたため、特に反論するつもりはない。
「……微笑ましいものだ。彼女の傷はもう大丈夫だろうが、君の方は怪我などしなかったか?」
「僕は平気だよ。ありがと、おじちゃん!」
「それは良かった」
ヘンリク少年に怪我はなかったと聞き、安堵する。
それ以前に、姉が心配していただろう。怪我の1つでもすれば取り乱し、治療に当たるものに治すよう詰め寄る姿が容易に想像できる。
「当然! 可愛い私の、私だけのヘンリクに傷1つ付いたなら連邦最高の治癒士を動員してやるさ!」
「お姉ちゃん大げさ……」
「……そうか」
本人も実行する気満々だったらしい。
それも、俺の予想の上をいっていた。
ヘンリク少年の目が、残念な身内に向けるものとなっている。それ以上弟の評価を下げないように努めるのが最善だと思うが、言っても彼女は聞かないだろう。
仮に聞いたとしても、間違った方向に努めるのが容易に想像できる。
「おじちゃん、勘違いしないで。お姉ちゃんこんな残念だけど、本当はすごい立派なんだ」
ヘンリク少年が姉には聞こえないように小声でフォローをしてくれた。
できた弟である。
弟の命を身を挺して守ったのだ。彼女が立派な人物であることは理解できる。
「ヘンリク、今お姉ちゃんのこと大好きって言った!?」
「ううん、言ってないよ」
「じゃ、じゃあ! お姉ちゃんのこと愛してるって言った? 世界一愛してるって言った? 私はもちろん世界で一番愛しているから! 大好き、可愛い、抱きつきたい!」
「言ってないよ! ちょっと、抱きつくのはやめてよ!」
耳聡く、しかし内容は都合のいいように変換してその小声さえも拾った姉が、ヘンリク少年に抱きつく。
重度のブラコンの姉に全力で絡まれる弟は、勘弁してくれと言わんばかりの表情を浮かべていた。
その光景が、夜刀兄妹に似ていると感じたのは気のせいではないと思う。
あの2人も年頃の兄妹にしては本当に仲が良かったからな。
……今は優先することがあるのに、やはり惚れた相手の安否は気になるものだ。
そんなことを思いながら、じゃれ合う兄妹をしばらく眺めていた。
しばらくじゃれ合った後、ヘンリク少年がさすがに本当に姉に絡まれるのが嫌になってきたらしく、抱きつく実姉を引き剥がしてこちらに向き直り、今更ながら自己紹介をしてくれた。
「おじちゃん、名前を教えてくれませんか? 僕はヘンリク、これはテトラ」
「ヘンリクが私を名前で呼んでくれた! あぁ、もう最高!」
実の姉を「これ」呼ばわりするのか……当人は冷たくされても平気みたいだが。
ヘンリク少年の名前は既に聞いていたが、姉の方の名前は初耳である。
これも何かの縁かもしれない。偽名だが、此方も名乗るとしよう。
「俺はレッドキャッスル。傭兵だ」
「レッドキャッスル……カッコいいね!」
「ヘンリクの方が百倍カッコいいし可愛いわ! あーもう可愛い、大好き!」
「お姉ちゃんうるさい」
「ぐはっ!?」
真顔とさりげなく感情が全くこもっていないおよそ無垢なヘンリク少年には似合わない声で指摘され、テトラは再び深刻なダメージを受けた。
……やはり忠告しておくべきだったか。
彼女はさておき。
自己紹介の流れに乗る形で、兎人の受付嬢も名乗った。
「私はフレイキュスト傭兵団の受付を担当しています、ティアレです」
獅子人の姉弟との再会と彼らの無事な姿を確認できたことは喜ばしい出来事だ。
しかし、今回俺が訪ねたのは彼女、ティアレである。
用件は海魔に関する情報を得ること。
衛士長が言っていた海魔、そして邪神族なるもの。
エルダースライムは分からないが、海魔に関しては亜人たちにそれが何であるか知っている様子のものたちが幾人か確認できている。
彼を知り己を知れば百戦危うからず。敵と断じているわけではないが、海魔に関する情報は得たい。
というわけで、早速ティアレに声をかける。
この場よりは、姉弟の耳に届かない場所で話すほうがいいだろう。
「受付嬢どの、話がある」
「呼び捨てで結構ですよ。それに、今は受付嬢ではありませんから」
勤務時間は終えていたらしい。
夜勤明けに海魔の襲撃に遭遇したならば、さぞ疲れているだろう。
できる限り手短に済ませることにする。
「了解した。ティアレ、海魔たちについて聞きたいことがある。悪いが少し付き合ってもらえないか? 時間はとらせない」
「……分かりました」
一瞬、俺に対して初対面で向けた警戒するような視線を向けてから、獅子人の姉弟にも一度目線を向けて立ち上がった。
命が助かったとはいえ、トラウマを抱えてもおかしくないような事件に遭遇した2人の姉弟にはあまり聞かせたくない内容であることも察してくれたらしい。
姉弟は無事も確認できた。
一時の別れになるか、永遠の別れになるか。いずれにせよ、これ以上親しくなって不用意な枷を増やしたくは無い。
名残惜しいが、2人とはここでお別れである。
「ヘンリク、テトラ」
2人の名前を呼ぶ。
じゃれ合っていた姉弟は同時に呼びかけに反応して、姉は心底嫌そうな表情を、弟は愛らしい純粋な笑顔を向けてきた。
その2人に手を振る。
「俺はやるべきことがあるのでこれにて失礼する。また、いつの日にか再会を楽しみにしている」
「……はい!」
駄々をこねるかもしれないと思っていたが、ヘンリク少年は案外素直に頷いてくれた。
その笑顔は、また近いうちに再会できることを一片も疑っていない希望に満ちた色をしている。
テトラは、さっさと失せろというセリフが顔に浮かんでいる。
彼女は別れを一切惜しんでいないようである。
当然と言えば当然だろう。
「お別れはすみましたか?」
「ああ。待たせて申し訳ない」
ティアレはフレイキュストの傭兵団で働いている。彼らと再会できる機会はいくらでもあるはずだ。
兎人の受付嬢とともに召喚の外の通りに出た俺は、早速本題に入る。
海魔に関して、単刀直入に尋ねた。
「単刀直入に言わせてもらう。この惨状を作り上げることとなった存在、あの海魔は何者だ?」
俺の質問に、ティアレは一瞬戸惑うような目をしたが何かに納得したようにすぐに表情を戻した。
……変な事を訊いたか?
「そういえば、傭兵証では貴方は人間でしたね。本国の方ならば、知らなくても無理はありません」
種族的には魔族ではなく人間なので、傭兵証では人間となっている。
本国というからには、人間の国の事を指すのだろう。そういえば、傭兵を紹介してくれた犬人の衛士にも似たような事を言われたことがある。
どうやら、海魔を知らないことは亜人たちにとっては意外なことらしい。
新たな疑問が出てくる中、兜のために表情が読み取れないのでこちらの反応を理解していないだろう兎人の受付嬢は、俺の質問の答えを口にした。
「奴らは邪神族と呼ばれる存在。広義的には女神の召喚する勇者と同じ、この世界ではない異なる世界から来る存在であり、侵略を目的として自らの力でこの世界に足を踏み入れてきた外敵です」




