邂逅
–––––––どれだけの間、闇の中に沈んでいたのかわからない。
ほんの数秒だったかもしれないし、何日もたっていたもしれない。
とにかく、すべての意識が黒一色に染まっていたところに、背中に走る痛みと冷たい床にうつぶせで倒れている感触が、俺の意識を呼び起こした。
「うっ……!」
死んだと思っていたのだが、体の訴える痛みも温度も感じる。
死後の世界など知らないので、もしかしたら生きていた頃の怪我を負って冥界に行くとかいうこともあるかもしれないが。
そんなことよりも。
「日向ッ!」
意識がある。
感覚がある。
そう思うよりも前に、飛び起きた俺は最初に一緒にいた幼馴染の安否を案じる声を上げた。
しかし、そこには何も無い空間が広がっていた。
黒一色に染まった闇の中。床は磨いた鉄板かステンレス板の床のように滑らかで冷たい。少なくともバスの床ではなかった。
何も見えないし、何も聞こえない。
何かが落ちる音や、人のうめき声、土ボコリの匂いも無い。
「…………」
状況の理解が追いついていない。
まずは、自分がどうなっているのかを確認してみる。
自分の身体も見えないが、四肢が揃っている感覚はある。
右手を頭に当て、何が起きたのかを思い返そうと試みる。
夜刀が日向との仲を取り持ってくれたことで、仲直りできた。
その際、夜刀が水族館の入場券を譲ってくれた。それは理解できている。
……翌日、日向は謝罪を受け入れてくれて、2人でバスに乗り水族館のある隣町を目指して出発した。ここも理解できる。
その途中、トンネルにて地震に遭遇し、トンネルが崩落。バスは飲み込まれた。
ここも理解できる。
つまり、俺は死んだということか……
今にどういう感覚があるにせよ、あの状況で生き残ることは無理だろう。
そして、仮に生きていたとしても視界が真っ暗なのは理解できるが土ボコリの匂いがないことや床が滑らかな金属のような感触になっていること、人のうめき声や悲鳴が聞こえず、密閉されただろうトンネル内にしては明らかに涼しすぎる点など、生き残ったという奇跡にしては崩れ落ちるトンネルとの相違点が多すぎる。トンネルでも病室でもなければ、生き残ったという可能性はなく、これは死後の世界だという方が納得できる。
記憶を思い返して経緯を確認し、そして現状を鑑みた結果、自分は死んだという結論に達した。
そうなればこれからどうすべきか考えたいところだが、あいにく死後の世界に来たのは俺の経験上では初めてなのでどうすればいいかもわからない。
引き返せるとも思えないし、伝承を考えれば輪廻転生か、はたまた閻魔大王の審査の後に地獄行きだろうか。1つとして嘘をつかずに人生を終えるなど、現代社会では非常に難しくなっているだろう。
自分が死んだと結論付けて仕舞えば、もう日向のことを守ることもできなくなったのだし、案外冷静になれた。
もともと主観的な考え方を持たないようにしている性格だったこともあるのだろう。
自分が死んだということに対しても、一歩引いた視点で考えることができ、命に対する執着が薄いとも取れるほどに自分の死に対する関心が薄かった。
「短い人生だったが、災害ならば仕方が無い」
声を出してみると、問題なく出た。自分の耳にも聞こえる。
『滑稽なことを。お前はまだ、生きている』
……そして、耳が正常だというならば、当然他者の声も聞こえる。
突然、何も見えない暗闇の中、まるで屋内を反響するようなその聞き覚えの無い低い声は響いてきた。
だが、誰の声であるかはさて置き、俺の声が反響などしなかったというのに響き渡った人とは思えないようなその低い声。
誰の声であるかの前に、その声の主が発した内容の方が俺にとっては重要なものだった。
「生きている、だと……!?」
命に対する執着が薄く、自己の死亡も特に驚くことなく客観的に見て生存が絶望的であり、なおかつ意識が戻ってからの状況が奇跡的に生きていたとしても不自然であるならば早々に受け入れてしまう。
だが、こんな空間で響く人とは思えない声が『生きている』といえば、俺にとってその事柄は重要なものとなる。
別に、俺が生きているかどうかはどうでもいい。この状況だと1人で考えている時間はたっぷりと与えられているだろう。
しかし、この非現実的な場所で『お前はまだ、生きている』と言われた時、自分が生きているという言われた言葉の前にあの地震の中で起きた不可思議な現象が頭をよぎる。
もし生きているのが事実だとして、そしてこんな場所にいて正体不明の声が聞こえるとなれば、同じくらい不思議なことに見舞われたように見えた幼馴染の安否が頭に浮かぶ。
「日向は!? 俺の隣にいた幼馴染は!?」
日向が生きているのでは無いか?
滑稽かもしれない。冷静になればあの状況で生きているはずが無いという結論などたやすく出る。
だが、もしかしたらという一筋の光が見えたとたん、普段の一線退いた目線で物事を冷静に考えている癖など忘れ去り、俺はその光に縋りつかずにはいられなかった。
「誰だ!? いや、俺もあなたも誰であるかなど今は関係無い。俺の隣にいたはずの少女の安否を知らないか!? 教えてくれ!」
俺にとって、日向には……どうしても生きていてもらいたいという理由がある。
一筋の光が幻であっても見えた瞬間、俺の思考は日向の安否を知りたいという1つの事柄に完全に占拠された。
常人には理解できないこの状況も、その場に響く見え方によっては神が悪魔に思える声も、自分が生きていると言われた本当かどうか確かめてもいない一言も無視して、自分の死を受け入れて静かになっていた時とは打って変わって声を上げる。
そんな俺の様子を見て何が面白かったのか、闇の中に響き渡る声は愉快というように笑いを響かせた。
『クハハハハ! 我も、お前自身も差し置いて、まずは女の安否を尋ねるか! 実に愉快!』
「……ッ!」
日向の安否のこととなると、客観的視点など持てず主観的な思考に切り替わる。
客観的に見てみれば俺の言葉を聞いた謎の声が返答するのにわずかな間あったことや、日向の安否などそもそもこの声の主が隠したところでメリットが無いだろう点から、本当に予想外の言葉にあっけにとられそしておもしろがったという可能性も考慮できたはずだ。
しかし主観的な視点になってしまっている俺は、その声が答えを知っているというのにあざ笑っているように聞こえ、激しい怒りを覚えた。
そんな俺の心を読み取るように、謎の声は笑いながらもなだめるように言葉を続けた。
『落ち着け。お前が何よりも優先するだろうその答えを我は知っている。生きており五体満足で済んでいるという意味であれば、その答えは無事だ』
「そう、なのか……無事、なのか……」
声は、俺が何よりも望んでいた答えを返した。
嘘かもしれない。
だが冷静さを失っている俺は、疑う前に無事であると誰かに言ってもらえただけで、本当に無事なんだなと思い込み、深い安堵を覚えた。
「…………」
とにかく、日向が無事だと言われたことで、一気にそれまで1つのことしか見えてなかった考えが冷静さを取り戻す。
そして、いくつも疑問が思い浮かんできた。
どうせ自分が生きているか死んでいるか、これは確かに重要かもしれないが今はその前に確かめる事柄がいくつもある。
そして、それをこの謎の声の主は知っている可能性が高かった。
根拠は無いが、訳のわからない暗闇の中に1人でおり痛みも聴覚も正常に動作しているとか、謎の声が聞こえてくるとか。こうも非現実的な事柄を目の前に並べられると、ある程度は認めなければ状況の整理もおぼつかなくなると判断した。
確認するべき事柄は、第一にここがどこであるか。次に声の主が何者であるか。第二の質問次第になるが、どうして俺が、そして日向が生きていることを知っているのか。あとは地震があったがバスはどうなったのか。可能ならば時刻も確認したいところである。
他にも疑問が尽きないが、すくなくともまずは時刻以外の以上4つの疑問に答えを出してからになるだろう。
仮説としては、俺が死んでいる場合は冥界とでもしておくとして、生きているならばここがどこであるかは見当もつかない。
声の主に関しては、幻聴や妄想では無いとすれば、奇跡的に生存しているものの意識が戻っていない状況で耳が拾った救命隊員の声という可能性もあるけど、通学や聴覚の情報が事故現場と合致していないという矛盾があり、救命隊員にしろあの現状で誰かが声をかけているとしたら内容がおかしいのでおそらく違う。
そうなればこの謎の空間と合わせ、現実的に考えればありえない存在、神か悪魔のような存在が該当する。
災害に見舞われれば多数の被害者も出るし、我々の想像する輪廻転生を司る存在、または完全なる存在に該当する神ならば、たまたまその災害の犠牲者の1人となった人間に語りかける意味が無いだろう。生きている人間に語りかける必要も無いので、そうなれば悪魔という推測ができるが、そもそもそういった超次元的な存在の証明はされていないのだからあくまでも仮説でしか無い。
仮にその仮説が正しく声の主が超次元的な存在であるならば、俺や日向が生きていると知っており先の発言につながるのにも理解できる。一応、仮説としてはだが。
現状を思い返して冷静な思考になり聞くべき事柄をまとめていくと、声の主はまるで俺の思考を読み取ったように言葉を発した。
『ほう、我の正体に当たりをつけるとはな。理解が早いでは無いか、異世界人よ』
「……思考を読んだ?」
声には出していなかったが、明らかにこちらの表情から読み取れる以上の情報を読み取らなければ出てこないセリフを謎の声は発した。
思考を読める存在。
俺が日向の安否について冷静さを欠いたのは、この声の主が彼女の生存の可能性が存在する言葉を発したからだ。
それならば先ほどの笑いが嘲笑ったものでなく、俺の反応が予想外で面白がったからということになるだろう。
思考を読み取れる存在であることは間違えなさそうだ。
そして、それ以外にも先ほどの発言から幾つか推論が得られた。
まず、俺たちの世界における神という存在に対する考え方の1つとして、過去、現在、未来を見通している完全無欠の存在というのがある。
先ほどの発言は理解が早かったことに対する関心のような感情が読み取れる。俺がその推論に達する未来を見えているなら、そんな言葉は発しない。
思考は読み取れても未来は読み取れないと仮定でき、それはこちらが想像する神に該当しないということになる。
次に先ほどの発言で、声の主は異世界人と俺を称した。
俺のことでは無いかもしれないが、現状ここには俺とこの響く声の主しか確認できていない。十中八九、俺を指しているだろう。
つまり、この声の主からみて、俺は異世界人ということになる。
逆説的に、俺から見ればこの声の主は異世界の悪魔、ないしそれに類する超次元的な存在ということになる。
そして、俺が異世界人を名乗ることも思案することもしていないこの段階で俺のことを異世界人と称したのであれば、未来は見ることができないという仮説と照らし合わせるとここに異世界人がいることを想定している存在ということになる。
意図してのことか、事故かは不明だが。
だが、その答えは思考を読み取った声の主がすぐに返答した。
『無論、我がお前を召喚した。それは–––––––』
意図してのことらしい。
ならば理由があるだろう。
向こうはそこに踏み込みたいとは思うが、俺はまだ現場に仮説を立てたものの確認まではしていない。
このまま先に進まれる前に、確認したい事柄を質問することにした。
「少し待ってもらえないか。あなたが俺を『異世界人』と言ったことからここが異なる世界になるというのは推測できるが、どういう場所なのか、そしてそもそもあなたが何者であるか俺は知らない。意図して俺をここに招いた理由の前に、できれば俺の疑問に答えてもらえないか?」
思考を読み取れるならば口に出す必要は無いかもしれないが、相手が何を読み取っているのか俺にはわからない。
また、答えてもらえずに一方的な話を進められるかもしれなかったが、そちらの懸念は必要なかったらしい。
声の主は、俺が発した質問に答えを返してくれた。
『その答えならば、すでにお前自身が導いているだろう。だが、名乗りが遅れたことは我の落ち度であるな。1つめの質問の答えは、お前たちの言う異世界だ。我はこの世界を創造したる三柱が神、名を魔神クテルピウス。お前の思考を読むに、なるほど我が存在を表すに悪魔とは言い得て妙であろう。お前とお前が尋ねた女が生きていることをなぜ我が知っているかは、さきほど遮ったお前を召喚した理由、我の話が関係しておる。この答えで満足か?』
魔神クテルピウス。
声の主はそう名乗った。
クテルピウスの答えは、俺の知りたい現状をある程度理解させるものだった。
そして、それ以上のことを知るには先ほど俺が思わず遮ってしまったクテルピウスの俺を召喚したとかいう理由を聞く必要があるらしい。
「理解した。遮ったことには謝罪する。続きを聞かせて欲しい」
俺の言葉に、クテルピウスは俺を召喚することになった理由というのを話し始めた。