謎のスライム
魔神の使徒サイドです。
半透明のアメーバのような単細胞の集合体のような粘質生命体。それらをスライムと呼称するならば、その浮遊する黄金光沢の混じったそれはスライムと呼ぶのがふさわしい存在である。
声帯らしき器官は見受けられないが、確かにその黄金のスライムからこちらを見下すような趣旨の言葉が放たれた。
しかし、この際あのスライムがこちらをどう蔑もうが関係ない。
問題はスライムが喋ることと、俺のことを犬でも猿でも構わないがいずれにせよ魔神の駒、すなわち使徒であることを理解しているということだった。
魔神の使徒がどういう存在であるかを承知しており、俺が女神の勇者ではなく魔神の使徒であることを見抜いている。
俺はスライムが何であるか知らない。
この海魔の襲来との関係も分からない。どうにも無関係ではない様子だが。
何者か知らないが、スライムは俺が魔神の使徒であることを承知しており、その上で異世界人であり魔神の加護と宝物の使用権を持つ俺に対して明確な侮蔑と敵意を向けていた。
俺個人ではなく、魔神の使徒を敵視している。魔神と魔族の敵という立ち位置とみられるが、スライムは魔神の使徒である此方を格下であるというように見下していた。
この世界に来てから敵意を向けられることは人間にも異世界人にも魔族にも海魔にもあったが、見下されるというのは初めて受ける視線である。
それに、魔神の宝物の投擲を受けながら傷ついている様子がない。
推測だが、このスライムは少なくとも異世界人の力を格下とみなせるほどの存在である可能性が高い。
「……………」
慢心や余力を持って対峙していい相手ではなさそうである。
スライムを警戒する俺に対して、目は見られないがこちらを見下している様子のスライムはあざ笑うような声を声帯らしい器官はないその透明な黄金色の身体から発した。
「くっだらねえ。サルの無駄吠え、イヌの遠吠え、まさに無駄骨、完ッ全な無駄骨だな。そもそも同じ土俵にすら立てるとか勘違いしてんじゃねえよ、クテルピウスみたいな雑魚の加護を頼りにするカス風情が」
訂正、事実嘲笑なのだろう。
こちらが警戒しても見下すのみ。スライムは絵に描いたような慢心を見せているが、同時に魔神の使徒がどういう存在かを理解している上でその態度をとれることから決してこちらも同様に侮って挑んでいい相手ではないことがうかがえる。
また、スライムの言動はこちらを同列とみなしておらず発する敵意から理由は分からないが完全な敵と見ており最初から交渉に応じる気はないようである。
現状、俺はスライムがどういう存在なのか知らない。
そしてこの街の惨状を生み出す海魔に関してもほとんど知らない。
スライムが何者であるか、フレイキュストを襲撃する海魔との関係はあるのか、そして関所で見た衛士たちの殺害事件は繋がっているのか。つながっているとすれば何が目的なのか。
状況を鑑みれば、俺は何も知らないよそ者だ。
亜人に攫われたグラヴノトプスを救出するために、彼女の捜索のために亜人の国に入ったのだが、それを実質的に放置してどんな関連性があるのかもわからないようなこの事件に首を突っ込んでいる。改めて振り返ると、我ながら随分と方向性を失った行動をしていると思う。
だが、介入すると決意した以上は背を向けるわけにはいかないだろう。
経緯を整理すれば、兎人の受付嬢から得られた情報に基づきタボラス商会が所有しているという鬼の魔族の奴隷がグラヴノトプスであるか調査をするためにフレイキュストに来た。そして本来の目的を果たすために、この予期せぬ海魔の襲来をあわよくばこの事件を鎮圧してそれを傘に商会との接触を図る機械に利用するために介入した。
目的は見失っていない。ならば、なすべきことは自ずと見えるもの。
事件を鎮圧するために、海魔を制圧する。
そして、このスライムが関係あるならばその関係性を把握し、海魔の側に立つ輩ならば説得するか倒すか撃退するか、何れにせよ襲撃を引いてもらう。
海魔とスライムが何であるか俺はまだ把握していないが、やるべきことは整理した。
スライムの挙動に警戒しつつ、尋ねる。
「貴様は、何者だ? 海魔をけしかけたというならば、すぐにこの蛮行をやめてもらいたい」
「……あ゛?」
相手がどう見ようと、何を目的としようと、例え敵であろうとも、会話をする知性があるもの同士。獣ではないのだから、問答無用で襲いかかるつもりはない。
なるべく平和的に解決できるよう説得を試みたこちらに対し、しかしスライムの返答は冷ややかなものだった。
「–––––––ッ!?」
躊躇なく、その体の一部を杭状に形態を変え、隠そうともしない殺意を乗せて突き出してきた。
間一髪それを交わすが、スライムのその問答無用の攻撃は不意打ちだからなどという言い訳も効かない、海魔の触手を遥かに上回る速さを持っていた。
魔神の宝物である甲冑を纏いながらも、その突然の攻撃に感じ取ったのは交わさなければならないという危機感だった。
直感だが、当たっていれば鎧など紙のように容易く貫き関所に倒れていた亜人の衛士たちと同じような骸をさらしていただろうと思える一撃だった。
あの地震の時に感じたものに近い、圧倒的な存在を前に無力にただ殺されるという結末に対する恐怖心。
背筋が凍る感覚が走る。
だが、そんなことなど気にしていられなかった。
「何一丁前に交わしてんだよ、サル風情が!」
ただ交わされた。
まるで煩わしく飛び回る蚊を仕留められなかった苛立ちをぶちまけるかの様な怒り。
だが、スライムが発したそれに乗せられた殺意は、この世界に来て初めて明確に格上だと感じさせる強者の威圧が込められていた。
それは身がすくむような威圧感だったが、怯む暇すらない。
生存本能が警鐘を鳴らし、直感が先ほどと同様の攻撃を次々に放ってくるという警告を叫ぶ。
すぐさまスライムの挙動と殺意に集中すると、スライムから先ほどの攻撃が無数に突き出されてきた。
咄嗟に衛士長を引きながらその場を飛び退き、スライムの攻撃から逃れようと試みる。
スライムの攻撃は速い上に構造が人とは根本的に異なる所為で挙動からの見切りが難しい。殺気と攻撃する際のスライムの身体の変化よりその軌道を推測しながら、回避不可能と判断した攻撃に対して魔神の宝物を投擲して牽制しつつ街中を駆け抜ける。
異世界人としての恩恵は五感だけでなく第六感にも働くのか、集中すれば勘が冴えるおかげでこの攻撃を凌ている。フレイキュストの建物が障害物になってくれることも助かった。
だが、さもなくば2人仲良く串刺となっていただろう。
「……ッ!」
字面に表せば簡単なことのようだが、異世界人のこの世界における超人的な身体能力と魔神の宝物が成せることであり、これらの力の制御を会得していなければ凌ぐことなどできない。
このスライムの体から繰り出される攻撃だが、一撃毎が速い上に非常に重い。
光聖ら勇者たちを同じ人が繰り出してきたものとすれば、スライムの攻撃は凶器をもたせたゴリラが繰り出してくるような攻撃である。少なくとも、純粋な力比べならばスライムの方が多少の技量の差など握り潰せるほどはるかに格上であった。
その上前後の別はなく、逃げ回っていてもこちらを見失わずに攻撃を仕掛けてくる。
牽制のために投擲する宝物もスライムの体に突き刺さろうと何のダメージにもなっていないらしい。
「だああぁぁぁ! 鬱陶しいなぁ!」
幸いなのは、この力ゆえかこちらを格下と見下している慢心のおかげでだだ漏れの殺気からその攻撃が単調で読み取りやすいということだろうか。
だが、単純ながらスライムは十二分な強敵だった。
正直、こちらをあからさまに蔑む態度から話し合いの余地があるとは思わなかったが。
フレイキュストの惨状を放置するどころか海魔の駆逐を進めようとしていたこちらに問答無用の攻撃を仕掛けてきたこともあり、当初から海魔の味方とは限らないがこちらの敵であることは確実と言えた。
「…………」
兜の下で冷や汗が一筋流れる。
一瞬でも気を抜けば、スライムの攻撃が当たるだろう。
直感だが当たれば甲冑を貫く。根拠はそれだけなので確実ではないのだが、だからと言ってスライムの攻撃を受けて鎧の強度を試したいとは思えない。
それに、俺は衛士長を抱えている。1人だったなら慢心の隙をついて反撃を試みることもできたかもしれないが、今は意識のない彼にもかすらないように回避に集中する必要がある。
この区画は人気がなかったことが、せめてもの幸いだったと言える。
しかし今も街から聞こえてくる悲鳴や戦闘音、海魔の攻撃を伝える音もこちらの集中を割いてくる。
もとよりそれを止めたいがために介入した案件だ。スライムの攻撃がなければ海魔の制圧に集中していた。
だが、スライムの攻撃はそれを許さない。
せめて他の亜人たちを巻き込まないようにこの区画の中を逃げ回るしか今はできなかった。
そして逃げ回るだけでは解決策は無い。スライムの波状攻撃は疲労を感じさせるものがなく、こちらの集中が途切れるかスライムがこちらの動きに慣れて来るか、現状ではどちらにせよ先に俺が串刺しになる結末だけが容易に想像できる。
そして、それを避ける手立てが現状思い浮かばない。
衛士長を捨てれば或いは……という選択肢もあるが、彼は俺が麻酔銃の誤射で眠らせてしまった。さすがにその彼を自分が生き残るために捨てるのは、良心の呵責が許さない。
ジリ貧の現状。打破する手立てがなければ、冷や汗も流れるというもの。
何もできない無力さに、焦りだけが募っていく。
こういう時に天野 光聖のように頼りになる味方がいてくれれば助かるのだが、残念ながら俺は敵役の立場だ。頼れるものは手持ちの力のみであり、仲間に恵まれる存在では無い。
無い物ねだりはしない主義だ。手詰まりだろうと諦めなければ何か手立てが思いつく可能性もある。
とにかく今は回避に集中し、状況を打破する手立てを模索していく。




