不穏
魔神の使徒サイドです
鳥人の領邦を駆け抜け、日が沈む頃に虎人の領邦との境へと差し掛かっていた。
夜が近づくにつれて街道を行き交う人の姿は少なくなっていき、空が暗くなる頃には誰もいなくなった。
人目につく昼は街道から外れた地を、人目のほとんど無い夜中にはその街道を走り抜け、異世界人の身体能力を隠しつつ虎人の領邦に可能な限り短時間で到達することができた。
この領邦では奴隷制度が存在する。
街道の関所を抜ければ、おそらく奴隷を見る機会が増えるだろう。
あくまでガルドスがそういう目撃情報を聞いたという話でしか無いが、魔族の国から鳥人の領邦を避けるようにこの方角に向かうというだけでも可能性はある。
暗いとはいえ、街の門と違い関所は閉じているわけでは無い。
明かりが焚かれている関所へと近づいていく。
ただ、異様に静かだ。
優れた聴覚で聞き耳を立てているが、火の紡ぐ音は聞こえるが、人の気配がほぼ感じない。
さらに、近づくにつれて血の匂いが漂ってきた。
かなり不穏な空気を感じる。
この道中、騒ぎが起きたような様子は見られなかったのだが。
……何かがあったのか?
念のために足音を忍ばせつつ、慎重に関所へと近づいていった。
関所の中には、常時10名ほどの衛士が駐留しているという。
関所の衛士たちは、昼夜で担当を交代しながら街道の安全と出入者の確認、および記録管理を行うのが主な仕事である。
傭兵と違い、相応の学と領邦に対する公務員としての意識が無いとできない正式な司法権力を持つ者たちだ。
そして犯罪者の取り締まりなども業務に含まれる彼らは、正規兵としてここの武芸だけでなく集団戦術に関しても相応の訓練を積んでいる。
関所を襲撃するのは得られるものが労力に比べ少ないため、大半の犯罪者はごまかしてやり過ごすか素通りできる街道から外れた森などを突っ切ることが多い。
なので、関所が襲撃される可能性は低い。
だが、中に入ると物音はほとんどなく、生きている人間の発する声もしない。
代わりに不気味に燃え続ける篝火の巻を燃やす匂いに混じって、血の匂いが漂っていた。
かがり火が照らしている地面には、関所の場所にのみ石が敷かれている。
関所の開け放たれた門をくぐり、警戒しながら足を踏み入れる。
人の気配がしないが、篝火の影に人が寝転がっているようなものや壁に寄りかかっているようなものが幾つかできているのが見えた。
物陰に身を隠しつつ、関所の中に目を向ける。
「…………」
そこには、鳥人の領邦で見かけた犬の亜人をはじめとする衛士たちと似たような甲冑を身に纏った者たちが座り込んだり、寝転がったりしていた。
数は10人程度。
……いや、寝転がっているなどという生易しいものではない。
血の匂いがしていた頃から予感はしていた。
篝火の光は決して鮮明には照らしていないが、彼ら周囲の地面や壁などには赤いペンキをぶちまけたような鮮血が撒き散らされており、壁や鎧には見てわかる穴が開いたりといった損傷があった。
そして、誰1人として呼吸の動きすらない。
そこには紛れもなく、亜人の衛士たちの死骸が転がっていた。
不穏な気配に感じていた勘が的中したということか。
調べるために物陰から静かに警戒しつつ出て、死体に近づいていく。
一番近くにあったのは、うつ伏せになって倒れ右手に中ほどから折れた剣を握っている、胸に鎧ごと体を貫くこぶし大ほどの穴が開いた死体だった。
凄惨な殺人現場。
戦場跡を見ておかなければ、この現場を見た瞬間に吐き気を催していたのかもしれない。
殺された死体に見慣れているというだけで、殺人現場など見ていて気分のいいものでもないが。
死体に近づき、地面の血痕に触れてみる。
まだ血は乾いていない。殺されてからさほど時間は経っていないらしい。
ここに来るまで、日没後にすれ違う者はいなかった。鳥人の領邦に向かう方面が騒ぎになっていないので、犯人はおそらく虎人の領邦方面に向かったか、街道を外れているか、この場にまだ身を隠しているかのいずれかだろう。
死体の損壊は胸を巨大な杭のような凶器で一突きされ、金属製の甲冑も前面どころか背中に至るまで貫かれている。
他の死体も同様に胸以外には損壊がみられない様子なので、死因は失血だろう。凶器はおそらく同じもの。
衛士とはいえ下級の正規兵への配給装備らしく魔神の宝物と違い、首や顔など急所すら鎧に守られていない箇所は多数ある。犯人の殺害方法はそれらを狙わず強固な甲冑ごと心臓を破壊するという非効率的な殺し方だが、それは同時に武装した強化魔法を使う亜人の正規兵を一方的に殺せる存在ということだ。
一方的に殺されたという推測は、亜人たちの武器から見た。
死体の武器は綺麗すぎる。地面に落ちたせいで血やゴミによる汚れはついているが、相手を傷つけたような跡は全く見られない。
亜人の強化魔法はガルドスが発揮したのを身に受けた。
亜人の身体能力が魔族や人間に比べ優れている上に、強化魔法を使った時のそれは超人的な力を得ている異世界人のそれに迫るものがあった。
確かに、強化魔法と相応の凶器を使えばこのような芸当もできるだろう。
だが、いかに腕力があろうとこれほどの損害を鎧に与える凶器は隠せない。
大きさも相応のものが必要だろうし、街道を行けば目立つが相応に重い凶器を運ぶとなると整備されていない道無き道を歩くという選択には適していない。
魔法という手段もあるが、魔神の宝物庫に精通する倉庫と入り口をつなぐ類の道具は錬金魔法でもかなり高度な技術を必要とするものるあり、空間の属性魔法を使うには適性が必要となる。可能性は後者が高いが。
もう1つ。
犯人の足跡がない。
血を踏んでいるのは、亜人の兵士のサバトンの跡のみ。返り血を浴びた様子もなく、穿たれて噴き出た血は遮られることなく周囲に撒き散らされている。
犯人が正面から突き刺そうと後ろから突き刺そうと、犯人自身の体が壁となって血が撒き散らされない範囲というものができるはずなのだが、それがない。
強化魔法で凶器を投擲した可能性があれば、足跡が無く犯人が関所に入った痕跡もないこの惨状の説明もつけることができるのだが。
その場合腑に落ちない点がある。足跡だけでなく、凶器がないことだ。無いということは回収したということ。紐をくくりつけてもその引きずった跡があるはずだがそれも無いので、回収するためにこの関所に入る必要があると思う。
だが、何者かが侵入した形跡は無い。
それに、壁や床にも破壊の痕跡がある。死体は胸を貫かれて終わりという惨状であったが、一方的な破壊とはいえ亜人側が抵抗し戦闘を試みた形跡もある。
魔法、もしくは飛び道具による襲撃。
攻撃を外したのか、それとも壁すらもろとも破壊する攻撃だったのか、関所にも被害がある。
……例えば、徹甲弾の類を用いた砲撃による攻撃だとすれば?
そんな推測が頭をよぎった。
だが、それは可能性が低いと判断する。
この世界にはグラヴノトプスが使ったように、錬金魔法はバズーカ砲を作ることも、貫通に特化した砲弾を作るとこも可能だ。
だが、それができるほどの錬金魔法の使い手は今の魔族にはほとんどいないし、魔族側には亜人と戦争を起こす動機が無い。
あるとすれば攫われているはずのグラヴノトプスだが、彼女が暴れるとすれば関所よりも奴隷商館などだろう。そうなれば騒ぎが広まっているはずだ。
関所が何の対策もなく一方的にやられているだろうか?
推測の1つではあるが、矛盾点や不明瞭な点がある。
……首を横に振る。
少なくとも今すぐには、この案件に首をつっこむべきでは無い。
殺人事件は放置はできないが、これの扱いは連邦の警察機関が担うべき案件だ。傭兵の身分を手に入れたとはいえ、よそ者で部外者の俺が出しゃばるべき問題では無い。
それに、俺にはグラヴノトプスを救出するという目的がある。
事件の発生したこの場所などを考えるとグラヴノトプスの誘拐に無関係であると断定はできないが、関わっているとも断言できない。
そのような案件に関わっているくらいならば、この関所の先にある町に入ってグラヴノトプスに関する情報を集めるために行動するほうが先決だろう。
己の役目に殉じた死者には申し訳ないが、殺人事件は後回しにする。
この現場に犯人が潜んでいるとすれば、長いすれば襲撃を受ける可能性もあるし、衛士などに見つかれば変装しているとはいえ殺人鬼と間違えられ指名手配をかけられる可能性もある。
そうなれば行動にかなりの制限がかかってしまい、グラヴノトプスを助けられる可能性も低下してしまう恐れがある。
彼女は魔族に必要な存在だ。
今はとにかく、彼女を攫い手または奴隷商人からの奪還することを最優先として動くべきである。
関所から離れるために立ち上がる。
……その瞬間。
俺に対して向けられた強烈な敵意を察知して、その方向に向けて宝物庫から取り出した大剣を構えた。
直後、その巨大な刀身を盾とした大剣に猛烈な速さで何かが激突するような衝撃が走った。
「……!」
山で遭遇したイノシシの突進を受けたことがある。
異世界人の超人的な身体能力を行使しても、そう感じるほどの強い衝撃だった。実際は大型トラック……いや、徹甲弾を飛ばす大砲でも直撃したような衝撃だっただろう。
そして、顎に冷たい感触がかかる。
まるで、巨大なタコの足。
直撃してきたそれは、そう評するのが最も適しているような、表面を滑りのある液体に覆われた触手のようなものだった。
最初の攻撃を防がれたことで速度を失った触手に、大剣を振り下ろす。
だが、素早い動きで触手は闇に覆われた関所の外の方向へ下がって行き、蛸の足が残した粘液のかけらが飛び散るだけだった地面に大剣の刃は落ちた。
「…………」
大剣を構え直す。
向けられる殺意は衰えていない。
方向的に数は10以上。おそらく、関所を完全に包囲している。
次の襲撃に備え感覚を研ぎ澄まし、大剣を脇構えで持ち直した。




