戦火の爪痕
魔神の使徒サイドです
聖剣の勇者、天野 光聖が負傷したという報は瞬く間に人間軍に伝播した。
それほど衝撃を与えることであり、戦場の混乱もあって逃亡する兵士が続出し、人間軍の統率は建て直しのきかないほどに崩壊。
一度この大きな渦を呼び込んだ戦の流れはもはや誰の叱咤を持ってしても止めることができず、人間軍は総崩れとなった。
「全軍進め! 徹底的に追撃し、奴らに我らの受けた屈辱と怨嗟を倍にして叩き返すのだ!」
その好機を逃さず、魔族軍の将ゴエティアが追撃の号令をかけた。
魔族軍にとって連戦連敗を重ねさせシェオゴラス城に肉薄するまでに国境を人間どもに犯されることとなった原因、怨嗟と同時に恐怖の対象でもあった天野 光聖の負傷の知らせは、魔族軍がそれまでに受けてきた屈辱と怒りを噴火させ、この追撃戦に力を振るわせる原動力にもなった。
ゴエティア自身も尊敬する主君であった三元帥次席アポロアを失った怒りもあり、無様に背中を晒す人間軍に対する追撃は苛烈を極めた。
指揮が崩壊した敗走をする人間軍にそれを受けきる力などなく、味方に踏み殺されたりはぐれたりする兵士も続出し、荒野を血と骸で溢れさせるほどのおびただしい戦死者を出すこととなった。
勇者たちの中にはこの追撃を押し止めようと試みるものもいたが、さすがにいかに勇者といえどその抵抗は大流の中で暴れる小石のような矮小なものでしかなく、敗戦の流れを止めることはできなかった。
怪我を押して追撃戦を指揮したゴエティアの活躍もあり、魔王軍はこれまでも重ねてきた敗戦の連続をひっくり返すほどの大打撃をこの一戦で人間軍に与えることに成功した。
……その魔族軍の大勝利となった戦場の跡にて。
追撃に多くの魔族軍が参加したために戦場が移動していき、荒野が死体で溢れかえる戦地跡となった頃にようやく動けるようになった。
先ずはこの状況にありながらシェオゴラス城に帰ってくる気配の見られないベルゼビュートを探すために左翼の戦場の跡地に向かってフラウロス山脈を下り始めた。
ベルゼビュートだけでなくルシファードや他の魔族たちも一人としてシェオゴラス城にくる気配がなかった。どうやら、負傷兵以外は魔族軍のほとんどの戦力が追撃戦に参加していった様子である。
人間側の左翼軍がいた地に降りる。
そこは、死屍累々という表現の似合うこの世界の人間たちの兵士のしかばねが埋め尽くす凄惨な戦場の跡地と化していた。
「……これが、戦場」
知識で知っていること、写真で知っていること、話として知っていること。
それだけで知った気になっている認識を吹き飛ばす、衝撃的な惨状である。
死体と血が荒野を染め上げており、凄惨な死の匂いが一帯に充満している。
何千という骸で埋め尽くされた戦場の跡地は、それを知らない平和な世界で育ってきたものにも明確に分かる死が満ちた惨状というものを叩きつける存在だった。
一方的な殺戮が行われたことが見て取れる。
倒れ伏しているのは敵である人間軍の兵士ばかりだが、喜ばしいなどという感想は戦場に慣れていない身としてはとても抱けなかった。
こういう惨状が生まれることを上辺のみで理解しただけで、作戦を立てた。
血の匂いと骸の残す表情を見るごとに、光聖をこの手で切った、血しぶきを生きている人間に上げさせその命をかりとろうとした感触を思い出す。
同時に、シェオゴラス城から見下ろしていた戦況の推移を思い返し、俺が光聖を切ったことでこのような惨状を万単位であの広い荒野に生み出すことになった追撃戦を起こしたことを、頭ではなく肌で、心で認識させられた。
この手で殺していないというだけ。
敵であろうが、異世界の人間であろうが、そんなことは関係ない。
俺が提案した作戦で、俺が光聖を切ったことで……この身が発端となったことによりこの戦場には地獄が生み出されたのだ。
市原を切れなかったのが中途半端で甘いなどと、誰か言えるのか。これのどこが甘い存在なのだろうか。
「……ッ!」
感情に引きずられ、地獄を安易に作り上げた自分への嫌悪と恐怖に、その場に膝を落としそうになる。
だが、さすがにそれは耐えた。
血に濡れることは覚悟した。
地震の前に無力で守れなかった幼馴染を、女神に利用されているかもしれない日向を元の世界に安全に帰す。その目的のために、悪となろうが阻むものを力で打倒し、命さえ奪うことになろうとも遂げようと。
魔神の使徒となった時点で、もはや俺は中立を謳う客観的な立場は捨てることになった。
魔族の側に立ち、己の目的のために勇者と、人間たちと、女神の勢力と戦うことを決めた。
この先、何度でもこのような地獄をこの世界に撒き散らすことになる。
その度に決意を揺らがせているようでは、到底ダメだ。
……なるべく、戦場の悲惨な光景には慣れておくべきだろう。
その結果感覚が麻痺し人として超えてはならない線を踏み越え人として壊れることになっても、あいつが無事に生きて帰ることが果たせるなら、それが俺にとっての最善となる。
目を逸らさず、戦場の跡に向き合い、その輪の中に足を踏み入れていく。
……そしてしばらく歩いたところで、岩陰に倒れているベルゼビュートの姿を発見した。
「!? ベルゼビュート!」
人間ならざる昆虫と人を融合したような異形の姿。
他の骸全てが人間だったこともあり、明確に魔族であることの分かる姿をしているベルゼビュートは目立っていた。
ベルゼビュートに駆け寄る。
すると俺の足音を聞いて意識が戻ったのか、ベルゼビュートがこちらを向いた。
「使徒、殿……?」
意識が戻ったことに安堵する。
羽が一枚乱暴に破かれているなど負傷している箇所も多いが、死ぬほどの負傷ではなさそうである。
ベルゼビュートを抱え上げ、上半身を起こす。
ベルゼビュートの方も意識が戻ってきたのか、目を合わせてくれた。人のそれと作りが違うためわからないが、焦点も定まってきている様子である。
「無事か?」
「ええ、何とか。しかしながら……使徒殿、申し訳ありません。大見得を切っておきながら、この体たらく。婚約者殿に逃げられました」
彼が倒れていた時点で察してはいたが、やはり日向の確保は失敗したようである。
しかし、俺としてはベルゼビュートが無事ならばそれが第一である。
日向は女神に利用されないように保護したかったからであり、ベルゼビュートがそのために死ぬようなことがあればルシファードに申し訳が立たない。
……それに、ベルゼビュートには申し訳ないがこの様子ならば日向は五体満足だろう。
手酷くやられてしまったようである。
腹を蹴り飛ばされたらしく、ベルゼビュートは腹部を抑えながら何とか立ち上がった。
ベルゼビュートを起こすのに手を貸し、1人で歩くこともままならない様子に肩を貸して歩き出す。
「手間をかけます、使徒殿」
「構わない。そもそもの責は日向の力を見誤った俺にある。謝罪するべきは此方だ」
ベルゼビュートの体は、その細身の体躯を裏切らず長身ながらも軽かった。
手間と言われるほどのものではない。
さすがにベルゼビュートに山を登らせるわけにはいかなかったので、ルシファードのいるはずの右翼の戦場に向かうことになった。
今日の戦いにおいて最大の激戦地となった場所も、既に静寂の中にあった。
右翼に至るまでに、俺はベルゼビュートに聖剣の勇者コウセイを負傷させたことと人間軍が撤退をして魔族軍が追撃に移ったことをわかる範囲で説明した。
さらに道中で中央軍と戦っていたというベルゼビュートの配下の部隊とも合流を果たし、ゴエティアの指揮のもと光聖の負傷が様々な混乱に伴い伝播して敗走した人間軍の追撃戦に移ったという情報も得られた。
既にこの戦いの趨勢は決した。
ルシファードも追撃に参加しなかった負傷兵らをまとめ、追撃はゴエティア率いる軍に任せてシェオゴラス城への撤収の準備を指揮しているという。
いつまでも本拠地を空にするわけにもいかないし、山脈の奥に避難させているという魔族たちも迎え入れなければいけない。
魔王としての役目があるのだろう。
ベルゼビュートとも相談し、ルシファードとの合流はシェオゴラス城ですることになった。
右翼の部隊もルシファードがうまくまとめるだろう。
ならばベルゼビュートもシェオゴラス城に戻った方がいいのではないかと思ったが、ベルゼビュートは右翼の戦場にまだ確認したいことがあるからとシェオゴラス城への帰還を後にした。
何人かの兵士に確認していたが、右翼に弟子の魔族が将軍として参加していたという。
だが、確認するために声をかけた魔族の兵士は一同にその将の行方は分からないと答えた。
「もう一人、安否を確認したい者がいます。使徒殿は先に城に帰還なされては如何でしょうか?」
「いや……俺も右翼の戦場に行く理由がある。そのまま肩を使ってくれ」
ベルゼビュートの気遣いに、俺は首を横に振った。
彼の捜している弟子の捜索に手を貸したいという考えも無論ある。ベルゼビュートには魔神の使徒として初対面から信頼してくれた恩と、このけがを負わせてしまった負い目がある。
そして、この日最大の激戦地となった右翼の戦場のこの戦いの流れとその結末を作った当事者として目に入れておく義務がある。
「……承知しました。では、今しばらくのお付き合いをお願いします」
「気にすることはない。無論、弟子を探すことにも協力する」
「ご厚情に感謝を」
人間軍は去ったが、三元帥筆頭にして最後の1人であり国務大臣でもある重役の立場もあるためか、ベルゼビュートの周囲は主のためならばと負傷を押して彼の部下たちが護衛として付いてきてくれた。
右翼の戦場に到着すれば、彼らも行方不明となっているベルゼビュートの弟子の捜索に加わるのだろう。
そういえば、肝心の捜索対象であるベルゼビュートの弟子を俺は知らない。
そのことを尋ねると、ベルゼビュートは錬金魔法を得意とし砲筒を担ぎ赤い甲冑に全身を覆った鬼の魔族だと教えてくれた。
「名は、グラヴノトプス。使徒殿が来る前日の戦いにて勇者たちに討たれた同胞、三元帥次席アポロアの副将でもありました」
「……そうか」
そして一行は勇者を伴った人間の右翼軍とルシファードの率いた魔族軍の主力が激突した、この戦において最大の激戦地となった場所へと到着した。




