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序幕 1

 

「–––––––バカッ!」



 そう叫び、幼馴染はその手に持った灰皿を俺の頰に力一杯叩きつけた。

 隣にいた友人が止める間もなく、ガン!という音が部屋に鳴る。

 強い衝撃が顔を走り抜ける。



「大っ嫌い!」



 最後にそう言い捨てると、幼馴染は背中を向けて部屋から走り去ってしまった。



「待って、夏希なつき!」



 彼女の友人である夜刀やとのがその走り去る背中を呼び止めようとしたが、さきほど俺を殴った幼馴染の日向ひゅうがは、親友の声も無視して行ってしまった。


 残されたのは、まるで振られたような場面を見せた当事者である俺と、この話題に関しては傍観者でしかない夜刀だけである。



「…………」



「……あちゃー」



 夜刀がこの状況の巻き添えをくったことに、額に手を当てて面倒なことになったなというかのように天井を見上げた。


 さきほどの灰皿で殴られた拍子に切ってしまったらしい。

 血の味がして顎に向かって何かが伝う感覚を感じる。

 口元を拭ってみると、予想通りその手には血が付いていた。



「……えっと、大丈夫?」



 本来ならば日向を追うべきところなのだが、殴られた側が怪我をしていれば放置するわけにもいかず、夜刀は残っていた。

 声を掛け辛かっただろうが、俺自身が怪我に気づいたところで恐る恐るといった様子で具合を尋ねてきた。


 八つ当たりを警戒していたのかもしれないが、あいつに殴られることはこれが初めてではないし、別に怒っているわけでもない。

 それに身体が頑丈で人より怪我の治りが早いことが数少ない自慢の1つである俺にとって、この程度は怪我と呼ぶのもおこがましいものである。



「……こんなの怪我のうちにも入らない」



「……なら、いいんだけどさ」



 後頭部に手を置きながら、夜刀がさきほど日向の走り去って行った部屋の出口に目を向ける。

 つられて同じ方向を見てみるが、日向が戻ってくる様子はない。


 あの様子では、頭が冷えるまで俺の言葉は一切聞こうとしないだろう。

 幼馴染というだけあり、付き合いが長く喧嘩をしたこともそれなりに多いため、その意外と頑固な一面のある性格を知っているので、さきほどの様子から聞く耳を持ってくれないだろうというのは予想できる。


 きっかけは些細なことなのだが。



「……あの様子じゃ、結構しつこそうだよ」



「俺の言葉は聞く耳持たず、だろうな」



 こういうことは初めてではない。

 夜刀は俺の返答に深いため息をつくと、見ていられないと言わんばかりに表情を苦くする。

 そして腰に手を当てて俺と向きあい、人差し指を突きつけた。



「私があの子に話しておくから、落ち着いたら謝りなさいよね」



「……恩にきる」



 夜刀に橋渡しの役を押しつける形となってしまった。

 日向がこちらの話を聞きそうにないので誰かに説得してもらわなければ謝罪もできない。

 なんとも面倒な性格をしたもの同士の喧嘩のため、第三者を巻き込むことになる。


 夜刀はこういうとき本当に気がきく。

 頭をさげると、夜刀はふっと表情を崩した。



「いいって。私とあの子が喧嘩したときだって、あんたにフォローしてもらったしさ。こういうのはお互い様よ」



 日向は昔から意地になると絶対に引かない性格をしている。

 そのため、夜刀と喧嘩したときに聞く耳持たずとなった時には、俺が仲裁に入ってきた。

 この仲裁役をしたことがあるため、俺もまたその苦労を身を以て知っていた。



「あの子の頭が冷えたら教えるから、早く仲直りしなさいよね」



「ああ」



 最後に夜刀がそう言ってから日向を追って部屋を出て行き、1人となった。


 喧嘩の理由は、些細なものだった。


 始まりは、夜刀の文化祭の土産話を聞いた時だった。

 日向は親を連れられて行った夜刀の通う高校の文化祭にて、偶然過去に助けてもらったことのある人と再会したという。


 その人物は天野あまの 光聖こうせいという名前で、その高校の生徒会長をしているという。


 夜刀は名前と顔を知っているだけでまともな面識はないとのことで、詳しい人物像は知らないとのことだが、かなりのカリスマ性があるらしい。


 それはともかく、日向がその光聖という人物に助けてもらったというのはおよそ4ヶ月前の出来事で、彼女が不良の集団に絡まれているところを助けられたという。

 正義感の強い日向は、以前にその不良グループに言い寄られていた同級生の女子を庇ったのだが、その際に逆恨みをされてしまい、1人でいたところを集団に取り囲まれたという。

 そこに偶然通りかかった光聖が割って入り、鉄パイプなどで武装していた不良たちをたった1人、それも素手で全員倒して日向を助け、颯爽と立ち去ったとのこと。

 まるで少年漫画に出てくるような話だが、名前も知らなかったことから今までまともにお礼も言えなかったという。


 そんな彼と再会できたことでお互いに名前を知り、ようやくお礼が言えたとのこと。

 昔から正義感が強く、自分なりの正義を常に問い続けてきていた日向にとって、彼女の原点と言える少年漫画のヒーローのような光聖の姿は、とても眩しく羨ましいものだったのだろう。

 とても楽しそうに光聖との再会について語る日向に、しかしその誰もが憧れるヒーローのような正義を早い段階でそれが独善的なもので本物の正義とは言えないと捨てていたはずの彼女が取り憑かれたように楽しそうに語っていたものだから、つい水を差す発言をしてしまった。


 昔から熱の入りがちな彼女に対して一線を退いた物言いをしがちであり、またあらゆる物事に対しては客観的視点を心がけていた性格の俺は、様々な場面でいわゆる場をわきまえない水をさす言葉を発することが多い。

 それが今回も災いした。


 おそらく、日向は俺の発言を光聖に対する全否定と捉えたのだろう。

 それでカッとなり、灰皿で殴って現在に至るというわけである。


 正義感が強く性根がとても優しい性格の日向と、主観的立場を取りたがらない物言いが多い俺は、その性格の相性が悪く喧嘩になることが多い。


 大抵は一言謝るだけですんなり仲直りできるのだが、その一言謝るまでの道のりが結構面倒くさいのである。

 日向は意地になると、引かない性格をしている。

 それは喧嘩になると相手を完全に無視するという、一言の謝罪を拒否する姿勢になってしまう。

 なので第三者の仲裁が必要だった。


 一応、こちらに非がある自覚はある。

 なにしろ水をさす言葉を、俺は相手の怒りを煽り立てるような内容で口から発してしまう。

 主観的な視点を持たないようにしてきたことが癖になっており、相手の立場や考えを思いやらない言葉にしてしまいがちであり、それが今回も日向の怒りを買ってしまった発端だった。


 改めて思い返せば、土産話として聞き役に徹していればこの喧嘩は起こらなかった。

 彼女が抱いて追求してきていた正義観が光聖の姿を見て、それに心酔し傾倒しないように諌めるにはもっと別の説得にふさわしい状況があっただろう。

 場をわきまえないのは、俺の数多い欠点の1つだ。


 別に、光聖という人物に対して悪感情を抱いているわけではない。むしろ幼馴染の恩人であり、感謝している。

 会ったことも話したことも噂を聞いたことも無く、その人物像についても何も知らないのこの段階で決めつけるつもりはない。


 ただ、日向の話から推測できる一面では、あまり良い人物とは思えない。

 彼女が助けられたという美談にしろ、確かに女性1人を見るからに素行の悪そうな男が取り囲んでいれば主観的にはすぐに善悪の区別がつくだろう。

 だが、その時点で光聖は日向についても不良たちについても何も知らなかったはずだ。なぜそんな状況に陥ったかの背景を何も知らない状態でいきなり暴力による介入を行えば、事態が悪化することもあったはずである。


 仮に不良たちが日向の身内などを人質に何かしらの要求をしていた場合は、その場で日向を助けることができても人質がどうなっていたかという危険性があったかもしれない。

 今回は一方的な逆恨みが発端だったが、そもそもの事情が客観的に考えれば正当性は不良たちにあった、などということもあり得る。

 日本は法治国家である。警察に通報する、「おまわりさーん!」とでも叫んで不良たちの気をそらす、殴りかかる前にまずは説得するなど、喧嘩沙汰になる前に出来る対処は他に幾つかあったはずだろう。



「確かにヒーローのような助け方ではあるが、あまりにも幼稚で独善的だ」



 時期と言い方がまずかったのは認める。


 だが、それは正義とは言えないと過去にすでにその考えを捨てていた彼女が独裁者と変わらないその独りよがりな正義に傾倒してほしくなかったから、そう窘めた。

 隣で聞いていた夜刀もまた、口には出さなかったが日向がその方向に傾倒してしまいそうだったのは感じていたのかもしれない。


 しかし、言い方が不味かった点で非はこちらにある。

 夜刀にも苦労をかける結果となった。



「…………」



 正論かもしれないが、周囲に賛同を得られなければそれは正論とは言えないだろう。

 それに、日向にとっては初めてできた好きな異性かもしれない相手を、恩人でもあり一種の憧れを抱いた相手でもある人物を否定するような言葉を言われたのだ。優しい性格の日向が、怒らないはずが無い。付き合いは長いのだからそのくらい予測してしかるべきである。

 改めて自身の数多くある欠点を自覚して、天井を見上げた。



「悪いことをしたな。申し訳ない……」



 聞こえるはずも無いので無意味だろうが、怒らせてしまった原因はこちらにあるし非もこちらにあるので、聞こえていなくとも罪悪感から謝罪の言葉をつぶやかずにはいられなかった。


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