続きの始まり 3
大通りから逸れた道を行けばさっきまでの喧騒はどこへやら。あちらとは隔絶された空間に来てしまったような、そんな錯覚に襲われる静けさが広がっていた。
まだ公爵邸に戻る気分にもならなかったので気の向くまま脚の向くままぷらぷらと歩いてたらどうやら住宅街に来てしまったらしい。
普通なら何もする事がない場所。だが、私達がここに来るのは初めてだ。
初めて訪れる場所というのは不思議と好奇心が湧くもので、私達は散歩がてら街を散策することにした。
家々の間の道は煉瓦で出来ていて、坂道だったりぐにゃぐにゃ入り組んでいたりと散歩のはずなのにちょっとした探検でもしているような気分。
でも、楽しいからってその時のノリで角を曲がったりはしない。そんな事をしたら絶対に迷う自信があるから。
ユーリも考えるところは同じらしく、何を言わなくとも角は曲がらずまっすぐ歩いていた。
しばらく道なりに歩いていると、突き当たりに出た。そこには初めて見るなんだかへんてこな造りの建物が。
白くて大きくて四角い建物。お店には見えないし、かと言って家にも見えない。
じろじろと建物を眺めていたら入口らしき所からお爺さんが出てきた。その手には二冊本が抱えられている。
「あの、すみません。ここってお店か何かですか?」
「ん?いや違うよ。ここは図書館だ。夕方まで開いているからお嬢さんも寄っていくといい」
おお、図書館だったのか。全然それっぽくないな。
私はお爺さんにお礼を言うとユーリを連れて意気揚々と中に入った。ユーリも気になるのか特に抵抗する事なく引っ張られながらついてくる。
中に入った私の口からは思わず感嘆の溜息が漏れた。すごい量の本。
壁一面が本で埋まっていて、それだけでも足りないのか所狭しと本棚が並べられている。
村にある図書館よりもお婆さんの家の方が本は多かったが、ここはそれ以上だ。
柔らかな日差しが日取り窓から射しこみ、それによって暖かくなった図書館の中は本独特の匂いで満ちている。
私はこの匂いが結構好き。なんとなく落ち着く。
「それじゃあまた後で」
見たところ人は二、三人くらいしかいない様だが図書館では小声で話すのが暗黙の了解だろう。小声でユーリにそう声をかけてから興味の湧くような本を探しにいく。
本の背表紙に指を滑らせながら順々に本棚を見て回った。
あ、これ面白そう。
お目当ての本の背表紙に視線を留め、滑らせていた指で本を引き抜く。
表紙にはデカデカと「初心者魔法入門」と書いてあった。
村の学舎で魔法の基礎は一通り習ったから基礎魔法なら使うことが出来る。基礎魔法なんていってはいるけど物を浮かせたりといった初級中の初級なんだけどね。
もっと分かりやすく言うと教えてもらわなくても出来ちゃうやつ。
私は意外にも分厚いその本を持って奥にある机に本を置き腰掛けた。座って早々にページをめくる。
公爵邸では地理や歴史、算術や法律などの普通の勉強なら習ったけど魔法に関しては一時間どころか一分も習ってない。というか授業中に魔法の「魔」の字もでない。
だから私の魔法の知識は村で習ったところ止まり。お婆さんの家や図書館で魔法に関する本を読んでも習っている事が前提で書かれているものばかりだからさっぱり意味が分からんのだ。
なので私が使えるのはさっき言った初級中の初級だけ。実につまらん。
女公爵様は極力魔法を使わない主義なのか必要ないからか使っているところは見たことがない。屋敷には魔法関連の書物もない。魔法関連の物なんて照明くらいじゃないだろうか。といってもそれは魔法じゃなくて魔道具っていう特別な鉱石から出来た不思議道具なんだけど。
要するに何が言いたいかというと魔法に触れたい、と言いたいのだ。もうとにかく文字でもいいから魔法の「魔」の字を見てたい。理解できなくても使えなくてもいいから。
だってこんなにも面白いものが身近にあるのに触れないなんてつまらない。
自分で魔法を使ったりユーリが使っているのを見ても良かったんだけどそれはなんか違う。
大体使えたとしてもしょぼいし。
私は新しい魔法を習い、見、使える様になりたいんだ!!
というわけで久しぶりの魔法の「魔」の字との対面にうはうは興奮していた私は時間を忘れて本を舐め回す様な心持ちで(気持ち悪い)読み耽っていた。
その為か、ふと本から顔を上げた時、日取り窓から見える空が爽やかな雲一つない青から橙色に変わっていた。
壁に掛けてある時計を見ればここに来てから三時間も経っている。
変わっていたのは空の色と時間だけではない。手に持っていた本もだった。
いつの間に。
題名は「初心者用魔法入門の次に下手くそが読むべし!」。
………なんでだろう、一気に読む気が失せるのは。
「エリス、そろそろ帰らないと」
「あ、分かった。これ片付けてくるから先に外行ってて」
いつの間に後ろに立っていたのか。肩に手を置くユーリからなんとなく手元の本を隠す。
見られたらなんか駄目な気がしたんです。
素直にユーリが離れていくのを確認してから、私は大きく息を吐き出した。
ユーリを先に外に行かせたのは長時間この空間にいたから早く外に出て新鮮な空気を吸いたいだろうな、という気遣いからだ。
決して本を戻す時について来られたら困るとかそういうんじゃない。
ずっと椅子に座っていたために凝ってしまった体をねじった。
その後は両手指を絡ませて上に伸ばしながらそのまま横に体を傾ける。あ、バキボキいってる。いでで。
こんなに時間を忘れて集中したのは随分久しぶりな気がする。
集中しすぎてここが村の図書館ではない事や今日私達がここにいるのはあそこを抜け出してきたからだという誤魔化したいけど忘れちゃいけない事実すら忘れていたが。
私達が抜け出した事は時間的にバレているだろう。ならば焦って帰る必要はない。ゆっくりと行こうじゃないか。
焦って帰ろうがゆっくり帰ろうがどちらにしろ説教されることに変わりはないのだから。
さて、いったいこの本はどこから持ってきたのか。
題名からして「初心者用魔法入門」の隣とかかな。
私は席を立ち本棚へと向かった。
閉館時間が何時かは分からないが、多分もう直ぐなのだろう。中は私以外一人もいないように思われる。
図書館に一人きりというのはいささか居心地の悪いもので、少し焦りながら元の位置を探す。
あ、あった………
早々に一冊が抜かれている場所が見つかり思わず表情が緩む。しかし隣の本の題名を確認した私からすっと表情が消えるのが分かった。きっと今の私の顔は真顔だと思う。
隣には初めに読んでいた「初心者用魔法入門」の他に「下手くそから脱却した後に読む魔法の本」「ちょっと上手く使えるからと調子に乗っている奴に読ませる本」「知能がなくとも分かる馬鹿の為の魔法中級編」………。
なんだこの本達は。ツッコミどころ満載じゃあないか。長いし読む人を罵倒してるし。
いくら集中していたとはいえなんでこの本を取ってしまったんだろう。どうせこれの続きだ!という単純思考で手に取ったんだろうがせめて題名くらい確認しないか私。ちゃんと見なくてもある意味すごい題名じゃないか。
いや、題名とは正反対の素晴らしい内容であったし、題名で先入観を抱くのは良くないんだろうけどさ。
本を戻した私は見なかったことにした。
さて帰ろうかと踵を返して、本棚の裏から紙の擦れる音が聞こえる事に気付いた。
どうやら他にも人がいたらしい。
一人きりじゃないと分かった途端先程までの居心地の悪さは消えて無くなっていた。自分はもう帰るというのに不思議なものだ。
私の記憶違いでなければこの裏は専門書や他国の地理歴史、経済といった本が置かれているんじゃなかったか。小難しい本ばかりが並んでいた気がする。
「………」
そういった本を読むのはどういう人なんだろうと少し興味が湧いた。なんでこんなに興味が湧くのかは分からない。
私はなんとなくの興味本意のまま裏側へとまわってみた。
そこは窓の直ぐ側だからか差し込む夕日で橙色に染められており、その夕日に照らされながらページをめくっていた人が私の気配に気が付いたのかふと顔を上げた。
十代後半くらいだろうか、二十を過ぎているようには見えない彼はなんというかびっくりするほどに整った顔をしていた。綺麗な顔立ちの人はよく見るけど、今まで見てきた中で飛び抜けて群を抜いている。
すらりとした細身の体は私よりも頭一つ分以上大きい。
こちらを向いたことで肩からたれてきた長めの黒髪はサラサラで、同じ黒髪の持ち主として羨ましいくらい。
吸い込まれそうな切れ長の黒い瞳に長いまつげ、筋の通った鼻に血色のよい薄い唇、一目できめ細かいと分かる白い肌。
まるで彫刻品のように整ったその顔は中性的で、見ようによっては女性にも見えると思う。
なのに女として負けた、と思わないのは張り合うにはあまりに高すぎる相手だからだろうか。
長ったらしくなってしまったが、簡単にまとめると『要するに超綺麗な人だった。』と言いたい。
この季節は空の色が変わるのが本当に早い。ユーリを先に外に追い出してからまだ三十分も経っていないというのにもう綺麗な橙色から黒に近い紫色に変わってしまっていた。
「あ、エリス遅……どうかしたのか?」
図書館から出てきた私にユーリは文句を言いかけ、しかしこちらの心情が顔に出ていたのか一拍後にはギョッとした表情で様子を伺ってきた。
私はというと、ユーリにつかつかと歩み寄りその肩にがっと手をかける。
「ねえちょっと聞いてよ!?だあああムカツクゥゥゥ!!なんなのあれぇ!!」
がくがくと前後に思い切り体を揺さぶられるユーリは何がなんだか分からぬままされるがままだ。途切れ途切れに「ちょ、肩に指、くい込んでる、おえ、気持ち、悪、」と苦しそうな声が聞こえるが怒りが頂点に達していた私にそれで止めてやれるほどの余裕はなかった。
数分後。なんとかイライラが収まってきた私はようやくぐったりと顔を青くし半ば死にかけている片割れの肩から手を放した。口から変な靄の固まりが出ているかがするけど、多分気のせいだろう。というか気のせいじゃないと困る。
「おーい。ユーリちゃーん」
何故か意識のないユーリを今度は優しく揺さぶってみる。が、返事はない。少々気が引けるが、意識のない重い人間を背負って帰るのも嫌なので……頬を思いっきりぶっ叩いてみた。
一回、二回……「お前は俺をもう少し労われよ!!」あ、起きた。
「だって起きないんだもん」
「もんじゃねーよ。誰のせいだと思ってんだ!」
多分今私は怒られているんだろうが、その頬についた赤い手形のせいで怒られてる気がしない。むしろふざけてるようにしか……。
その考えが伝わってしまったのか、またも「誰のせいだよ!」と怒られた。
すみません。
未だに真っ青な顔で肩が凄え痛い、と文句を言うユーリは本当に大袈裟だ。確かに怒ってはいたが、本気で肩を鷲掴みにしていた訳ではない。ちょっと力を入れていただけだ。
女の力などたかが知れてるというのに。
まあそんな事を言うと理不尽にも怒られそうなのでやめておこう。
「んで?何かあったのか」
「あったの!聞いてよユーリ!」
情けない顔で肩をさするユーリに再び掴みかかりそうになって、やめろ、肩が壊れる!と本気で止められた。だから大袈裟だって。
私がここまで怒っている理由。時は少し前に遡る。
興味本位のまま回ってみた本棚の裏側にいた綺麗な人はシャツにズボンというありきたりな服装でそれだけを見れば平民のようだがどこか私達とは違う上品さを感じた。
なんて言えばいいのか。例えるなら仕草の一つ一つが女公爵様のように高貴な人と似ている気がした。
目が合って、なんとなく晒すタイミングを掴めず互いの間になんとも奇妙な沈黙が落ちた。居心地の悪いその時が長く続くかと思ったが、その重苦しい沈黙は相手の方から破ってくれた。
『ああ、もう閉館時間ですね』
それは私に話しかけると言うよりも独り言に近いものだったがその一言で気まずい空気が和らいだ。
相手が懐から取り出した懐中時計で時刻を確認しこちらから意識が逸れているうちに、と思い足を踏み出しかけたのだが『貴女も今からお帰りですか?』と何故か声を掛けられた。
少し目が合っただけだったのでまさか声を掛けられるとは思わず『え、あ、はい』と呆けた声を出してしまった。
気まずい空気が和らいだ今のうちに、と思ったのだが声を掛けられては素通りなど出来ない。同い年ならまだしも年上の人にそれをやるのは些か気が引けるし、まずそんな無礼を働く度胸もない。
今度はきちんと相手に向き直る。さっきの返事の仕方はちょっと失礼だったかな、と顔色を伺うが相手は気にした様子もないのでホッとした。
大人とならしょっちゅう関わりを持っていたけど、実は二十歳未満で私より年上の人とはあまり関わったことがない。村にその年齢層の人達がいなかったからだ。なのでどう接すればいいのかが分からない。
再び気まずい空気に早変わりした気がした。背中に冷や汗が流れる。
無難にやり過ごそうと思っていたのだが、今思えばその考えは改めた方が良かった。
『……眉間、皺が寄ってますよ。あとその呆けた顔もやめた方がいいですね』
『はっ?』
『不細工になりますよ?』
何がそうさせるのか。ニッコリとそれはそれはいい笑顔を浮かべるその人に私は開いた口が塞がらなかった。
ぽかーん、と固まる私を今度はニヤリと意地の悪そうな笑顔を向けてからその人は本を棚に戻してさっさと去って行った。
私は暫くそこから動けず、数分後にハッと意識をこちらに戻し慌てて先程の背を追ったが時は遅く。
改めてさっきのは聞き間違いかもしれない、と言われた言葉を反芻してみたがそれはなんの意味もなく、ただただ腹わたが煮えくりかえるような怒りを湧出させただけだった。
「どう思う!?」
「うん、爪が痛え。食い込んでるから」
いつのまにかユーリの腕を掴んでいたらしく、痛さに耐えかねた片割れから苦情がきた。あ、ごめん。
「それよりどう思うよ。酷くない?」
「それよりってお前……」
はあ、とじとっとした目を向けられながら溜息を吐かれたのでぎろりと睨んでおく。ついでに奴の腕を掴む指に力を込める。
「いでっ!ああハイハイ酷いですねえ!」
「気持ちがこもってない」
「こもるか!つーか俺らなんて毎日綺麗な自分の面見てる奴から言わせれば不細工だろうよ。元々普通の顔しか持ってないんだから」
そりゃあそうだろうけどさぁ。
でも初対面の相手に言うことでもないと思うんだよ。ましてや女の子に対して。
「もー絶対逢いたくない」
「逢うことなんかもうないと思うけどな」
そうだけどさ。なんか勝ち逃げっていうか言い逃げというかをされたみたいで後味が悪すぎる。悔しい。一発くらいあの癪に触る笑い顔を殴ってもお釣りがくると思うんだよね。
あぁ、思い出したらまた腹たってきた。こんなモヤモヤするなら殴っとくべきだった。
「はぁ。折角の外出が台無しだ。最悪」
「そりゃ難儀なことで。しかしここでエリスにもう一つ残念なお知らせが」
自分と同じ目線のユーリがやけに真剣な表情でそう言うので意図せず喉が鳴った。
「帰ったらお説教が待ってる予感がします」
「あ」
忘れてた。
嫌な予感とは当たるもので、その夜私達の頭には大きなタンコブができていた。
頭を抱えて床をのたうち回ったのは言うまでもないだろう。
あくまで日常ものです。