巡りの始まり 7
十六歳になった年の年末直前の今日は学校への登校日であるとともに先週行われた年度末試験の結果が張り出される日だ。毎年この時期はピリピリとした空気が漂っていて、この空間に居るだけで気疲れしてしまう。そんな中皆なんでそんなに張り詰めた空気を醸し出すのか一人首を傾げていた私は『試験をそんなに楽しみにしてる奴は貴女しかいないわよ』と呆れたように言われてしまった。心外だ。別に楽しみにはしていない……多分。
年度末試験は定期的に行われる定期試験とは違い魔法の実技と筆記、そして地理歴史計算といった普通の学力試験も含まれており、そのすべての点で順位が決まる。これは一年に一回しかない私達にとっての一大行事だ。
しかし定期試験の場合は学力試験と魔法試験が同時にある事はまずない。学力試験はなく魔法試験だけ、その中でも実技だけ、筆記試験だけ、といったことが間々ある。だから筆記だけの場合は陣の作成や論理や法律、それに加え魔物の生態などいうなれば魔法知識に関して得手の人が上位を占めるし、実技のみの場合は攻守魔法などの魔法実技が得意な人が自然と上位を占める形になり、その都度順位は変わってくる。なので誰もが自分の得意なもので上位を狙えるというわけだ。
しかし、これが年度末試験になると話は変わってくる。
つまり何が言いたいのかというと、学生のうちに習うものがすべて詰め込まれた今回の試験で上位を、それも一位を取る奴は全てにおいて優秀な、いや全てにおいて一位をとってきていると言っても決して過言では無い。そして何を隠そうその優秀な奴とは、全てにおいて一位をかっさらっていく憎たらしい奴とは、我が片割れ、ユーリである。それも入学してからの二年、毎年何においても他の追随を許していない。元々頭がいいとは思っていたが、ここまでくるともう天才の域であると認めざるをえない。
私は試験間近でなくとも日々そんな奴を追い越そうと睡眠時間を削ってまで単語を頭に詰め込み、魔法の腕を磨き、時間を作って教科書参考書歴史書魔法書等を読み漁り、感覚が無くなる程ペンを握り続けてきた。その甲斐あってか去年までは四位止まりであった順位を、しかし今年の定期試験では三位を常に守り続けることができた。
ちなみに去年まで三位、四位を共に争ってきたのはシゼルと殿下。この二人は天才といってもいいくらいなので油断はならなかった。
けど、それでも二位と一位には届けかない。
一位には常にユーリが。そしてこちらも他の追随を許さない二位には(ユーリ以外)常に違う意味で憎たらしい女男ことヴァンサン・アルバンケールの名前が。
ユーリは毎回満点を叩き出していて、私との差は約三十点。『試験は満点が取れないように作ってあるのになんでだ?』と先生が不思議がっていたのは今でも良く覚えている。
ユーリも女男もシゼル達も、一体何なんだ。なんで私の周りにはこうも天才しかいないのか。平凡な私への神様からの嫌がらせか。嫌がらせなのか。
だが、落ち込むことはあっても天才だから勝てないなんて思うことだけは絶対しない。それを思ってしまったらそれこそ負けだ。
何にかは分からないが、とりあえず格好つけて自分自身にだと言っておこう。
話を戻す。毎回こっち方面で負け続きの私は『今回こそは勝つから!』ときちんと先日宣告しておいたのに、今日に限って肝心の本人は風邪をひいてお休み。
体調管理くらいきちんとしておいてよ、と朝からぶつくさ文句を垂れていた私にユーリは『いつも通りだろうけど一応順位教えてね』と皮肉を言ってきやがった。
それに対してよくキレなかった私、と今更ながら自分で自分を賞賛したい。イラァッとはしたが。前までの私だったなら病人だろうがなんだろうがそこでその頭を殴っていたところだ。
ふふん、背だけではなく心もいつのまにか成長していたようだ。
試験結果が張り出されるのは授業が全部終わってから。だからこの日は皆が早く結果を見たい、いやでも見たくないような、そんな葛藤の中で授業を受ける。
そんな生徒達の注意力の散漫を知っているからか、この日だけはいつもとは違う特別授業が行われる。
それがどんな授業なのか。
それは………返ってきてもいない試験の解説である。ご丁寧にも答えの書かれていない試験用紙を添えて。
意味がないことだと思うかもしれないが、実はこれが結構鬼畜仕様。
この学校に通っている子のほとんどは記憶力が良い。問題を見れば自分がどこどこにどう書いた、こう書いた、と詳しくは覚えていなくとも、大体どんな事を書いたかは覚えている。だから解説中『あ、ここ間違えたかもしれない』『いや間違っていないかも?』なんて考えが悶々と頭を占めるのだ。
聞かないでいればいいと思われるかもしれないが、先生達が試験の解説をしてくれるのはこの時だけ。後で聞きに行っても口を開いてさえくれない。
解説を聞いても分からなかったところは別だが。
それでもその時はきちんと聞いていたか、忘れないように書き留めておいたかを念入りに調べられる。きちんと聞いていたかどうかが分かって初めて先生は教えてくれるのだ。聞きたくない、でも間違っていた時のために聞かなければならない。そんな葛藤が一日中続くこれを鬼畜仕様と呼ばず何と呼ぶ。
そのせいでいつも明るいはずの教室内が、この日だけは隅で怪しい植物を栽培できそうなほどにじめじめとする。
入学した年の出来事だ。
担任による試験の解説中、きっとその子は自分がどう答えたか覚えていて、そして奇しくも間違えてしまった箇所だったのだろう。ある女性徒が『あ』と声を上げてしまった。
それを耳聡く聞きつけた担任はこの空気に不釣り合いなニコニコ顔を浮かべながら女生徒の元まで歩み寄り『ん?どうしたんだ?あ、間違えちゃった箇所だったのかな?どれ先生が聞いてあげよう。どう書いちゃったんだい?ん、ん?』と言った。当然女性徒は涙目になりそれを見咎めた他の生徒が『先生いくらなんでもいびりは良くないです』と注意したのだが『他のクラスもこんな感じだぞ』とそれはそれはにこやかに言われてしまった。
そう言われては生徒側が何かを言うこともできず、結局私達は先生にいびられながら一日を過ごす羽目となった。
そしてそんなことがあったために身構えながらやってきた翌年、つまり去年。一年生の時と似たような事態に陥り、先生がどこのクラスも同じことをやっているぞ、と言った時だった。一人の生徒が『先生!他のクラスはそんなことされていないと聞きました!』と果敢にも手を挙げたのだ。
それを聞いた私達の鬱憤は爆発。皆が先生に罵詈雑言を吐き、授業どころではない事態になってしまった。だが、罵詈雑言の嵐なんか心底どうでもいい、関係ない、というような顔で先生は言った。
『お前達に何が足りなかったのか教えてやろうか』と。
その言葉は教室を一気に静まらせた。
先生は真剣な顔で一度大きく息を吐き出すと『運だ』と言った。
…………………は?
教室中の目という目が点になったのはおそらくこの時だけだろう。
それくらいその言葉は予想外すぎて、今までの憤慨はどこかへ行き、皆が呆気にとられてしまった。
そんな生徒達には構わず先生はぐっと拳を握り、力説し始める。
『お前達は可哀想なくらい運に恵まれなかった。だから俺の生徒になった。そして俺の生徒になったからには俺に従うのが筋ってもんだろう。それにこれはいびりでもいじめでも何でもない。お前達が将来こういう立場に立たされたときの為を思って俺は心を鬼にしているのだ。というわけで面白……お前達の為に訓練を続けるぞ!』
開き直りやがったのだ。それどころかポロッと本音を言いかけたし。
これには生徒全員で唖然としたものだ。
それっぽい理屈をこねればいいってもんじゃない。
この授業自体も鬼畜だが、私達四組がここまで精神をガリガリ削られるのはやっぱり担任のせいだと思う。
面白い先生ではあるのだが、ちょくちょく鬼畜な部分を見せるのはいただけない。
正直このおかげと言うのは複雑だが、先生にこんな部分があるからか他の組みに比べて四組は貴族庶民関係なく仲が良い。初めの頃貴族と庶民の間に壁があったのが嘘のよう。
私も以前はなんとなく苦手意識を持っていた子とも(女男を慕う女子達)今ではよく話す仲になっている。
彼女等は少し、いや大分過激だし言葉は棘を含んでいたりするけど根が悪いわけじゃないのは付き合い出してから理解した。まあそれは女男が絡まなければ、の話だが。
普段は性格がキツくても友人思いの優しい子達なのに、奴が絡むとまるで何かに憑かれたかのように豹変する。今までは面白おかしく傍観していられたのだが、仲良くなってからは度々こちらにもそれが飛び火する。豹変するなとは言わないが、こちらを巻き込むのだけは勘弁してほしい。
いやはや恋する鬼...こほん。恋する蝶達は恐ろしい。私さえ巻き込まないでくれるならいくらでもどうぞどうぞなんだが。
彼女等は私によく『貴女は本当に勉強が好きですのね』『羨ましいですわ』と言うが、私自身そこまで勉強が好きなわけじゃない。
というかむしろ嫌い。面倒だしね。
魔法の授業はそうでもないけれど、計算とか地理歴史はやる意味あるのか、と時々思う。知らないことを知るのは面白いけれど嫌いなものは嫌いなのだ。
それでもちゃんと向き合って必死になってまでやるのはやはりユーリの存在あってこそだと思う。唯一の家族で天才的な片割れ。だからこそ負けたくないし、追いつきたい。努力しなければその差は開いていく一方だから。そんなのは、嫌だから。
負けず嫌いの性分でもあるんだろうけれど、どうもそれが根本にあるような気がしてならない。
だから、早く追いつかないといけない。村の学舎ではそこまで開いていなかった差も、この学校に入学してからは徐々に開いていく一方だから。
早くしないと、埋められなくなる。
「わ、エリス今年は三位じゃない!凄いわね!」
「あー、私はまた中の下ってところね……やっぱりエリスは凄いわねえ。ユーリ君もだけど」
「あはは、ありがとう。でも私もまだまだだよ……」
今年もいじめに近い授業が終わった後、二人は結果表の前で私を褒めてくれた。うん、嬉しいんだけど……やっぱり何かモヤモヤする。
一位にはユーリ、二位は女男で三位に私でシゼルと殿下は同位の四位。セレストが三十位で、フェリーテシは五十七位という結果だった。皆ほぼほぼいつも通りの結果。
互いに褒めと励ましの言葉を掛け合い、私は帰る準備をする二人とそこで別れ教員室へと向かった。
*************
「……何してるんです」
ここは個室の自習室。この区画には同じような部屋が百はあり、申請すれば誰でも使えるようになっている。
その部屋の一室。現在進行形で私が使っている部屋の扉を何故か無断で開けて奴、アルバンケールは一言そう言った。
何故ここにいるのかは知らないが、嫌な奴が来た。
奴は私を見て器用に片眉を上げると後ろ手に扉を閉め、無断でずかずかと部屋に入ってくる……っておいおい。
「ちょっと、自習室なら他が空いてるでしょ、入ってこないでよ!」
「僕は君を探してたんですが?」
「……探してくれなんて頼んでないし……それに夜間施設使用届けはきちんと提出したし……」
夜間施設使用届けとは登校日の放課後から次の日の正午まで学校に残り自習をする場合提出する書類。
この学校に登校する時は皆学生証に刻まれている魔法陣によって家から学校へと転移する決まりだ。この転移用の特別な魔方陣を使用できる時間帯というのは決まっていて、決まっていない時間帯に使用することはできない。
そしてこれは一方通行な魔方陣で、家から学校までは行けても、学校から家までは行けない。帰るときは各教室後方にあるこれまた特別な魔方陣からしか帰れないのだ。しかも自分の家からでないと転移出来ない仕組みで、例えばとあるお店から学校へ転移しようとしてもそこが自分の家の敷地内でない限り陣は効力を発揮しない。これは悪用を防ぐためなんだとか。
どうすればそんなややこしい魔方陣が作れるのかは先生達に聞いても分からない、知らない、の一点張り。学生証に陣は描いてあるが、魔法陣というのはそれを描いた者がその仕組みを理解していないと使うことは出来ない。つまり仕組みも分からない私が陣を真似して描いたとしてもそれはただの落書きと同じ価値しかないということ。
先生達の態度からするに多分これは企業秘密みたいなものなんだろう。
話は戻るが、夜間施設使用届けは居残りをする生徒を特定するとともに、翌日生徒が帰宅する際帰りの陣を起動させるために必須なのだ。
その為居残りする生徒は翌日陣が起動するまで実質学校に閉じ込められる形になる。
「女公爵様に確認してきてくれと頼まれたんです」
「じゃあ今日は帰らない、って伝えておいて。ほら用は済んだでしょ、早く帰らないと陣が閉じるよ」
しっし、と手を払うが相手はあいも変わらず扉に背を向けたままだ。
時間を見ればそろそろ陣が閉じる頃。走っても間に合うかどうか。
「………どうせそんな事だろうとは思っていましたから既に居残りの件は伝えてあります」
「じゃあなんで来たのよ」
「無事確認?」
首を傾げられても困る。私が傾げたいくらいだ。
「そこら辺で野垂れ死なれていても困りますしね」
「学校でそんなことがあってたまるか。何、私を馬鹿にしてるの?」
「それなら何時もしてますが」
「するな」
「僕も今日は居残りしようと思ってましたし、まあ君が死んでいないかはついでに確認したまでですよ」
「ついでで殺すな」
こいつは最近少しだけ丁寧語が崩れてきた。前よりは、だが、少し硬さがなくなった。いいことだ。
だって丁寧語で罵倒されるのは普通の数倍腹が立つ。
女男は言いながら私の隣に腰を下ろす。本当になんなんだこいつは。どっかいけよ。
窓の外から聞こえてくる雨音だけがいやに静かな広すぎず狭すぎずなこの部屋に響いている。
私はなんだか集中力を削がれてしまい手元に落としていた視線を上げ、チラリと奴の手にあるものを見た。
その手には届け出を出した生徒に貸与えられる毛布と数冊の本がある。
もしかしてとは思うが、こいつは一晩中ずっとここにいるつもりなのだろうか。
だとしたら本当にやめて欲しい。
「………」
「………」
互いの間に沈黙が落ちるが、私は気にせず再び本に視線を落とした。言ってもどうせ出て行く気はないんだろうから、横の奴はいないものとして扱うと今決めた。
図書室から分厚い本を今夜のために四冊も借りてきたのでいちいち気にしていたら読み終わらせることができない。
「泣くくらい悔しかったんですか?」
ずる。
手から本が滑り落ちた。
「な、ななななんで」
「眼、赤くなってますよ。それに加え今日あった事を踏まえれば自ずと分かってくるというものです」
「………」
ぱくぱく、と空気を得る魚のように口がその動作を繰り返す。私は人間なのだからそんな動作は必要ないし、言ってしまえば無意味の他に言いようがないのだがどうしてか繰り返すこの動作が収まる気配がない。
ええい、止まれこの口が!
仕方なく右手の指で上下から唇を抑えた。
「君は毎回ユーリに負けていますよね、なのにどうして今回はそんなに悔しかったんです。去年まではこのような事などなかったと思いますが」
毎回負けていますよね、ってそれに対して落ち込んでいる相手にかける言葉じゃない。絶対わかってて言ってるだろこいつ。
あれか、傷に塩を塗りにきたのか?
それか傷を抉りに来たのか。
どちらにせよ紳士のすることじゃない。
真意を探るべく横目にその顔を覗き見たがこちらを一瞥することなく窓の外に視線を固定させ、感情のこもっていない淡々とした声でそう聞いてくる奴からは何も読めない。
「……私の上にはあんたもいるのにどうしてその中に自分は入れてないわけ?」
「君が対抗心を燃やしているのはユーリにだけでしょう」
褒めるつもりはないが、よく分かってらっしゃる。
「……今回は今までで一番手ごたえがあったし……一番努力した、から。」
「前回はそこまで頑張らなかったんですか」
「違いますぅ!毎回がんばってますぅ!」
「ちなみに自分で頑張っていると言っている内は頑張りの内に入らないそうですよ」
やっぱりこいつ傷口に塩を塗り込みに来ただろう。じゃなかったら落ち込んでる女子にこんなこと言わない。
自分の顔がしかめっ面になっているのが分かる。きっと酷い顔をしていることだろう。
「不細工」
「御陰様でね」
こちらを一瞥すると奴は一言そう言ってきやがったので、私はこの際開き直る。
いいさ、どうせ美人でもないしこれ以上減るものは無い。とくと不細工面を披露してやろうではないか。
試しにいー、と挑発してみるが相手は乗ってこない。それどころか鼻で笑い、視線を窓の外に戻してしまう。
おい。
ムカッとしたが、いやいやこいつなんぞに構っている暇はないんだった、と我に返る。
閉じかけていて本を開いて文字を目で追っていく。こういう時こそ集中だ集中。
「ううー」
「泣きながら本を読まないでくださいよ……」
そう思っていたのに何故か涙が溢れ出してくる。横から呆れた声が聞こえてくるが、今はそれに答えている余裕はない。
なんで集中しようとする度に邪魔が入るんだ。
涙で視界は滲んでしまい、本を読むどころではない。泣くな泣くな、と心の中で必死に言い聞かせても止まる気配すらない。
「泣くか読むかどっちかにしたらどうです」
「泣いてる時間がもったいない」
「では泣きやんだらどうです」
「できるものならもうしてる」
勝手に出てくるんだから仕方ないではないか。こいつが来る前に泣いてスッキリ、とまではいかなくともそれなりに落ち着けていたのになんで今頃になって。
「………何故努力などするんですか」
なんだそれは。どういう意味だ。
「馬鹿にしてるの?」
「そういうわけではありません。ただ、本当に分からないんですよ。僕は苦しい思いをするくらいなら最初から努力なんてしなければいいと思いますが」
誤魔化しはしたが、本当は馬鹿にしていると思った。けど、どうもそうではないようだ。
目を乱暴に拭いながらも相手を窺うが何を考えているのかはやっぱり分からない。
「……やらないで後悔するのが嫌だから。それに凡人だから天才とは張り合えない、渡り合えない、勝てない、って言い訳するのが一番嫌なの」
いつもだったら絶対こいつなんかには話さないことなのに、なんでか今日は勝手に口が動く。
ユーリは唯一の家族なんだ。なのにユーリを見て惨めな気持ちにはなりたくない。それに互いを理解しあうからこそ対等でいたいし、いてやりたい。
差がどうの、というのもあるけれど、きっとそういうことだ。
「へえ」
「あんたは努力とかしたことないの?」
言葉の綾だったのかもしれないが、先程の言い方だと努力したことがないと言っているように聞こえた。したことがないから分からないのだと。
「そうですね、した事はありませんね」
聞いておいてなんだが驚く。そんな人が存在するとは思わなかった。
「しなくてもやれば出来てしまいますから」
「けっ、羨ましい事で」
嫌味か。
「そうですか?そんなにいいものでもないと思いますが……」
今日は肩透かしを喰らってばかりだ。てっきり嫌味なのかと思えばそうでもないようで、奴は自分の思っている事をただ口に出しただけに見える。なんか調子が狂う。
女男はこちらの視線に気付いているはずなのに私の方には目もくれず、さっきからずっと窓の外を見ている。雨に何かあるのか?
なんだか変なその表情は偽っている十六歳の姿にはとても不釣り合いに大人びたものに見えた。
そういえば実年齢は聞いたことがない。今、本当はいくつなんだろう。初対面時を鑑みれば成人はしてるはず……。
あ。
「分かった」
「突然ですね。何ですか?」
「弱ってる時ってお爺ちゃんとかお婆ちゃんに何でも話したくならない?」
唐突な話題変換に奴は微かに目を見開いた。あまり表情が変化してないから分からないけど多分ぽかんとでもしているんだろう。
いつの間にか涙は止まっていた。
「だからいつもだったらする筈のない話を今あんたにしたのはそういう心理からだ!」
ごっ!
頭のてっぺんに拳骨が落ちた。痛い!
「何するの!」
「それは僕を爺だと言ってるようなものですが」
「そう言ってるけど」
今度は落ちかけた拳骨を防ぐことが出来た。
ほら、子供からしたら年齢の分からない大人は皆じじばばに見えるんだよ。
近所の年下の子なんかまだ二十代のお姉さんに『煩えババア!』って言ってたし。その子は次の瞬間殴られてたが。
頭上で奴の拳を受け止めながらあっかんべー、と舌を出す。
だいたい本当に爺じゃないならこんな言葉無視すればいいだけじゃない。反応するって事は認めてるようなもんだ。
「そんなに年は取っていません」
「だって私あんたの実年齢知らないもん」
「なら『爺』ではなく『大人』と呼べばいいのでは?」
「大人って子供を殴っちゃ駄目なんじゃないの?」
「躾が必要な事だと知らないんですか?」
睨みつける。が、視線を受け流された。
このクソ女男め。
心の中で悪態を吐いたらじろりと睨まれてしまった。本当にこいつは心が読めてるんじゃないだろうな。
「早くどっか行け!ここにいるな!私は今誰かさんと違って忙しいんですぅ!」
「他が空いてないんですよ。というかそんな事してる人が忙しそうには見えませんが」
一々揚げ足をとるな。ムカつく。
女男の判断基準は全く理解出来ない。他が空いてなくて使えないなら何故人がいて他と同じく空いていない私が使っているこの部屋は使ってもいいことになるんだ。
「あんたがいると集中できないの!」
さっきから邪魔ばかりされるから未だに読書が出来ない。このままでは四冊読み終わる前に夜が明けてしまう。
だがそんな気持ちを込めた言葉を奴はふっ、とあざけり笑う。
「こういった状況で集中出来ない人が僕がいなくなっていきなり集中出来るようになるとは思えませんが?」
カチンときた。ああそうですかそうですか。ならやってやろうじゃないか。私がどこでだって集中出来るってことを分からせてやる。
私は自分の毛布を肩にかけ直すともう奴に一瞥も意識もくれることなく今度こそ読書を再開した。
遅ればせながらお読みくださっている方々、ブックマーク、評価を付けてくださった方々、いつもありがとうございます。




