続きの始まり 1
これはただの滑稽な話なのだと。
ばかばかしいお話なのだと。
いつの日か、そういった誰かがとても悲しそうで、泣きそうだったのを私は覚えている。
けれど。
今隣にあの人がいて、名前を呼んでくれる。
ただそれだけのことで、誰かが涙を零した。
いつの日かとは違う表情と、想いで。
*************
ビイア王国は昔から優秀な魔法使い達を輩出してきたとして大陸に名を馳せる魔法大国である。
豊かでどの国よりも広い国土を持つ国の周りは魔物が住む『魔の森』という大森林に囲まれており、その地形故に長らく戦争の起こらない平和な国としても有名だ。
そんな王国の中心から少し外れたところにある小さな村に私、エリスは生まれ落ちた。
唯一の家族は双子の弟だけ。親も親戚もいない。
けれどそんな境遇を呪った事は一度もない。
周りは優しい人達ばかりだし、逆にたくさんのお父さんお母さん、おじいちゃんおばあちゃんができた、とお得に思ったくらいだ。うん、本当に幸運だ。
ビイアが魔法大国、といわれるように私達の日常には呼吸をするのと同じく当たり前の様に魔法がある。
魔法がなくなってしまったら生きていけなくなるんじゃないか、と思ってしまうほど生活には欠かせない存在。
雨が降らないときには大地に魔法で降らせた雨を。
火を起こせない時は火の魔法を。
足腰の悪い人には魔法の馬車を。
そうやって私達は生活している。言うなれば私達にとって魔法とは不可思議な力なんかじゃなくて、そう、相棒、みたいなもの。
勿論私も使える。
近所の、盗賊みたいな見た目だけどとても優しい兄ちゃんみたいに火で動物は作れない。
とてもおっとりしてるように見えてその実旦那さんを尻に敷いてるお姉さんみたいに花は咲かせられない。
けど簡単な、物を浮かせたりはできる。
………きっとできてる。そう信じてる。
いつか私も皆みたいに格好いい魔法を使えるようになるんだ!って張り切っていろんな家の本を読み漁るという暴挙に出ていたら弟に「無駄な努力をするのが好きだね」って鼻で笑われたけど私はめげない。
ちなみにこの言葉がきっかけで殴り合いの喧嘩が始まった。この時の私達はお子ちゃまで、何かにつけて喧嘩を開始させていたのだ。
そんな私達を大人が微笑ましい物を見る目で見てたのはまだ記憶に新しい。
そして「無駄な努力をするのが好きだね」というこの言葉の意味を私が知ったのはこのすぐ後のこと。
属性魔法と普通の魔法の違いすら分からなかった私が初めてその事を知った時、奴は私の肩に手を置き顔を覗き込みながら「まあ、頑張ったね?」と笑いを堪えながら言ってきやがったのだ。
私がその顔に鉄拳を叩き込んでやったのは言うまでもないだろう。
けど、そうやって身近な存在の魔法がどうやって生まれたのかは誰も知らない。
でも一番有力だ、って言われているのがあるおとぎ話に載っている説。
ーーー昔々、世界に様々な天変地異が起こりました。
そんな厄災が過ぎ去った時、これを乗り越えた人々に感動した神様が褒美として摩訶不思議な力、魔法を授けてくれたのです。
……というもの。
まあ、なんていうか魔法は天がもたらしてくれたもの、って言いたいんだと思う。
この説が載っているおとぎ話はビイア国の国民で知らない人はいないだろう、ってくらい有名。
有名、っていうか幼い頃からこの話を聞いて育つ人がほとんど。
かく言う私達双子もそうで、飽きるほど読み聞かされた。一言一句間違えないで言えるかもしれない、とどこから出てくるのかわからない自信が湧くほどに。
日差しの強くなるお昼過ぎ。暖かくなってきたばかりとはいえ外を走っていればじんわりと汗がにじんでくる。
時々垂れてきた汗を拭いながらも私達は足を止めずに走り続ける。そんな私達に「まーたオーリーさんから逃げているのか」「あんまりオーリーさんに心配かけんなよー」などなど大人達から声がかかる。
適当にそれらに返事を返しながらも足を止めることだけはしない。
オーリーさんとは私達の父親の妹で、私達の面倒を見てくれている人だ。………表向きは。
「今日はどこに逃げる?」
「村外れのおばあさんの家にしよう」
「えー?戻ったほうが絶対面白いって」
とりあえず空気の読めない隣を走る奴の顔には肘鉄を叩き込んでおいた。こいつの顔に肘を喰らわせるのは本日二度目である。
痛さに悶えてうずくまりかけた私達の幼馴染、ジルバールを脇に抱えこみそのまま走る。
そんな私に双子の弟、ユーリがジトっとした目を向けてくるが知らん顔しておいた。おいおいなんだよその目は。別に悪いことしたわけじゃないんだからそんな目を向けられる筋合いはないぞ。
この国には平民だけが住んでいる村というのはたくさんあって、この村もそのうちの一つ。大貧乏という人がいない代わりに貴族や富裕層などの大金持ちもいないのんびりとした田舎である。
もちろん私達もその例に漏れず平民。
裕福では無いけど貧乏でもないここら辺では当たり前の家庭。
そんな人達が住む大きくもないけど小さくもない、立派でもないけどそこまで頑丈じゃないわけじゃない家々が並ぶ一角を走り抜けていく。
一角を抜けると私達の目的地、おばあさんの家が見えてきた。
先ほど弟が言ったように、私達は現在逃走中である。
村人達との会話に出てきたオーリーさんから。
「おじゃましまーす!」
「あらら、いらっしゃい三人共。ちょうどお菓子が焼けたところよ。」
その言葉通り家の中には甘い香りが漂っていた。お婆さんはお菓子作りが趣味なのか何時も家の中には甘くて美味しそうな香りが漂っている。そしてこの家は村一番の蔵書数を誇っていて(私調べ)お菓子と本目当てによく遊びに来ている。というか三日に一回は遊びに行く。
お婆さんはここに一人で住んでいるからかよく来る私達をとても可愛いがってくれるし、そんな優しいお婆さんが私達も大好きなのでここは私達の第二の家と言っていい。
「おや、走ってきたのかい?もしかしてまた何かしてオーリーちゃんから逃げてるとかかな?」
「今日は違うよー」
また何かしてきた、との言葉にムッとして思わず言い返す。
それじゃあ私達が何時も問題を起こしてそのつどオーリーさんから逃げているみたいじゃないか。
…………いやまあ実際そうなんだけどさ。
私達が何故オーリーさんから逃げているのか、ことの発端は数分前にさかのぼる。
「いやよ」
「いやだ」
「えー、そう?面白そうじゃん。」
とりあえずその口を黙らせるための手っ取り早い方法として顔に肘鉄を喰らわせた。
見事顔のど真ん中に攻撃を入れられたジルバールは椅子から床に転げ落ち、顔を抑えて転がりまくっている。
下から奇声が聞こえてくる気がするが、空耳だろう、空耳。
これでしばらくは大人しくなるだろうと判断した私は改めて前に向き直る。向き直りたくないけど。
「ですが決定事項ですのであなた達に拒否権は無いかと。」
無情にも淡々とそう述べるのはオーリーさん。
父さんは私達が生まれる前に死んだそうで、母さんは私達が五つになるかならないかの時に病で死んだ。
オーリーさんは私達が両親を失ったその日から面倒を見てくれている女性で、育ての親と言っても過言では無い。
そんな彼女はもう付き合いが長く、慣れたからか床で悶え転がるジルバールに一瞥すらくれない。
ちょっとひどいんじゃね?と思ってからこうした元凶の自分が何言ってんだ、と思い直す。責任転嫁良くない。ダメ、絶対。
他にも何か備考を書き足すとしたら、彼女は公爵家に仕える人間だということだろうか。
村の人達には父の妹だと説明してあるが、(父は余所者であり、母は生まれも育ちもこの村で、どちらも平民)そんなのは真っ赤な嘘で、実はこの人は仕えている主、公爵様の元からここに派遣されて来たのだ。
なんで公爵家の妾の子というわけでも貴族の分家の子というわけでもない一般市民の家に使用人とはいえ公爵家の人間がいるのか、それは私達双子の『家系』が村の人達が知らない、いや国の一部の重鎮達しか知らないあるお役目をいただいている家系であることが関係してくる。
まあ、ちょっと特殊な家系なのである。
そんな家系に生まれた私達は現在十二歳。なんでも十二歳になった『家系』の人達はオーリーさんが仕えている公爵家に行き、六年もの間勉学や魔法を習う決まりなのだそうで、私達もそこに行かなければならないらしい。いわゆる旧習、というやつだ。
そんなことがあるとは知らなかった私達は今し方その話を聞かされ、断固拒否を示している最中であった。冗談じゃない、と。
「何度も言ってるけどそういうのに縛られるのは絶対に嫌!」
「そうそう。それにそんなのは村の学舎で習えるじゃんか。行く意味はないと思うけど」
「そうは申されましてもしきたりですので」
何を言っても『しきたり』『決まり事』の一点張りで一切譲る姿勢を見せないオーリーさん。そしてこちらも一切引かないものだからこの無謀な言い争いはかれこれ二時間近く続いている。
そんなどちらも譲らない言い争いが長く続けば当然だんだんと私達は辟易してくるわけで、もうまともに話し合おうなぞユーリも私も思ってなかった。
で、その数分後に「いつまでも言い合っていても何も解決しない」と考えた私達は家から脱走を図り、見事成功。ちなみに床にいたジルバールは襟首引っ掴んで引っ張って連れて来た。
まあ、逃げたって何も解決しないんだけどね!
おばあさんの手作り焼き菓子を頬張りながら一人回想に耽っていた私はどうやら菓子クズを床にぼろぼろ落としていたらしく、「汚い」バシッとユーリに頭を叩かれた。痛い。
ちなみにこんな魔法溢れるところで私達がなんの障害もなく逃げられたのにはオーリーさんは魔法を使うのが苦手だから、という理由がある。魔法で私達を捕まえることはおろか足止めすらも出来ていなかったからここまで上手く事が進んだのだ。
魔法を使うのが苦手なのに家に派遣されてきたのには「育児をするのに魔法は必要ない」と判断されたからだろうと考えている。
ま、おかげでこちらとしてはある意味大助かりだが。
すっかり日も暮れた頃、お婆さんの家を後にした私達は家路に着いていた。
「そろそろ諦めてくれたかなあ?」
「これだけ嫌だって言葉でも態度でも示してるんだから大丈夫じゃない?」
ユーリは言いながらも心配が拭えないのかその足取りは重い。私も人の事は言えないけど。
だって帰ってからも説得とは名ばかりの言い合いが待っているのかと思うと帰るのがいやになる。もう思い出しただけで辟易するもん。
「そうかなあ?」
そう言いながら私達の間に入って来たのはジルバール。何がおかしいのかニヤニヤしながら人の心配を駆り立てる。
どうでもいいけどなんかその顔すごい殴りたい。
お前、一応幼馴染兼親友なんだから「そんな事はないさ!」くらい言ってくれてもいいと思うんだけど。
そんな気持ちを込めて睨んでみたが、笑って流された。
こいつは食えないやつ。ただの一般市民のはずなのに誰も教えてもいない家系の事を何故か知ってて、更に妙に詳しい。
それを知った時はもしかして機密事項なのに情報が漏れてる?なんて心配もしたけど「大丈夫大丈夫!俺しか知らないよー」との言葉に胸をなでおろした。そして「お前が知ってる時点で大丈夫じゃない」と一拍置いてから突っ込んでおいた。
何故知っているのかは問い詰めても一切吐かなかった強情な奴でもある。
まあ、知っているから隠し事をしなくてもよくて気楽に付き合える唯一の友人なのだけど……いかんせん謎が多い。
オーリーさんもこいつが知っているのは承知の様で、今更隠す気などないのだそう。だからかこいつがいる前でも先程の様に当たり前に家系に関しての話を持ち出す。
私達双子のこいつへの認識は侮れない不思議ちゃん、となっている。到底幼馴染兼親友に向ける認識ではないが。
「さあさっ!早く帰ろうか!」
「うわっ」
「ちょっと!」
そんな侮れない不思議ちゃんはいきなり背中に手を回してきたかと思ったら、そのままグイグイ押してくる。
一応抗議してみるが聞く気はなさそうだ。
こうなったらは抵抗など無駄以外の何物でもなくされるがままにしておいた方が正解なのは分かっているので特に無駄なことはせずいつのまにか着いていた家の敷居を跨ぎ、背に手を回され急かされるままユーリが玄関のドアを開けた。
開けた瞬間、何故か待ってましたと言わんばかりにその手が私達の背を思い切り突き飛ばす。
何をされたのか理解できないまま吸い込まれる様に私達の身体は床に向かっていく。今更体勢を立て直すのは無理そうだ、と妙に冷静な判断をする自分がいた。
そんな中なんとか目だけを後ろに向ければ、両手を前に押し出した姿勢のジルバールと目が合う。
「いってらっしゃーい!」
こちらの視線に気がついた奴はそう言うと、それはそれは清々しい笑みを浮かべて手を振った。
勢いのまま倒れていった体が地面にぶつかると思った瞬間、目の前の景色がふっと変わる。
私は反射的に目を固くつむった。
「うでっ」
「あだっ」
予想していたよりも衝撃が来なかったことに内心首を傾げながらゆっくりと目を開けると、先程まで目と鼻の先にあった床の木目は何処へやら。
私が倒れ込んでいたのは短く切り揃えられた芝生の上。
隣にいるユーリも何が起こったのか分かっていない様子。
顔を見合わせ首を傾げているとふっと上から影が指した。
何となく嫌な予感に駆られた私達は互いから視線をずらし恐る恐る顔を上げる。
「いらっしゃい双子ちゃん。聞いたわよお?行きたくないって駄々をこねたそうじゃない〜」
顔を上げた先には一眼で高級品と分かるドレスに身を包んだ五十歳前後の女性が立っていた。
笑顔でおっとりと言葉を発する女性の目は口元とは一転して全く笑っていない。
自分でも顔が青くなるのが分かった。
「こ、こんにちは女公爵様。あ、あはは……」
夕方なので少し肌寒い筈なのに汗がダラダラ垂れてくる。
目の前にいるのはこの国で三大公爵と呼ばれる内の一家、オルシェ公爵家の現当主様である。一度だけ会ったことがあるから分かる。
三つの公爵家のうち唯一の女性当主であり五十五歳を迎えた今もバリバリ現役で、今でも王家に多大な貢献をしていると名高いらしい。
全部噂だから本当のところはわからないけど。
勢いよく体を起こした私達はそのままこれまた勢いよく後ずさった。ちらりと隣を伺えば同じくこちらを伺っていたユーリと視線が噛み合う。
うわ、あんた顔真っ青じゃん。大丈夫かおい。
私もこいつと同じくらい顔色が悪いんだろうか。今にもぶっ倒れそうなほどだ。
「あらあらどうしたのかしらあ?」
じりじりと近付いてくる女公爵様の後ろには他国の本に載っていたのよりも何十倍も恐ろしい異形のものが浮かんで見える。
何あれこわっ!なんか手足がかじかんできたんだけど!
それを見て本能が警告を告げた。この人は逆らっちゃいけない人だと。
私達はきっと体を震わせながらも今同じ事を考えただろう。
次あいつに会ったらマジでしめる、と。