第九話:共闘の中で恋が芽生える……訳がない(笑)
一台のリムジンが神鳴町を走る。
時刻は午後九時過ぎ。空はすっかり漆黒に染め上げられている。
本来であればとうに自宅にいる時間帯であるし、学生で男性である龍彦が出歩いてもいい時間ではない。なのに彼が夜遅くまで外に出ているのは、美里亞の監視を条件に外食を楽しんでいたからだ。
あべこべの世界へと導かれたものの、龍彦は一度も外を満足に出歩いたことがない。
だから今日は外食がしたいと申し出たところ、あっさりと承諾されて――現在に至る。
「自炊もいいけど、久しぶりに食べる外食はやっぱ最高やな」
「私も写真を……いえ、久しぶりの外食楽しかったです。ですが、もっとお値段が高い店でもよかったのでは?」
「いいんです。どこまで行っても俺は一般庶民ですし。庶民が高級料理を食べたところで、結局はうまいぐらいしかわかりませんから」
「そ、そう言うものなんですか? と、ところで龍彦さまは自炊もされるのですね」
「そらそうでしょう。一人暮らしなんやし、それぐらいできひんとあきませんしね」
「龍彦さまの手料理……」
「あれやったら、俺が作りますけど?」
「是非ごちそうになります!」
「即答かい! いやまぁ、別にいいですよ。せやけど大したもんとちゃいますよ?」
「内容はどうでもいいんです。男性から手料理を振舞ってもらえることが重要なんですから」
「は、はぁ……」
熱弁する美里亞の勢いに龍彦は苦笑いを浮かべる。
その時――リムジンが急に停止した。
急ブレーキを予測していなかった龍彦は、美里亞の胸に顔面から飛び込む形で投げ出された。柔らかな感触が顔を優しく包み込む。若干汗が混じった体臭が妙に甘くて、眠っていた性欲をふつふつと湧き上がらせる。
だが、状況が状況だけに下半身は空気を読んで仕事を放棄していた。
「い、いきなり何やねん!?」
「一体どうしたの!?」
「め、目の前に妙な連中が!」
運転手を務めているもう一人のボディーガードが狼狽した様子で答えた。
美里亞が外に飛び出す。
遅れて龍彦も窓から顔を出した。
視線の向こう、何十台と言うバイクが停まっていた。
エンジン音を夜の街に響かせて、いくつものライトを背に何人もの女性の姿がいる。
どうやら女暴走族達が走行を妨害しているようだ。
「何なの貴女達は!? 今すぐそこをどきなさい!」
「男は車の中だ! 女は適当にやっちまえ!」
鉄パイプやメリケンサックで武装した暴走族が怒号を上げて一斉に美里亞へと飛び掛かる。
対する彼女も警棒を取り出して応戦する。
美里亜の仕事は対象の身辺保護だ。あらゆる外敵から身を挺して守るのが彼女の仕事であり、その状況を想定して訓練を受けるのは必須である。
故に暴走族が一人、また一人と彼女の警棒と体術の前に鎮圧されるのは当然の結果だった。
謂わば戦闘の素人と玄人。
鉄パイプも立派な凶器だが、扱う人間は所詮ずぶの素人。蟻と巨象の戦いにも等しい。
しかし、数が多ければ厄介となるのが雑兵の強み。
どれだけ美里亜が強くても、たった一人で彼女は多数を相手にせねばならない。
「はぁ……はぁ……」
倒しても倒しても、次から次へと新手は敵陣に加わる。
有利だった美里亜の息が切れ始めた。
彼女とて人間だ。体力にも限りがある。
そんな美里亜を追い詰めるように暴走族達が襲い掛かる。
そして、とうとう一人の振り下ろした鉄パイプが美里亜の側頭部を打ち抜いた。
鈍い音が、続けてどうっと倒れる音が夜空に鳴る。
「美里亜さん!」
龍彦は車内から飛び出した。
横たわった美里亜にトドメの一撃を叩き込もうとした暴走族を横蹴りを叩き込む。
「美里亜さん! しっかりして下さい!」
龍彦が頬を叩くも、身体を揺らし呼びかけるも、額から血を流す美里亜は応えない。
死……そんな惨酷な現実が脳裏に浮かび上がって――龍彦は優しく動かぬ美里亜を抱き抱えた。
お姫様抱っこである。
男が女を抱き抱える光景は、さぞ滑稽に映ったことだろう。
クスクスと嘲笑う暴走族達を背に、龍彦は美里亜を後部座席へと横たわらせる。
「すんません、美里亜さんをすぐに病院に運んでやってください。俺はこいつらの相手、しときますんで」
「そ、そんないけません! て、龍彦さまは男性なんですよ!? もしものことがあったりでもしたら……!」
「それが何やっちゅうねん!!」
「ッ!?」
「……俺のことやったら大丈夫です。今は一刻も時間が惜しい……このまま放っといたら最悪死んでしまうかもしれへん。それだけは絶対に許せん――せやから、後のことは頼んます!」
しばしの沈黙が続く。
そして、ついに美里亜を乗せたリムジンはバッグした。
遠ざかっていくリムジンを見えなくなるまで見送って――ようやく、龍彦は暴走族を見やる。
「……お前らの狙いは俺か」
「そうだよ。姐さんからの命令なんだよ。お前を連れてきたら私らもヤらせてくれるってな」
「……アホくさ」
「は?」
「そんなくだらんことのために、お前らは俺を怒らせたっちゅう訳か。ホンマに、この世界の女はかわいいのに、どうしてこうも……」
両手をポケットに忍ばせる。
指先に感触が伝わったのを確認して、龍彦はそれを掴み上げる。
皮製の指貫型グローブ――多くの格闘ゲームのキャラクターが装備している、一種のオシャレでもあり、現実世界ですれば瞬く間に中二病のレッテルを貼られるアイテムの一つ。
もちろん意味もなく装備した訳でもなければ、龍彦は中二病患者でもない。
殴る部分に衝撃緩和剤が用いられているそれは、殴る側にも殴られる側にも安全が考慮されている。
「俺はな、女を殴ることだけは絶対にせん。どんだけ頭悪くても、どんだけ下品な奴でも、女はどこまでいっても女やからや――せやけどな、お前らみたいな平気で相手を傷付けるようなアホには容赦せん」
「おいおい、マジで私らとやりあうつもり?」
「……好きなだけ喚いてろや。一応手加減はしたる。せやけどもしも何かの弾みでグーで殴ってしもた時は、堪忍せぇや!」
龍彦は地を蹴り上げた。
暴走族が一斉に向かってくる。
懐かしい。視界に映る敵手を前に、龍彦は小さく口元を緩める。
思えば挑んでくる相手が限定的になったのも、丁度あの頃だったか。
そう、現在のように、一度に百人ぐらいを相手にして叩き潰したあの日から俺の前には決まった連中しか挑んでこなくなった。
だから――ホンマに俺らしくもない。龍彦は自嘲気味に小さく笑う。
「こんなにワクワクしたんは久しぶりやで!」
目の前の暴走族を平手打ちで張り倒す。
鋭く肉を弾く音を響かせて、暴走族が吹き飛んだ。
殴らない代わりに張り倒す。向かい来る敵手の攻撃を捌いて、龍彦はひたすら平手打ちで頬を張って、張って、張り続ける。
どちらかの頬に大きな紅葉を残して、暴走族達が次々と倒れていく。
「せや。お前は確か美里亜さんにトドメさそうとしたドアホやったな」
「くっ……」
「お前がどんなつもりで美里亜さんにトドメさそうとしたかは知らん。せやけど人を傷付けることに躊躇いもないお前だけは、絶対に許さへん」
「お、男のくせに生意気な――」
「危ない龍彦!」
聞き慣れた声が夜の街に響く。
それは疾風の如く現れた。
路地裏から飛び出した一つの影。
月光に煌く薄桃色の髪を靡かせて、今正に龍彦が殴ろうとした暴走族に飛び膝蹴りを喰らわせる。
飛び膝蹴りを受けた敵手が顔面を酷く歪ませて吹き飛ぶ。そのまま頭からゴミ箱に突っこみ、散らばったゴミの海に沈んだ。
四散する腐敗臭に顔を顰める間もなく、それは目の前に降り立った。
「お前……遥希!」
「偶然町を散歩してたら、お前が襲われているところを見つけてな――おいお前ら、たった一人の男相手に恥ずかしいと思わないのか?」
「な、なんだよお前は!?」
「私はこいつの女だよ――私の龍彦に手を出そうとしたこと、地獄で後悔させてやんよ!」
ごきごきと拳を鳴らして、遥希が喧嘩に加わった。
持ち前の怪力を生かした容赦ないパンチが暴走族の顔面を殴り飛ばしていく。
血飛沫が舞い、濃厚な鉄の臭いが辺りに漂い始める。
「オラオラッ! まだ終わっちゃいねーぞ!」
郷田遥希に加減と言う言葉は辞書に登録されていない。
一度暴れたが最後。殴り飛ばすと決めた相手が動かなくなるまで徹底的に攻め続ける。
倒れていたならば顔面を蹴り飛ばす、叩き起こして更に強烈な拳をくれてやる。
それが彼女――郷田遥希の流儀なのだ。
「うわっ……顔面に膝蹴りとか、ホンマえげつない技かましていきよるな遥希の奴」
返り血を浴びても尚、暴力を振るう手を休めない遥希。
彼女は嗤っていた。嗤いながら一人、また一人と新しい犠牲者を作り上げていく。
その姿はさながら鬼のようで。対峙者の心に恐怖を植えつけていく。
不幸にも鬼と遭遇し、愚かにも対峙してしまった暴走族達の戦意はすっかり消失してしまっている。
やがて、暴走族達が逃走の体制に入った。ようやく勝てないと判断したらしい。
情けない悲鳴を上げて逃げていく暴走族。
自慢の改造バイクに跨ることも忘れるぐらい、恐怖を感じたようだ。
とりあえず、落し物として警察に一報入れておくことにして。
「逃がすかよコラ」
そうは問屋が卸さない、と遥希が追いかける。
「はいそこまで。一旦落ち着き遥希」
「ぐえっ!」
龍彦は遥希の首根っこを掴んでそれを阻止した。
敵手が逃亡を図った時点で、龍彦の戦いは終わりを意味する。
わざわざ追い掛けてまで殲滅する気など、最初から持ち合わせてなどいない。
来る者ボコる、逃げる者を追わず。それが彼の信条だからだ。
また情報を入手するのなら、一人でも口が聞ける人間がいれば事足りる。
がたがたと身体を震わせているが、まぁ質疑応答ぐらいはできるだろう。してもらわねば困るのだから。
「おい」
「ひっ!」
「お前らのリーダーは誰や? 誰の命令でこんなことしたんや?」
「そ、それは言えない。言ったら私がヘッドに殺される!」
「はぁ……じゃあお前らのリーダーにこう伝えておけや――部下使こうて闇討ちするぐらいやったら最初からお前自身が来い、俺は逃げも隠れもせぇへん、ってな」
「ひ、ひぃぃっ!」
「その心配はいらないよ」
「お前は……」
件のリーダーが自ら姿を現した。
実に数日振りの再会に龍彦は小さな溜息をもらす。
確かに彼女の言った通り、近い内に再会することになった。
まさか高架下で中年サラリーマンで性的欲求を発散しようとしていた輩が、よもやここまでの構成員を従えるほどの器量とは少々予想外ではあるが、ともあれ。
「なるほどな。お前の仕業っちゅうことか」
「あぁそうだよ。まさかこうもあっさりアタイの部下共が完膚なきまでに叩き潰されるなんてね、そっちの方はともかくとして……いや本当に驚かされるよ」
「俺一人だけならまだしも、関係のない美里亜さん達まで狙ったんや。相応の覚悟はもちろんできとるやろうな?」
「あぁ……って言いたいところだけど今日はアタイらの負けだ。アンタの強さもそうだけど、【ライトニング】のボスまでいるとなりゃ最初からアタイらに勝ち目はない――でもこれだけは憶えておきな。やられたら何倍にもしてしっかりとやり返す、それがアタイらの流儀だってことをね」
「…………」
「そこのアンタもだよ。いつか【ライトニング】はアタイがぶっ潰す」
「はんっ! やれるもんならやってみな」
「……ほらアンタ達、いつまでもボサッとしてないで引き上げるよ!」
リーダーの喝に叩き起こされて、暴走族が慌しく逃げていく。
そのけたたましいエンジン音が聞こえなくなるまで、去っていく後姿を見送って、さて。
「……おおきにやで遥希。お前が来てくれたから予定よりも早よ片付いたわ」
「気にすんなよ。私とお前の仲だろ? それにいざって時に男を守るのが女の役目なんだからな!」
「何やそれ……って、ここじゃそやったな」
「ん?」
「何でもあらへん。それじゃあ家に帰るか――あ~、その、何や……遥希、お前俺の家に寄っていけや」
「……へ?」
なんともかわいらしい間の抜けた声が、遥希の口より放たれた。




