第四話:気分はまるで王子様……?
出生率の低い男性は国から手厚い待遇を受けることができる。
例えば受験料から入学費の免除から始まり、交通機関の無料利用など。
従って、桜皇生れの見知らぬ町――神鳴町育ちの刃崎龍彦の家も二十階建て高級マンションだ。
一介の高校生の分際にして最上階の見晴らしがいい部屋に住んでいる心境は、さながら天守閣から城下町を見下ろす殿様のよう。
「……俺には似合わへんなぁ」
一人暮らしをしていた龍彦は、家賃五万円の安いワンルームを借りていた。
故に楓から教えてもらった住所に従って足を運んだ彼が、しばらく超高級マンションの前で呆然と立ち尽くしたのは言うまでもない。
男性と言うだけでこうも高待遇を受けられるものなのか。
だからこそ、男性と言うことを武器にしてのさばる連中が出てくるのも無理はない。
昨晩、再び戻った神鳴町で龍彦は一人の少年を殴っている。
その少年は女達に対し高慢で見下す態度を振舞っていた。
女とは男が守るべき存在である。幼少期から父より教えられてきた龍彦からすれば、女性への暴力や虐待は教えに反する行為でしかない。
例え男女の価値観や貞操観念が逆転したあべこべの桜皇でも、龍彦は己の信念を揺るがさない。
結果、殴られた少年はわんわんと泣きながら逃げ去り、助けた女達からはしつこくお礼と称してラブホテルに連行されそうになったところを婦警が参戦。漁夫の利を得んとしているのが丸わかりだったから、混乱に乗じて全速力で逃げた。
惜しいような気がしないでもない。逆に彼をヘタレと罵る輩も多かろう。
それでも龍彦の心に後悔の二文字はない。
「それにしても……何やねんこの部屋の内装は」
一応自分の部屋である訳なのだが、刃崎龍彦を象徴する内装があまりにも異なりすぎていてツッコミは不可避であった。
漫画がたくさん置かれている。それはいいが、全部知らないタイトルばかりだ。おまけに男の娘が魔法少女……いや魔法少年に変身してヒロインとドタバタラブコメディを演じる内容が龍彦は気に喰わない。
ミニスカートで過剰なほど出てくるパンチラシーンは誰得か。
アニメもゲームも、あることはあるけれど似たような物ばかりで手をつけようと言う気がまるで起こらない。
本来この世界にいたであろう俺よ、お前は何をやってるのかと小一時間ぐらい問い質したい気持ちに駆られつつも。
「さてと、面倒やけど行く支度するか」
あべこべの世界でも刃崎龍彦が学生と言う身分であることに変わりない。
通っている学校がまるで違うと言うから、嫌な予感しかしてこない。
箪笥に仕舞われていた学生服を纏い、身支度を素早く整えてマンションを出る。
エレベーターから見える絶景を少し見つめて、一階へと到着した。
ゆっくりと扉が開く。
「おはようございます龍彦さま!」
見知らぬ女が立っていた。
白のアンダーシャツに黒のスーツで飾った妙齢の女性だ。
サングラスをしていて、さながらエージェントのような雰囲気を醸し出している。
しかし、はて。面識のない龍彦は小首をひねりつつ、女性に尋ねる。
「えっと……どちら様ですか?」
「は、はい? 貴方の身辺保護を任されている黒木美里亞ですよ! 学校へ登校される際はいつもお迎えに上がっているじゃないですか!」
「そ、そやったっけ?」
「どうされたのですか龍彦さま。今更そんなことを聞くなんて……」
「あ、いやいやいや! 別に大丈夫ですよ! ちょっと……アレや、昨日は夜遅くまでゲームしてたからまだ頭が覚醒し切ってないだけです」
「……それならばいいのですが。ですが夜更かしは見過ごせません。龍彦さまは男性なのですから、しっかり規則正しい生活リズムを取ってもらわねば困ります! もし何かあれば今すぐ総合病院で検査入院してもらいますからね!」
「お、大袈裟ですね……」
嘘を吐いといてよかった。龍彦は心中にて安堵の息をもらす。
もしここで記憶喪失――それすらも嘘なのだが――などと口にしたものならば。
彼女の口から出たように病院に強制入院させられていたに違いない。
それはそれで面倒だし、ひょっとすると今後家の中にまで身辺保護をしてくる可能性も充分にあり得る。
龍彦としては、なんとしてでもそれだけは避けねばならない。
我が家は唯一龍彦が心を癒せる場所だ。
性欲の塊みたいな女性に襲われることもなければ、遥希達に絡まれることもない。
家には何人たりとも入れてはならぬ。龍彦は改めて我が家の大切さを認識する。
「それより早く学校行きましょう。このままやと遅刻しますし」
「そ、そうでしたね。それではこちらにどうぞ」
美里亞に案内されるがまま、龍彦はマンションを出る。
一台のリムジンが停まっていた。
ドアの前で待機していたもう一人の女エージェントがドアを開く。
これも待遇の一つにすぎないのだろう。
おずおずと龍彦は中に乗り込む。程なくして発車した。
「が、学校行くだけにリムジンて……」
「何を仰られるのですか龍彦さま! 一人で登校するなどどれだけ危険か龍彦さまもご存知のはず!」
「いや、それが大袈裟やって言うてるんですけど……」
美里亞の言う危険は確かに、世の中の男性から見れば危険なのかもしれない。
しかし、刃崎龍彦は腐っても男だ。
元の世界では色んな荒らくれ者と喧嘩もしてきているから、軟な生き方はしていない。
加えて、彼の周りには化物と呼ぶに相応しい輩が跋扈していた。
彼らとの望まぬ死闘を繰り広げ勝ち続けてきた龍彦からすれば、女子一人に恐れる道理はない。
向かってくるのであれば全力で対処する。ただし傷が残ったりするようなことは絶対にしない。
リムジンが停止する。
どうやら赤信号に捕まったらしい。
動き出すまで、窓の向こうをぼんやりと見つめる。
歩道を行き交う通行人と目が合った。
携帯電話を取り出す女性。レンズが向けられる。どうやら撮影されているらしい。
試しに手を振ってみる。音が遮断されて聞き取れないものの、きゃあきゃあと喜んでいることだけはわかる。
それを皮切りに、次々と通行人は足を止めて撮影を始める。
まるで上野動物園にはじめて運ばれてきたパンダのような心境に、龍彦は思わず苦笑いを浮かべる。
「龍彦さま、あまり外を見られないように。勘違いをする輩が増えてしまいますので」
「え? あ、はい……」
窓から視線を外す。
同時に青信号に変わり、リムジンが動き出す。
有名人でもないのに男と言うだけで撮影される世界とは、本当に狂っている。
しかし、まぁ。
「悪い気はせんかったな」
窓の向こうで流れ行く景色を見つめること十数分。
リムジンが停止した。
扉が開く。
下車する。
そして龍彦は唖然とした顔で目の前にある建物を見やる。
町の郊外に設けられた大きな建物。
外観はまるで西洋の城だ。緑と色鮮やかな花が咲き乱れた庭園がとても美しい。
これが学校と言うのだから、龍彦は驚きと困惑を隠せない。
お嬢様学校改め、お坊ちゃま学校と呼ぶべきか。
何はともあれ、またも自分には似付かない環境に落ち着かないことに変わりはないが。
「それでは龍彦さま。放課後にまたお迎えに上がりますので」
「あ、あぁ……はい。お願いします」
走り去っていくリムジンを見送る。
見送って、一人残された龍彦は改めて学校――【聖アマトゥリス学園】に視線を向けた。
【聖アマトゥリス学園】は数少ない共学式の学校でもある。
女子生徒総勢四百五十名に対し、男子生徒はおよそ五十名前後。
広すぎる敷地には教会や公園、喫茶店なども設けられている。
充実した環境下で勉強や部活に取り組めることから、男子達からの人気も高い。
加えて男子が安心できるよう、同じ校舎でも男女別々分けられる。
即ち、自らの意思で女子に会わない限り、男子生徒は貞操を奪われずに済むのだ。
それはさておき。
日本のごく普通の校舎がこうも恋しく思えるものなのか。
住めば都と言うが、これはいつまで経っても慣れそうな気がしてこない。
苦笑いを小さく浮かべて、龍彦は門をくぐる。
庭園を通り、校舎が見えた。なんて大きい校舎なのだろう。
既に多くの生徒達が校舎へと入っていく。
龍彦の視界に映るのは女子生徒しかいない。
誰も彼も知らない顔ばかりだ。でも全員美少女だ。
その中に混じって龍彦も校舎へと足を踏み入れる。
「あ、お、おはようございます龍彦君!」
一人の女子生徒が話し掛けてきた。
彼女のことを龍彦は知っている。知っているから戸惑わざるを得ない。
成績優秀、品行方正で正に完璧を形にしたかのような生徒だ。実際に生徒会の会長をも務めている。
隣のクラスであった龍彦に、彼女との接点は一度しかない。それも喧嘩を売られて買っただけなのに、一方的に悪者扱いされると言う悲しいものだった。
出会いが出会いだけに、龍彦が戸惑うのも無理はないと言えよう。
「お、おう……おはようさん」
おずおずと、龍彦は挨拶を返した。
きゃあきゃあと黄色い声を上げて喜ぶ女子生徒。
まったく予想外の展開に呆気に取られていると――それを火種に、次々と龍彦に女子からの声が掛かる。
――なんや……今思ってみたら、俺女子から話し掛けられてるやん!
最強の喧嘩師と恐れられて、誰一人女子生徒から話しかけられなかった。
それが今はどうか。
次々と女子生徒が自分に話し掛けてくれる。
挨拶を返せば必ず返してくれる。それも美少女が自分にだ。
そう思うと、自然と頬が緩んでしまう。
アカン、と龍彦は頬を叩いた。
男たるもの、女子の前でだらしない姿は見せられない。
関西弁を馬鹿にされようとも面構えだけは常に男前を振舞う。そうしないとモテないのだから。
「お、お鞄を持たせていただきます龍彦様!」
「いや、さすがにそれはいらへんわ」
若干行き過ぎた好意は範囲外だ。
女子達と挨拶を終えて、龍彦は自分の教室へと足を運ぶ。
男子生徒が元々少ないことから、教室は一つしか使われない。
大きな部屋に椅子と机がずらりと並んだ風景は、どちらかと言えば大学寄りだ。
空いている席に腰を下ろす。指定席でないのもまた新鮮だ。
授業の準備をしている龍彦の右肩に手が乗せられる。
振り返る。見知った顔が後ろで笑みを浮かべている姿に龍彦も笑みを返す。
「おはよう龍彦。今日も相変わらず元気そうだな」
「おはよう佐々木。なんやお前の顔みたらホッとしたわ」
ようやく知った顔と出会えた。
時間だけで見れば、最後に見たのは一日ほど前。
それが何年振りに再会したような気分に陥るのは何故だろう。
そんなもの、どうだっていい。
彼――佐々木五郎がいる。それだけで龍彦の心は幾分か安らいだ。
「なんだそれ。まさか女子になんかされたのか!?」
「いやいや、別に何もされてへんよ。まぁそれ以外にちょっとゴチャゴチャとあっただけや」
「だったらいいんだけど……」
「よぉお前ら。何の話してるんだ?」
「いんや別に。大した話やあらへん」
続々と友人達が集まってきた。
一部知らない顔が見られる。
だがこの世界で友情を築いたのであれば、例え記憶になくとも彼は自分の友人である。
一つの机を囲んで、わいわいと会話に花を咲かせる。
何の変哲もない会話だ。
好きな漫画や恋愛小説、それらに対するシチュエーションと。元いた世界と何ら変わりない。ただ一つ指摘するのであれば、彼らの趣味が女の子のようになってしまったことだけが頂けない。
漫画が好きだった佐々木は、あべこべの世界でも漫画を趣味としている。
内容がバトルから少女漫画のような恋愛に変わり、それを熱く、夢見る乙女のような言動は龍彦のド肝を抜いた。
「それにしてもさ、女子って何であんなに下品なんだろうね」
会話のお題が女子のことに切り替わる。
途端、佐々木を含む男子の口から次々と愚痴がこぼれた。
「それマジで言える。この間だって学校で普通にエロ本読んでたし」
「僕なんかゴミを捨てに行ったら後ろからいきなりお尻触られてさ」
「それ最悪じゃん! 訴えなよ!」
相当鬱憤が溜まっているらしい。
美少女でも言動が残念すぎるから、男子達の心には嫌悪感しか生まれない。
であれば、元の価値観を持つ龍彦は相当イレギュラーな存在として彼女らの瞳に映ったことだろう。
モテなかったからこそ、龍彦は女子との絡みを心から感動した。
普段祈りもしない神様に感謝しそうにもなったし、思わず感涙さえしそうになった。
昇降口でのやり取りが今後の学園生活に悪影響を及ぼさないか。
もしかして俺はとんでもないことをしたんとちゃうやろか、と今更になって後悔の念が沸々と湧き上がってくる。
したとこでどうにもならない。後悔先に立たず、とはよく言ったものだ。
今はとにかく、何事も起こらぬことを龍彦は祈るしかできなかった。
「龍彦は大丈夫だったか? お前の場合、あの郷田遥希に加え、一年上の真宮衛先輩にも目を付けられてるだろ?」
「おまけに龍神館の館長もだよね。この間、門を堂々と潜ろうとして警備員と乱闘しているの俺見たもん……」
「なん……やて……」
戦慄が走る。
遥希は町のギャングで三十路間近だった。
衛は大学生で比較的遭遇する確率は低かった。
楓は龍神館の運営があるからそう簡単に抜け出せないから、衛と同じ扱いだ。
よって家と学校こそが刃崎龍彦の心休められる楽園だった。女子に絡まれることはなかったが。
それはともかく。
その楽園が無情にも剝奪されてしまった。
自分より年上だった人間が同じ学校に通う学生とし在籍している。
それが何を意味するのか。わからないほど龍彦は愚鈍ではない。
持てる力すべてを総動員させて、彼女達は必ず学校内でも絡んでくる。間違いなく。
楓に至っては立派な不法侵入者だが、よく警備員で侵入を阻止できたものだと龍彦は感心する。
ともあれ、学校でも油断できない状況となった。
「……色々不安になってきたな」
チャイムが校舎内に鳴り響く。
ホームルームが始まるからと友人達が席へと戻っていく。
男性教師が入ってきたところで、ホームルームが始まった。