第二十話:侵蝕する思惑【中】
完成させられていたイラストに第三者によるペイントが施される。そんな心境。
ただ唯一違うのは手が加えられたことで違和感が生まれず、逆に受け入れ新たな形として生まれ変わった、と言えばいいか。
【聖アマトゥリス学園】と【純桜華女学院】との交流会。
互いの男子生徒を交流と言う名の元に勧誘しにやってきた存在。
そう考えている人間が果たしてどれぐらいこの教室にいるだろう。いや、きっと誰もおるまい。部屋の片隅で窓の外をぼんやりと眺めている龍彦を、怪訝そうな目で見やる他生徒達の反応がいい証拠だ。
【純桜華女学院】の生徒達を、【聖アマトゥリス学園】は難なく受け入れた。最初こそ新しい獲物がやってきたと喜んでいた女子生徒達も、母校から男子生徒が消える危険性から今ではすっかり警戒している。
だが盗撮したり舌なめずりをして監視している辺り、完全に欲望を切り捨てられなかったようだ。
それはさておき。
「彼が刃崎龍彦くんかい?」
「うん。まぁ見ての通りかなり変わってる性格なんだ。でも悪い奴じゃないよ、困った時は助けてくれるし」
「そうなんだ――ねぇ君、ちょっといいかな?」
自分のことを訪ねていた【純桜華女学院】の男子生徒が訪ねてくる。にこにこと顔に張り付けている笑顔がなんだか気味が悪い。
決して、自分よりモデル顔をした俗に言うイケメンだからではない。
「……俺になんか用か?」
「君は確か、郷田って子と交際してるんだよね?」
「……あぁ、せや
「そうか。とても辛く苦しい思いをしてきたんだね」
「はぁ?」
思わず間の抜けた声をもらしてしまう。
まるですべての事情を知っているかのような口振りに、龍彦は怪訝な眼差しで彼を見据える。
「彼女……ギャンググループのリーダー格だったって聞いてるよ。一般常識もない、礼儀も知らない、ただ乱暴で暴力ですべてを解決するような女に君のような男が彼氏になるなんてまずありえない。大方弱みを握られたりしたんだろう?」
「おい」
「いいよ無理に言わなくても。君の目を見れば誰だってわかるさ。でももう大丈夫、【純桜華女学院】に来たら安心して学校生活を送れることは約束されるし、脅されていることも生徒も教師も一丸となって解決してくれる」
「ちょっと待てや――お前、何を勝手にベラベラと喋ってんねん」
「え?」
「お前は郷田遥希のことをどこまで理解しとるんやって聞いてるんや」
以前から、ふと思う時がある。
郷田遥希と言う男――今は美少女だが――を一番理解しているのは自分ではないだろうか。
何度も拳をぶつけ合い、言葉を交え、共闘してきたらこそ。
彼女……郷田遥希ならば構わない、と。あの戦いで最後の土壇場になって“あえて”負けたのではないだろうか。
刃崎龍彦は郷田遥希を認めていいる。
だからこそ彼の発言が許せない。お前如きが遥希の何を理解しているのだ、と。
「あいつが俺を選んだんやない。俺があいつを選んだんや。あいつやったら構わへんと。部外者のお前が知ったような口を叩くなや、気分悪いわ」
「そ、そうなのかい? で、でも……」
「ふん。まぁえぇわ。それよりお前【純桜華女学院】の生徒なら二つほど教えてほしいことがあるんや。前に行った時、お前らのとこの学長が言うとった【修練の間】……あれはどんなことするんや?」
「【修練の間】は週に一度僕達男子生徒と女子生徒と一緒になって心技体を鍛える場所なんだ」
「それはもう知っとる。もうちょっと詳しく教えてほしいんや」
「詳しくか……絆を深め合う特別な授業なんだ。君達のところが前にやったって言う合同レクリエーションみたいなものかな――これ以上はまだ他校の生徒である君に教えることはできない、校則だからね。知りたかったら是非【純桜華女学院】へ」
生徒にも秘密保持を徹底させていることがなにか怪しい。
彼に尋ねたところで表向きには他校に知られることで真似をされるから、と返答されかねない。
一時保留。もう一つの疑問へと映る。
「せやったらもう一つ。【癒しの間】……これはなんや?」
「【癒しの間】? あぁ、【癒しの間】って言うのはね……」
「ん? おいどないしたんや」
「【癒しの間】……癒し……癒……うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!!」
「お、おいしっかりせぇ!!」
「いけない! 発作だ!!」
突然の異変に呆然としてその光景を見守ることしかできない【聖アマトゥリス学園】の生徒達を他所に、【純桜華女学院】の学友達は慣れた手つきで対応する。
――あん時と同じや……。
以前の光景が龍彦の脳裏に鮮明に甦る。
【癒しの間】と言う言葉に過剰に恐怖の反応を示した男子生徒。
まったく同じ症状を見せる男子生徒に取り押さえらながら、優しい声掛けで落ち着くよう促される。
そうしたやり取りが暫く続き、ようやく落ち着きを取り戻した彼がぐったりとしつつも笑みを浮かべた。しかし目に生気がほとんど宿っていない。
「ごめんね。多分君達は初めて見ただろうからびっくりしただろうけど、僕達には数多く女性のせいでトラウマを抱えているんだ。【癒しの間】はそんな僕達の悩みを聞いてくれる、いわばカウンセリングみたいなものなんだよ」
「カウンセリングね……。ちゅうことはさっきの発作はトラウマがフラッシュバックしたっちゅうわけか」
「本当にごめんね。これでもマシになった方なんだよ? 昔はもっと酷かったんだ……」
「な、なんだか外まで大きな声が聞こえてきたけど大丈夫? 喧嘩なんかしてませんよね? じゃ、じゃあそろそろ授業を始めたいと思いますので皆さん席に着いてください」
チャイムが鳴ってすぐに次の授業を担当する教師が入ってきた。
席に着く。
結局欲している情報はこれと言って満足に得ることはできなかった。だが、確信は得た。
【純桜華女学院】には裏がある。その裏を暴かねば【聖アマトゥリス学園】に血の雨が降る。主に学園長の。
だが、果たしてそれは己の役目なのだろうか。
この世界の所有権こそ与えられたものの、実質独り立ちをしている以上刃崎龍彦も地球に生きる一生命体にすぎないのだから。
慌てて授業の準備に入る者、これからだと言うのに眠気と戦っている者、それらをすべて置き去りにして、龍彦は先の生徒を横目に沈思し続けた。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
男子生徒がいなくなるやも知れぬと、女子棟は常に彼女達の不安に包まれている。
男子生徒一人がやってきただけできゃあきゃあと騒いでいたが、あれはあれで活気があった。騒がしさこそ同じでも、どうせならば陰湿な空気より陽気な方がいい。
それはそうとして。
「龍彦、今日デートしよ!」
「いきなりやな」
教室まで迎えに行って早々の要求に龍彦は苦笑いを浮かべる。
汗でうっすらと透けたワイシャツ越しに下着が見える。今日は黒のレースブラらしい。
「どうせ暇でしょ?」
「まぁな。まっ、今日は弁当も作ってきてへんし、たまには外で食いに行くのもえぇやろ。もちろんお前の驕りやろ?」
「そう言うと思って覚悟はしてきました――それじゃあ早く行こっ!」
「えぇそうですね。早く行きましょうか龍彦さん」
「僕オススメの店を見つけてきたんだ。最初は龍彦くんとって決めてたからずっと楽しみにしてたんだ」
「……おいお前らどっから湧いた。後私の男に手を出すなっつってんだろうが」
相変わらず音も気配もなく現われる二人に、遥希の顔が一瞬にして不機嫌になる。
その横で龍彦は小さく溜息をもらした。毎度ながらいつものことである。
「貴女だけの物に私がさせるとでも?」
「暑いのにこれ以上暑くなることすんなや。もう面倒やし全員で行けばえぇ話やろ」
「ちょっ!」
「さすがは龍彦さんです。では早く参りましょう」
「本当は二人っきりで行きたかったけど、龍彦くんがそう言うなら僕は従うよ。だって僕が君を一番愛してるし理解しているからね」
「なんでお前らが妥協してやったみたいな感じで言ってんだよ! ちょっと龍彦!」
怒る遥希を他所に――二人に見えないようにハンドサインを送りながら――龍彦は衛と悠に引っ張られる形で教室を後にする。なんだかんだ言っても郷田遥希が一番目の恋人であり、その地位は彼の中で不動であり続ける。
先のハンドサイン――左手の親指、人差し指、薬指で狐の顔を作る――も二人で決め合った男女の営みを意味するサインだ。
「……今日だけだからなっ! 龍彦に感謝しろよまったく!」
渋々と言った様子で承諾する遥希の頬はほんのりと赤い。
今日は久しぶりに寝不足になりそうだ。湿布とドリンクの購入も忘れてはならない。男として夜戦に欠かしてはならないアイテムの不在は相当な痛手を意味するのだから。
【聖アマトゥリス学園】を出て、龍彦は町へと向かう。
男一人に女三人。かつての世界であれば同性からは嫉妬され、彼の場合であれば余計に喧嘩を売られたこと相違ない。逆に異性からは女垂らし、すけこましと軽蔑されていたことだろう。
あべこべの世界では、同性からは憐れみと同情の眼差しを浴びせられ、異性からは「私もその中にいれなさいよ」と言わんばかりに性的誘惑をされる。三人の守護者がいる限り、彼女らが安易に声を掛けてくることは皆無。
ただ、一人だけ。
「むっ!? そこにいるのは刃崎くんじゃないか!」
気にせずがんがん声を掛けてくる空手家を除けばの話だが。
「……なんやごっつう久しぶりな感じしますわ。相変わらず元気そうで楓さん」
「うむ! あれから色々と私の方も大変でな。だがこうして逢えたのもやはり君との間には切っても切れない縁があるからこそ! と言う訳でこれから一緒に食事でもどうかな? 君達の様子を見たところ、これから昼食だろう?」
「えぇその通りです。せやけど楓さんには関係あらへ――」
「――丁度ここに今話題の焼肉屋、サウザンドカルビの招待券がある。それも五名分、まるでこうなることを狙ったかのようにな」
「な、なんやて! あ、あのサウザンドカルビの!」
サウザンドカルビは、前にいた世界にも存在している。
厳選された素材。店オリジナルのタレは十種類にも及び、メニューも豊富。
味は抜群で訪れる者は後を絶たず。されど俗に言う食べ放題システムが搭載されていないので、その感覚で食べれば瞬く間に破産する。正に諸刃の剣の焼肉屋。
だから学生である龍彦にサウザンドカルビを訪れることは不可能。高校生が気軽に入って食べれるファストフード店とはまるで次元が違うのだ。
「この焼肉屋のオーナーが私と知り合いでは。先日私を差し置いて第五夫人としてめでたく結婚しくさりやがった……いや結婚されたのでな。その時にもらったのだ。ちなみに五人分なのは自分が第五夫人だかららしい」
「さいですか。とりあえず是非とも行きましょう」
「た、龍彦がそう言うなら私もそれでいいぜ」
サウザンドカルビで食事が食べれるのであれば、龍彦から拒否と言う選択肢は消えた。
普段であれば真っ先に噛み付くであろう遥希も、ごくりと生唾を飲み込んでいる。
なにせ二人揃って一度も行ったことがないのだ。
どれだけ喧嘩が強かろうと、ギャングチームのリーダーだろうと元を正せばただの一般家庭に生まれだ。
不幸こそなけれど、決して裕福とも言えなかった生活を強いられてきた人間が、どうして高級焼肉店に足を運べようか。彼らにとってサウザンドカルビは決して辿り着けぬ理想郷に等しい。
一方で。
「つい最近食べに行ったばかりですけど。まぁ、私は龍彦さんと一緒にいられればそれだけで幸せですけどね」
「サウザンドカルビかぁ。まぁ何度も行ってるけど美味しいのは事実だから、ボクもそこで構わないよ」
「私も鍛錬のためによく足を運んでいるぞ! だが今回は刃崎くん、君と一緒に食べにいくことが重要なんだ!」
対する他三名は差ほどと言った対照的な反応だ。
わかりきっている。刃崎龍彦と郷田遥希は彼女達とは違う世界に生きてきたのだから。
片やテレビ出演なども経験している話題の天才剣士。
片や自作で武器を作れるほどの資金を持つ大金持ち兼危険人物。
片や百万人以上の門下生を持つ日本一空手道場の師範代。
三人にして見れば一万円程度の出費など、百円ショップで百円(+消費税)の商品を一つ購入するのに等しいのだ。金持ちは金銭感覚が一般人とは別次元級に違う生き物である。
「嫌味か貴様ッ!!」
「どうせ私と龍彦は一般家庭の育ちだよクソがっ!」
「悲しい……悲しいのぉ遥希。こんだけ貧富の差を見せ付けられてめっちゃ惨めやな俺ら……」
「大丈夫だよ龍彦。その代わり私達には愛情がある、でしょ?」
「遥希……」
「龍彦……」
「龍彦さん、私と結婚してくださったら毎日サウザンドカルビへお連れすることを約束してあげます!」
「ボクだったら三食全部を約束するよ?」
「なら私は他数店の高級料理店もつけよう! だから刃崎くん、私の物にならないか?」
「いや、流石に毎回はしんどいわ。てか早う行きましょ。もう腹減って死にそうやわ」
「むっ、それもそうだな」
腹の虫もそろそろ我慢の限界らしい。
腹が減ってはなんとやら。急ぎ栄養を補給せよとの要求に応えるべく。龍彦は歩を早めた。