第十八話:純桜華女学院へ
龍彦が美里亞の護衛のもと、リムジン登校をしなくなったのはつい最近の話である。
理由としては、極端に言ってしまえば守られるほど彼が弱い人間ではないから。
郷田遥希との電撃交際後、どう話がこじれたのか刃崎龍彦を倒したら交際できると、世間に知れ渡るようになった。
流派、武器問わず、時間無制限のなんでもありで、ただ勝てばよい。
極端に表現するならばこの一行で事足りるだろう。むろん、当の本人にはまるで身に覚えのない話だし、また以前と同じような生活を送る羽目になるかと思うと自然と溜息がもれたが。
もっとも、龍彦が心配するようなことは一部を除いで起きてはいない。
そもそも彼の周りには一言で言えば怪物が四人もいる。
つい先日、一瞬で十六回も相手を斬る技を会得した真宮衛。
現役にして最強の空手家、拳聖とも謳われる山南楓。
危険かつ殺傷能力の高い武器の開発および人体実験を繰り返す浅上悠。
そして、見事勝利し恋人の座を手にした最初の恋人、郷田遥希。
以上、四名の存在が自然と龍彦を恋敵達を遠ざける結界の役割を担っていることで、遠巻きに渇望の眼差しこそ向けられるも言い寄ってくる女子は現れなくなった。
では龍彦が一人きりになったところを狙われた場合はどうなる。
強大な恋敵さえいなければ気にせず仕掛けることができる。
などと思った輩は後悔と共に地に沈む運命を辿るであろう。
“天鋼の猛虎”の異名はこの世界でも健在だ。郷田遥希にこそ敗れたものの、最強の男喧嘩師の看板は未だ掲げられたまま。
よって挑もうとする輩が例の三人を除いていなくなったことに龍彦は我慢ならない。
それはさておき。
「あっ」
それは不意に起きた。
周りの女性からジロジロと見られながら登校するのが、今の日課となっている。
そこに今日はいつもと違う展開が起きた。
前を歩いていた女子生徒――忍と同じ制服を着ているから恐らく【純桜華女学院】の生徒だろう――のカバンから、かわいらしいケースが落ちた。
そのことに気づく様子もなく、すたすたと歩いて行ってしまう。
「おいアンタ、ケース落としたで!」
声を掛けるも彼女は気付かない。
そのままバスに乗ってしまった。
走り去っていくバスを見送って、しばし沈思する。
「……しゃーない、届けたるか」
運よく走っていたタクシーを捕まえる。
行き先が【純桜華女学院】だとわかっているなら、先日の動画が真実であるか否か、確かめるのに都合がいい。
一日ぐらい学校をサボったぐらいで、今後に響くこともあるまい。
「目の前のバスを追ってください。くれぐれも尾行がバレないように」
「わ、わかりましたぁっ!!」
まるで刑事ドラマのような展開を前にして年甲斐にもなくウキウキした自分に、龍彦は自嘲気味に小さく笑った。でも一度は言ってみたかった台詞なので満足である。
◇ ◆ ◇ ◆
バスが到着する。
少し離れた位置で龍彦もタクシーを降りた。
ぞろぞろと【純桜華女学院】の女子生徒達と、男子生徒達が下車する。交通機関を使っての登校風景が、先の動画の真実味を強めるが、まだ。
まだ調査は始まってすらいない。ここからが本番なのだ。
視界から生徒達の姿が完全になくなったのを確認して、ようやく動き出す。
気配を殺し、足音を殺して、なんて大きな建物か。内心で感嘆の声をもらす。
【聖アマトゥリス学園】とは違い、【純桜華女学院】は和の色が強く表れている。まるで武家屋敷、いや城と形容した方が的確かもしれない。
「こんな立派な場所に忍のやつ通っとるんか。なんや意外やわ」
とりあえず、驚愕したまま校舎の中へと入る。
板張りの床はなんだか古い校舎のような懐かしさを醸し出して、心に安らぎを与える。
今でこそ洋式が当たり前のように普及されていても根は日本人。長く愛されてきた和式は洋式にはない癒しの効果を持つ。
さて、件の少女はどこにいるのやら。教室と思わしき部屋をこっそりと覗く。
いた。おまけに忍の姿も視認する。
教壇の前に立つ女教師の授業を受ける生徒達の姿勢は真剣だ。更に男女共に同じ教室で受けているのだから、我が母校に通う学友達の驚愕と心変わりもまぁ頷けてしまう。
「マジか……この世界じゃありえへん光景やで」
「あら? あなたは?」
不意に声を掛けられる。
周囲の警戒を怠ったことに龍彦は己を責めた。
ここが敵地ではないことは言うまでもない、だが。油断はできない。
ゆっくりと声がした方を見やる。
美しい銀髪を後ろでくくった綺麗な女性がいた。学校に合わせてか鮮やかな朱色の着物を見事に着こなしている。
「ここの生徒ではありませんね……ってあら? その制服は確か――あなたもしかして、【聖アマトゥリス学園】の?」
「うっ……ま、まぁそうです」
「もしかして転校の手続きをしに?」
「あ、いやそうじゃなくて。実はこれを落とした生徒さんがいたから、届けに来たんです」
ケースを見せる。
あぁ、と納得した様子で女性は優しい笑みを浮かべた。
「それはわざわざ。きっとそのケースの持ち主も喜びます。後でこちらから館内放送で知らせますので私が預かっておきましょう」
「あ、どうも――それじゃあ、俺はこれで」
「あぁ、お待ちください。これも何かの縁、よろしければ是非【純桜華女学院】を見学していってください。あ、因みに私が学院長の七瀬緑です」
「俺は……田中太郎です」
「太郎さんですか」
嘘だ。とは言え、どうしてテンプレート的な名前を出してしまったのだろうと、我ながら思う。
在り来たりすぎてバレてやしないか。
ふと窺った彼女――七瀬緑の顔に疑念の感情が浮かんでいない。加えて記憶にない名前に龍彦は内心で安堵の息をこぼす。
偽名を使う必要はないかもしれないが念には念を。
後で住所などを調べられて資料やら勧誘の電話をされるのもごめんこうむりたい。
どうせ今回限りの訪問なのだから、まぁ構わないだろう。
「既にご存知とは思いますが、我が学び舎は男子生徒も女子生徒も同じ教室で授業を受けています。それこそがこの世の中で築き上げた真の絆であると自負すると共に、我々の誇りでもあるのです」
「は、はぁ……」
「ではまずですね――」
緑に案内されるがまま、龍彦は校舎内を見て回る。
内容こそ他校と変わらないが問題は構造だ。まるで侵入者を迷わせるように複雑に入り組んでいる。入学したての生徒達は自分の教室に行くことすらも迷ったに違いない。
そうして案内されていて、はて。龍彦は小首をひねる。
「すんません学院長。あそこにある、あの如何にもめちゃくちゃ重要な場所ですって感じの扉は?」
龍彦の視線の先にそれは佇んでいた。
黄金と宝石によって装飾されたその扉は、他の部屋とは明らかに雰囲気が異なる。
ただの製作者側もしくは発注側の趣味嗜好であれば、龍彦にしてみれば悪趣味のなにものでもなかったが。それはまずありえまい。
何かしらの重要な役割を担っているからこそ、あの扉は存在しているのだ。
「あぁ、あの部屋は修練の間です」
「修練の間?」
「我が【純桜華女学院】は心身共に強い女子を育成することを目指しています。共学化してからは男女共に心技体を一緒に鍛え、絆を育んでいけるようプログラムを組んでいますけどね」
「ふ~ん、体育の授業とはまた違うってことですか。なんや面白そうですね」
「ふふっ、編入するお気持ちが出てきました?」
「さぁ、まだその答えに至るにはちょっとパンチが弱いかなって思います」
「それは残念」
不意に鐘の音が校舎内に鳴り響く。
どうやら授業を終えることを告げるチャイムらしい。
その時間を担当した教師が教室から出る、途端に。
ざわざわと教室から楽しげな会話が聞こえ始めた。小休止中のおしゃべりは全校共通で、男女入り混じっては恐らく【純桜華女学院】が初かもしれない。
程なくして男子生徒が出てきた。
目が合う。これもいい機会だ。龍彦は彼らに声を掛けた。
「なぁちょっとえぇか?」
「あれ? 君……【純桜華女学院】の生徒じゃないよね」
「まぁな、ちょっと野暮用があって来ただけや」
「もしかして転校するための下見? それだったらようこそ【純桜華女学院】へ!」
「新しい仲間が増えて僕達も嬉しいよ!」
「いや、そう言うんやないんやけど……。それよりちょっと聞きたいんやけど、お前らはその、女子が怖くないんか?」
「女子が怖い? ははっ、まさか!」
「怖いとか全然ないね。まぁ確かに前も僕達ならそう思っていたけど、今にして思えばなんであんなに怖がってたのか恥ずかしいぐらいさ」
「……例えばやけどな。体育の授業で着替えてる時にドローンで盗撮されたりとか、無理矢理交際を迫ったりとか、合同レクリエーションで事故を装って身体にべたべた触ってきたとか、そんなんはされたことは?」
「そんなのある訳ないよ! えっ? もしかして君が通ってる学校じゃそんなことが起きてるのかい!?」
「……まぁな」
ざわつく男子生徒達。
女子と友好関係を築き上げている彼からすれば当然の反応と言えよう。
そうでなくても、女子の変態的行動に賛同することはありえないだろうが。
とは言え。
――様子を見る限り、女子とはホンマに仲良くできてるみたいやな。
すべての証拠が提示された以上、忍が見せた動画が真実であると認めばなるまい。
だからこそ、龍彦の中にある不安が芽生える。
龍彦に【純桜華女学院】に転校する意思は一切ない。
以前の彼ならばしていたやもしれないが、現在は郷田遥希と言う彼女がいる。愛しい――かと問われれば非常に答え難いが。まぁ大切っちゃあ大切――恋人を放って他所の学校に行く輩はいないだろうし、何より遥希が絶対に許さない。
郷田遥希と神谷忍が犬猿の仲であることは、なにもこの世界に来てから始まったことではない。
元いた世界でも彼らは何かと衝突していたのは龍彦も知っているし、決まって彼がどちらかといる時によく起こる――今にして思えば嫉妬心からだろうと理解する。理解した雲ないが――ともあれ。
――これは他の奴らに教えん方がいいな。
仮に今日の出来事を友人達に話したとしよう。
十中八九、彼らは【純桜華女学院】への転校を決意する。
そうなれば【聖アマトゥリス学園】の女子達は黙っていない。男子生徒を止めるべく、暴力こそしないだろうが既成事実を作ろうと人の道を踏み外すやもしれぬ、
そうなれば大問題として世間に取り上げられ暴動を起こした女子生徒達は退学、最悪生徒達を管理しきれなかったとして【聖アマトゥリス学園】は閉鎖に追い込まれる可能性だって充分にありえる。
それだけはなんとしてでも、龍彦は避けねばならない。
「や、やめてくれぇええええええっ!」
「あん? な、なんや?」
一人の男子生徒が必死の形相でこちらに向かってくる。
いや、何かから逃げてきたと言った方が正しいか。
彼の背後を見やる。追手であろう数名の女子生徒の姿があった。
「どうかしたのですか?」
「す、すいません学院長。彼、まだトラウマを克服できてないみたいで」
「トラウマ?」
「……ここにくる男子生徒達は色んなトラウマを抱えています。それを乗り越えてくれたからこそ、今の【純桜華女学院】がある訳なのです――ですが、中にはまだトラウマを克服しきれていない生徒もいるのですよ」
「あ、もしかして転校希望の生徒さんですか? 驚かせちゃったよね」
「い、いや……俺は別に気にしとらんで」
「ありがと、貴方優しいわね――ほらっ、大丈夫だから早く行こ」
「そうそう、とりあえず【癒しの間】で話を聞いてあげるから」
【癒しの間】――この単語がどんな意味を持つのか龍彦は知りえない。だが男子生徒の顔が強張ったのを彼は見逃さない。
今の男子生徒の心境を言葉にするのならば、それはたった二言で事足りる。俗に言う恐怖と言う名の感情だ。
「い、嫌だ! オレはあんな場所に行きたくない! オレは知ってるんだぞ! そうやって男子生徒を連れ込んでお前らが何をやってるのかを――」
「いい加減なこと言わない! ほらっ、早く歩いた歩いた!」
騒ぎを聞きつけたであろう、と言うよりあれだけ大声を出せば当然か。
女子生徒が新たに加わり、数人掛かりで抵抗する男子生徒達をどこかへと連れていく。
悲鳴を上げ、必死に助けを請う彼の姿を龍彦は見えなくなるまで見送った。
「……ごめんなさい。他校の生徒である貴方にしてみれば驚くのは当然だし、私達に疑念を抱いても無理もないと思います。ですが誓って私達は男子生徒達が嫌がる行為は一切していません。それだけはどうか、憶えていてくだされば嬉しいです」
「は、はぁ……」
「あれ? たっつんじゃない!」
「忍……」
「やっぱり来てくれたんだ!」
「いや、今日はそのために来たんやあらへん。ちょっと落し物を届けに来ただけや」
「な~んだ。でもこうしてたっつんと会えたから嬉しいかな。それじゃあ、もっとたっつんと話したいけど仕事ができちゃったからまたねっ!」
そう言い残し走り去っていく忍。彼女の足取りは連行された男子生徒を追っていった。
「神谷さんは風紀委員長で、特に男子と女子がより仲良くなれるよういつも全力で取り組んでくれる素晴らしい生徒なんですよ」
「あいつが……ね」
遠ざかっていく忍の背中を龍彦は静かに見つめた。