第十七話:HERE COMES NEW FACE!
事実は小説よりも奇なり。
現実は虚構である小説よりも返って不思議である、と言う意味で。確かにそうだ。
当事者であるからこそ、彼はこの諺の意味を誰よりも理解していることを自負している。
交通事故に見舞われ死んだと思ったら異世界で、その異世界は亡き少女が残した夢の世界であろうことか幽体離脱した自分の魂はその世界の主として生きている。
これを奇と言わずして、何が奇か。充分摩訶不思議な体験であることに違いないだろうし、この出来事を題材にライトノベルなんかを執筆したら案外人気が出るかもしれない。
作者名は、うん龍威ユウなんかがよさそうだ。きっと読者にも憶えてもらいやすい名前だと思う。
ただ悲しいかな。彼には今回の出来事を話せる相手がいない。
何故なら彼らは現実世界にいるから。
何故なら彼――刃崎龍彦は夢世界で生きることを選んだから。
生きるために、世界を存続させるために己が選んだ道だ。
誰が後悔などするものか。しないが、いやはや。誰かに話したいのに話せないと言うのは中々に応える。
さて、と。龍彦は意識を現実へと帰還させる。
改めて教室を見やる。【聖アマトゥリス学園】の男子棟は数少ない男子生徒達の活気で賑わっている。
友人達と雑談を交えている者――生まれて初めてこっそりと買った官能小説について多いに盛り上がっている――、次の授業に向けての復習をする者――かと思えば宿題をやり忘れて必死に書き写させてもらっているだけだったが――、と時間の過ごし方は各々自由だ。
では刃崎龍彦はどうか。
勉強している訳でもなく、かと言って会話に混じろうともしない彼に小首をひねる者は決して少なくない。
かと言って、何をしているんだとわざわざ問いにいく者も現れず。
結局、どうせまた変わったことをしているのだろう、と納得して彼らは彼らの時間をすごすことに専念した。
龍彦自身も、邪魔をされたくなかったから都合がよかった。
黒く鈍く光る金属を両目に当てる。
二つのレンズを通して映し出される光景を、ただひたすら凝視する。
窓の向こう、女子の教室が見える。
「あ、あの子ブラしとらへんやんけ!」
ガッツポーズを取る龍彦。
背後から冷ややかな眼差しを向けられていることも気付かず、彼はひたすら双眼鏡を覗き続ける。
七月中旬。現在の季節は言うまでもなく夏真っ只中。
耳を澄ませばけたたましい蝉の鳴き声が聞こえ、じりじりと照る太陽の陽射しが容赦なく地上を熱する。
テレビでは夏バテ予防法の紹介に始まり、男性にアプローチする水着――スリングショット水着が殆どで「もうそれ水着じゃないですよね」、と思わずツッコミを入れそうになったのはご愛嬌――や、海水浴場で起こる性犯罪の対策など。
夏に向けての内容が数多く報道されている。要するに、相変わらずこのあべこべの世界はトチ狂っていると言うこと。
そんな夏色に染まった【聖アマトゥリス学園】の生徒達は皆浮き立っている。
もちろん彼らだけに限った話ではないし、学生と言う職業に就いている者であれば誰しもが彼らと同じ反応を示すことを少年は知っていた。
知っているが故に彼の反応は周りと比べて冷めてて、ただ無心に女子生徒達の姿を視線で追っている。
汗で滲んだ服の先には何がある。
色気のあるものからお子ちゃまなものと、装着者のセンスがわかる下着だ――と言うのは、少年が本来いた世界の話であり、実際は。
ブラジャーどころか何も着けていない女子生徒達が殆どを占めている。つまりノーブラで健康的な桃色の突起物も大小様々な山も、ありのままの姿を晒している。
「……俺らは人生勝ち組や。そう思わへんか?」
「いやまったく。って言うかさっきから何してるの?」
「なんやわからへんのか? 女子の教室をこうして偵察しとるんやないか」
「偵察って……本当に龍彦の考えていることが僕達にはわからないよ」
理解を得られない状況に龍彦はわざとらしく肩を竦めた。
超肉食系女子の積極的……を通り越して犯罪一歩手前のアピールに日々怯えている彼らにしてみれば、まぁ。無理もないだろう。
怪訝な眼差しを向ける友人達を他所に、龍彦は視界に映る女子生徒達を視線で追跡する。
なんとなく、バストサイズ当てを行っていると。はて。
「……あん? 誰やあの子」
見知らぬ女子生徒に龍彦は小首をひねる。
金色の髪をポニーテールにし、血のように赤い瞳が何よりも目立つ美少女だ。
ただ着用している制服は【聖アマトゥリス学園】指定のものにあらず。
従って他校の生徒であることが理解できるが、それだとどうしてここにやってきたのかがわからない。
ふと、少女と目が合った。
にこりと微笑んで、そのまま校舎の中へと消えていく。
龍彦は直感した。これは何か面倒なことが起きるに違いない、と。
「……嵐の前の静けさっちゅうやつか」
「どうしたんだよいきなり」
「……いや、なんでもあらへん。それより次の授業なんやったっけ?」
きっと自分の思いすごしに違いない。
そう言い聞かせながら龍彦は友人に話を振った。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
休み時間。
龍彦は女子棟へと足を運ぶ。
教室で今頃腹を空かせて待っているであろう彼女を思い浮かべては、呆れ混じりの笑みを静かに浮かべる。きゃあきゃあと女子達の黄色い声と何度もシャッターを切る音が聞こえてくるのも、今ではすっかり慣れてしまった光景だ。
真っ直ぐと目的地へと向かう。
教室の扉を開く。
隅の席。上半身を突っ伏して寝ている女子生徒の姿があった。
元ギャング団のボスとは思えぬほど、彼女の瞳には力が篭っていない。単純に腹を空かせているだけなのが、ともあれ。
「ほら遥希。持ってきてやったぞ」
「ありがとう龍彦ぉ……」
がばっと起き上がったかと思うと早速差し入れの弁当をがっつく。
龍彦の中にある女らしさなど皆無であるし、そもそも彼女に元の価値観を押し付けることこそ無意味と言うもの。ましてや男勝りな性格である彼女がいきなり御淑やかになっても、それはそれで。まぁ気持ち悪い。
彼女――郷田遥希はこれでいいのだ。
対面の空席に腰を下ろし、遅れて龍彦も昼食を取る。
元々学食を利用していたのだが、遥希と交際するようになって色々と生活面を彼は知るようになる。
空きのペットボトルや空き缶などで散らかった床に脚を踏み場を捜すのだけでも一苦労させられた。女性特有と言えば聞こえはいいかもしれないが少なくとも、異性を招き入れる部屋として相応しくない異臭が立ち込めている。
そして食事は完全にインスタント食品ばかり。野菜のやの字すら、郷田遥希の生活空間には存在しない。
汚い部屋、略して汚部屋に龍彦は気分を害し別の意味で嘔気に襲われることとなる。
人間とは経験を得て賢くなる生き物だ。
汚部屋と遥希の現状を知り、放置できるほど彼は寛大ではない。
女性らしさなど求めぬ。ただ一人の人間として基本的な部分はしっかりとしてもらわねばならない。何故なら郷田遥希は自分の彼女であり、刃崎龍彦に少しでも相応しい女性になってもらわねば。
それ以降、龍彦はスパルタで遥希を教育した。
最初こそ渋っていたものの、恋人解消を出した途端に、あら不思議。今ではすっかり二週間に一回――かなりの妥協をしてただが――掃除機を自ら掛けるようにまで進歩した。食事はインスタント食品に野菜サラダを付けるまでに改善されている。
毎日、弁当を彼女の分まで作って持っていくのも教育の一つだ。
仮にも恋人関係を築いた以上、生活習慣病で先立たれても目覚めが悪い。
「う~ん、相変わらず龍彦が作るご飯っておいしいし、それを食べられる私って幸せ者って思うのは罪?」
「別に罪やあらへんけど……うん、やっぱ罪かもしれへんな」
弁当を持っていき一緒に昼食を食べるようになってから、周囲の視線が龍彦を容赦なく突き刺さるようになった。
曰く、憧れの男子生徒と一緒に食事をする、と言うシチュエーションは男に飢えている世の女性からすれば是が非でも体験したいものらしい。
もし、それが事実であるとするならば。生で見せ付けられている彼女達には堪ったものでないことは言うまでもない。
空腹であるのに目の前で豪勢な料理が他者に平らげられていく様を見せ付けられるのと同等に。血涙まで流し、ハンカチを噛み締め――嫉妬心に負けて無残にも破かれたハンカチは数知れず――彼女達は嫉妬やら渇望やら、とにかく負の感情増し増しの眼差しを向けてくるのだった。
「周りなんて放っておけばいいって。所詮は負け犬、男に選ばれなかった自分の不甲斐なさを呪うといいのよ」
「へぇ、では今ここで私に叩き斬られることも己の不甲斐なさとして認めるのですね郷田さん」
「……邪魔すんじゃねーよ衛。さっさとあっちに行ってな」
「あまりいい気になるなと、そう忠告した筈ですけれどね――覚悟はいいですね?」
「お前が私にひねり潰される、の間違いだろ?」
「はいはい飯時やのに喧嘩すんなや」
「じゃあボクは龍彦くんの手作りお弁当で手を打ってあげようかな」
「……お前どっから湧いてん」
「ひどいな龍彦くんは。君がいるところにボクがあり、だよ」
「いや普通に引くわ!」
いつもの面子を加わって教室は瞬く間に騒がしくなる。
そうした中で昼食を摂るのも龍彦にとっては日常茶飯事である。
あるのだが。
「ここに刃崎龍彦さんっていますか?」
来客者が己を尋ねてきて、はて。
「あの子は……」
女子の透け胸ウォッチングを楽しんでいた最中に見た、あの少女に龍彦は小首をひねる。
キョロキョロとかわいらしく探して、ふと目が合う。
ぱぁっと彼女の顔に花が咲いた。太陽のように明るい満面の笑みを浮かべて駆け寄ってくる。なんだか人懐こい小動物のような愛くるしさを感じさせる。
「こんにちは!」
「お、おう」
「おいなんなんだよお前。私の男に色目使ってんじゃねぇぞ?」
「……たっつんを奪ったクソ雌豚が生意気言わないでくれる?」
「はぁ?」
「たっつん……なんやろ。どこかで聞き覚えがあるような、ないような……」
「もう、忘れるとか信じらんない! 私よ私!」
「新手の詐欺ですか?」
「違うし! て言うか部外者は黙っててよ! 私よたっつん、ほらっ! 神谷忍!!」
必死に名乗る少女。
神谷、神谷……。何度か少女の名前を心中で復唱して、あぁ。
――ようやく思い出したわ。
思い出したと手を叩く龍彦に少女――神谷忍の顔に再び笑みが戻る。
一方で恋人と恋人候補を名乗る面々の表情はとても冷たい。今ならば視線一つで相手を殺せそうな殺気すら孕ませている。
神谷忍――一匹狼の不良で【旋閃の魔狼】の異名で恐れられる一方で、自室には漫画やらライトノベルやら二次元一色に染め上げるほど重度のオタクでもある。
肩がぶつかりお互いにイライラしていたことも相まって喧嘩に発展する、と出会い方こそ最悪だが以降の関係は友好だったと龍彦は自負している。
遥希達のように何度も喧嘩を吹っ掛けてこないのも理由の一つだが、趣味が共通していることが大きい。何度も互いの家に遊びに行くことも少なくなかったし、それこそ一緒に【ライトニング】を追っ払ったことさえある。
そんな神谷忍との関係はどんなのか。
そう問われれば龍彦は迷いなく親友と答える。それだけ彼にとって神谷忍の存在は大きいのだ。
故に、美少女化している姿に僅かばかりとは言え困惑を抱かずにはいられない。
そして彼……いや、彼女がいると言うことは、つまり。
遥希達と同じ気持ちを抱いていたことも意味している。
親友と思っていた相手から恋愛感情を抱かれていたでござる。いやはや、実に笑えない真実だ。
「忍、お前までかいな……」
「え? なんの話?」
「いや気にせんでえぇ、こっちの話や――久しぶり、になるんかな」
「本当よ! 全然家に遊びに来てくれなくなったし、結構寂しかったのよ?」
「そ、そらすまんかったな」
「でもいいわ。それより今日はたっつんに朗報があります!」
「朗報?」
「うん、絶対たっつんも喜んでくれること間違いなし!」
「おいさっきから一人ではしゃいでんじゃねぇよ神谷」
「アンタは黙っててよクソ雌豚――ねぇたっつん、私が通っている【純桜華女学院】の生徒にならない?」
「……は?」
予想外すぎる申し出に、龍彦は間の抜けた声を思わずもらした。
教室中がざわざわとざわめく。
他校の生徒が男子生徒を勧誘して来たのだから、彼女達の動揺も当然至極であり。
郷田遥希の怒りは頂点に達する。傍から聞けばただの勧誘でも、頭の中がピンク色に染まっている彼女の場合だと、恋人を堂々と寝取ろうとするようにしか変換されない。
「お前私の前でいい度胸してるじゃねーかよ。あぁ!?」
「アンタには聞いてないわ。私はたっつんに聞いてるの。ねぇねぇ、どう?」
「どうってお前……何で俺がわざわざ女学院に行かなあかんねん」
「あっ、女学院って付いてるけど共学だよ。でも男子生徒の数が少なくってさ、そこでたっつんとか他にも何人か……まぁ早い話この学校にいる男子生徒全員引き抜くために今日は来たんだけどね」
「な、なんですって!」
教室の喧騒がより一層激しさを増した。
どの生徒も困惑と驚愕《いろ》を隠せていない。
転校ならばまだしも、他校の生徒をわざわざ引き抜こうとした話など龍彦は聞いたこともない。
それならば最強の喧嘩師と言う異名を持つ彼を、柔道や空手などで有名な他校が引き抜かないのはおかしい――もっとも、「あいつ不良だからいざとなったら反則技とか普通にするんじゃね?」と失礼極まりない誤解を抱かれていたから声が掛からなかっただけで、無論当事者である龍彦は何も知らない――。
「……俺以外の男子生徒もかいな」
「うん! だってこの教室に来る前にちょっと教室に寄ったんだけど。そこで色々と話を聞いたよ? 女子生徒にセクハラおよび無人偵察機を使っての盗撮は日常茶飯事、先日行われた合同レクリエーションじゃ女子に身体をベタベタ触られて、今でもトラウマになってる……これでまだ一部なんだから驚きだわ」
「あ~、それはまぁ否定しいひんわ」
「その点、ウチの学校はそんなことは一切なし! だからたっつんもウチの学校に来てよ!」
「いやいやいや、無理に決まっとるやろ。それにウチは大丈夫ってなにがどう大丈夫やねん」
「そ、そうですよ! 証拠でもあるんですか!?」
「あるわよ」
衛の問いに忍は即答する。おまけに彼女の顔には余裕の笑みが浮かんでいる。
「そう言うだろうと思って用意してきたわ。じゃあこれ見て」
言って取り出されたのは携帯電話。
慣れた指捌きで操作されて、終わったのか手渡される。
液晶画面に映し出されている男子生徒達の姿。どうやら動画を再生したらしい。
《これちょっと回りにPRするから。今から質問に答えてね。まずこの学校に来てからどう?》
《そうだね。僕は両親の親の都合でこの学校に転校せざるを得ないって聞いた時、心底両親を恨んだよ。だけどしばらく通ってみたらこんなにも素晴らしい学校なんだって思わなかった。昔から女子はロクでもない連中ばかりって思ってた価値観が、見事に引っくり返されちゃったよ》
忍の質問に男子生徒は淡々と答える。
それから画面が切り替わる。教室を背景に生徒達が談笑している光景だ。
するとここで、周りの女子生徒達からどよめきが起こる。龍彦とて例外にもれない。周りと同じく驚愕に目を丸く見開く一方で、神谷忍の余裕の理由を理解させられる。
この世界にやってきて日が浅いと言っても、彼の中では既に女性は肉食魔獣として認識している。その根底を打ち砕く事象が画面越しで起こっているのだから、龍彦は驚かざるを得ない。
「嘘……君達の学校は一緒の教室で勉強してるのかい!?」
「そうよ。私達だって確かに彼氏もほしいしエッチだってしたい。だけど無理矢理やったところで相手を傷つけるだけだし虚しいだけ。男子との本当に友好関係を築く。その努力が実ったからこその映像よ」
「ど、どうせ演技に決まってます!」
「いやそりゃありえへんやろ」
逆に【聖アマトゥリス学園】で同じような映像を撮ってみようとしよう。
何人の男子生徒が賛同してくれるだろう――恐らく志願者は皆無だ。
仮に引き受けたとして女子を前に違和感のない演技ができるだろうか――ギグシャグしてるのは目に見えているし、途中で耐え切れなくなって逃げ出すのがオチだ。
故にこの映像が演技と言う可能性は窮めて低い。
「既にこの映像は他の男子生徒達にも見せたわ。まだ確定じゃないけど、殆どの男子生徒からは転校を前向きに考えてもらえたわ――後はたっつんだけよ」
「……なるほどな」
「ちょ、ちょっと龍彦まさか行かないよね?」
「……別に今すぐ来て欲しいって私は言うつもりはないわ。たっつんだって、たっつんの都合があるだろうし。でも今回はウチの学校だと比較的安全にすごせるってことを知ってもらいたかっただけ」
「…………」
「それじゃあそろそろ帰るね。いい返事、待ってるから」
去っていく忍。
しばらくして。
「ど、どうしよう」
「男子がいなくなるとか信じられないですけど!」
「た、龍彦……」
「龍彦さん……」
「龍彦くん……」
「……【純桜華女学院】、か」
不安と焦燥が入り混じる感情が渦巻く教室で、龍彦は窓の方を見やる。
先程まで青かった空に鉛色の雲が立ち込めようとしている。
今日の天気を伝えた天気予報士はクビだ。もうすぐ雨が降るかもしれない。いや、もしかしたら。
――あの時みたいな、厄介なことが起こる前触れかもしれへんな……。