第十五話:猛虎と稲妻
茜色から漆黒へ。
金色の月が照らし、波打つ音が静かに港に流れる。
辺りに人気は皆無で、だからこそ未成年者である龍彦が夜遅くに出歩いていることに咎める者はいない。故に目的地への到着に専念して龍彦に港を自由に動き回れることを許した。
彼の足取りに迷いはない。
来須雅美からのタレコミで場所は割れている。
第三倉庫――そこで郷田遥希が殺されようとしている。
自分は白馬の王子様ではない――この世界で言えば逆に自分が助けられる側だ――、遥希に何か特別な感情を……それこそ恋愛感情は一切抱いていない。
だが、それでも生死に関わるのであれば話は別だ。
彼女を助けられるのは己しかいないことを龍彦は理解している。男に助けられたとプライドを傷つけてしまうやもしれないが、知ったことではない。
やがて、件の少女の後姿が視界に映る。
「遥希!!」
「龍彦!」
「お前無事なんか!?」
「龍彦はどこも怪我してない!?」
「……あ?」
「……ん?」
二人揃って小首をひねる。
「お前……誰かに襲われとったんとちゃうんか?」
「龍彦こそ大人数でレイプされてたんじゃ……」
「はぁ?」
「んん?」
再度お互いに小首をひねる。
「俺はお前が殺されるってタレコミがあったからここまで来たんやけど」
「私も龍彦が女共に連れ去られてレイプされてるって聞いたから」
「なんじゃそりゃ!?」
まるで話が噛み合わない。
互いの証言が食い違い混乱の極みに陥る。
彼女の無事に安堵する一方で――もしかして、これはそう言うことなのか。龍彦の脳裏にある人物が浮かび上がる。
龍彦は来須雅美からの情報提供を受けて動いたように、遥希もまた誰かの情報提供があったからこそ港まで赴き、ここにいる。
その人物はきっと自分が知る人物であることに間違いない。
これは仕組まれた罠だ。
この世界の崩壊を防ぐため来須雅美が企てた一計にまんまと引っ掛かってしまったと気付いた頃にはもう遅い。
おのれ孔明……ではなく来須雅美、と今頃羽扇片手に高笑いをしているであろう――あくまで予想で、だけど何故だかその姿がとっても似合う気がする――首謀者に龍彦は怒りを露わにした。
「あいつ……!」
「どうかしたのか龍彦」
「……いや何でもあらへん。俺らは二人してまんまと罠に嵌められたっちゅうことや」
「えっ!?」
「くそっ! 何やねん人が心配して急いで駆けつけたら嘘やったって……」
「……そうか。あの情報は嘘だったんだな――よかったぁ」
安堵の息をもらす遥希。
普段は男口調でもちょっと不測の事態に見舞われれば、郷田遥希も一人の歳相応の女子に戻る。
その時に見せる彼女こそ本当の郷田遥希の姿で、何故だか今日は一段とかわいく見えた。心がきゅんとときめいて――いやいやいや何を考えているんだ、と龍彦は慌てて否定する。
郷田遥希はどこまでいっても、彼の中では屈強な男でしかない。だと言うのに少しでもかわいいと思ってしまったことが信じられず、龍彦は軽い自己嫌悪に陥る。
「な、何やねん急に」
「だって龍彦にもしものことがあったらって思うと……」
「アホか。俺がそんじょそこらの連中にやられる訳がないやろが。何度喧嘩してきたと思ってんねん」
「それでもだよ。だって私にとって龍彦は大切な人だもん」
「そ、そんな恥ずかしい台詞よう言えるな」
「だって本当のことだもん。私は龍彦が大好きだから」
「さ、さいか……――さてと、そんじゃ帰るか」
「あ、待ってよ龍彦。せっかくだしさ、このままデートしようよ」
「港でか? ムードもへったくれもあらへんやんけ。却下や却下」
「いいじゃん。ねぇ、駄目なの?」
「ぐっ……」
美少女の上目遣いは破壊力抜群だ。
どんな男でも美少女が上目遣いをしてお願いしたら、ころりと態度を変えさせてしまうから女と言う生き物は末恐ろしい。
故に美少女と化した遥希に上目遣いをされた龍彦は一瞬たじろいだ。さすがギャングのボス汚い。
「ア……アカンアカン! 俺らは未成年や、早よ帰らなお巡りさんに補導されてしまうで!」
逃げるように龍彦はその場を後にする。
このまま留まっていたら多分遥希に堕ちていた。
今まで激しい嘔気が込みあがり嫌悪感しか抱かなかったはずの自分がだ。
根拠などない。それでも確信できる何かを感じてしまったから、龍彦は疑問と自己嫌悪に苛まれる。
内より湧き上がる感情か何か。それがわからぬほど、彼と言う男は愚鈍ではない。
寧ろ女と無縁の生活を送り恋に貪欲であったからこそ、龍彦は嫌と言うほど理解しているし、けれども納得しきれない自分に酷く苛立つ。
認めたくない。認めたくないから早く遥希から離れたい。
「待ってよ龍彦!」
そうは問屋は卸さない、と彼女が思ったのかはさておき。
立ち去ろうとしたところに、遥希の腕が待ったを掛けた。
がっしりと白く綺麗な手に腕を掴まれて、振り解こうにも万力が加わったかのようにビクともしない。
「は、離せや遥希! いい加減にせんとキレるで!」
「嫌だ! だって、よくわからないけどこのまま龍彦と一緒になれなかったら……二度と龍彦と会えなくなっちゃう気がして」
「お前……知っとるんか!?」
「えっ!? な、何が?」
「…………」
目を丸くする遥希――彼女は後三日後に世界が崩壊することを知らないようだ。
それでも本能的に、世界に訪れようとしている結末に気付いてしまったのだろう。
こう言うのを虫の知らせと言う。多分だけれど。
だから郷田遥希は焦り、刃崎龍彦は間接的にだが結論を彼女より急かされる。
「龍彦は私のことが嫌いなの?」
「それは……俺は、別にお前のことは嫌いとちゃう」
「だったら……!」
「で、でも俺は……!」
「……そう、わかった」
遥希が拘束していた腕を解放する。
手首にくっきりと彼女の手跡が残されている。変色していないだけまだマシだ。本気で掴まれていたら今頃は粉砕骨折していたに違いない。
僅かに痛む手首に揉み、ゆっくりと離れた遥希を見やる。
「……何の真似や、遥希」
拳を構え対峙する遥希に龍彦は尋ねる。
それが愚問であることは重々承知している。
どれだけ美少女でも郷田遥希はギャングチーム【ライトニング】のボスで、刃崎龍彦と幾度となく拳を交えてきた好敵手なのだ。
であれば、戦闘態勢を取った対峙者の行動は極めて正しい。
「こうなったら力ずくでお前を私だけの物にしてやる。メチャクチャに犯して私なしじゃ生きられない身体にしてやる」
「ふっ……やっぱりお前はそうやないとなぁ遥希。久しぶりに思い出したで? 郷田遥希っちゅう俺の好敵手をな」
龍彦も拳を静かに構える。
鋭い敵意を剥き出した彼女から、凄まじい気が颶風と化して吹き荒れる。
あぁ、これだ。今の彼女こそ俺が知る郷田遥希だ。
これこそが刃崎龍彦と郷田遥希のあり方だ。龍彦は小さく口元を緩める。
ここから先は男と女の戦いではない。牙を持った一匹の獣同士による闘いだ。
手加減無用、規則不要の本気の素手喧嘩。どちらかが倒れるまで続けられる、気合と根性のぶつけ合い。
「孕んだら責任取るから安心していいぞ龍彦」
「はん。やれるもんならやってみいや遥希。もしそうなったら素直にお前の物にでも何でもなったるわ」
龍彦が発したこの言葉に嘘偽りはない。
世界を選ぶために四人の好敵手の誰かと交際するには、どうしても彼の脳裏でくすぶる邪念を完全に捨て去らねばなく、ずいずいと彼女達から積極的に迫られては思い出し嘔気を誘発させられる龍彦には至難の業に等しい。
そこで彼は発想を逆転させる。
自分を負かしてくれさえすれば、後は好きなようにさせてあげればいいと。
気を失っている間であれば、少なくとも嘔気に襲われることはない。
後から現実を知ってそりゃもう盛大に吐くかも……いやきっと吐くだろうが、それでも結果として刃崎龍彦は郷田遥希と結ばれ、世界から崩壊の危機は消え失せる。
世界を、刃崎龍彦が五体満足に生きていくには、もうこの方法しか残されていない。
「……行くぞ龍彦ぉおおおおおおおおっ!」
「来いやぁっ! 遥――」
「うぅっ……」
「希……ん? ってお前は……!!」
予想外の来訪者に龍彦は驚愕の感情を顔に濃く浮かべた。隣にいる遥希とて例外にもれず、されど彼女は瞬く間に憤怒へと塗り替える。
一人の少女がやってきた。
力なくふらふらとした足取りは今にも倒れてしまいそうだ。
肋骨を負傷しているのか、庇うように当てている手の隙間からは赤い液体がもれている。
龍彦は少女の名前を知らない。だが面識はある。
郷田遥希が率いる【ライトニング】の構成員だ。
「おいどうしたんだよ! 一体何があったんだ!?」
「す、すいません姐御……いきなり変な奴がやってきて……それで」
「えぇから喋んなや! 待っとき、今救急車手配したる!」
「おい! 一体どこのどいつだ! 誰がこんなことをしやがった!」
「あれ? もしかしてあいつが龍彦じゃない?」
「うっそ。こっちから連絡する前に来ちゃったじゃん!」
ぞろぞろと少女達がやってくる。
血の付いた鉄パイプやチェーンを手にニヤニヤと下品な笑みを浮かべている。
彼女達もまた、龍彦にとって初対面ばかりではない。遥希も顔を合わせている。
次の瞬間、けたたましいバイクのエンジン音が港中に響き渡った。
程なくして幾つものバイクが爆音と共に颯爽と表れる。
ぱっと見て百台以上はあろうか。一台に二人乗っていたりするから、人の数はバイクよりも多い。
「アイツら、あの時の……」
「よぉ、また会ったね」
「お前は……」
白い特攻服に燃え盛る炎のように色鮮やかな紅色のサイドテールが特徴的な彼女を、忘れるはずあるまい。でも名前までは知らないから呼びようがなかった。
それはさておき。
「またお前の仕業やったってことかいな。いい加減しつこいで」
「あの時言ったはずだよ? やられたら何倍にもしてしっかりとやり返すってね。随分とアタイの部下どもをかわいがってくれたお礼、今ここでたっぷりと返させてもらおうじゃないか。そっちの女にもね……【ライトニング】のボス、郷田遥希」
「ふん、一人の男に大人数で襲おうとするお前らが気に入らなかったんだよ」
「そうかい。まぁちょうどいい、そこの男を犯す前にまずはお前から血祭りに上げてやるよ」
「ふん、やってみろよ」
「……そう言やアタイの名前まだ言ってなかったね。アタイは天友会の」
「何? 天友会やて?」
「ん? あぁそうさ。そしてアタイがその天友会を率いる――」
「お前の名前なんざどうだってえぇわ。別に興味あらへんし、それに今日で天友会は解散することになるかな」
「……言ってくれるじゃないかい。おいお前ら、手加減はいらないよ。やっちまいな!」
「はい姐さん!!」
「えっへっへ。こないだの仮、そっちの男には下半身の棒でしっかりと返して――」
瞬間、龍彦は近くにいた少女の顔面を鷲掴みした。
突然の行動に少女の目は丸く見開かれる。
「俺は前に言ったはずや……女は殴らんけど外道には容赦せぇへんってな」
ミシミシと軋みを上げて食い込んでいく龍彦の指に、少女はとうとう苦痛の絶叫を上げた。腕に爪を立て、殴り、激しく暴れて拘束から逃れようと試みる。
しかし龍彦の手は彼女の顔を掴んで離さない。
そればかりか更に力が加わり、遂には身体を持ち上げると。そのまま少女の海へと向かって豪快に片手で放り投げた。
水飛沫を上げて海に落ちた少女に、彼女の仲間達の顔色が瞬く間に青くなる。
男が女を片手で掴み上げ投げたのだ。これに驚かずにいられるのは刃崎龍彦を熟知している者ぐらいで、男だからと侮っていた彼女らはようやく目の前の相手がただの男でないことを理解する。
しかし時既に遅し。
憤怒の炎に心を燃やす龍彦に手加減の三文字は消失している。
恐怖で脅える少女達を次々と掴んでは海へと叩き込んだ。
「おい」
「えっ!?」
「私のことを忘れてんじゃねーよ!!」
渾身のラリアットが少女の首を捉えた。
なんだかごきりっ、と嫌な音がしたような気がした。でも気のせいだろう、そう思うことしておく。
「相手が百人以上でこっちはたったの二人か――いけるか、遥希」
「当たり前だ。もっと言うと私一人でも充分だ」
「上等や。せやったら、さっさと二人で片付けてしまうで!」
「応!」
猛虎と稲妻が戦場を駆ける。
天友会は刃崎龍彦と郷田遥希によって壊滅した。
であれば、この世界でも天友会は壊滅せねばならない。
手を下すのは警察でも他の誰でもない。あの時を再現せよと、姿なき何者かの意思が働いているような気がしてならなかった龍彦だが、外道にくれてやる情けなし。
よって彼女らに下した判決は打刑に処す。執行猶予はもちろんなし。
顔は狙わない、一応女の子だから。でも外道相手に手加減をしてやれるほど、刃崎龍彦と言う男は甘くはない。
「おぅらあっ!!」
龍彦は虎爪の手形で天友会の構成員達を薙ぎ倒す。
刃崎龍彦に決まった型は存在しない。
数多の喧嘩を乗り越える中で自然と身に付いた自由型こそ彼の流派である。
美しく流れるような動きで宙を舞い、猛虎の如き豪快かつ強力な一撃を当てていく。剛と柔を兼ね備えたその戦いぶりは、人々は彼に“鋼翼の猛虎”の異名を与える切っ掛けとなった。
相手の防御を呆気なく突破する破壊力は確かに脅威と言えよう。
では避ければすむのではないか。
凄まじい攻撃であれ冷静に見切りさえすれば何なりと対処できるのでは。
その見解は正論であり、事実龍彦の攻撃は一撃、一撃に全力を込めて打ち出されるので速さに欠けていた。
事実、敵手にひらりと避けられて手痛いカウンターを受けることも多々あった。
だが、一度振るわれた猛虎の爪撃を止めるまでには至らず。
攻撃を当てても刃崎龍彦は止まらず、その驚愕と一瞬の判断の遅れによって対峙する者は皆猛虎の爪の餌食となった。
百人以上いた数が、瞬く間に数を減らしていく。
龍彦と対峙した者は皆地面に蹲り、苦痛の呻き声を上げている。
顔は彼の誓いが最後まで遵守され綺麗なまま残されている。だから刃崎龍彦と対峙した者はまだ幸運であり――代わりに肋骨やら腕やらが骨折しているから幸運とは言い切れないが――郷田遥希と対峙した、してしまった者はボコボコにされる。
どのぐらいかと言うと、顔がもう腫れ上がって完全に別人と化している。
いずれにせよ彼らを敵に回した時点で、天友会に勝ち目など最初からなかった。
たった二人の圧倒的戦力の前に劣勢を強いられる光景に、天友会のリーダー各である少女の顔にはこれでもかと驚愕と恐怖の感情が混ざり合って浮かんでいる。
「そ、そんな……ア、アタイの部下達が……」
「お前は一度死んどけ!!」
強烈な遥希の一撃が思いっきり顔を殴り飛ばした。
吹き飛び、地面を数回転がった後、そのまま少女は動かなくなった。
死んで――はいないらしい、ちゃんと手加減しておいたと……数メートルも殴り飛ばしておいて本当に手加減したのかと疑うが、本人がそう言うのだから龍彦は信じることにした。
「やれやれ。これで天友会は壊滅、もう二度と悪さする気も起こらへんやろう」
「私と龍彦の敵じゃなかったな――さてと、それじゃあ続きと行こうか」
「続き? 続きって……何のや?」
「おいおい、こいつらが乱入してくる前私と闘り合うはずだっただろ?」
「あ~そやったな、すっかり忘れとったわ」
「やれやれ……それじゃあお互いに無傷じゃないけれど、覚悟いいよな?」
「愚問やで遥希。手加減なんざしよったら」
「それじゃあ今度こそ行くぞぉお龍彦ぉおおおおおおっ!!」
「手加減すんなよ遥希ぃっ!!」
龍彦が拳を繰り出す。
遥希もまた拳を繰り出す。
打ち出された両者の拳が、空中で激突した。