第十四話:動き出す歯車
龍彦は基本、休日は家ですごすことが多い。
購入したゲームやライトノベルに没頭するのはもちろんだが、一歩外に出たら喧嘩を売られることを彼自身が避けるためでもあった。
外に出歩かずとも世の中には通信販売と言う大変便利なものが存在する。
いい世の中になったものだ、と文明の進化に深く感心を抱いたのも束の間。遥希達が宅配便に変装してやってきたのを切っ掛けに、変装スキルが彼に加わったのは言うまでもない。
しかし、あべこべの異世界……いや、来須雅美が完成直前まで手掛け、不本意ながらも仮継ぎをしてしまった、刃崎龍彦とその他諸々の願望を融合させた夢世界ではわざわざ変装する必要もないだろう。
日曜日の朝。
外は昨日に続いて曇り空だ。天気予報を見ていると明日も、明後日も、ずっと雨らしい。
異常気象と世間では報道されているが、彼らはその異常気象が世界崩壊を意味するとは、龍彦を除いて誰も知るまい。
「本当に、嫌な天気や……」
ナンパしてくる美少女の声も、強引にホテルへ連れ込もうとしてパトカーに乗せられてた美女も、優しい婦警をアピールしつつ関係を築こうとする婦警も。
何もかもが心に響いてこない。
五体満足で生きていられるが元の世界に戻れない選択肢を進むには、どうしても越えなければならぬ関門がある。その関門こそ龍彦を酷く悩ませ、心に暗雲を覆わせている要因であった。
「あいつらの誰かと交際する……ホンマに意地の悪い条件やで、クソッ」
近くにあった石を蹴飛ばす。
こつん、と音を立てて綺麗な弧を描き遥か遠くへと飛んでいき――
「あいたっ!」
見知った顔の頭頂部に見事着弾した。
頭を両手で擦る仕草はかわいくて、同時に腹が立つ。
黒を主体としたゴスロリ衣装でばっちり身形を整え翡翠色の髪を風に靡かせる姿に世のオタク達は興奮すること相違ない。龍彦にとっては嘔気を誘発させる起爆剤でしかないのだが。
「あっ、龍彦くん!」
「悠……」
「こんなところで奇遇だね。もしかすると神様がボク達を引き合わせてくれたのかも。だとしたらやっぱり龍彦くんはボクの男になる運命みたいだ」
「そんな運命あってたまるかい。後もしホンマに神様の仕業やったら泣くまでシバき倒す」
「ど、どうしたんだい? 今日は随分と機嫌が悪そうだけど……男の子の日?」
「なんやねんそれ……まぁえぇわ。ほなな」
「あ、待ってよ龍彦くん! せっかくこうして会ったんだからボクとデートしようよ」
「はぁ? 何で俺がお前と……――いや、ずっとは無理やけど一時間ぐらいやったら構わへんで」
「えっ!? ほ、本当にいいの!? 言ってみるもんだね……」
本気で悠とデートがしたい、などと言う気は更々ない。
浅上悠、真宮衛、山南楓、そして郷田遥希……彼女を除く三人がどうして刃崎龍彦に好意を抱いているのか、思い返してみてまだ知らないことに気付く。
どうして好きなのか、彼女らの口から直接聞きたい。
そのためにデートをする。和んだ空気の中であれば彼女も話しやすかろう。
「ふふ~ん」
「嬉しそうやな悠」
「そりゃそうさ! こんなに幸せな日は一度だってないよ。まぁ天気が悪いのがちょっと嫌だけどね」
上機嫌な悠を隣に、龍彦は街を歩く。
一時間では行ける範囲も限られているので、近くの喫茶店でお茶をすることにした。
店内に入った瞬間、従業員および来客者から嫉妬と憎悪を孕んだ眼差しが一斉に悠へと向けられる。しかし勝者の笑みを浮かべ堂々としている彼女の姿が、余計に周りに油を注ぎ込む。
喫茶店ってこんなにも殺伐としてたっけ、と軽く現実逃避に入りながら運ばれてきたコーヒーを一口啜る。口腔内に広がる苦味に舌鼓を打ち、さて。
「なぁ悠、少し聞いてえぇか?」
「な、何?」
「……お前はさ、俺のこと、その……どう思ってるんや?」
単刀直入に本題を切り出す。
俺のことが好きなのか、と直接言えなかったのは彼が臆病者であることと、堂々と言えるだけの勇気を兼ね備えていなかったからで、龍彦自身なんだかナルシストみたいだと思い、遠回しに尋ねる形に纏めた。
「当然だね……もちろん大好きだよ。本音を言えば今すぐにでも押し倒して色々としたい」
「ちょっとは本音を隠そうとする努力見せろや……。せやけど、どうしてそこまで俺のことが好きなんや?」
「うん? そうだね……最初はさ、ボクは君のことを“ボクが作った武器を最大限に使って良いデータを採取させてくれる被験者”としか思ってなかったんだ。君と出会うまで、正直言うとボクって性欲とか薄い方だったんだよね」
「……ほ~ん」
「でもそうやって龍彦くんを追い掛けていく内に……気が付いたら目が離せなくなってたんだ。ずっと君のことを見ていたい、君に触れていたい、君と色々話し合って、時間を共に費やしたい……これが恋なんだって気付いたら……えへへ」
「その笑みが何を意味しとるんかは、あえて聞かんとったるわ……」
「そんな訳でボクは龍彦くんが大好き。だから結婚して? 一生幸せにするし、どんな相手が出てきたとしてもボクが守ってあげるから」
「いらん世話や……でも、お前の本音が聞けてよかったわ。おおきにやで悠」
時計を見やる。
デート開始から丁度一時間が経過していた。
こんなにも近くで一緒にすごしたのに嘔気が来なかったのは奇跡に近い。
もう頃合だろう。
「ほな、俺はそろそろ行くわ。今日はありがとうな悠」
「えっ? この後ホテルで一緒に汗を流しに行くんじゃないのかい?」
「アホ。日曜の朝から不純異性交遊するドアホがどこにおんねん……いや、ここにおったな」
「アホとは酷いんじゃないかな龍彦くん。でもそんな強気なところが他の男の子にはない魅力的なんだよね。ねぇもうちょっと我慢できそうにないからホテルいこ? お金とか全部こっちが持つからさ。デートに誘ったのも本当は龍彦くんも期待してたからなんだよね?」
「コーヒー代だけで充分やわ!」
喫茶店から逃げるように飛び出す。
後ろから悠が追い掛けてきた。白昼堂々、愛棒の金剛と雷電もしっかりと両手に携えられている。
あちこちで悲鳴が上がり、婦警が颯爽と登場するが呆気なく退場した。
明日の新聞に女子高生が警察官に暴行と見出しに載るだろうな、と他人事のように思いつつ龍彦は全力疾走で町中を駆け抜けた。
気合の入った声が室内に何度も反響する。
彼らが行っているのは中段正拳突き。空手入門者がその日の内に習得するであろう、空手の基本にして象徴技である。
一糸乱れぬ正拳突きが鋭く空を穿つ。汗が飛び散り、道着がちょっと肌蹴たりして胸元が大胆に開いたりして、健全な男子――龍彦に限る――には大変ご褒美かつ刺激的な光景で、一般男子にははしたないと嫌悪感を与えるであろうにも関わらず。
一欠けらも集中力を途切れ差さないのは、それだけ彼女達が空手に精を出している証拠であり、【龍神館】も門下生の教育に熱を注いでいることが窺える光景と言って過言ではなかろう。
「それで、急にどうしたんだ刃崎くん。いや私としてはアポなしで来ても君であれば大歓迎なんだが」
「いえ、ちょっと楓さんにお聞きしたいことがありまして」
「ほぉ、それは何かな?」
正拳突きが繰り出される。
後退して回避する。すぐさま攻めに転じ、回し蹴りを打ち込む。
難なく防がれる。
「楓さんは、俺のことどう思ってはるんかなって……ちょっと思ったんです」
「本当にいきなりだな。無論君のことは愛しているぞ」
「えぇ、そうなんでしょうね。アンタの攻撃にはそれだけの重みがありますわ」
勝ったら敗北者を好きにしてもいい、と言う実に身勝手な条件で山南楓との面会を取り次いでもらった龍彦は現在、多くの門下生に見守られる中で彼女と組み手をしている。
防具あり、フィンガーグローブありの男子空手大会の公式ルールに則って組み手をしているが、楓の攻撃は大木程度であれば素手で圧し折るほどの威力を秘めているので、ぶっちゃけ避ける以外の防御は意味を成さない。
故に一つ一つ、楓の攻撃を捌きながら龍彦は反撃に出る。
「何で俺にそこまで執着するんか、よかったら聞いても?」
「愚問だよ刃崎くん。君を見た瞬間から私の心は君に虜になっていた。刃崎龍彦と言う男といれば、空手家としての新たな道が切り開かれまた私は更に強くなれるに違いないとね。刃崎くん、君は言うなれば暗闇の中で道を照らすのに必要不可欠な炎だ。故に私はその炎が是が非でもほしい」
「炎……ね」
「それに私が最強の座を手にして刃崎くんの女となれば、誰も刃崎くんに手を出そうなんて馬鹿な考えもなくだろうからな!」
「ははは、寝言は寝て言ってくださいよ楓さん」
「寝言なんかじゃないさ刃崎くん。私は至って本気だよ。君をめちゃくちゃにしてやりたい、今私の心はもう君をどうやって愛でるかで一杯なんだ」
「うん、一度逮捕されてきてくださいマジで」
山南楓も郷田遥希と同じく、刃崎龍彦最強の座を手にするための越えるべき壁として認識している。
その裏側に性的欲求が孕んでいたと、果たして誰が気付こうか。
気持ち悪い。今日から半径三メートル以内近寄らないでと言ってしまいたいぐらい、いや言いたいほどに嘔気が込みあがってくる。
それに耐えつつ楓の猛攻を逃れて――一瞬の隙を突いて正拳突きを鳩尾へと打ち込む。
一本を告げる審判の動作に、龍彦は息を吐く。
がっくりと膝から崩れ落ち項垂れる楓に罵声が飛び交う――どうやら門下生の前で未成年者閲覧禁止行為を期待していたらしい――光景にやれやれと溜息をこぼして、龍彦は【龍神館】を後にした。
街を歩いていたらいきなり真剣を携えたコスプレ美少女に脅迫された。
ドラマでもこんな展開は早々あるまい。現実で巻き込まれるのもまた然り。
だが悲しいかな。これらはすべて現実で起きていることで、当事者として巻き込まれてしまった龍彦は激しく狼狽する。
日曜日であるにも関わらず無人と化していた公園にて、鞘より抜き放たれた大刀の切先が眼前に突き付けられた。
白刃の根元を目で辿れば、巫女服姿の美しき仕手がにこりと笑っていた。
その笑みを万人は妖艶と捉え、同時に恐怖の対象と認識するであろう。事実対峙している龍彦の頬には一筋の冷や汗が流れている。
それは彼の五体に敵手の存在が酷く刻み込まれているからであり、しかし真剣を突きつけられる理由が――大体の予想はできるけれど――皆目検討つかない。
「私を差し置いてデートとはどう言うつもりですか? 龍彦さんは私の男であることを少し自覚するべきだと思いますが?」
「……言っている意味がわかりませんね、真宮先輩」
「では単刀直入に申し上げましょう――私以外の女にいい顔をしないでください、触れ合わないでください、デートしないでください」
「どっから見てはったんですか……」
「まぁいいです。それよりも私が何故龍彦さんをここまで愛しているのか、今ここではっきりと教えて差し上げましょう」
「いやマジで何で会話の内容まで知ってはるんです? ねぇちょっとマジで怖いんですけど」
「私を慕ってくれる人間は、今まで本当に真宮衛を見てくれてはいなかった。平成の世に生まれた天才剣士などと言う肩書きや、百年に一人の逸材なんて勝手に言われている容姿で皆が慕っていることは一目瞭然で、なんだかそれが馬鹿馬鹿しかったです」
「真宮先輩……俺の質問さり気無く回避するのやめてもらえます?」
「そんな時貴方が現われてくれた……肩書きや容姿関係なく、一人の男として、武術家として態度を変えることもなく私に全力でぶつかってきてくれた。私はそれがとても嬉しかった……」
「無視かい」
それはそうとして。
どこか寂しげに微笑む衛の横顔に、龍彦の記憶が不意に甦る。
真宮衛は確かに天才だ。剣の腕前も然り、それに見合うだけの容姿も然り。されどそればかりに捕らわれてしまった者達は、真に彼と言う存在を知ろうとはしなかった。
勝手に自分達の都合のいい偶像として祭り上げ、それを害する者が現れれば彼の意思とは無関係に団結して弾圧する。
唯一の味方であるはずの両親ですらも、見ていたのはあくまで真宮衛の才能だけで誰一人として人間として彼を見ようとしていなかったことを、衛はずっと心の中で不満を抱いていた。
その不満が喧嘩の最中にぼそりと呟かれたのを、龍彦は今でも鮮明に憶えている。
「だから決めたんです。あなたに振り向いてもらうために私はどんな努力も惜しまないと。今は避けられてばかりだけど、いつか刃崎龍彦の心を掴んでくれるから決して私がしてきたことは間違いじゃなかったと……そうなるように」
彼がどんな心境で巫女服を着て対峙したのか、今ならばなんとなく理解できる気がする。
余計なことをするべきでなかったと、今更ながらに龍彦は酷く後悔する。
巫女服を渡したことが、彼の何かを吹っ切れさせてしまったに違いない。だから喧嘩を売りにくる度に、なんだか化粧をしたりして綺麗な身形をしてくるようになったなと思っていた。
その疑問がようやく繋がった。
男の娘とならエッチもあり、と言う猛者が世の中にはいるらしく、男である龍彦は許容範囲の広さと思考に理解しきれない。
いやはや。世の中はとても広い。そして自分にはそんな趣味嗜好および性癖は持ち合わせていない。
誰に問われたわけでもないのだが、龍彦は心中にて強く断言した。
「ところでこの服、憶えていますか? 初めて龍彦さんが私に送ってくれたプレゼントです」
「あ、それもしかしてあの時の巫女服?」
「えぇ、龍彦さんからプレゼントがもらえたとわかった時は本当に嬉しかった……。例えコスプレ衣装であったとしても、愛する殿方からの贈り物であればどんな物であろうと嬉しいです。本音を言えば龍彦さんにドクターや執事服とか神主衣装とか色々と着て私にご奉仕してもらえればなんて……あっ、今のは冗談ですからね? 忘れてくださいね?」
「うん、絶対冗談とちゃうな。本気で言っとるやろそれ」
「くっ……さすが龍彦さんです。じゃあ本音も言ったので是非着てください。着てくださったら私も龍彦さんが望む衣装を着てきますから」
「いや、別にないんで結構ですわ」
「さぁ龍彦さん、そんな訳ですから今から私の家行きましょう!」
「絶対嫌やわアホ!」
刀を振り回し追い掛けてくる衛。
龍彦の逃走劇が幕を上げる。綺麗な髪を振り乱し刃物片手に必死の形相で浮かべてくる様はさながら山姥の如く。
であれば自分が小坊主になるのだが生憎と三枚のお札は持ち合わせていない。
更に相手は縮地を使いこなす達人だ。故に龍彦が衛から逃げ切る確立は極めて低いのだが。逃げ切るための策を既に用意してあることを、彼女は知りえない。
故に。
「あ、あれは龍彦さんのパンツ!」
軍師龍彦の計略――逃走用に自前の下着(一応脱ぎたて)を囮にして逃走する――に衛はあっさりと標的を外した。ひらひらと宙を舞う一枚の下着に視線を完全に固定して必死に手を伸ばす。
女性らしからぬ言動は見るも聞くにも汚らわしいこと甚だしい。
しかし色々と身を守るためのものと考えれば安いものだ。
下着に夢中になっている隙に、龍彦は全速力で公園を飛び出した。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
午後から鉛色の雲が晴れ始め、町はようやく見せたお天道様からの恵みを受ける。
そう思ったのも束の間で、今ではすっかり青かった空は茜色へと染め上げられていた。
そろそろ自宅に帰ろうか。そう思った矢先。
「誰や?」
ポケットに入れたままの携帯電話がけたたましく鳴り始める。
ディスプレイには知らない番号が表示されていた。
自分が登録した番号以外の電話に、龍彦は基本出ない。
知り合いかもしれなかったが、そうであればメールなりなんなり別の手段で連絡を取るだろう。出て変な輩から絡まれるのも鬱陶しいこと極まりない。
従って彼は鳴り止むまで放置を決め込み、切れたら直ぐ様着信拒否に設定する――のだが、何故だろう。龍彦は疑問に眉間をしかめる。
知らない番号は今まで出なかったのに、この時の龍彦は何故か出ないといけない強迫観念に駆り立てられた。
恐る恐る、通話ボタンを押して電話の相手と対応する。
「……もしもし?」
《こんにちは龍彦くん》
「お前……雅美か!? 何で俺の電話番号知っとるんや!」
《そんなことはどうだっていいじゃない。それより龍彦くんに悪い知らせを持ってきたわよ》
「悪い知らせ?」
《えぇ、さっき龍彦くんには“管理者って言うのは肩書きだけで世界そのものが独立している”……って言ったの憶えてるわよね?》
「あぁ、そりゃもちろん……」
《この世界に生きる人々は誰かの意思で動く操り人形じゃない。自分の意思をしっかりと持っている――だからこそ教えてあげる。早く助けにいかないと、遥希ちゃん殺されちゃうかもしれないわよ》
「なっ……!」
予想外の言葉に龍彦は驚愕に目を丸く見開いた。
「遥希が……殺される?」
そんな馬鹿なことが起こりえるのか――いや、と龍彦は即座に否定する。
郷田遥希の強さを間近で見続け、尚且つ拳を交えたからこそ彼には絶対の自信がある。男であろうと女であろうと、龍彦が知る遥希の強さが変わっていないこともまた然り。
その好敵手の一人が殺されるかもしれないと言うのだから、龍彦は驚愕を禁じ得ない。
「そんなアホなことがあってたまるか! あいつが……遥希の強さは俺が一番よく知っとる! どこの輩か知らんけど勝てる訳あらへん!」
《信じるか信じないかは貴方次第よ。場所は港の第三倉庫、人質取られて満足に戦えないようだから行くなら早くした方がいいわよ?》
「あ、おい! くそがっ!」
来須雅美から一方的に電話を切られて、龍彦は急いで港へと急ぐ。
「あいつが殺されるやと? ふざけんなや……! そんなことは絶対にさせへんで!」