第十二話:猛虎、吼える
小休止も終わり、生徒達は中央へと集合を命じられる。
「それじゃあ次はちょっとしたゲームをするとしよう。今から皆に紙風船を一つずつ渡す。受け取ったら左右の胸のどちらかに付けてほしい。察しがいい者ならもう何をするかわかっただろう」
「スポーツチャンバラならぬ、スポーツカラテですか?」
「その通り。今から男子と女子でチーム対抗戦をやりたいと思う。とは言え全員でやれば指定された時間を大いにオーバーしてしまうから、選ばれた面子は幸運だと思うように」
男女から激しいブーイングの嵐が巻き起こる。
男子からすれば体格はともかく身体能力で圧倒的不利に陥る。即ちセクハラされ放題なのは目に見えていた。
逆に女子からすれば折角の美味しい思いをお預けにされてしまう。
両者異なる理由から不満の感情を罵声へと買えて楓にぶつける。
しかし、そんなの聞こえないとでも言うように、平然とした様子の楓が一枚の髪を取り出す。そして淡々と内容を読み上げた。
「どうか俺は選ばれませんように!!」
「…………」
「? どうかしたのか龍彦。トイレから戻ってきてからずっと険しい表情してるけど」
「……別に何もあらへん。ちょっと考えごとしとっただけや」
「そ、そうか。って俺呼ばれた!?」
「次、私の刃崎龍彦!」
「安心せぇ。俺もたった今呼ばれたわ」
「そ、そうなんだ。龍彦がいてくれたら、少しは安心できる……かな」
名前がどんどん読み上げられていく。
そうして十人の生徒が選ばれた。
五対五の勝ち抜き戦形式による団体戦。
やる気満々、欲に満ちた瞳をぎらぎらとさせている女子。
おどおどと不安を隠せず草食動物のように身体を震わせる男子。
その内の一人として含まれる龍彦は、ただじっと一人の女子生徒を見つめていた。
来須雅美――トイレで意味深な言葉を残した彼女は、この世界の真実を握っている。
龍彦に提示された条件――今より行われる団体戦にて女子に勝つこと。
内容自体、龍彦からすれば何ら問題はない。対戦相手の中に遥希などと言った強敵は含まれていない。であれば煩悩塗れの女子生徒など、数多くの猛者を相手にしてきた彼にしてみれば雑兵に等しい。
よって龍彦の勝利は確実であり、刃崎龍彦を知る人間であれば、誰しもが彼に軍配を上げよう。
だが。
――簡単には勝たしてくれへんやろうな……。
最初から結果が出ているゲームを賭け事に用いるなど、何の面白みもない。
いずれにせよ、真実を得るには来須雅美にまで行き着かないことには始まらない。
気合を入れる。誰が大将戦で出るか悩んでいる男子生徒達を他所に、龍彦は戦いの場へと先に出た。
龍彦が負けた時点で男子組みの敗北は決まる。
ならば出る順番が早かろうと遅かろうと大して変わらない。
自分が先鋒として出て勝ち続ければ、他の四人は心の傷を負わずに済む。そうした思いやりがあったからこそ、龍彦は先陣を切った。
「た、龍彦!?」
「俺が全員相手したるわ。お前らはゆっくり見学でもしとけや」
「か、かっこいい……男なのに女よりも女らしい!」
「そこに痺れないし憧れもしないけど、頑張ってくれ龍彦!」
「龍彦が先鋒を切るか。君のことだからてっきり大将を務めるかと思ったが……まぁいい。では女子の方は――」
「はーい! 私が出まーす!」
「むっ。君は……誰だったかな?」
「来須雅美です!」
「そうか。では両者は風船を胸に付けて」
龍彦は左胸に、雅美は右胸に風船を取り付ける。
準備は整った。
雅美と対峙する。
女子からは道着を肌蹴させろと最低な声援が飛び交い、不幸にも選ばれた男子からは卑怯な手を使ってでも勝てと外道極まりない声援が龍彦の背に浴びせられる。
「せや楓さん。俺にもフィンガーグローブ、貸してもらえますか?」
「えっ?」
「別に深い理由はありません。ただ間違って怪我させてしもたらアカン思ただけですわ」
「ふむ、まぁいいが……」
「すんません――さてと、もう一度確認しとくで雅美ちゃん。俺が勝ったら……この世界についての情報を教えてくれるんやろうな?」
「えぇ、嘘は言わないわ。でもそのためにはどうしても、貴方の実力を知っておく必要があるの」
「どうでもえぇわ。こっちは最初から全力で行かせてもらうで」
「さっきから何の話をしているかわからないが、両者準備はいいな? では――始め!」
試合開始の合図が告げられる。
同時に、龍彦が地を蹴り上げた。
取るは先の先。一気に間合いをへと潜り込み風船目掛けてパンチを繰り出す。
何の変哲もない、されど彼の拳は遥希を始めとする多くの猛者を伏してきた実績を持つ。
故に、たかが風船を割るだけに、ましてや女子相手に決して振るっていいものではない。
明らかに暴力を通り越して殺傷の域だ。
だが、龍彦は本気で来須雅美に拳を振るった。
手加減などして勝てる相手ではない。それは彼が長く戦いに身を置いたことで培われてきた第六感であり、龍彦に危険であると激しく警鐘を打ち鳴らした。
であれば、己の勘を信じるのは当然至極。
「見えてるわよ」
雅美はひらりと龍彦のパンチを避けた。
龍彦の目が僅かに見開き、すぐに冷静に相手を見据える。
想定外。数多の喧嘩をしてきた龍彦にしてみれば幾度となく経験している。いちいちことある毎に驚き思考を停止させては素人にも程がある。
ただ。
――こいつの動き……明らかに素人ちゃうな。
遥希のような天性的な身体能力を持った相手とは異なる。
武術を習得している者。従って雅美が見せた動きは真宮衛や山南楓と同類であり、錬度も達人に匹敵する。
わかってはいたが、やはり簡単に勝たせてくれないことを龍彦は再認識する。
「よっと!」
お返しとばかりに雅美が前蹴りを放った。
龍彦は左腕でしっかりと受け止める。
重く、鈍い音が格技場に鳴った。
「ぐっ!」
龍彦の表情が歪む。
外観だけで言えば、来須雅美の肉体は格闘技をするように仕上がっていない。四肢はすらりと細く、白く綺麗な両手は暴力と無縁であることを物語っている。
しかし、現実は大きく異なって龍彦へと襲い掛かった。
――何ちゅう重い一撃出してきよるねんコイツ……!
「しっ!」
体制が崩れた龍彦を、容赦なく雅美が襲う。
左右の正拳による速射砲。
今度は鋭く肉を弾く音が鳴り響いた。
レクリエーションの範疇を超える威力と、防戦一方に陥る龍彦に男子生徒達が短い悲鳴を上げた。
先鋒が負ければ次鋒が出る。
刃崎龍彦が勝てない相手に彼らが勝てる確率は天文学的だ。
龍彦の敗北は男としての死。
その結末だけは何としてでも避けねばならぬと、彼らは龍彦に声援を送る。それはもう必死に、喉がからからに枯れるまで声を張り続けた。
「このっ……調子に乗んなや!」
龍彦も黙っていない。
飛んできた雅美の正拳を力任せに弾き飛ばす。
がくん、と大きく雅美が体制を崩す。
龍彦は素早く懐深くに潜り込む。
「しゃあっ!」
天を穿つかのような鋭い左アッパー。
しかし、雅美はまたもひらりと避ける。
刹那、鈍い音と共に男子生徒達が悲鳴を上げた。
カウンターの正拳がもろに龍彦の右頬を打ち抜いたのだ。
「痛ッ……!」
口の中に広がる鉄の味に龍彦は眉を顰める。
どうやら今ので口の中を切ってしまったらしい。
「だ、男性になんてことをするのですか!」
「これはスポーツだぞ! 道着を肌蹴させたり、シャツを捲って素肌を晒してしまうならば全然問題ないが本気で顔を殴るとは何を考えているんだ君は!」
「龍彦くんを殴るだなんて許さないよ!」
「あいつちょっとぶっ殺してくるわ」
スポーツの領域を超えて、あまつさえ男性に手を挙げた雅美を女子生徒達は当然許さない。
非難の声が雅美へと降り注ぐ。本人は至って気にしていない様子だが。
今にも乱入しようとする遥希達。
それを龍彦は手で制止する。来るなと。これは俺の喧嘩なのだからと。
戸惑う遥希達を背に、龍彦は改めて雅美と対峙する。
「言ってるでしょ。見えてるって」
「……みたいやな」
口角に付着した血を手の甲で拭き取る。
肉体を鍛え、喧嘩で実戦経験を積み、技を習得してきたはずの自分が雅美の……女子一人を相手に翻弄されている。
覆しようのない事実を前に龍彦は――にやりと、口元を僅かに歪めた。
「何がおかしいの?」
「いやいや、やっぱ予想通りやなって思っただけや――もう、手加減せんでえぇよな?」
「ッ!!」
龍彦は道着の上を脱ぎ捨てた。
試合は終わった。これから“闘う”のに道着は返って動きを阻害させる障害物でしかない。
そして龍彦が脱いでから僅かに遅れて、あちこちで赤い噴水が上がった。
美少女がいきなり目の前でおっぱいを晒せばどうなるか。彼が持つ価値観で置き換えれば大変目に毒であり、また保養ともなる。
眠っていた欲望が目覚め、好奇心と男性の本能によって身体は瞬く間に支配されよう。
従って龍彦の半裸姿に女子生徒の半数以上が鼻血を出して気絶した。
普段はエロに対して積極的なくせして、肝心なところで羞恥心を抱く当りまだまだ精神はお子様らしい。
きゃあきゃあと黄色い声援が上がる中、龍彦は静かに拳を構える。
刹那、白金の炎が彼の全身より燃え上がる。
たった一瞬の出来事。されどその光景を目の当たりにしていた外野達がざわざわと騒ぎ始める。
対峙する雅美も同じ反応を示している。
そんな彼女に龍彦は不敵な笑みを浮かべて返した。
「そう驚くことあらへんやろ。武術なり何なりしとったら知ってて当然やで?」
「……気の力ね」
「せや。でもこの気っちゅうんはホンマに扱い方が難しいもんやで。何や極めたら飛ばすこともできたり、それこそ炎に変質できるらしんやけど……俺はどうもそっちの才能ないみたいでな。コントロールの仕方が上手いことできひんのや」
「……何が言いたいの?」
「お前は女や。せやけど得体が知れん。だから今は女って思わんと、化物と相手してるつもりで……やらせてもらうで」
「ふ~ん。なら見せてもらおうじゃない!」
雅美が地を蹴り上げた。
顔面を狙った容赦ない一撃が龍彦に襲い掛かる。
突き出された拳が彼に触れ、周囲から悲鳴が上がり、いても立ってもいられなかった四人の乙女がとうとう我慢できずに乱入しようと身を乗り出して――誰しもが唖然とした表情を浮かべる。
雅美が突き放った拳は龍彦に当ることはなかった。
では彼はどこへ“消えてしまったのか”。
その答えは、誰よりも先に気付いた雅美によって皆に知らされる。
「と、跳んだ!?」
龍彦は宙へと跳ぶことで雅美の攻撃を回避したのだ。
だが、問題はその飛距離にある。
五メートルはあろう高さに彼はいた。いや、舞っていたのだ。
相手の攻撃を見切り、空気の流れに従い身を委ねるがまま回避する。その動きはさながら流水の如く、宙を舞う姿は鳥の如く。
「今度はこっちから行くで!!」
音もなく地に着地して、龍彦が吼える。
地を蹴り上げて雅美へと肉薄する。
右ストレートを打ち込む。さながら稲妻の如く繰り出された拳に気が再び燃え上がる。
「ぐっ!!」
クロスガードで受け止めた雅美の顔に苦痛の感情が浮かび上がる。
龍彦は更にその上から気の纏った拳を打ち続ける。
龍彦が繰り出す攻撃は未だ風船まで届かず、また雅美本人にも直接的なダメージは与えられていない。
だが確かに、攻撃を防御する度に彼女の顔にどんどん苦痛の感情が濃くなっていた。
「な、なんなのこの力は……!!」
「休んどる暇はあらへんで!」
龍彦が吼える。
対する雅美の目がカッと開かれた。
刃崎龍彦と言う少年が歩んできた人生は、修羅の道と言って過言ではない。
望まぬも猛者達との戦いに勝ち続ける日々を送る。
そうした生き方があったからこそ――
「は、白金の虎……!?」
刃崎龍彦に猛虎が宿った。
中国では虎は強さや勇猛さ、勇敢さなどを象徴する存在である。
三国志にて蜀漢王朝の劉備玄徳の配下であった関羽、張飛、趙雲、馬超、黄忠は五『虎』将と呼ばれるほど、虎は武威のイメージと強く結びついていることが窺える。
刃崎龍彦が歩んできた喧嘩の歴史。
時には命を賭すほどの死闘を演じてきた経験が、武将に匹敵するほどにまで彼を成長させた。
もっとも、当事者である龍彦にその自覚はない。喧嘩はあくまで売られたから渋々買っているだけなのだから。
「これで、しまいや!」
白金に燃え盛る体毛に包まれ双翼を生やした猛虎の咆哮が、大気を轟と唸らせる。
敵手を粉砕せんと鋭い牙を剥き出し、敵手を切り裂かんと爪を伸ばす猛虎が遂に、雅美の風船を捉えた。
しんと格技場が静まり返る。
粉砕された風船の破片がひらひらと舞い落ちる中、龍彦は不敵な笑みを浮かべて雅美を見据える。
「…………」
唖然とした表情を浮かべたまま、雅美はその場から動こうとしない。
どれだけ静寂が流れただろう。
誰も一言も発さぬまま、時間だけがただただすぎていく。
やがて、誰かがとうとう静寂を破った。
「やった……」
声の主は遥希だった。
いつもの活気で男勝りな口調は微塵もなく。
まるで、辛うじて声を絞り出したかのように発せられた声は蚊の鳴くように小さい。
しかし、静寂を破ったその声が大きな波紋を生み出す。
「しょ、勝者は刃崎龍彦!」
大分遅れて楓が高らかに宣言する。
瞬間――格技場を万来の喝采と歓声が包み込んだ。
男女問わず、絶え間ない拍手が送られる。
それらを一身に浴びて、龍彦は雅美を見やる。
「……俺の勝ちや」
「えぇ、そして私の負けね――いいわ、約束通り教えてあげる」
「何や、条件は団体戦で男子組みが勝つことやなかったんかい」
「私が負けた時点で貴女達の勝利は確定してるじゃない。それじゃあ場所を変えましょうか」
「それもそうやな――楓さん、ちょっと俺保健室行ってきますんで、次の試合は次鋒同士からでお願いしますわ」
「私が責任持って連れて行きまーす!」
「あ、おい刃崎くん! それならば私が優しく手厚く介抱してあげると言うのに……!」
「どうせ傷は舐めるのが一番とか言うてキスしてくるつもりやったんと違います?」
「くっ……そこまで私の行動を先読みできるとは。やはり君が私の運命の男なのは確実らしいな!」
「はいはい、ちゅう訳やから後のことは頼むで。頑張って生き残りや」
「えっ!?」
感動から絶望に顔を染め上げた男子生徒達を残し、龍彦は雅美と共に格技場を後にした。