第十話:俺は誓って不純異性交遊はしてません!本当です!
若干エロ描写があります。
刃崎龍彦の人生は、言葉を選ばずに言えば最悪そのものだった。
関西弁を馬鹿にされてイジめられないために始めた肉体改造が、いつの間にか数多の猛者を相手にするなど彼が予想できなかったのは無理もない。
実に不幸としか言いようのない背景がある龍彦を他所に、猛者達は打倒龍彦を掲げて彼に襲い掛かる。それを撃退すればするほど彼の知名度はぐんぐん鰻登りをして、誰が最初に言ったか……最強の喧嘩師――“鋼翼の猛虎”の異名が世に知れ渡る。
そうした異名に惹かれて挑んできた暴走族組織が龍彦に喧嘩を売った。
天友会――構成員百人以上を誇り、中には刑務所に服役した経験を持つ者すらもいる。正に危険と言う危険を詰め込んだような組織が、たった一夜にして壊滅させられた事実は世間を大きく揺るがした。
彼らが壊滅したその日、偶然にも打倒対象である龍彦は酷く苛立っていた。
毎日のように色んな相手から勝負を挑まれ、女子からは怖がられ、のびのびと満喫するはずの学生生活が血と暴力によって染め上げられる。
本人の意思ならば文句を言うのはお門違いだと言うものだが、当事者である龍彦にその気など更々ない。
よって、青春真っ只中の青少年に掛かるストレスの何倍以上ものストレスが龍彦に圧し掛かる。
不幸にも天友会は、ストレスが爆発する寸前の彼に喧嘩を売ってしまったのだ。
せっかく武装してきたボウガンや日本刀も、凶器と殺傷能力と言う恐怖を行かせられることなく龍彦に悉く破壊される。
一方的な蹂躙と言っても過言ではない戦い。
そこに更に、稲妻まで加わったのだからつくづく天友会は運がなかったと言えよう。
稲妻は龍彦がよく知る人物だった。
幾度となく龍彦に戦いを挑み続ける猛者の一人。
しつこさも、タフさも、凶暴さも、彼の中で最高危険人物として指定される男。
【ライトニング】のボス――郷田遥希。
自分の獲物を奪われんとする独占欲と、多数で一人を袋叩きにしようとする天友会のやり方が、彼の逆鱗に触れた。
ここまで来るともう、逆に天友会が憐れでしかない。
「何や、懐かしいな……」
「え?」
「いんや。ちょっと昔のことを思い出しただけや」
暴走族を追い払ってから、龍彦は遥希を自宅へと案内した。
それがこの世界ではどう言うことを意味するのか。
子羊が無用心に扉を開き狼を中へと招き入れるが如く。
襲ってくださいと解釈されても仕方がないし、誘っていると痴漢扱いをされても文句は言えまい。
それがわからないほど龍彦は愚鈍でもないし、第一に怪我人相手に無理矢理性行為に及ぼうとする、いわゆる強姦などの歪んだ性癖は彼自身が一番嫌っている。
先の戦いにて、確かに暴走族は退いた。
だが、無傷とまではいかなかった。
相手の攻撃を冷静に見切り、捌いていた龍彦に対し遥希の戦い方は力によりごり押し。
相手の攻撃を受けつつ強烈な一撃を見舞う、それが郷田遥希の戦い方だ。そのあまりにも無茶な戦い方に鉄壁と龍彦が例えてしまったことで、今ではすっかり定着してしまっている。
遥希の腕には打撲痕が酷く目立ち、ナイフで切られたのか切り傷も見られる。
綺麗な顔は幸いにも無事だが、けれども女子が怪我を残しておくことを、男である龍彦は見過ごせない。
例え元々が男であっても、今の郷田遥希は一人の女の子なのだから。
「そ、それにしても龍彦の家って結構広いね!」
「あぁ、俺自身も相変わらず慣れへんけどな」
「そ、そうなんだ! ふ、ふ~ん……」
「……さっきからどないしてん。いつもの口調はどこいったんや?」
「べべべ、別にいつもと同じだけど!?」
「どこがやねん……」
彼女からすれば――いや、世界に存在する多くの女性が、異性から家に招待される経験を持っていないに違いない。
であれば遥希が緊張して素の部分を晒してしまうのは無理もない話だ。
先ほどの荒々しい戦いっぷりが嘘のように、今の遥希はごく普通の少女だ。目のやり場に困る衣装なのは、とりあえず隅に追いやるとして。
とてもかわいい。そのことについて龍彦は否定しない。
この世界での郷田遥希は間違いなく美少女だ。
そうとわかっているのに、龍彦が知る本来の郷田遥希が脳裏に焼きついて離れない。近くで接すればするほど、遥希に心ときめけばときめくほど、激しい嘔気が襲ってくる。
いっそのこと記憶が抹消できればいいのに。
叶いもしない願いを、龍彦は密かに渇望した。
さて。
「とりあえず手当ては終わったで。せやけど明日にでも一応病院は行っときや」
「あ、うん……ありがとうね、龍彦」
「気にすんなや」
龍彦にとって遥希に手当てを施したのは今回が初めてではない。
天友会との喧嘩で助太刀に入った遥希も、相手からの攻撃を受けて怪我を負った。
その時に、龍彦は自宅に招き手当てをしている。
どんな形であれ彼に借りを作ったのは事実である。その借りを返さないまま終わらせてしまうほど、刃崎龍彦と言う人間は愚かではない。
受けた借りは必ず返す。恩は絶対に仇では返さない。
父親から受けた教えを、龍彦は忠実に守る。今も、そしてこれからも。
「それよりも遥希。お前もしかして飯まだ食ってへんのとちゃうか?」
「え? そ、そんなことないわよ!」
「嘘吐けや。戦っとる最中、お前の腹の虫がグゥグゥ鳴っとったの俺が聞き逃す思っとったら大間違いやで――そこ座って待っとけや。今簡単なもん作ったるし」
「マジで!? いいの!?」
「大したもんちゃうしな。あんまり期待しんといてや」
「やった! 龍彦の手料理が食べれるなんて……明日思いっきり自慢してやろうっと」
「……血みどろの喧嘩になるから絶対にやめときや。いやホンマに」
ガッツポーズを取る遥希をその場に残し、龍彦は台所へと向かう。
冷蔵庫の中をチェックし、使えそうな材料を取り出す。
ご飯が多く残っていたから炒飯を作ることにした。
「あの時と一緒……って訳やないけど、同じようなシチュエーションが再び起きるなんてなぁ」
手当てをして、作った男飯を振舞う。
あべこべの世界でまたも、こうして遥希を自宅に招き飯を振舞うとは、龍彦は夢にも思っていなかった。
「ほい、できたで」
「こ、これが龍彦が私のために作ってくれた手料理……!」
「つっても炒飯やけどな。これぐらいやったら、ガキでも作れるわ」
「男の人に作ってもらうことが一番大きいの!」
「さいですか」
テーブルを挟んで、二人で炒飯を食べる。
スプーンが時折食器を叩く音と、咀嚼する音だけがリビングに奏でられる。
とても静かだ。食事をする最中、龍彦は沈思する。
学校じゃあれだけ絡んでくる遥希が、不気味なぐらい静かなのが気掛かりだ。
黙々と口に炒飯を運ぶ姿は小動物のような愛くるしさがある。
豪快かつちゃっかりお代わりまで要求してきた男の遥希が脳裏に焼きついているからこそ、正反対の行動を取っている彼女に龍彦の心は不安と心配に締め付けられる。
「なぁ……」
手を止めて龍彦は静寂を切る。
「な、何!?」
「……前々から聞きたかったんやけど、何でお前はそこまでして俺に拘るんや? 俺以外の男なら学校におるやろ。それやのにお前は俺ばっかりに絡んできよる。俺やとちょっかい出したらいつも相手してもらえるからか?」
「ち、違うよ! そりゃもちろん、他の男子も皆いいと思うよ? でも……」
「でも?」
「でも私は、そんな中でも龍彦が一番好き。初めて会った瞬間からこう、ビビッて来たの。あぁこの人こそ私の運命の人なんだなって!」
「……何やそれ。まぁお前らしい理由っちゃ理由かもしれへんけどな」
「む? それってどう言う意味?」
「さてな。そこは自分で考え」
あぁ、やっぱり。
遥希はどこまでいっても遥希らしい。龍彦は小さく笑う。
男の遥希にも、龍彦はどうして挑んでくるのか尋ねたことがあった。
最強と言う称号がほしいのであれば、一介の高校生に喧嘩を売る以外にも手段があるのではないか。それこそ日本の猛者達を集めて戦わせる異種格闘技大会も開催されているのだから、寧ろそっちに出場すべきではないのか。
公式に開催された戦いで優勝すれば、誰しもが最強と認め讃えよう。
しかし、遥希はそれをしようとしない。名誉こそ欲するも彼が金に興味がない男だと言うことに少々驚いた。
強さを兼ね備えていながら何故この男はそうしないのか。
その答えが、直感と即答したものだから龍彦は思わずずっこけた。
最強の座に立つためにはどうすればいいか。その答えこそ刃崎龍彦を倒すことだと俺はビビッと感じた、と真面目に答えた彼には龍彦も苦笑いを浮かべざるを得なかった。
食事も終えて、食器も洗い終える。
さて、本来であればそろそろ風呂に入って寝るだけなのだが。
今日ばかりは予定外の来客者がいる。
時刻は午後十一時をすぎている。元々とは言え、未成年が出歩いていい時間ではない。
それに当てはめれば郷田遥希は立派な違反者だ。夜遅くに出歩いてるだけでなく、異性の家にいるのだから。
よって龍彦は――。
「今日はもう遅いから泊まってけや」
宿泊を遥希に提案する。
一つ屋根の下で未婚の男女が共にすごす。
これ何のエロ漫画、と高揚したのも束の間。
相手が郷田遥希であることに、龍彦は心中にて深い溜息をこれでもかともらす。されど女子一人が夜の町を出歩くのも感心しないから我慢することにした。
くどいようだが、元男でも現在の遥希は女の子なのだ。
「ととと、泊まっていってもいいの!?」
「時計見てみぃ、もうこんな時間や。今頃歩いとったりしたら警察に補導されるんは確実やで」
「でででで、でも本当にいいの? 後でドッキリ大成功とかしないよね!?」
「誰がするか。一応これでも気ぃ遣ったってんねん。まぁお前が警察に見つかることなく自宅まで無事帰れる自信があるんやったら、別にえぇんやけどな」
「泊まります! 是非とも泊まらせてください!」
「土下座せんでえぇっちゅうねん……それやったら空き部屋があるからそこ使えや。必要最低限のものは置いてあるさかい、壊したりせん限り好きに使こうたらえぇ」
「うん!」
「その代わり、もし夜這いとか襲ってくるような真似したら即刻出て行ってもらうしな。もしくは警察に通報な」
「も、もちろんわかってるわよ!」
「何で今言い淀んでんお前……」
普段の彼女を知る者が見れば、はてどんな反応を示すのやら。
瞳をきらきらと輝かせ、嬉しさをこれでもかのアピールしている。
本当に、今の郷田遥希はごくごく普通の女の子にしか見えない。ぴょんぴょんと跳ねては奇妙な構えからのガッツポーズをする遥希を横目に、龍彦は苦笑いを浮かべる。
「それじゃあ、飯食ったら先にシャワーでも入ってこいや。俺は後で構わへんし」
「わ、私が後でいいわよ! それにこういう時ってメンズファーストって言うじゃない。龍彦はこの家の持ち主なんだし、先に入る資格があるわ」
「あ~……せやった。それもそうなるんやったな」
「え?」
「いんや何でもあらへんわ。わかった、ほな俺から先にちゃちゃっと入らせてもらうわ――因みにレディー……いやメンズファーストって言葉が生まれたんは、昔にギャングが車から降りる時に襲撃されても大丈夫なように先に男を降ろしたって言うんが最初らしいで?」
実にどうでもいいうんちくを残して、龍彦は浴室へと向かう。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
郷田遥希は誰しもが認める最凶最悪の女である。
ことこの件に関しては、彼女を知る者から彼女に惹かれて配下となった者達の喧伝は嘘偽りの類ではなく、紛れもない事実である。
愚かにも彼女に喧嘩を売った相手は悉く返り討ちに遭い、未だに病院から出てこれない者も数多くいる。手加減と言う言葉は、郷田遥希の辞書には登録されておらず。故になるべくしてなった結果と言えよう。
そんな彼女も年頃の性欲溢れ異性に大変関心を持つ乙女である。
こと好きな男――刃崎龍彦が絡めば言動がころっと変わるほどの純情さも兼ね備えており、自宅には官能から純愛と幅広いジャンルの創作物で満ち溢れている。
そんな一面も知っているからこそ、彼女に憧れて慕う者達は多いのだ。
ただし敵対すれば、その時はその者は死を覚悟して挑まねばならないが。
それはさておき。
「ま、まさかこんな展開になるなんて……これは試練と見た。神様が私に幸せになれるためのチャンスと私は理解したっ!」
ひょんなことから男女が同じ屋根の下で暮らすことになった。
最初は警戒していた男性も、やがて女性の優しさに心許して遂に二人は――と。現在に至るまで創作物で得て己の都合のいいように妄想してきた展開を脳内で再生しつつ、遥希は浴室へと向かう。
遠くから聞こえてくるシャワーの音に彼女の喉がごくりと鳴る。
好きな男の裸を見ると言う好奇心と、罪を犯すことへと背徳感が混ざり合って遥希に強い性的興奮を与えているから当然と言えば当然だった。
忍び足でもなく匍匐姿勢で移動する辺り、彼女の本気が窺える。
もちろん、第三者……男性から見れば恐怖以外の何者でもないし立派な犯罪だが。性に支配された遥希に迷いはない。そもそも理性が吹っ飛んでいるから気にすらしていないが。
とうとう、遥希は目的地に到着した。
浴室から聞こえてくるシャワーの音。
湯煙で曇った扉に人のシルエットが移されている。鼻歌交じりで機嫌もよさそうだ。
「こ、この先に龍彦の裸が……」
再びごくりと、遥希は生唾を飲み込む。
扉一枚の向こうには、性欲旺盛で異性に興味津々な年頃の女性が到達すべき場所が待っている。それは理想郷でもあるし、あるいは天国でもある。
とまぁかっこよく言っても結局は男の裸であるし、今遥希がしようとしていることも単なる覗きでしかないのだが。
それはさておき。
扉一枚さえ開ければ、念願の男性の裸が拝める。
加えて恋心を抱き我が物にしたい欲望を向けている相手であれば尚のこと。
下腹部の辺りがむずむずと疼き、じんわりと熱が帯び始める。下着越しから指で優しく擦ってやれば快楽と言う衝撃が全身に突き抜ける。
セクハラをすれば追い出すと約束を交わしている。そこで通報しないと言わないのは、彼が男女交友についてよき理解者であることを物語っている。
遥希とて好きな彼からの約束を破りたくはない。しかし悪魔の誘惑が心の中でどんどん芽生え、遥希を苦しめているのもまた事実だった。
漫画や恋愛小説でしか見たことがないような展開に、遥希は今陥っている。
ここで遠慮をすれば、一生拝める日は訪れないかもしれない。いや、きっと訪れない。
ならば、今ここで勝負に出るか。遥希は洗濯カゴに乱雑に突っ込まれた衣類に手を出した。
つい数分前まで龍彦が着ていた衣類。
手を伸ばし、一番上に鎮座していたそれを鷲掴みにする。
「龍彦の……パンツ」
遥希は手にしたパンツを、恐る恐る顔に近づけた。
「ッ!」
びくりと大きく身体を打ち震わせて、遥希は何度も鼻呼吸を繰り返す。
今日一日、刃崎龍彦の匂いがたっぷりと染み付いている。
くんかくんか、すーはーすーはー――遥希は一心不乱に匂いを嗅いだ。嗅ぎ続けて、ついには自らの下着の中に二本指を侵入させる。
体臭、汗、そしてアンモニア臭――それらが混ざり合う臭いは、女性の性欲を強く刺激して理性と思考能力を著しく低下させることから、大麻や覚せい剤と並んで麻薬と例えられるようになったのはつい最近でもあったりする。
ジョークグッズで、匂いつきローションやスプレーなどが世の中には出回っている。
郷田遥希も購入者の一人であり、一週間で使い切ってしまう自らの性欲旺盛さと度重なる出費に悩んでいる彼女が、手にした龍彦の下着をこっそりカバンの中に入れたのは、なるべくしてなった結果と言えよう。
――こ、これは一生のお宝にしないと!!
しっとりと濡れた人差し指と中指を繋ぐ水橋に、遥希はにんまりと笑う。
このまま勢いに任せて風呂場に突入しようか、と一瞬悩んで遥希は撤退を選択した
急いては事を仕損じる――今慌てて風呂場に入ったところで、龍彦はきっと私の男にはなってくれない。
やっぱり目指すのは漫画に出てくるような純愛よね、と誰からも聞かれていないのに一人心の中で呟いて、遥希は風呂場を後にする。
「なぁお前さ……ホンマにアホやろ」
「じゃ、じゃあ直接手を出してもよかったの!? 私、これでもすっごく我慢してたんだから!」
「あ~……もうえぇわ。えぇし頼むから半径三メートル以内近付かんといてくれマジで」
「やった! あ、そうだ!」
突如、遥希に天啓が舞い降りる。
己の体液でぐっしょりと濡れた下着を脱いで、たった今手にしたばかりのパンツを履く。
スポーツ選手がお互いの健闘を称えてユニフォーム交換するように、遥希は共に暴走族を撃退したことを称えて自らの脱ぎたての下着を、よりにもよって男性に渡そうとしている。
男性側からすればまったく嬉しくない贈り物だし、目の前で平然と下着を脱ぐような女性に好感度など持てるはずもない。
それでも遥希が行動に平然と行動に移せたのは、麻薬――龍彦のパンツの香り――が彼女の理性を狂わせ、持つべき羞恥心や倫理観を欠如させたからであった。
「はいコレ。ユニフォーム交換なの」
「いらんっちゅうねん! てかお前結構際どいのしとったんやな!」
「そりゃ好きな男の前でダサいパンツなんか履けないじゃない。いつでもどこでも、脱いだ時に恥をかかないように身嗜みは常に気を付けないと」
「……あっそ。もうえぇしさっさと風呂入ってこいや。俺はもう先に寝るで」
「おやすみ~」
心底疲れ切った様子で寝室へと入っていく龍彦を見送って、遥希はるんるんと浴室へと向かった。