出会い
元々人嫌いで周囲と馴染むことが苦手だった俊哉は、新しく顔合わせとなったクラスメイトと上手く溶け込むことが出来ず、5月に入るころには学校へ登校しなくなった。俊哉の両親は俊哉が十歳の時に離婚しており、俊哉は父の実家で父方の両親、つまりは俊哉の祖父母と父ともに暮らすことになった。
俊哉としては父と母のどっちにつこうがどちらでもよかった。父も母も平日は仕事にでており、両親ともに夜中になっても帰ってこないことなどざらにあることで、毎日夕飯代として預けられてる小遣いで自分のぶんの弁当をコンビニで買って済ませ、両親のどちらかが帰ってくるころには自分で沸かした風呂に入ってさっさと布団に入ってしまっていることが多く、両親とまともに会話などすることがほとんどなかった。
だから両親が別れることが決まり、どっちと生活したいか問われた時も「別に、どっちでも―」ととっさに出た言葉も本音だった。結局経済力の差もあってか、父方につくことになり、今まで疎遠だった祖父母と暮らすことに決まった。
そのせいか父や祖父母は俊哉に口うるさくすることなく、不登校になったときもあまり咎められることも責められることもなく、ただ黙って見守られていただけだった。学校側も担任の先生も最初は心配して電話や家庭訪問などしてくれたのだが、二週間もすると連絡もまばらになり、一月も経つと連絡一つよこさないようになった。俊哉としてはあまり家庭にも学校にも干渉されない事に安堵感を憶える反面、どことなく寂しさも感じており、思春期真っ盛りの俊哉の心はただただ冷たくなっていくばかりだった。
学校へ行かなくなった俊哉は特になにもすることもなく、日中は祖母と共にテレビを見て過ごした。祖父は月水金はシルバーの仕事で草刈りや駅前の駐輪監視の仕事にでていて、それ以外の曜日は俊哉達とテレビをみたり、どこかへ友人たちと遊びにでかけている様子だった。父はといえば母と別れたあとはますます荒んだ生活になったようで、自宅に帰ってくるのは日付が変わるころなどは当たり前で、仕事ならいざ知らず、酒や女遊びにあけくれているようだった。70を過ぎた祖父が、本来は年金受給で第二の人生―というわけにもいかず、週3でシルバーで働いている様を見る限りでは俊哉の父はまともに生活費を入れているようではなかったのだが、十代も幾ばくかの俊哉にはそんな事知る由もなかった。そもそも家族とまともに触れ合いのなかった俊哉は、そんな父や祖父母の財政事情など知ろうとも思わなかったのだが。
俊哉が不登校になり、三ヶ月が過ぎた真夏の昼だった。世間では夏休みに入って数日がたっていた。いつもと変わらず祖母とテレビを見ていると、午前のシルバーの仕事から帰ってきて昼飯を終えた祖父が、なんだかためらいがちに俊哉に話しかけてきた。
「なぁシュン、暇なら俺と一緒にちょっとでかけてみないか。連れていってやりたいところがあるんだ」
家族からこんなふうに誘われることなど、過去に経験のなかった俊哉は驚きを隠せなかった。
あまりの不意打ちに数秒固まっていると「面倒か?」と問われて、慌ててそうじゃないとかぶりを振って「ちょっと待ってて―」とせめてものよそ行きの服に着替え、祖父のあとについて家をでて祖父の車に乗り込んだ。そのまま面倒だと答えてもよかったのだが、祖父がどこに連れて行ってくれるのかと好奇心が勝ってしまった。車に乗る際には後部座席にのるか助手席に乗るかで迷ったが、助手席に乗った。なんとなく車内では気まずくなるかと危惧していたが、やはりというか案の定大した会話もなかった。
「どこに行くの?」
と道中尋ねると、「あぁ…まぁ、未成年はあんまり連れて行ったらいけねえんだろうが…」と独り言のようにぼやくだけであとは何も言わなかった。音量の大きめのラジオだけが車内に響いていた。
見慣れぬ道を十五分ほど走り、目的地に着いたらしい。六台分ほどしかない駐車場にはすでに三台の車が停まっていた。そのうちの一つに車を止めて、ここだよと祖父に促された。三階建てのビルで、駐車場に面している一階は居酒屋になっているようだったが、午後一時の現在では当然の如くシャッターは閉まっている。「未成年は…」と祖父が言ってたのを思い出し、目前にある居酒屋の中に連れて行かれるのかと思ったが、「こっちだ」とビルの脇にある階段を登る祖父を見てどうやら目的地は居酒屋ではなかったのだなと俊哉は悟った。
ところどころ赤黄色く錆びついたステンレス製の階段をガンガンガンと鈍い音をたててのぼる。三階へ続く階段には足をかけず、二階の「笑四喜」と古びた手書きのような文字で書かれたドアの前で立ち止まり、祖父はその扉をあけた。
(しょう…よんき?)
なんと読むのか疑問に思いながら、ギキと音をたてながら重々しく開いた扉の隙間を祖父の後ろから覗くと、緑とオレンジの原色を放つ四角いテーブルが数台とそのうちの一台を囲む見知らぬ男性数人の姿が見えた。
「おぅ、山口さんいらっしゃい」
白髪まじりのメガネの初老の男性が入店してきた俊哉たちを出迎えた。どうやらこの店の店主らしい。祖父に続いて店内にはいり、先程ちらりと見えたものをまじまじと見る。コンビニほどの広さの部屋に、五台あるテーブルのうちの一台に四人の六十から七十ほどの祖父と同世代のじいさん方がぐるりとテーブルを囲み、消しゴムほどの大きさの石のようなものを互いに並べている。実際にみたことはなかったけれど
(これは…マージャン?)
「おっ山口さん!おれこれでラスハンだからちょっと待っててや!あとニキョクで終わるからー!」
テーブルを囲んでいる一人から威勢のいい声が飛んできた。
「何言ってんの野口さん!俺のオヤでレンチャンするからニキョクじゃあ終わんねえよぉ」
「ほー?できるもんならやってみ」
「はいはい!ロンだねぇ!メンタンのウラウラも乗ってハッセンのニマイ!」
「えぇ!リャンピン通らないのお!?」
「やっぱこの調子じゃあすぐ終われるなぁ!」
テーブルを囲う四人はよくわからない言葉を並べながらガハハと笑いあっている。
「そっちのぼっちゃんはお孫さんかい?」
メガネの店主が祖父に話しかけてきた。
「打たせはしねえよ。俺の後ろで見せてやるだけなんだが、だめかい?」
「いや、他の人がいいってんならかまわないよ」
店主と目があった俊哉はペコリとお辞儀をした。
「まぁ座ってなよ。山口さんはコーヒーでいいんだろ?兄ちゃんもコーヒーでいいかい?それともオレンジジュースかな?」
ふいに話しかけられて焦りながら「コーヒーでだいじょうぶです」と答えると、店主はレジカウンターの陰へコーヒーを注ぎに向かった。
待合席のように用意されているソファに腰掛けると祖父が口をひらいた。
「俺はな、マージャン打ってるときが一番楽しくてな。別にシュンにどうしても覚えて一緒にやってほしいとは思ってないんだが、学校にも行かずにばあさんとテレビにかじりつきになってるお前を見てると、せめてなんか趣味があってもいいんじゃないかと思ってな」
話しかける、というよりはなんだかつぶやいてるようだったが、俊哉に何を伝えたいのかは俊哉はなんとなく感じ取れた。
「まぁ趣味なんて人それぞれだし、気に入らなかったらもう無理には連れてこない。夕飯までに帰るつもりだから、それまで俺の後ろで見たりしてるといい。つまらなくなったらそのへんの漫画読んだりしててもいいしな」
座っているすぐ後ろの本棚に目をやると、漫画がぎっしり詰まっていた。しかし大半はマージャンがメインのものばかりで、俊哉が楽しめるようなジャンルのものは数少ないようだ。
「兄ちゃんはマージャン打てるのかい?」
コーヒーを持ってきた店主に尋ねられた。俊哉の前にカチャリと置かれたカップの脇にはスティック砂糖とミルクがふたつづつ揃えられている。祖父のカップには何もないところを見るといつもブラックを飲む常連、ということなのだろう。
「いえ、見たこともやったこともないです」
「そうなんだ。じゃあここの漫画は見ても面白くないでしょう?」
そういってカウンターの上からテレビのリモコンを取り出した。暇ならテレビを見てても構わないよということなのだろうが、俊哉はテレビを見る気はなかった。
俊哉にも理由はわからなかったのだが、ただ単純に目の前の石を使って遊ぶ遊戯に心が惹かれているのだった。
それはどの流行りのゲーム機よりも魅力的に見えた。