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ハナヤマイ  作者: 鍛冶屋
一章
1/3

千里の道は森の中

* * *



“誰かに愛されるには、あなたが誰かを愛さなければ”


 母はわたしに、そう教えてくださったのです。

 だから、わたしは母を愛しました。父を愛しました。

 男性を愛しました。女性を愛しました。

 だけど、わたしを本当に素敵だね、綺麗だねと言ってくれる人はいません。


 わたしは花を愛でました。

 美しいねと言ってあげました。

 だけど、見返りはないのです。

 花はわたしが愛した母に、父に、男性に、女性に愛でられました。

 

 愛さなくても、愛される花は羨ましくて。妬ましくて。

 だから、私は花になりたかったのです。



* * *




 椿の花弁が、男の右耳を通り過ぎて湿った土の元へと堕ちた。

 薄暗く色彩のない森の木々の中で、この花だけは眩しいほどの真紅の色を艶やかに光らせていた。だけど土に落ちれば、花弁は森と同化して土へと埋もれる。

 椿が死んだ、"男"はなぜか咄嗟に思って息を吐き出した。


 堕ちた椿を傍目に見た男の名前はない。

 彼は、名無しの権兵衛ジョンドゥだった。


 正確に明記するのであれば、彼にも、かつては親につけられた名前はあった。

 だが、彼は自らの名前を失念した。それどころか、親が誰なのか、自分はどこに住んでいたのかということすら知らなかった。

 「何故そんなことに?」と言われたなら、彼は「分からない」と困惑のまま呟くしかないのだろう。夜なのだから、星に尋ねられればいいのだけれど、彼の願いを嘲笑うかのように空は曇っていた。

 暗夜の中、ジョン・ドゥは星も見えない黒い葉をした森の木々を見上げていた。ざらざらと風とともになびく葉っぱたちのうねり声に似た音だけが耳音に流れていく。

 名無しの男は右手で頭を擦ってみた。だけど、思い出すものはなかった。唯一分かったのは、自分の手は黒い手袋をはめていること。そして薄い黒の鞄を右手に持っていた……ということだった。

 そこで、彼はなにが入っているか分からない黒い鞄のボタンに手をかけてみることに決めた。



「こんな真夜中に。旅行にでも行くのかい?」


 藪から出てくるのは蛇か、鬼か。

 緊迫の最中に立っていたジョン・ドゥは背後から声をかけられて、慌ててボタンから手を放した。


 彼が振り向くと、麦のような金色、肩に届くか届かないぐらいの短髪をした小柄な人影が立っていた。紺色のジャケットを羽織っていて、太腿が見える短いズボンを着用している。

 顔立ちは中性的で、瞳は真っ昼間の海の色がこちらを見つめていた。

 中に着ているタンクトップから見える肌の色は白く胸も薄い。鎖骨が一段と尖がっているようにジョン・ドゥには感じ取れた。

 そしてその人は、一人の幼い子供と手を繋いでいた。

 白いワンピースを着ていて、銀髪のおさげをした少女だった。彼の顔をちらりと見るなり、落ち葉だらけの地面に目を逸らして俯いてしまった。

 口下手なジョン・ドゥは、なにを言っていいか分からずに、現れた二人の姿を茫然と間抜けな顔で見ていた。


「あらら、どうしたの? そんな顔しちゃって。こんな森で男の子……いや、男一人で歩くなんて。大人にして口減らしかな? 世知辛い世の中だね」

「ええ、っと……あなたは、どちらで?」

「うん、ボク? ボクは"キリア"さ。よろしくね」

 さらりと名前を述べられたことに、名が無いジョン・ドゥは戸惑った。

 だが、尋ねられたら答えらるのは当たり前だということに今のジョン・ドゥは気付けなかった。

 微笑を浮かべたキリアは右手に繋いでいる少女を見遣った。暗い森だというのに、銀色の髪と白い肌のおかげで存在感を放っているこの少女は、背丈からして一〇歳ぐらいだとジョン・ドゥは判断した。


「この子は、"ユキ"……ちょっと恥ずかしがり屋だけど、優しい子だよ」

 暗い森を臆する様子がないキリアが、ジョン・ドゥに言っている間に、ユキと紹介された少女は小さなノートに一生懸命、ペンを走らせていた。

 俯いていた零れそうな瞳が正面を向き、やがて、ノートをジョン・ドゥに見せてくれた。

 名無しのジョン・ドゥは首からかけられていた紐つきの眼鏡をつけて、紙に書かれたものを確認した。



『よろしく おねがいします』



 たどたどしい文字をユキは小さな人差し指で示した。その少女の口が堅く結ばれていることに、ジョン・ドゥは、恥ずかしがり屋の意味を察することができた。

「というわけで、仲良くしてあげてね」

 ジョン・ドゥは眼鏡を咄嗟に外して、咄嗟に頷いておいた……どうやら、近くの文字を見るときはこのように眼鏡をかけていたということだけはわかった。それがどうした、という話なのだが、ジョン・ドゥにとってはこれも一つの大切な情報だった。


「それで、キミは? 何者かな?」

 キリアに尋ねられ、名無しの権兵衛は訊かれてしまったと言わんばかりに眉根を寄せた。

 ジョン・ドゥは泥で薄汚れた黒いコートを着ていた。薄い鞄、鍔の広い帽子、首からかけられたのは紐付きの眼鏡……ジョン・ドゥは自らの両腕、そして太腿に視線を動かす。筋肉はあるようで硬さが伴っている。成年男子だと言うことはわかる。

 だけど、それ以外はなにも分からなかった。


「私は、その……なんだろうね?」

「なんだろうって。キミ、それは質問に答えてないけど?」

 キリアの尤もな質問に、自らを失くした憐れなジョン・ドゥは、うん、その……と情けなく口を濁らせた。だが、ここで押し問答を続けても意味がない。

 ジョン・ドゥは意を決して、もとい諦めたように溜息を吐いた。


「……記憶を、その。失くしてしまって。名前が分からないんだ」

「記憶を、失くした? それは大変だ、ボクが一緒に探してあげるよ!」

 逡巡の後に、思い切って言ってみたら、答えはあっさりと返ってきた。

 驚かれたもののキリアから突拍子のない言葉をかけられ、衝撃の事柄を言ったはずのジョン・ドゥが目を白黒させた。

 キリアと手を繋いだユキも同じように幼い瞳孔を丸くして息を飲んだ……が、言葉はなく、ただ、驚き果てたジョン・ドゥを目をぱちぱちさせながら見つめていた。


「……その……キリア? 記憶、というのは……地面に落ちているというものなのかね」

「ボクもよく分からないけれど、落し物であることには変わりないでしょ?」

「……そう、だな。落としたんだろうけど……」

「なら、探せばあるよ。大変だけど、命にも別状はないと思うな。気に病むことじゃないさ」

「……本当にあるのかね」

「あるよ、元から無いわけじゃないんだから。失くしたものは、どこかにあるよ。きっとね」

 キリアによって朗らかな笑みを浮かべられながら、記憶を失った名無しの権兵衛は咄嗟に前頭葉の痛みが増した。それは勿論、そうであろうと信じたいし、物を失くしのなら道理なのだろうけれど。なんせ失くしたものの実態はジョン・ドゥ自身も分からない。記憶の説明をしようにも行えないのだから……。



 頭を抑えて、地面に視線を逸らしていたジョン・ドゥの頬骨に光が差し込んだ。

 正面を向くとランタンの炎が鮮明に浮かびあがり、ジョン・ドゥは慌てて手で目をかざすように塞いだ。指の間から見ると、青いローブを羽織った何者かが近寄ってくるのを確認した。

 宵闇の中でそのローブの人間の影は溶け込まれていたため輪郭がはっきりしない――さながら死神であるとジョン・ドゥは一歩後ずさりをした。すっぽりと頭がローブのフードに埋もれた何者かは、ゆっくりと手袋をはめた指でくいとフードを持ち上げた。

 ダークグレーのくすんだ目。焦げ茶色の尖った前髪。土気色をした硬そうな皮膚だけが、ランタンの灯びで照らし出されたことによって、人間、成人男性であることが判明する。ジョン・ドゥの姿を見るなり、青いローブの男は微かに目を細めた後、黄土色がかった歯を剥いてチッ……と舌打ちをした。


「……あんだァ? 生きてるうえにオッサンか。見に行って損した」

「まったく。キミって奴は。開口早々これなんて。キミらしいよ」

 手を当ててわざとらしく笑ったキリアに対して、その男は、ハッ、とつまらなそうに息を吐いた……ローブの男の右隣に、一人の女性が影のように伸びた――足元も見えないほど長いスカートの給仕服を着た背の高い女性だ。女性にしては精悍で鋭い目だが顔立ちは整っていた。黒い髪を短い一つの三つ編みにして豊かな胸に垂らしていた。


「旦那様。キリア様は見つかりました。お屋敷に引き上げましょう」

「あァ、そうだな……おい、キリア。そいつは近くの街に返してやれ。いきなり出合い頭のおっさんを殺生するほど俺も落ちぶれちゃいねェ」

「でもさ、この人、記憶がないみたいなんだよ」

「ああ、なんつった?」

 後方にひらりと振ろうとしたローブの男の手が止まり、彼から低く唸り声に似た声色が飛んだ。地の底で肉を求める狼を思い起こす声で、名を失った可哀想なジョン・ドゥは怯えた子羊の如く肩を竦めてしまった。


「記憶がないだァ? 手前、生き返ったゾンビってワケか?」

「いや、私はリビングデッドではない」

「ゾンビの概念知ってんなら記憶あるじゃねェか」

「うーん、一部だけじゃないのかな? 一大事ってほどじゃないけど、一度、お医者様に見てもらったほうがいいかもしれない。幸いにもボクらの屋敷には医者がいる」

「一々、五月蠅いな……というか、ボクらァ? 手前の屋敷にいつからなったつも……がはッ、ごほ……ッくそ」

 素っ頓狂な声を出した男は、突如拳を口に当てて勢いよく咳き込んだ。

 キリアはおいおい、と大袈裟に肩を竦めた。


「ちょっと大丈夫かい、坊ちゃん。ただでさえ、無茶しているキミの体に負担をかけるだけだというのに、こんな真夜中に外に出るなんて……キミってなんだかんだ心配性だね」

「……ちゃっかり、昔の呼び名で呼んでんじゃねェぞ……言っておくが手前がいいっつっても、他のヤツらはどうするつもりだ。穀潰しが増えるだけじゃァねえのか」

「いいじゃん。キミだって穀潰しの一人じゃないか。仲間が増えるだけさ」

「さっきの言ったこと、聞こえてねェようだな。耳垢を耳ごと削いで取ってあげてもいいけど、どうだ?」

「それは助かるね。ボクは耳かきが下手だから、ぜひともお願いしたいよ」

 手を叩いてうんうんと頷いたキリアに、ジョン・ドゥもとい名無しの男は冷や冷やする心臓を落ち着かせるように胸を撫でた。

 ローブを被った男は舌を出して、その舌を尖った歯で噛んんで威嚇の仕草を見せた。ジョン・ドゥ、そしてキリアを目玉を器用に動かしながら男は交互に二人を睨みつけた。


「そもそもよ、なんで手前らは、こんな夜中に散歩に出るかなァおい」

「別にいいじゃないか。ボクの勝手だよ。ボクは画家なんだから、夜中に絵を描きたくなってもいいじゃない」

「ハッ、手前のマイペースさに付き合うつもりはねェからな。もしかして村に帰りたくなったってのか、おじょーちゃんよ?」

 おじょーちゃん、と呼んで、彼は視線を下へと逸らしていく……ローブの男が睨みつけているのはユキと紹介された少女だった。顔を伏せてキリアの手をぎゅっと握って黙ったままだった。

「キミ……あんまりユキをおどかすのはカンベンね?」

「別に脅すつもりはねェさ。ただ、こんな日に、こんなヤツまで見つけてどうしてって聞いて」

「旦那様」


 男の声を遮って、給仕の女性の声が放たれた。旦那様と呼ばれた男はローブを翻しながらじろりと給仕の女性を見遣ったが、女は動じることなく物静かな佇まいのままだった。だが、緊張感が手先の伸びで表れていた。

「そろそろ引き上げましょう。霧が」

 霧、と聞いて、ジョン・ドゥは目を見開いた。見渡さなくても分かるぐらい視界がブレてぼやけていくのが、ジョン・ドゥにも明らかに分かった。ローブを被った男は、薄い霧をしばらく眺めていたが、喉になにかが引っかかったように咳込んだ。口を抑えながら、異物を取り除くように咳ばらいをしてローブの裾を翻した。


「ああ、目覚めが悪くなりそうな夜になっちまった……っくそ、いいから引き上げるぞ」

「旦那様。わたくしが先陣を」

「いらん、来た道ぐらい帰れる脳はある」

「かしこまりました。それでは、わたくしは良き給仕の如く三歩後ろから歩かせていただきます」

「……それは、良妻の務めじゃねェのか」

 男はもう一度、ローブですっぽりと頭を隠して歩き出した。ぴんと背筋を伸ばして給仕も彼の歩調に合わせて後ろを守るように歩き添って行った――。




 霧の中でジョン・ドゥは肌寒さを覚えた。

 そんな中、右手に熱さが灯った。ふいにキリアの左手によって手を掴まれていたからだ。ジョン・ドゥは温もりに、そしてその行為に戸惑いを隠せずキリアの顔を見た。キリアは悪戯好きの少年のようににこやかだった。

「……じゃあ、帰ろうか。ボクの住んでいる屋敷へ」

「えっ……でも、許可をもらっていないのだが」

「いいんだよ、許可なんて。なんだかんだ受け入れてくれる人は多いさ。さっきのメイドの彼女だって百人ぐらいお客が来てもちゃちゃっと捌けるよ」

「本当か? その……旦那様という彼は私のことを嫌っているように見えたが……そうだ、お金を払ったほうがいいのか?」

「あの人なら、大丈夫だよ。ああ見えて見捨てることはそうそうしないよ。あと、お金は心配しなくていいよ。あの人たちは金銭感覚ないからね。貴族の人間ってヤツさ」

 くく、とキリアはなにが可笑しいのか喉を鳴らして笑った。

「それに、たとえ、仮にキミが嫌われても大丈夫……ボクはいつでもキミの味方さ、なにがなんでも守るよ。約束してあげる」


 嫌われても。


 その前提条件にも心が跳ねるような驚きに見舞われた。

 信用云々の話から入るのが普通なのではないだろうか、と記憶がないはずのジョン・ドゥは社会常識とかけ離れたような言動にまた混乱に陥りかけたのだった。

 不安ばかりが頭を占領する臆病なるジョン・ドゥは、キリアに困惑の眼差しを向けた。


「あなたという人は……どうして、そんなことが言い切れるんだ……私は、記憶喪失だというのに。それに記憶喪失だって、私のハッタリかもしれない」

「どうしてって、キミは優しい人だって思うからさ。嘘も吐けないような人畜無害な人間だって分かるもん。優しさがあれば、疑う理由なんてないよ。そうでしょう?」

 名無しのジョン・ドゥはキリアの言動で、思わずキリアに寄り添う少女の姿を見てしまった。彼女はジョン・ドゥを見るなりすぐに目を逸らしてしまった。

 彼女は子供、さらには声を発することができないのだから、このような反応は取って当たり前だろうとジョン・ドゥは考えてみた。

 一方で、ジョン・ドゥの目の前で唇を曲げて笑みを浮かべたキリアは、自らを受け入れてくれる。孤独の中に放り出された彼にとっては、希望とも言える手のぬくもりだと言うことは彼自身も重々承知していた。化かされてなんかないと思えるほど、手の触感もしっかりと伝わった。


 だというのに、私の心臓は狂おしいほどに煩く鳴っている?


 ジョン・ドゥは自らの鼓動に忌々しさを覚えながら頭を軽く振った……。


「……そうだ、名前をつけてあげるよ。名前のないキミに……うーん、そうだね。なにがいいと思う? ねえ、ユキ、決めてくれるかな?」

 キリアに覗き込まれるように言われて、ユキは目を見開いた。

 顔をあげて名無しの男の顔を穴があくほど見詰めてきた……それにしても、自分はどのような顔をしているのだろうかと名無しのジョン・ドゥは思いを巡らせた。

 彼はユキのために少しだけ屈みこんでみた。しかし、彼と目が合うなり、ユキは焦燥感を瞳に募らせて、さっとキリアのほうへと隠れるように身を寄せた。


「あはは、怖がられちゃってるね。ちょっと強面だからかな? でも慣れてくれれば、笑顔も見せてくれるよ」

「本当だろうか……それにしても、私は強面と呼ばれるほどなのかね?」

「怖いけど、でも悪い顔ではないよ。優しさがにじんでるよ」

 暗い夜道だというのに、キリアの顔立ちは銀河の如くキラキラしているように見えて、ジョン・ドゥにはキリアが光の粒に思えた……ただ、怖いのは事実だと知って、眉間が痛む感覚に陥りながらジョン・ドゥは肩を落とした。

 肩を落としている名無しの足元を見ながら、ユキはノートにペン先を落として動かす。やがて、ノートを立てて一つの文字を指しだした。

 書かれていたのは――。



Beltermuベルターム



 たどたどしい綴り。眼鏡をつけて名無しの権兵衛はその文字をなにを思うとでもなく見つめていた。

 大きく頷いたのはキリアだった。金色の髪が風にあたって喜ぶ稲穂のように揺れた。

「なるほど……ベルターム。うん、いいね。お花の名前みたいだ」

「あ、ああ。悪くないね……」

 よく分からない名前だけど……と言いたい気持ちが大きかった。

 それでも、ジョン・ドゥに頼れる名前はこれしかなかったので、受け入れるしかなかった。

 ……悪い名前ではない。

 名無しの権兵衛よりは幾分マシだと彼は胸に仕舞った。

 だけど、すんなりとはいかず、無理矢理、心の引き出しに押し込むような痛みも覚えた。

 名無しの男は、キリアに右手を掴まれたままだった。反射的に身を引こうとしたが手は離すことも、放されることもなかった。


「……手を繋がなくても、私は大丈夫だが」

「ダメだよ。迷ったら大変だからね。ボクに案内は任せてよ。来た道を帰るぐらいの脳はボクだって持っているさ」

 お道化たようにキリアはジョン・ドゥの顔を覗き込んで屈託のない笑みを浮かべた。

 少年とも少女とも、子供とも大人ともいえない。年齢の概念がない妖精のような清廉で邪気がない顔色だった。優しいと言って信じてくれたこの人は、たとえ助ける対象が自分であろうが、なかろうが、助ける人間なのではないか。ジョン・ドゥはそう思いながら、手をしっかりと握られたまま、キリアを見詰めていた。



「さて、屋敷に行く前に改めて――キミの名前を教えてよ」



 霧が深くなる、名無しの男は目を伏せて一つ。

 喪失を捨てた。





「私の名前は――ベルタームだ」


 深くなる霧の中で、キリアは、それでいいよ、と呟いた。

 ジョン・ドゥは消えた。

 名無しの権兵衛から、生まれ変わったベルタームは元々なかったはずの自分を霧に流しておずおずと歩きはじめた――。





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