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レディ・マーセナリー  作者: 加持響也
リサの眠れない一日
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1章 眠れない一日の始まり(4)

 ロッテと別れ、『カモメの歌声亭』のきしむ木扉を開けて外に出る。

 夏の強い日差しがリサの目を刺した。

 爽快に晴れ渡った空と、潮風が心地よい。

 だがこの調子では、日中は相当な暑さになりそうだ。


『赤速亭』でパスタを食べ、宿で水浴びをして垢と疲れを落とし、清潔なシーツに身を委ねる。

 夕方前には目を覚ますだろう。

 寝汗をひどくかきそうだから、近くにある湯屋に行くのも良いかもしれない。


(それから、川辺の居酒屋で夕涼みがてら一献傾ける……。うん、そうしましょう)


 贅沢なプランだが、徹夜で一仕事片付けたのだからそれ位のご褒美を自分に与えてもいいだろう。

 懐が温かい内に英気を養っておくことは、決して無駄遣いではない。


(ふふ、そうですね……明日あたり、髪でも切りにいきましょうか)


 背中まで伸ばしたポニーテールはリサのお気に入りだが、この暑さはしばらく続きそうだし、枝毛も少し気になってきたところだ。

 さっぱりとした気持ちになって、また新たな仕事に向かうのが最良の選択だろう。

 頭の中で今日一日の予定を組み上げ、鼻歌交じりに石畳を歩き始める。

 しかし、そうそう思い通りにいかないのが世の常であった。


 店を出て数歩のところ、鍵通りと楽団通りの交差点前で、屈強な男二人に道を阻まれた。

 シワ一つない濃紺の制服をビシッと着こなし、ピカピカに磨かれた細剣を腰に差した東南区保安隊員。

 白い手袋をはめた手には、六尺棒がしっかりと握られている。


「おはようございます。何か御用でしょうか?」


 精一杯、相手に好感を持たれるような爽やかな笑顔を作った。

 正直な話をすれば、顔が引きつりそうな心境だ。

 だが、そこを努力して精一杯の愛嬌を振りまくのが世間を渡る知恵というものだ。


「リサ。モーリーン隊長がお呼びだ。すぐに本部まで来てもらうぞ」


 残念ながら、あまり笑顔の効用は無かったようだ。

 若い保安隊員は眉一つ動かさず、淡々とした口調でリサに告げてきた。

 もう一人の隊員も口をきっと結んでいる。朝から何か嫌なことでもあったのだろうか。


(噂をすれば何とやら、ですね)


 モーリーン隊長に呼び出されるような、やましいことは何もないと言い張りたかったが、恐らくこれは今朝のヒューイの件であろう。

 いずれにせよ、昼前に一度店を閉めてしまうアルバおばさんのパスタが一歩遠のいてしまったことは間違いない。


(一緒にパスタを食べよう、というお誘いだったら嬉しいのですが)


 都合の良い想像に浸りつつ、リサは彼らと共に東南区保安隊の本部へと向かった。


 帝都は皇帝陛下のおわす皇宮と官庁の立ち並ぶ中央区、そこを取り囲む八つの区で構成されている。

 その中でも東南区は、港湾区域を中心に発展を遂げてきた。

 海の男たちと交易商人、連絡船で渡ってきた異邦の民。

 そして彼らを相手取る商売人たちと娼婦が入り乱れる街区だ。

 そのため、他の区よりも荒っぽい気風が色濃く漂っている。

 巨大な歓楽街ではいざこざも絶えず起きているので、保安隊も区を統括する総隊長のバージェスの下、実戦慣れした精鋭揃いであった。


(絶対に敵に回したくはないですねね、当たり前ですが)


 負ければ監獄、勝てばお尋ね者。

 これほど割に合わない相手もいない。


 そこに勤務している者、あるいは出入りの商人でもない限り、保安隊本部に自ら進んで出向きたいという者は少数だろう。

 ましてや、リサのような傭兵であれば尚更だ。

 保安隊員二人に付き添われ、リサは東南区保安隊本部の門をくぐった。

 虚飾を一切排した、実用一点張りの鉄の門。

 厳しい顔で入り口を守る隊員に、にこやかに挨拶したが、表情を崩すことなく頷くだけだった。

「美女に微笑まれても、決して喜んではいけない」という厳命でも下されているのだろう。


 前庭を通り、石造りの建物に向かう。

 淡い緑色の制服を着た数名の若い男女が、石畳を掃き清めていた。

 彼らは保安予備隊の面々で、厳しい訓練の後、いずれは正式な隊員としてこの本部で働くことになる。

 どこかの隊が裏庭で訓練を行っているようで、指揮者の鋭い号令と隊員たちの掛け声が聞こえてくる。

 号令の内容から察するに、隊員が必須とされている『戴天踏地流剣術』の稽古のようだ。

 伝説の『剣聖神女』を開祖とする、大陸で最も名の知れた武術である。


 受付の女性隊員はリサの姿を認めると、微笑を浮かべて挨拶してきた。

 少し気分が和らぎ、こちらも挨拶を返す。

 今に始まったことではないが、なぜか女性には好かれるのだ。

 目を楽しませるような物は何一つ置かれていないが、清潔に掃き清められた廊下を進む。

『隊長室――第六』とプレートの下げられた扉の前に立った。

 リサたちの後ろを、頭に包帯を巻いた若い男が連行されていった。

 しきりに隊員たちに罵声を浴びせている。

 酔っ払いの喧嘩か何かだろうか。


(朝からご苦労様。ま、私も人のことを言っている場合じゃなさそうですけれど)


「リサ、何の用件で呼び出されたか、分かっているな?」


 部屋に入るなり挨拶もそこそこに、静かだが有無を言わさぬ、といった峻厳な口調で問い詰められた。

 ここまで連行してきた隊員たちはすぐに外に出たため、部屋にはリサとモーリーンの二人しかいない。


「さて……申し訳ありませんが、全く身に覚えがございません」


 勧められた木製の簡素な椅子に座り、穏やかな態度で答える。

 室内は主の性格を示すように、簡素かつ機能的な造りになっていた。

 木製のデスクには書類が積まれているが、乱雑な印象は全くない。

 テーブルの上にも余計な物は一切置かれていなかった。

 もちろん、リサのためにお茶なども入れられていない。


(やれやれ、パスタを食べようとか、お茶を飲もうということではない、というわけですね)


 テーブルを挟んで向かい合うモーリーンの顔は、険しかった。


(美人なのですら、もう少し愛想があっても良いのに)


 東南区保安隊第六部隊長、モーリーン・ダウニー。

 この東南区では名の知られた才媛だ。

 リサよりも四つほど年上で、グイードやリオネルと同じく、生まれも育ちも帝都東南区である。

 平民の出自であるが、幼い頃から文武に通じ、名門・聖白竜女学園に特例で入学、卒業後に保安隊への道へと進んだ。

 彼女ほどの才能があれば、もっと他にも道はあったと惜しむ声も多かったらしい。

 聖白竜女学園の卒業生は、中央や地方の官吏となる者が多いと聞く。

 わざわざ、危険を伴う割に富も名声も得られない保安隊を選ぶ者は少数だ。

 だが彼女は、生まれ育った東南区の平和を守りたいという一心で、この仕事を選んだという。

 筋金入りの法の番人だ。


「覚えが無い、だと? リサ、私も忙しい。無駄に時間は使いたくないのだが」


 モーリーンが大きくため息をついた。


(私も忙しいので、無駄な質疑は止めてもらいたいのですが)


 そう思ったが、あえて逆鱗に触れる愚は冒さなかった。

 黙って、裏社会の人間から『東南区の鬼姫』と恐れられる彼女を見つめ返す。

 北方系の血を引くモーリーンは、美しい白金色の髪を有している。

 前髪も横も綺麗に切り揃えられていた。

 碧い瞳が、真っ直ぐな強い光を向けてくる。

 色白の肌は、どれほど日光を浴びても焼けないのだと、以前ロッテが羨やんでいた。

 やはり北方系の特徴でもある長身に加え、目鼻立ちの整った、硬質の魅力に溢れた美女だ。


(あまりに硬すぎるのが玉に瑕、というところかしらね)


 隙がない、というのは武人としては最上級の褒め言葉だが、男性からしてみれば付き合いにくいかもしれない。

 知る限りでは、彼女に関して浮いた話は一度も聞いたことがなかった。

 もっともそれは、リサにしても同様なのだが。


「今朝早く、ヒューイの死体が見つかったぞ」


 モーリーンがテーブルに両肘を突き、顎の下で指を組んだ。

 眼光がさらに鋭くなる。

 気の弱い人間なら、それだけで竦んでしまうことだろう。

 この眼力にむしろ興奮する者もいるかもしれないが、あいにくリサにその気はなかった。


「市場通りの金剛大橋でな、首を吊っているのが発見されて……ついさっき、うちの隊員が検死に向かってきたところだ」


(仕事が早いですね、元締)


 正確な時間帯までは分からないが、リサと歓談していた頃にはもう部下にヒューイの始末はつけさせていたのだろう。

 罪悪感はなかった。

 賭場の売上を持ち逃げすれば、どんな結果が待っているか想像できなかったわけがない。

 リサが捕らえずとも、いずれ落とし前はつけさせられていたはずだ。

 ただ、彼の死に自分が関わったことは間違いなかった。

 もちろん、綺麗事で片付けられるような稼業ではない。

 他者の死をそのたびに重く受け止めていたら、心が壊れてしまう。

 だが、決して忘れない――それがリサの流儀であった。


「ヒューイさんですか。確か、グイードの元締の……」


「そうだ。お前が知らないはずはなかろう? つい三日ほど前から、お前がグイードに依頼されて奴を追っていたという話を聞いている。間違いないな?」


 モーリーンは瞬き一つせず、淡々とした調子で問い詰めてくる。


(ううっ、これはまずいですね……何とか上手く言い逃れしないと)


 この手の事件は日常茶飯事だ。

 相手が相手だけに、死罪、あるいは禁錮刑とまではいかないだろう。

 だが、確実に何日かは取調べのために拘束されることになる。

 リサは一度だけ、この東南区保安隊本部の留置場に拘留されたことがあった。

 とある貴族の不良息子の変死体が埠頭で発見されたのだが、第一発見者の酔っ払いが事もあろうに「黒い髪の女がすぐ傍にいた」などと証言したためだ。

 もちろん、リサにはまるで心当たりはなかった。

 まったくもって迷惑な話である。

 その時は色々あって一晩で釈放されたが、今思い返しても本当に苦い思い出だ。

 蚤だらけの寝床と不味い食事。

 少なくとも、あそこはうら若き乙女が過ごすような場所ではない。


 モーリーンの真っ向からの踏み込みに対し、ひねりもなく正対するのは不利と考え、


「それではモーリーン隊長は……私がヒューイさんを捕まえて、彼の首を縄で絞めて大橋に吊るした、とお考えなのですが?」


 いかにも傷ついた、といった表情で己の胸に手を当てる。

 この程度の演技は朝飯前だ。


「いや、そういうわけでは……」


 思いがけぬリサの対応に虚を突かれ、モーリーンの硬い表情が崩れた。

 リサはここぞとばかりに一気に畳みかける。

 戦いでは勢いが大事だ。相手が態勢を立て直す間を与えてはいけない。


「心外ですわ。モーリーン樣は、私をそのような人間だとお考えだったのですね……確かに私は東方出のがさつな女です。ですが、今までずっと私なりに世のため人のために尽くしてきたつもりでした。それなのに……そのような嫌疑をかけられるなんて……」


 そこで一旦言葉を切り、控えめに鼻をすすった。

 胸に当てたままの手をふるふると震わせる。

 瞳をじわりと潤ませ、長い睫毛に涙を浮かべて上目遣いで訴えかけた。

 我ながら完璧な演技だ。

 傭兵を辞めたら、舞台女優の道に進むのも一興かもしれない。


「待て、リサ、お、落ち着け……」


 先程までの様子とはうって変わったモーリーンの様子に、リサは勝利を確信した。


(うふふ、やっぱりロッテの言った通りね)


 世の中に、完璧な人間などいない。

『東南区の鬼姫』の弱点は、色事と女子供の涙――。

 それは以前、ロッテから仕入れた重要な情報だった。

 謹厳実直を絵に描いたような彼女だが、内面は純真そのもので、情に脆い。

 かつてロッテも、やはり厳しい取調べを受けた時に涙ながらに訴えて難を逃れたそうだ。


「あの時は大変でしたよ~。でも、最後は頭をナデナデしてくれて、飴玉も貰えましたけど、えへへ」


 いかにも自慢げにロッテは語っていたが、それはただ単に子供扱いされただけにしか思えなかった。

 少なくとも飴玉は別に欲しくはない。いくら空腹といえども。


 さめざめと泣き崩れつつ、チラリとモーリーンの様子を窺う。

 明らかに当惑していた。


「まったく……困ったものだな……まあ、いい。今回は不問に処す」


(あらあら、今日の隊長さんは随分とお優しいことで)


 治安を守る保安隊長としては若干問題があるようにも思えたが、その甘さが他ならぬ自分に向けられているのだから素直に喜ぶべきだろう。


「ありがとうございます。モーリーン樣に信じていただければ、それだけで私は満足です」


 我ながら白々しいと思いつつ、面を上げて指先で涙を拭う。

 傭兵たるもの、武器として使える物は何であっても躊躇いなく用いるべきだ。

 涙も無論、その一つである。


(今から走れば、何とかアルバおばさんのパスタに間に合うかもしれないですね)


 ここから『赤速亭』までの最短ルートを頭の中に思い浮かべた。

 息を切らして駆け込むのもみっともない話だが、あのパスタにはそれだけの価値がある。

 もう、リサの空腹は限界に近いところまできている。

 昼食時まで待つことは不可能だ。

 しかし、思いもよらぬ角度からモーリーンが次の攻撃を始めてしまった。


(続く)

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