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レディ・マーセナリー  作者: 加持響也
命の代償
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4章 命の代償(3)

 屋敷に入ると、普段の応接間ではない、中庭の奥にある離れに通された。

 石造りの蔵を改造したような部屋は掃除が行き届いていたが、簡素な机と椅子だけの殺風景な部屋だった。

 リサは直感した。

 この部屋は――尋問、あるいは拷問のための部屋だ。


(地下室があるようですね……そこはもう、処刑部屋ということでしょうか)


 絨毯などは当然敷かれていない。

 今日は客扱いではない、ということだろう。

 中に控えるグイードの子分たちが、鋭い目線を浴びせてくる。

 窓もない室内は、息苦しい熱気に包まれていた。

 気弱な人間なら、この雰囲気に確実に飲まれてしまうはずだ。


「よお、リサ。どうしたんだい、その格好は?」


 椅子に座り、待つこと数分でグイードが現れた。

 愛刀を腰に差し、屈強な護衛を数人従えている。

 物腰はいつものように気さくな感じだが、目は笑っていない。臨戦態勢だ。


「ええ、先程の雨で……むさくるしい格好で申し訳ありません。それに、元締の馬車を濡らしてしまいましたこと、お詫び申し上げます」


「ははっ、いいってことよ。こっちが無理に呼び出したんだからな。髪はどうした?」


「少々いざこざがありまして。ですが、もう済んだことでございます。前々から切ろうと思っておりましたので、ちょうど良かったというところですよ」


 正面の椅子に座ったグイードに、何事もなかったかのように答える。

 飄々とした態度だが、今日のグイードからは強い圧迫感を覚えた。これが本来の『人斬りグイード』の姿といったところであろうか。


「ふうん、まあいいか。お前さんがよその区で何をしようが、俺がいちいち口出しするつもりはねえよ。ま、俺は長い髪の方が似合ってると思うがね」


 少なくとも、リサが南区で何かをしていたことまでは掴んでいるようだ。

 もっとも、グイードには直接関わりのないことであるから、彼の言う通りこれ以上追及されはしないだろう。


「ただし、この東南区のこととなりゃあ話は別だ。それも、俺の縄張り内の揉め事ならな。そうだろ?」


「ええ、当然です」


 大きく頷き、強い視線と圧力に負けぬよう丹田に力を込めて居住まいを正した。

 いよいよグイードは本題に入ってきた。

 杖は入口で預けてあるし、そもそもこの状況では武威をもって切り抜けることなど不可能だ。

 だが、たとえ首元に刃を突きつけられようとも、ぶざまな姿だけは晒すまい――それが戦う淑女、リサの矜持であった。


「あの兄ちゃんのこと、ヤンから話は聞いてるな?」


「はい、到底返せるとも思えぬバドに、銀貨十枚を貸し付けた件ですね」


 その答えに、周囲の空気が緊張感を増した。

 グイードの背後に立つヤンはさすがに微動だにしないが、居並ぶ護衛たちの刺すような目線はあからさまに鋭くなっている。


「ちょいと棘のある言い方じゃねえか。お前さんらしくもねえ」


「そうでしょうか? 事実を述べたまでですが」


 机に片肘を突き、苦笑いを浮かべるグイード。

 対するリサは、まるで何も含みがないような平静そのものの態度だった。

 ただの茶飲み話ならばともかく、圧倒的に不利な立場でこのように振る舞うリサは、傍から見れば異様に思えただろう。


「事実? 事実ってのはなあ、あいつがヤンから金を借りて踏み倒そうとしたってことさ。その上、俺の子分どもを殴り倒し、店をめちゃめちゃに壊し、そのくせ反省すらしていねえ。何が悪いんだってふてくされてやがるんだよ」


「困ったものですね」


「ああ、そうだよ。ホントに困ったものさ。って、何を他人事みてえな言い方してやがる。リサ、お前さん一体あいつに何を教えてんだ!? 借りた金を返さねえ方法でも教えているってのか!?」


 身を乗り出し、強い語調で責めてくる。

 リサが、この一年間で見たことのないグイードの姿だった。

 だが、退かない。一歩も退いてはいけない場面だ。


「まだ師弟の契りを交わして間もありませんが、武人としての心がけは日々説いているつもりでございます。借りたものは必ず返す、武人以前に人として当然のことでしょう」


「ああ、全くもってその通りだよ。で?」


「利子も含めて私がお支払いいたします」


 グイードは小刻みに頷くと、長い金髪を掻き上げた。射るような視線は変わらない。

 もちろん、これだけで済ませられる問題ではないのは百も承知だった。


「金は返します、はいそうですか、じゃ終わらせられねえよな。俺が言いたいこと、お前さんなら当然分かってるだろ?」


「酒場の修理代と、皆さんの治療費ですか?」


「おいおい、とぼけるなよ、リサ。今日のお前さんは随分と察しが悪いじゃねえか。俺をいらつかせて何か得になることでもあるってのかい?」


 口元を歪め、顎の無精髭を撫でている。

 危険だ。自分の判断は本当に正しかったのか、グイードという男を見誤っていたのではないかという恐怖が腹の底から湧き上がってくる。


(いえ……まだです!)


 ここで迷えば、奈落への道を一直線となる。どこまでも自分を信じ、襲いかかる不安をねじ伏せた。


「一体何が問題なのでしょう? 私には元締のお考えが読めないのですが」


「はっきり言わなきゃ分かりません、ってか。へへえ、まあいいさ。じゃあお前さんのお望み通り教えてやるよ。俺と俺の組織に迷惑をかけておいて、謝罪の言葉もねえのかって話だよ!」


 固く握った拳を、ドンと机に打ちつけた。思わず腹に力が入ってしまうような迫力だ。

 しかし、それだけで反射的に頭を下げてしまうような愚行は犯さなかった。

 謝罪を要求されたからといって、ただすんなり応じては相手の思うつぼだ。もちろん、全面的にリサが悪いというのであれば話は別であるが、


「バドには私から言って、必ず謝罪させます。それではご不満でしょうか?」


「ああ、ご不満だね。あの野郎はなあ、よりによって俺のことを『卑怯者』だの『臆病者』だのとぬかしやがったんだ。ごめんで済むような話じゃねえ。俺が訊いているのは、あのバカ野郎の責任を、師匠のお前がどうとるのかってことだっ!」


 まるでこの場の空気が裂けるような、雷撃の如き一喝だった。

 これが戦いの場であったならば、大半の人間が彼の激しい気に圧倒されていることだろう。

 だが、この交渉に最初から斬るか斬られるかの覚悟で臨んだリサの心胆は決して呑まれることはなかった。息を細く吐き、じっとグイードを見据える。


「私の監督不行届きは認めましょう。ですがやはり、納得のできぬことに頭は下げられません」


「納得? まだ利子のことでゴチャゴチャ言おうってのか。ガキじゃあるまいし、俺たちが商売でやってることぐらいお前も知ってるだろうが」


「私が言いたいのは、バドがしでかしたことは、果たしてここまで大事にするようなことなのか、ということですよ」


「はあ!?」


 今さら何を、と呆れ返った表情に変わった。対して、周囲の子分たちの殺気は一段と強くなる。

 後方に控えるヤンは――全くの無表情だった。


「バドはあの通り、粗暴で向こう見ずな若者です。身体は大きいですが、精神はまだまだ子供というか……未熟者といって差し支えないでしょう。激情のままに行動し、その結果周りに多大な迷惑をかける……ですが、根は決して悪人ではありません」


 グイードが何か言いかけて、口を閉ざした。

 リサの真摯な口調に何かを悟ったのか、静かに耳を傾けようとしてくる。

 その変化に、リサはわずかながら手応えを感じた。


「素直で、バカがつくぐらい真正直な青年です。わずかな間の付き合いに過ぎませんが、私は少なくともそう感じました。彼は更生すれば立派な武人になる。そう信じたからこそ、私は彼を弟子にしたのです」


「……俺たちみたいなヤクザ者とは違う、と言いたいのかい?」


「いえ、決して元締や皆様の生き方を否定するつもりはございません。ただ、私と彼には縁がありました。彼が私に弟子入りし、武人としての道を志した以上、それを全うさせたいと思うのが私の偽りなき心情にございます」


「道を踏み外させたくない、ってことか……」


「放っておいたら遅かれ早かれ無駄に命を落とす、そんな若者です」


 あの魔薬中毒の大男の顔が、脳裏をよぎった。

 致し方ない状況とはいえ、一つの命を奪った重さをリサの手はしっかりと覚えている。


「元締は、彼のような男を何人も知っているはずです……違いますか?」


 お互い、瞬きもせずに相手の目を見据え合う。

 ここは駆け引きが必要な場面ではない。

 真正面からグイードの情に訴えかけなければならないところだ。

 リサの心に相手をたぶらかすような邪心があれば、グイードは躊躇いなく殺すだろう。


「……ああ、ガキの頃からずっと見てきたさ。根っからのワルじゃねえが、真っ当な生き方ができなかった奴らをな。ほとんどが死んじまったがよ」


 声の調子が変わった。

 肩の力を抜き、グイードが低い天井を仰ぐ。

 遥か遠く、彼が歩んできた道のりを振り返るような目が印象的だった。


 グイードの少年時代については、ロッテや古参の傭兵仲間、それにグウェンから断片的に話を聞いている。貧民街で兄弟のように育ったヤンや仲間たちと共に、壮絶な日々を生き抜いてきたという。

 バドに対する一種の親近感を抱く――その可能性に、リサは賭けた。


 咳払い一つすらはばかられるような、重い沈黙が室内を包む。

 リサは静かに彼の言葉を待った。


「ああ、確かにあいつはお前さんの見立て通り、単純バカで真直ぐな奴かもしれねえ。そうだな……そう、俺がガキだった頃に似ているかもしれねえ……」


 グイードの言葉に、リサは少しだけ肩の力を抜いた。

 予断の許せない状況であることには変わりないが、かすかに突破口は開かれたのだ。


「元締……」


 口を開いたところで、グイードがすかさず手を挙げて制してきた。

 踏みこむにはまだ早かったか――リサは軽く唇を噛んだ。


「だけどな、リサ。今の俺には立場ってもんがある。繰り返しになるがよ、ただ暴れたってだけなら横っ面の一つも張って勘弁してやるさ。だがな、俺の名に傷をつけてただで帰させるわけにはいかねえよ」


 やはり、そこが一番の問題なのだ。

 バドが犯してしまった最大の過ちは、この『人斬りグイード』のメンツを公然と汚してしまったことである。

 おそらくは、東南区の耳ざとい者たちによって噂が広がっているだろう。


(一体、どうすれば……)


 ヤンの方をちらりと見たが、これまで同様に顔色一つ変えていない。

 貴女が頭を下げてグイード様の軍門に下れば良いのですよ、とでも言いたいのだろうか。

 最も穏便に事を済ませられる選択だろうが、明日からリサはリサらしく生きることができなくなる。


(ならば!)


 リサは奥歯を噛みしめ、相手の想定を超える選択肢を採ることにした。

 もはや理知や情だけでは片付けられない。

 相手側の言い分が正しく、しかも力関係においても圧倒されている。

 この八方塞がりの窮状を切り抜けるためには、蛮勇に頼るよりなかった。


「元締! 大変です!」


 意を決したところで、外から急報を告げる声がした。

 グイードが答えるより先に、子分が慌てた口調で報告を続ける。


「傭兵どもが、屋敷の外に大勢集まっていますっ!」


「何だと!?」


 即座に立ち上がったグイードが、怒りを露わにしてリサを睨みつける。

 凄まじい殺気を孕んだ目つきだった。


(モニカ……ありがとう!)


 突き刺すような視線を四方から感じる。危険極まりない状況だ。

 だが、リサは戦友の思い切った行動に感謝した。

 そして改めて、強い決意を固めたのだった。


(続く)

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