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レディ・マーセナリー  作者: 加持響也
命の代償
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3章 狂獣、眠るべし(5)

「モニカ、あと何本です?」


「残り三本で店じまいだ。あたしは、あんな奴と踊る気はないぞ」


 接近戦でも己の敏捷さを活かして立ち回れる彼女ではあるが、さすがにあの化け物相手に得意分野以外で挑む自信はないようだ。

 こういう時に決して粋がろうとしない彼女を、リサは高く評価していた。

 できないものはできない、ときっぱり言い切る。

 ハッタリがしばしばまかり通る裏社会で、なかなか貫徹できることではない。


「私も勘弁ですよ。ただし、目隠しでもしてもらえれば、やぶさかではありませんが」


 唸り続ける男の様子を窺いつつ、意図を伝える。

 薬を目の前で失った動揺がまだ大きく、リサたちへの殺意はだいぶ薄まっているようだ。


「それはまた面倒な注文だな。もっとも、何かネタがあるならきっちり料理してやるぞ」


 懐から例の小瓶を取り出し、左右に振ってモニカの声に応えた。

 先程無駄にしてしまった『麻睡散』だが、まだ半分近く残っている。


「二段構えか。さすがリサだな。それはいい餌になりそうだ」


「ぐう、ううう、うううう……お薬、お薬、なくなっちゃったぁ……」


 叩きつけるような豪雨の中、男は大切な宝物を失くしてしまった子供のような顔で嘆き続けている。

 うっかりすると憐れみを覚えてしまいそうだが、


「リサ。人食いの化け物だぞ、忘れるなよ」


「大丈夫ですよ、モニカ」


 心を見透かしたような相棒の言葉に、リサは苦笑で答えた。

 すでに死体となった悪党どもとは違い、この男に明確な悪意は感じられない。

 もしかしたら、魔薬さえ無ければ尋常な人生を全うできたのかもしれない、と考えずにはいられなかった。だが、


(いえ、『もしも』の話をしても仕方ありませんね)


 あるいは現在抱えている案件が全て解決した後で、じっくり一人で考えてみるのは無駄ではないかもしれない。

 しかし、今のリサが行うべきは、過去の反省でも未来への展望を思い描くことでもなかった。

 ただ粛々と、目の前の厄介事を片付ける。それだけだ。


 左手に杖、右手に小瓶を持ち、ゆっくりと右に迂回する。

 モニカは左からだ。男の突撃に警戒しつつ、左右から挟み撃ちの状況を作る。

 目と目で合図を交わすと、


「ほら、坊や! まだまだお薬は残っているわよ!」


「いや、そっちじゃない、こっちだ! 薬はあたしが持っているぞ!」


 ほぼ同時に声をかけた。

 土砂降りの雨の中であったが、やはり魔薬の効用で鋭敏になった男の耳にははっきりと届いているようだ。


「あ、うう……えっ……ええっ!?」


 リサの狙い通り、男はキョロキョロと落ち着きなく首を巡らせている。

 鋭い五感の働きと瞬発力、異常な程の反射神経を持つ男だが、相手の罠を見破る能力は乏しい。


「さ、こっちへ来なさい。ほら……見て、これを」


 小瓶をふらふらと振り、緑の粉を見せつける。

 男が目を凝らし、中身を見極めようとしてくる。

 指先で軟木の封を飛ばし、


「ほらっ!」


 男の頭上に向かって、大きく弧を描くようにして放り投げた。

 間髪入れず、懐から戦闘前に拾っておいた石ころを取り出す。

 小瓶に全力で注意を向ける男の顔面に、一歩前に踏みこんで力いっぱい投げつけた。


「ひあっ! あ、あああああっ!」


 意表を突いた攻撃であったが、男の超反応はそれでも健在だった。

 咄嗟に手で顔を覆い、石を弾き返す。

 さらにそのまま、目の前の地面に落ちる寸前の小瓶に手を伸ばした。


「……あっ、あっ、おお……」


 小瓶を掴もうとした男の手から、蛮刀が落ちた。

 リサは杖を中段に構え、一直線に間合いを詰めていく。

 最後のチャンスだ。この作戦が失敗してしまったら、後はもう逃げるしかない。


「え? あ、お、おおおお……」


 無言のまま突っ込むリサに対し、男は慌てて蛮刀を拾おうとしたが、


「はっ!」


 裂帛の気合と共に、リサの杖の先端が男の腋の下を深々と突いた。

 男が凄まじい悲鳴をあげて仰け反る。

 一般に急所というと金的や目玉、あるいは鳩尾などが挙げられるが、腋の下も軽い打撃で深刻な痛みを与えることのできる急所の一つだ。

 そこを容赦なく突き、抉る――紫電流杖術表芸の十二、手羽解き(てばほどき)が完璧に決まっていた。

 さらに、次の瞬間――。


「ひぎゃあっ!」


 男の右目、続いて左目をクロスボウの矢が正確に射抜いた。

 夕暮れ時の、しかも大雨の中という最悪に近い状況であるにも関わらず、モニカの卓越した技量と経験は注文通りの戦果を挙げたのだった。

 だが、それで油断するリサではない。

 立て続けに襲いかかった激痛に苛まれた男はヨタヨタとした足取りではあるものの、狂ったように太い腕を振り回してくる。

 うっかり当たってしまい、掴まれたら最期だ。

 視界を失い、素手になったといっても絶対に侮ることはできない。


 泥を跳ね上げながら、リサは男との間合いを開けた。

 全身ずぶ濡れで、体が異常に重い。

 しかし、気迫で疲労をねじ伏せると、


「かかって来なさいっ!」


 腰を落として杖を構え、防禦態勢を取った。


「う、ううううっ、ゆ、ゆるさないぞおおおおっ!」


 視力を奪われた男にとって、唯一の頼りとなるのは聴覚だ。

 リサの声に感応し、血まみれの歯を剥き出しにして襲いかかろうとする。

 だが、すでに勝敗は決していた。

 あえて声を発したのは、万難を排し、確実にトドメを撃たせるための罠だったのだ。


「げおっ!? あ、ああっ……」


 音もなく距離を詰めていたモニカの最後の矢が、横顔を向けていた男の耳の穴に吸い込まれていった。

 しばしの間が空いた後、ごぼっと、男の口から大量の血泡が噴き出す。

 男の首がゆらゆらと頼りなく揺らめき、わなわなと震える手が空を虚しく掴もうとする。

 常人なら即死であろう一撃を浴びたにも関わらず、魔薬に犯された肉体はなおも生きようと足掻いていた。

 がくりと両膝を突き、前方の水たまりに倒れ伏した後も、身体はひくひくと痙攣を続ける。

 それはあまりにも恐ろしく、残酷で哀れな光景だった。


 リサはこの時、生ある限り魔薬と戦い続けることを心に誓った。


「……さようなら」


 無防備にさらけ出された延髄を杖で打ち抜くと、びくんと大きく仰け反った男の肉体はやがて活動を停止させた。

 モニカが小声で祈りの言葉を呟く。戦いを終えた後は、生きながらえたことを神に感謝する――それが、彼女の流儀なのだ。


 いつの間にか、雨はすっかり止んでいた。


(続く)

3章「狂獣、眠るべし」は今回で終了です。


次回よりクライマックスの4章「命の代償」に入ります。

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