2章 追う者と追われる者(4)
「だから言ったのだ。あんなバカを弟子にしても、ろくなことにならないと。そんなのは考えるまでもなく、あたしにだって分かる」
隣を歩きながら延々と愚痴るモニカに反論できず、リサは大きく溜め息をついた。
いや、言い返すことは可能だったが、ここで彼女と討論などしている余裕はない。
事態は一刻を争うのだ。
バドには夕方に『カモメの歌声亭』に来るように伝えてあったが、それまで悠長に待っている場合ではない。
借金をするだけでも大問題だが、借りた相手がよりによって『人喰い』ヤンだ。
ただでは済まない。
もちろん、踏み倒すなどもっての他だ。
弟子がむざむざ潰されるのを、黙って見ているわけにはいかない。
そもそも、たとえ弟子にしていなかったとしても、恐らく自分は彼のために奔走していただろうとリサは思っていた。
困っている者を見過ごすことなどできない。
彼女はそういう人間であり、これからもずっとそうあり続けたいと願っていた。
ともあれ、己のみの力ではどうにもできないことも多々ある。
帝都で人一人探すことがどれだけ困難か、リサはよくわきまえていた。
(まあ、バドは色々な意味で目立つから探しやすい方ですが……)
最初にリサが探したのは、情報屋のロッテだった。
茶店でのんきに休んでいた彼女を捕まえ、要件と仕事料を渡すと、
「それは一大事ですね! でもご安心を。この東南区一の情報屋『犬鼻』ロッテが、必ずや見つけ出してみせますから。大船に乗った気でいてください、リサお姉さま!」
流れるように言うなり、脱兎のように駆け出して行った。
頼もしい限りだったが、茶店の支払いはリサが払う羽目になってしまった。
これから色々と金が必要となるのに、痛い出費である。
だが、背に腹は代えられない。
続いて傭兵仲間を探したところ、例によって『カモメの歌声亭』で昼間からたむろしている面々の中にモニカがいた。
彼女は当り前のように酒をグイグイと呑んでいたが、
「うむ。あのバカの世話というのは気に食わんが、リサの頼みなら断れん」
と、一も二もなく協力を申し出てくれた。
他の傭兵たちはやはり金次第、ということだったので見かけたら引き止めてくれ、とだけ伝えた。これ以上、余計な金は使えない。
(ディノがいれば良かったのですけれどね……まあ、仕方ありませんか)
彼なら、自分の利益など度外視して二つ返事で引き受けてくれただろう。
何しろ、『面白いこと』――リサにとっては何一つ面白くないが――が三度の食事より好きな男だ。
必要があれば、お互いをいくらでも利用しあう。
それが傭兵の流儀というものだ。
ということで、二人で街中を歩き回っていたのだが、バドの姿はおろか行き先の手がかりすら掴むことができなかった。
唯一の情報といえば、昼前に、目つきのやけに鋭い男数人と共に屋台で食事をしていたらしい、ということだけだった。
その男たちは、恐らくヤンが言っていた付け馬だろう。
借金を踏み倒して逃げたり、不都合なことをしでかさないようにするための見張りだ。
たとえ何があってもバドから離れることはないだろう。
一人ではなく複数名、というところはさすがヤンだ。
バドの戦闘力をそれなりに評価している、ということの証である。
(すぐに見つけないと……何が起きるか、いや、何をしてしまうか分からないわ)
今回の彼らは、そもそもまともに回収するつもりなどない。
ヤンから具体的にどのような指示を受けているかは不明だが、バドがグイードの傘下に入らざるを得ない状況を作り出すのが主たる目的のはずだ。
となると――。
(ああ、ダメ。悪い想像しかできないわ。やめましょう)
もし自分がバドを陥れる立場だったらどうするか、ちょっと考えただけでいくらでも手段が思いつけてしまう。
しかもバドが、そのことごとくに引っ掛かる姿しか思い浮かばない。
気が滅入りかけたリサの袖を、後ろからモニカがぐいぐいと引いてきた。
まさかバドが、と慌てて振り返ると、
「リサ、昼飯にしよう」
いつになく真剣な面持ちの彼女が、焼けた肉の美味そうな匂いが漂う屋台を指差していた。
「腹が減っては戦ができぬ。いや、別に戦をするわけじゃないが、ともかく空腹はダメだ。腹が減るとイライラするし、いざという時に力が出せなくなる。あたしのお腹がペコペコというわけじゃない、リサを気遣って言っているのだぞ」
(どうひいき目に見積もっても、言い訳にしか聞こえないわね……)
隣で淡々と語るモニカに、リサは苦笑を浮かべた。明らかに、早く食べたくて仕方がないといった様子だ。
二人が並んでいるのは、西南地域の料理の屋台だった。
太い串に積み重ねられた羊肉が、下から炭火でじっくりと炙られている。
主人が、大庖丁で手際よく外側を削ぎ落とし、それを野菜と共にパンに詰め込む。
この羊肉サンドは、手軽に食べられる上にボリュームもあるので、忙しい帝都民に愛されている。
帝都に来たばかりの頃は、羊肉独特の臭みが苦手だったリサだが、モニカに勧められて食べている内に、すっかり慣れてしまっていた。
「んぐ……はぐっ……まあ、肉はやっぱり牛肉が一番好きだが、羊肉も羊肉でいいな、うん……はむ、んんっ……いや、もちろん豚も鶏もいい……そうだ、夜は鶏にしよう……あむっ、あむっ……」
屋台の隣に置かれたベンチに腰掛け、真剣な顔でモニカがかぶりつく。
「魚は?」
「ん……魚はちょっと臭いがなぁ……漁港の辺りとか、凄い臭いじゃないか……いや、リサは東方系だから魚が好きなのは分かるがな、牛が一番、魚は……肉としては十番目くらいだ」
「それは評価が低すぎるでしょ。今度、美味しいお店に連れてってあげるわよ」
東方出身の料理長が腕を振るう、リサのとっておきの店があるのだが、何度誘ってもモニカは足を運ぼうとしない。
東方出身者だけではなく、例えばロッテやディノも美味いと言っていた店なのであるが。
「モニカは、野菜ももっと食べたほうがいいわ。色々食べるべきよ。せっかく、大陸中の食べ物が集まる帝都に居るんだからね」
「……前々から思っていたが、リサは母ちゃんと同じことを言う」
「え」
「よく噛んで食べろとか、酒は呑みすぎるなとか、あと……うん、まあ色々と」
「全部正しいことじゃないの。何が悪いの?」
「うむ、それ! それも母ちゃんがよく言うセリフだっ!」
ビシッと指差されてしまった。指先が羊肉の脂でテカテカと光っている。
リサが懐から紙を差し出すと、バツが悪そうな顔で指を拭いた。
「リサは母ちゃんと同じでおせっかい焼きなんだな、うん。今回のバカを世話して厄介ごとに巻き込まれているのもそれだ」
「何度も言わないでよ。自覚はしているわ。でも、放っておけないんだから仕方ないでしょ?」
自分には関係ない、と見て見ぬ振りができればもしかしたらもっと楽な生き方ができるのかもしれない。
しかし、リサにとってはその知らぬふりという行為の方がよっぽど苦痛なのだ。
我ながら、その性分には時折面倒くささを感じることもある。
だが、己の本性に逆らって生きるぐらいなら、悩みを抱え込んでも自分の流儀を貫く方が楽しいだろうと割り切っている。
そしてモニカも、そんなリサのことを理解した上であえて苦言を呈しているのだろう。
「まあ、いい……んんっ……ふぅ……やはり食後はこのさっぱりとした茶がいいな。本当は一杯呑みたいところだが、あのバカを見つけるまではお預けか。残念だ」
隙さえあれば酒を呑もうとするモニカだが、彼女にも一応自制心はある。
もっとも彼女の場合、たとえ多少酔っていたとしても、クロスボウの腕前は百発百中のレベルなのであるが。
(敵に回さなくて良かったわ、ホント。飛び道具ばかりはどうにも、ね)
食事を終え、ベンチから立ち上がりかけたところで――。
リサは慌てて顔を伏せ、目立たぬようにそっと座り直した。
「……どうした?」
異変に気付いたモニカが、さりげなく座ってささやく。
ゆっくりと顔を上げ、相手方の動向を探る。
(良かった。気付かれてはいないようね)
辺りの絶え間ない喧騒と行き交う人波、それにリサの迅速な行動が幸いしたようだ。
だが、油断はできない。モニカの手の甲に指を走らせ、状況を伝える。
「この間、バドを刺した連中よ。二人。短い赤毛の男と、長い顎鬚の男」
「どうする?」
口元を拳で隠し、モニカが呟く。
迷った。
バドを探すのが先決だが、あの連中を放置しておくのも問題だ。
何より、東南区をうろうろしているということは、まだバドの命を狙っているということだろう。
そうなると、グウェンの診療所が再び襲撃される可能性もある。
「追いましょう。連中のアジトは突き止めておきたいわ」
たむろしている場所だけではなく、どれだけの人数がいて、どんな顔ぶれなのかぐらいは把握しておきたい。
そうしておけば、後で保安隊に密告して始末してもらうこともできるだろう。
「分かった。リサは面が割れてる。あたしが尾けるから、離れて追ってきてくれ」
モニカがてきぱきと顔に布を巻きつけ、目元以外を隠してしまった。
それから、本来の敏捷な彼女を想像もできないようなのっそりとした動作で立ち上がり、片足を引きずるようにして男たちの尾行を始める。
もちろん、クロスボウも小剣も外套ですっぽり覆ってしまっていた。
変装と尾行は、射撃と並ぶモニカの特技の一つだった。
「気を付けてね」
そう呟くと、リサも尾行に備えて変装に取り掛かった。
(続く)