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レディ・マーセナリー  作者: 加持響也
命の代償
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2章 追う者と追われる者(3)

 翌朝――。

 昨日に引き続き、空は一面雲に覆われていた。

 風がほとんど吹かず、湿った空気の塊が周りをすっぽりと包んでいるように思える。

 いつ雨が降るか分からない、そんな天気だ。

 河原の稽古場に現れたバドに杖を与えると、早速修行を開始した。

 島にいた時に、父の弟子たちを指導した経験があるが、いずれも真面目な若者ばかりで、バドのような荒くれ者は皆無だった。

 果たして彼が、紫電流杖術の修行に取り組めるかという一抹の不安もあったが、


「一、二、三、四……」


 意外なほど熱心に打ち込んでいた。

 気性は荒いが、根は素直という見立ては間違いではなかったようだ。


(もっとも、これがいつまで続くかは分かりませんが……)


 武術の稽古は、基本的には地道な動作の繰り返しだ。

 決まった形を何度も反復し、身体に覚え込ませる。

 頭で考えるのではなく、身体が自然に動くようでなければならない。

 流れるような一連の動作を身につけるには、気が遠くなるぐらいの歳月を要するのだ。


 リサの場合は、物心ついた頃からずっと、それこそ朝から晩まで続けたものだった。

 だが、さすがにバドの場合はそうはいかない。

 自分の食い扶持は自分で稼がせなければならないから、稽古にかける時間もあまり長くはとれないだろう。


(まあ、体力作りに関しては、それほど必要なさそうですけれどね……)


 今、バドに命じているのは『素振り』だ。

 上段に構え、そこから真っ直ぐに振り下ろす。

 傍目には、ただそれだけの簡単な動作としか映らないことだろう。

 しかし、身体の軸をぶらすことなく、素早く杖を振り抜くのは実際には容易なことではない。

 リサの目からすれば、バドの素振りは、


「背筋が曲がっていますよ! 踏み込みももっと強く!」


 指導しなければならない点が、多々見受けられた。

 もっとも、修行初日なのだからそれも当然のことであるし、傷の痛みも多少はあるのだろうが。


(しばらくは、これを続けてみるとしましょう……)


 紫電流杖術の修行には、決まった工程というものは無い。

 それぞれの能力や適性、体格や年齢などに応じて指導していくことになっている。

 リサはまず、バドの精神面を鍛えることに重点を置くことにした。

 ひたすら素振りを続けさせることで、根気を植え付けようという狙いである。

 とりあえずは、彼の短気な面を矯正しないことにはこの世界で生き抜くことすら困難であろうと判断したからだ。


(これで投げ出してしまうようでは、私でも手に負えませんから……)


 もちろん弟子とした以上は、最後まで面倒をみるつもりだ。

 彼が過ちを犯せば、師匠として責任をとる覚悟はできている。


「バド、夕方になったら『カモメの歌声亭』に来てください」


「へ?」


 修行が一通り終わったところで、声をかけた。

 ひたすら素振りを続けたバドの顔には、びっしりと玉のような汗が浮かんでいる。

 底無しの体力を持つ彼も、慣れない動作を反復するのはかなりきつかったようだ。


「……あ、もしかして、飯奢ってくれるんですか?」


「違いますよ。あ、まあ御飯くらいは構いませんが、そうではありません。港へ行きましょう」


「港? うお、修行の旅ってやつですか!?」


「何ですかそれは。人の話は最後まで聞きなさい。港で、貴方の仕事を探すのですよ」


「あ……仕事っすか……」


「はい。当然ですが、殴り屋なんて稼業は今後一切足を洗いなさい。南区ならともかく、東南区でそんなことをすれば、命はありませんからね」


 厳しい口調でたしなめると、叱られた子供のようにたじろいだ。

 顔が引きつっている。恐らく、いつの間に自分の過去を調べたのかということに驚いてもいるのだろう。


「し、師匠は何でもお見通しなんっすね……やっぱりすげぇや……」


「これぐらいは誰でも分かることです。ともかく、言われたとおりになさい」


「はいっ! ありがとうございましたっ!」


 深々と頭を下げると、バドは元気に去っていった。

 つい先日腹を刺され、しかも厳しい修行の後とはとても思えぬほどの全力疾走だ。体力もそうだが、回復力も相当なものだろう。

 その背を見送り、大きく溜め息をついたリサであったが、


(あ……治療費の件、言い忘れていたわ……)


 己の迂闊さに顔をしかめた。

 といっても、どうせ夕方また会う折に話せば済むことだ。


(とりあえず、支払いだけは済ませておくことにしましょう……)


 その判断が誤りだったことを、リサはすぐに思い知らされることになった。


「え……バドが!?」


「ああ……何だ、お前さんが用立ててやったのかと思ってたよ。『ちゃんと返すんだよ』って言ったら、やけに神妙な顔して頷いてやがったけど」


 銀貨10枚を用意し、診療所を訪れたリサを待っていたのは意外な事態だった。

 グウェンの話によれば、すでにバドが治療費は支払い済みなのだという。


(一体、どうやって……)


 無一文だったはずの彼が、一日で用意できるような金額ではない。

 背筋を悪寒が走った。非合法な手段でも用いるか、あるいは――。


(借金を? 馬鹿な!)


 二度と殴り屋稼業には手を染めるなと、朝伝えたばかりだ。

 もしかしたら、昨日の夜の段階で罪を犯していたという可能性もなくはないが、バドはこの東南区に居ついたばかりだ。

 裏の世界にコネもないだろう。

 そんな彼に、何かしら仕事を依頼する者がいるとは考えにくかった。

 グイードもアーシュラも、素性の知れない粗暴な若者にいきなり仕事を依頼するようなことはしまい。

 だとすれば、考えられるのは借金だ。


(まさか、ヤン様が……)


 グイードの懐刀、『人喰いヤン』。

 東南区の高利貸しを一手に束ねる男だ。

 当然、その情報収集力も半端なものではない。

 金に困った者がいれば、いつの間にか背後に現れる――そんな怪異じみた噂が囁かれるほどだ。


(早く探し出さないと!)


 ヤンが金を貸す時は、相手によって利息を変えるのが常道だ。

 信頼のある相手であれば比較的安く、そうでなければ暴利を吹っかけて潰してしまう。

 支払えなければどのような目に遭わされるか――想像したくもない。

 リサは急ぎ足でグイードの館へと向かった。


「ああ、リサさん。ごきげんよう。奇遇ですねえ」


 館に向かう途中、茶店の前でヤンに接触することができた。

 いかにも偶然を装っているが、あるいはすでにリサが探していることを知っていたのかもしれない。

 店のテラスで優雅に茶をすする彼の前に座る。

 護衛の若者が二人、背後に控えていた。


(落ち着いて……焦ってはだめよ……)


 リサは、はやる気持ちを自制した。

 他の者ならばともかく、ヤンは用意周到な男だ。

 こちらも相手をする際には、細心の注意を払わなければならない。

 油断すれば頭から取って食われかねないというのが、彼の異名の由来だ。


「ごきげんよう、ヤン様。単刀直入に申し上げます。バドという若者に、銀貨10枚を貸し付けませんでしたか?」


 切れ長の目を真っ直ぐに見つめ、真剣な面持ちで問いかけた。

 焦りは禁物だが、のんきに茶飲み話をしている余裕はない。

 それにまどろっこしい話は、ヤンのような相手ではかえって術中に嵌まるのがオチだ。


「ああ……バド君。覚えていますよ? リサさんのお弟子さんですよね。確かに昨晩、貸しました。だいぶ切羽詰まっていたようでしたからね。困った人は助けるのが、私の流儀ですし」


 爽やかな笑みを浮かべ、まるで悪びれる様子もない。

 当然だろう。彼にとっては、ごく日常の仕事の一部なのだから。

 それにしても、やはりバドの弟子入りという情報はすっかり把握しているようだ。傭兵仲間であれだけ噂になっているのだから、驚くほどのことでもないが。


「私が、彼に代わってお支払いします。利息はいくらですか?」


「朝が明けて教会の鐘が鳴ったら一割、です。もちろん、今朝の時点で最初の利息はかかっていますよ。それと、彼に渡したのは銀貨10枚ですが、書面上は銀貨12枚ということになっています。ま、そうしないとこちらも商売になりませんからね」


 表情にこそ出さなかったが、バドの無謀さに腸が煮えくり返る思いだった。

 なぜ、師匠である自分に相談することなく金を借りてしまったのか――。

 事前に一言あれば、それで万事解決したはずであったのに――。


(いや……もしかしたら、ヤン様の方から……)


 バドの噂を聞きつけ、言葉巧みに金を貸したのではないか。

 その線の方が濃厚なように思えた。

 単純なバドを言いくるめることなど、世故長けた彼にとっては赤子の手をひねるようなものだ。

 いずれにせよ、今のバドに支払える金額ではない。

 仮にバフィトの下で沖仲仕として働いたとしても、返せる見込みは遠いだろう。

 最初からヤンは、バドを借金で潰すために貸し付けたのだ。


(だけど、一体何のために? あっ……まさか!)


 先日、ロッテから得た不穏な情報がすぐさま脳裏をよぎった。

 目的は不明だが、グイードが兵隊を集めているという情報だ。

 借金漬けにし、がんじがらめにした上でバドを使おうということだろう。

 それ以外に、彼がバドに金を貸す理由が思い当たらなかった。


「お待ちください。彼の借りた金は、私が支払います」


「え? はは、いきなりそう言われても困りますねえ。私たちも仕事ですから、きっちり書面にしておかないといけませんし。それに、彼がここにいないのにリサさんと私の独断で決めるわけにはいかないでしょう? 部下を付け馬にしていますから、また別の機に話すとしましょう」


 付け馬とは、借り手が逃げ出さないようにするための見張りのことだ。

 朝の稽古の折には気配すら感じられなかったが、どこからか監視していたに違いない。

 ともあれ、これ以上ヤンと話しても平行線を辿るだけだ。

 今何より優先すべきは、バドを捕まえてきっちり話をつけることである。

 リサは挨拶を済ませると、不詳の弟子の行方を追うことにした。


(続く)

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