2章 追う者と追われる者(2)
「リサもついに弟子持ちの身分か。あたしと同じ立場になったってわけだね」
「揶揄うのはやめてください、先生」
「照れるなよ、お前さんも今日から『先生』じゃねえか、あはははは!」
大口を開けて笑うグウェンに、リサは閉口して冷たい視線を向けた。
バドの弟子入りは、すっかり周辺住民の笑いの種になっているらしい。
「それで先生、一体何の御用でしょうか?」
昼食を終え、特にすることもないのでふらふらと歩いていたところで、彼女を探していたというココと出会った。
彼女の話によれば、グウェンからリサに伝えたい用件があるというので、診療所まで出向いてきたところだった。
まさか笑い話のために、わざわざ呼び出したというわけでもないだろう。
バドは診療所には居なかった。
言いつけを破ったのかと思わず気色ばんだが、グウェンによればもう出歩いても大丈夫だという。
「ホントに頑丈な身体だよ、あいつ。あんなバカなのに今まで生き延びられたのも、あの身体のおかげだな。親に感謝しなきゃいけねえよ」
やはり、生存が危ぶまれるぐらい愚かだということは皆の共通認識のようだ。
まずは師匠として、身を守る術を優先して教え込むべきだろう。
「それでさ、話ってのは……ま、お前さんも分かってることだと思うけど、あのバカ、案の定金なんか一銭もないって言うんだよ。しかも東南区に来たばっかりで稼ぐ当てもない、ってね」
予想通りで、驚きようもない話だ。
「仕方ありませんね、私が立て替えましょう」
落ち着いた口調で答えると、グウェンは眉をしかめた。
「お前さんの弟子になれたって、大喜びしてたけどさ、あのバカ。もしかしたら、最初からあんたに治療費を払わせるためだった……ってことはないのかい?」
「先生には、彼がそういう人間に見えますか?」
彼女の詮索は、リサの想定外だった。
確かにそういう見方をすることも可能だろう――バド以外の人間なら。
あの単純明快を絵に描いてそのまま肉づけし、神が命を吹き込んだような男がそんな企みをしたのだとしたら、むしろ感心したいぐらいだ。
「おいおい、知り合ったばかりの奴を信用しすぎだろ、リサ」
グウェンが盃の酒をぐいと飲み干すと――この先生は、患者がいなければ昼間でも平気でも深酒を呷るのだ――リサはしばらく思案し、慎重に言葉を選んだ。
「賭けですよ、先生」
「賭け?」
その回答は、グウェンにとって意外なものだったようだ。
口をへの字に曲げ、言葉を吟味するように何度か小さく頷く。
「っていうと、あいつが真っ当に働いてお前さんにちゃんと返すかどうか、って賭けか?」
「まあ、そういうことですね。外れたら仕方ありません。私の直感に狂いがあったということですから」
苦笑を浮かべて返すと、グウェンは呆れたように溜め息をついた。
「ふーん、で、その賭けに勝ったらお前さんに何の益があると? 利子をつけるってわけかい?」
「いいえ、利子も期限もつけませんよ。もしこの賭けが上手くいけば、一人の粗暴な若者が立派に更生する――それだけで十分じゃないですか」
グウェンは一瞬目を丸くすると、豪快に笑い転げた。
黙っていれば知的な美女だが、そのような評価に何らかの価値を認めるような人ではない。
だからこそ、この地域で外科医が務まるとも言えるのだが。
「それがお前さんにとっては益になるってのか。はは、いかにもリサらしいね」
そう言って再び盃に酒を注ぎ、一気に呷った。
ぐいと身を乗り出し、リサの目を真っ直ぐに見つめてくる。
真剣そのものの表情だった。
「だけどな、利子はともかく期限だけは設けな。そうしないと、返す金も返さなくなる。これはね、何もあいつに限った話じゃないんだ。金ってのはね、とにかく扱いを間違えると厄介なことになるんだよ。だからね、締めるべきところはきっちりと締めな。そもそも、あいつを真っ当な奴に更生したいなら、そこのところはちゃんとするべきだ。師匠として、ね」
「ご忠告、痛み入ります」
リサは真摯な顔で頷くと、席を立った。
とりあえず、彼を野放しのままにしておくのは危険だ。
しばらくの間は、師匠である自分の目の届くところに常に置いておくべきだろう。
(モニカはきっと……いえ、間違いなく嫌がるでしょうけれど)
泥酔して愚痴る姿が目に浮かぶようだ。
「ん、じゃあ治療費は近いうちに払ってくれよ……銀貨10枚な」
「命の代償にしては、安すぎませんか?」
「お前さんも変わってるよな。安くて文句言う奴なんて、お前さんぐらいだぜ?」
「何に対しても、それ相応の額は支払うべきだと思っていますので。それに、先生にはこの診療所を長く続けていただかないと困りますし」
「はは、そりゃありがたい話だね。だけどよ、一度請求した額を吊り上げるようなせこい真似はしたかねえんだよ。銀貨10枚、それで十分さ」
「了解いたしました。明日にでも、お届けに参ります」
思わぬ出費になってしまったが、蓄えは十分にある。
(ああ、それと……バドの修行用の杖も買わなくてはね)
リサの愛用の杖は、修行を始める際に亡き父が自ら作った物だ。
一応予備の杖もあるが、やはり父の遺品なので渡すのは躊躇われる。
傭兵仲間御用達の雑貨屋『鴉の巣』が真っ先に頭に浮かんだ。
盗品でも何でも安く買い取り、安く売る、という店だ。
バドの巨体に合う手頃な杖も、きっと手に入ることだろう。
(それと後は……彼の就職先ですか……う~ん……)
これは、杖よりもよっぽどの難題となるかもしれなかった。
まさか殴り屋をやらせるわけにもいかない。
(かといって、手に職があるわけでもなさそうですし……やはり力仕事しか無いでしょうね)
いくつか候補を考えた結果、以前から親交のある、沖仲仕を束ねる『大将』ことバフィトに相談してみるのが賢明と判断した。
バフィトは大鬼族で、剛力においては東南区一とも噂される男だ。
グイードやアーシュラにも一目置かれているので、彼の下にいればある程度まではトラブルを避けることもできるだろう。
豪放磊落そのものの性格で、荒くれ者の扱いに慣れている彼なら、バドのことも受け入れてくれる可能性が高い。
それに、
(彼なら、たとえバドが暴れても楽々と収めてくれそうですしね)
力には力で対抗する――それがベストだとは言えないが、有効な手段の一つであることは否めない。
(よし、どうやら上手くいきそうですね!)
自分の思い描いたプランに満足し、リサは診療所を後にした。
厄介事を抱え込んだと周りにはさんざん言われたが、それを的確に捌くことは彼女の生き甲斐の一つでもある。
だが――そうそう上手く事が運ばないのが、世の常であった。
(続く)




