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レディ・マーセナリー  作者: 加持響也
命の代償
33/51

1章 暴れ熊の馴らし方(6)

次回から2章「追う者と追われる者」に入ります。


引き続きよろしくお願いいたします。

 笑いは万病の薬、という言葉がある。

 人生楽しいことばかりではないが、辛いからとしかめっ面でいるよりは、大笑いした方が心にも身体にも良かろうというのが大意だが、リサも基本的には同意だった。

 ただし――自分が笑いの種にされるのでなければ、であるが。


「ぶはははっ! で、弟子にしてくれ、だって!? ぎゃはは、ンだよ、その話の流れだったらよお、付き合ってくれ! とか、そういう話じゃねえのかよっ! 相変わらず面白えなあ、リサはよお!」


 目の前で笑い転げるディノに、リサは冷ややかな視線を浴びせていた。


(何もそこまで笑う程のことはないじゃないですか。それに、面白いというかおかしいのはバドであって私ではないし、『相変わらず』というのも失礼ですし、だいたい何で私の稽古場を教えたのですか、おかげで迷惑しているのですけれど?)


 心の中ではディノに猛抗議をしているが、あえて口には出さない。

 今の状況で色々と話をしても、かえって火に油を注ぐだけなのは目に見えているからだ。


 バドからの驚きの弟子志願から半日、特に何事もなかったまま――むしろ朝一で大事件だったわけだが――リサはいつものように『カモメの歌声亭』で無為な時を過ごしていた。

 いや、正確には情報収集を兼ねて傭兵仲間と酒を呑んでいるのだが、傍から見ればただ自堕落な連中としか思えないだろうし、実際のところ大して有益な話も得られなかった。

 話題もないのでバドの一件を話したのだが、当然のように笑いの種にしかならなかった。


(ロッテが戻るのを期待するしかなさそうね)


 自称・東南区随一の情報屋は数日前から南区に入っている。

 あの一件の後、バドから彼を襲った連中に関して話を聞くことができた。

 彼らは南区の貧民街を根城にしている無法者たちで、強盗や追剥ぎといった力任せの悪事に手を染めているということだった。

 そんな連中になぜバドは命を狙われているのか、というと、


「身に覚えがありすぎて、よく分からない」


 とのことだった。

 自覚があるかどうかは不明だが、いずれにせよ彼は裏社会でいうところの『厄種』だ。

 厄介事のもとになる種、進んで関わらないようにすべき存在である。

 そんな男に、事もあろうか弟子入り志願されてしまった。

 何か自分に落ち度があったのだろうか、と真剣に悩んでしまいそうになる。


「だいたい奴は、男のくせに髪が長すぎる。信用できない」


「それはいくら何でも偏見でしょ、モニカ」


 例によって赤葡萄酒をガブガブと口に放り込むモニカに、半ばあきれ顔で応対する。

 滑舌に乱れは出ていないのでまだ安心ではあるが、それにしても呑み過ぎである。


「いや、甘いぞ、リサ。どんな奴かを見た目で判断できなくては、傭兵稼業は務まらぬだろうが。例えばこいつなんて、パッと見ただけですぐにバカだと分かる」


「おいおい、俺を指差すンじゃねえっての! でもよ、白雪ちゃン。確かにリサの言う通り、たかが長髪ぐらいでどうこう言うのは感心しねえぜ。あいつンとこの流儀だからな」


「流儀?」


「つーか、部族のしきたりってやつだな。この間話した時にあいつから直接訊いたンだよ。男は五歳の時からずっと、髪を切らねえンだってさ」


 それは初耳だった。

 大陸には様々な種族がいて、それぞれに違った風習や習慣がある。

 中には別種族の者には理解しがたいものもあるが、だからといって軽んじたりましてや蔑視するなどというのは思い上がった考えだ。


「……む、そうだったのか……それでは仕方ないな。リサ、あいつに謝っておいてくれ」


「……何で?」


 ほどよく酔いが回った面々と共に、リサはロッテの帰還を待ち続けたが――結局、何事もないままにその日は過ぎていった。



(……今日も来るのかしらねえ……)


 翌朝、河原の稽古場所に向かう途中、リサは何度も溜め息をついてしまった。

 彼の願いを聞き入れるつもりはない。

 一応、リサは亡き父から『免可』を頂いている。

 紫電流杖術の技術を全て体得した、という意味であり、これを得てようやく弟子を持つことが許されるのだ。

 だから、バドを弟子にすることが不可能なわけではない。

 だが、彼の性格やこれまでの行動を考えると、紫電流の技を教える気にはなれなかった。

 武術とは、とどのつまり戦闘のための技術だ。無論、殺人だけを目的としているわけではないが、結果として相手を殺してしまう可能性も当然ある。

 そのような危険なものだからこそ、武術家には強い自制心と高いモラルが必要となるのだ。

 バドが悪人ではない、ということは理解している。

 しかし、お世辞にも彼は自制心があるとは言えないだろう。


(いえ、それだからこそ武術家としてあるべき姿をまず教えてあげれば……)


(いやいやリサ、それは甘すぎるわ。もって生まれた性分は、なかなか変えられないものよ)


(それを言ったら私だって、そんなにご立派な人間とは言えないわ。まだまだ未熟者よ)


(そんな未熟者が、彼を正しい道に導けるの?)


 色々と思案を巡らせてはみたものの、明確な結論は出せなかった。

 となれば、結局彼に対する答えは『保留』となってしまう。

 だが、それがなかなか言いにくいのだ。

 彼のような真っ直ぐな人間は嫌いではない。間違いなく、性根は素直なのだ。

 だからこそ、辛い。


(きっぱりと諦めてくれればいいのだけど……)



「リサ姐さ~ん!」


 よく通る声が彼方から聴こえてきた。やはり、諦めてはくれなかったようだ。

 リサは深く溜め息をつくと、稽古を中断した。

 ゆっくりと首を振り、何を言うべきか考えてみる。

 適切な言葉が浮かんでこなかった。

 自分の語彙の無さ、否、決断力の弱さに腹立ちすら覚えてしまう。

 川から吹く風に、生い茂る雑草が揺らめく。

 リサは足元をじっと見つめたまま、彼の到着を待った。


「姐さん、いや、師匠! 俺を弟子にしてくれ!」


 着くやいなや、昨日と同じ願いを申し出てきた。

 躊躇いも迷いもない、力強い言葉だった。


(ですが……やはり、私には……)


 リサは静かに顔を上げて――絶句した。


 バドは――この無邪気な暴れ熊のような青年は、誇らしげに風に靡かせていた長い髪をバッサリと切っていたのだ。

 恐らくは自分の手で切ったのであろう、切り口が整っていない。


「バド!? 貴方……」


「……ああ、これかい? ははっ、その……何ていうかさ、上手い言葉が見つからないんだけど……あっ、そうそう! 俺、生まれ変わろうと思ったんだよね!」


 後頭部をポリポリと掻きながら、照れ臭そうな表情で彼らしくもなくぼそぼそと話す。

 リサが呆然としたまま突っ立っていると、


「色々考えたんだよ、俺なりに。今までも好き勝手暴れてきたけどさ、腹ぁ刺されて死にかけるなんて、ホントに初めてだったから。で、その……このままじゃダメだ、今までの俺を……その、変えなきゃってね。だからこれは、その……ま、第一歩ってわけ」


 拙い言葉ではあったが、そこに込められた真摯な響きをリサは確かに受け取った。

 これまでの生き方を変えて、新たな道を進む――口で言うのは簡単だが、実際は容易なことではない。

 それはリサも重々承知していた。

 だが――だからといって、どうせ無理だと諦めてしまっては変わることはできない。

 バドも、自分がこれから歩もうとしている道がどれほど険しいか自覚できているはずだ。

 だからこそ、部族の風習に逆らって髪を切ったのだ。

 その行為はどれほど、彼にとって辛いことであっただろう。逆に言えば、それだけ彼の決意は固いということだ。

 リサの心から、葛藤が消えた。


「……いいでしょう。紫電流杖術への入門、私が許可いたします」


「え?」


 リサの静かな答えに、バドが目を丸くさせた。

 驚愕の表情のまましばし硬直していたが、徐々にそれは喜びに変わっていった。


「そ、それじゃ、リサ姐さん……じゃない、御師匠、様……」


「堅苦しい言い方はやめて。貴方も舌を噛んじゃうでしょ? といって、さすがに『姐さん』は、ちょっと困るけれど……う~ん、じゃあ、一応『師匠』ということで」


「師匠!」


 両の拳をぐっと握り、お菓子をもらった子供のように目を輝かせている。

 その様子を見ていると、弟子というよりも大きな弟ができたような気分になってきたが、


「紫電流杖術の門を叩いた以上、師である私の命には従ってもらいます。それができないというのであれば、すぐに私の下を去りなさい。いいですね?」


「……えっと……あ、はいっ!」


 慌てて姿勢を正し、ぴんと背筋を伸ばしていかにも生真面目そうな顔をしたが、彼の心中が思いがけぬ喜びで浮き立っているのは一目瞭然だった。

 正直、不安が無いわけではない。

 例の胡散臭い連中は、今でも彼の命を狙っているのだ。

 師匠となった以上、知らぬ顔をするわけにもいかない。

 それに、これから先、バドが巻き込まれるであろう――あるいは自ら巻き起こすであろう――事件にも、首を突っ込まなくてはならなくなる。


 だが――。


(それもまた、私にとっては修行の一つよね)


 あえて厄介の種を抱え込むことで、リサも彼のように変わることができるかもしれない。

 案外彼が、様々な形でリサの助けになってくれるなどということもあり得るだろう。

 それに――。


(私の心が動かされてしまったのだもの、仕方ないでしょう?)

 


「じゃ、じゃあ、師匠! 早速だけど修行を……」


 期待を込めた目でぐいと身を乗り出してくるバドであったが、リサは軽く首を振った。


「ダメですよ。傷が完全に癒えるまで……グウェン先生からお許しが出るまで、診療所から動くことはなりません。そもそも紫電流杖術の修行は厳しいのですよ。もしかして、怪我人でもできるような生ぬるい鍛錬だと侮っているのですか?」


「えっ……い、いや、そんなことは……」


 おあずけされた犬のように、一転して情けない顔になる。

 まずはこの、何でもすぐに顔に出るところから直させなくてはならないだろう。


「私の指示が聞けぬと言うのですか?」


「え!? あ……いや……わ、分かりました、師匠!」


「よろしい。では、すぐに戻りなさい」


「はいッ!」


 深々と礼をしてから顔を上げると、先程のように瞳をキラキラと輝かせていた。

 本当に素直な性格だ。見ているこちらが、危なっかしく思ってしまうぐらいに。

 踵を返し、やはり傷が痛むのであろう、腹を押さえながら草むらを駆けだしていった。


(やれやれ……)


 半ば呆れ顔で、小さくなっていくバドの背中を見守っていたリサであったが――。


「ひゃっほ~い! 弟子入りだ! やるぜぇ~! 俺はやるぜぇ~!」


「え」


 思わず我が目を疑った。

 全力疾走していたバドが、その勢いのまま跳躍し、豪快に川に飛び込んだのだ。


(なっ……ちょ、ちょっと!?)


 水面に浮かぶバドの、歓喜の奇声――あるいは歌なのかもしれない――が、かなり離れた位置のリサのところまで届いてくる。

 流れに乗り、さらに小さくなっていくバドの姿を呆然と見送りながら、リサは己の下した決断を猛烈に後悔し始めたのであった。


(続く)

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