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レディ・マーセナリー  作者: 加持響也
命の代償
30/51

1章 暴れ熊の馴らし方(3)

翌朝。

 手術の後、空が薄紫色になるまでグウェンの酒に付き合わされたリサは、日課の朝稽古をすることもなく、そのまま『カモメの歌声亭』に戻った。


 結局、あの若者はずっと意識を取り戻さなかった。薬の効能、恐るべしである。

 酔い潰れた傭兵たちを尻目に二階に上がる。

 仕事を終えたばかりの、気怠い様子の娼婦たちと挨拶を交わしあい、部屋に入った。

 モニカが静かな寝息を立てている。

 着替えを済ませ、彼女のベッドに潜り込んだ。

 一日を振り返る余裕もなく、リサはそのまま眠りに落ちていった。


「……夕べはそんな面白いことがあったのか……起こしてくれれば良かったのに」

「いや面白くはないわよ。それに、昨日の貴女はそれどころじゃなかったでしょ、モニカ」

 横になって数時間ほどしか眠ることはできなかった。

 原因はモニカの唸り声だ。

 あれだけ呑んだのだから当然であるが、二日酔いである。

 頭を押さえてうんうんと唸る彼女の介抱をしている内に、自然に目が冴えてしまった。


(まあ、これで今日は早めに寝れば……生活のリズムは戻せそうね)

 リサは基本的に早寝早起きだ。

 島にいた頃は厳格な父と暮らしていたから、夜更かしなどもっての外であった。

 陽が昇る前に起床し、朝稽古をする。大陸に渡ってからも、特に用事がない限りは欠かすことのない習慣であった。

 一度このリズムを崩してしまうと、元に戻すのはなかなか難しい。

 稽古を怠れば、そのツケは自分自身で支払わなければならなくなる。


 二人はリサの常宿『渡津海亭』で、遅い朝食を摂っていた。

 食欲がない、というモニカがちびちびとスープを啜るのを横目に、パンと山羊のチーズ、温かい夏野菜と狐のスープを楽しみながら、昨夜の話を聞かせていた。


「……ふむ。しかしその連中、ちょっと気になるな。腕は大したことなさそうだが」

「そうねえ」

 モニカの言う通り、手練れとは程遠い手合いであった。

 だが、どのような遺恨があったかは知らないが後ろから人を刺すような者たちだ。

 取り締まるのは保安隊の仕事であるが、昨夜顔を知られたリサたちも、警戒しておくべきであろう。

(まあ、ディノは大丈夫でしょうけれど……。誰か一人くらい、連中の後を尾けてもらっておけば良かったかしら。失敗したわね)

 だいたいの居所さえ掴めていれば、それだけでだいぶ気が楽になるものだ。

 早い話、保安隊に通報すれば一件落着となる。

 だが、現状では、これ以上手の打ちようがない。


 ゆっくりと食事を終えたところで、

「グウェン先生の所に行ってみるわ」

「うむ。その大バカ者に、事情を聴いてみるということだな。それが一番手っ取り早い」

「ええ。貴女も一緒に来る?」

「もちろんだ。今日は特に仕事もないから、リサとずっと一緒にいる。まあ、そのバカの話も少し気になるし、グウェン先生やココともしばらく会ってなかったからな」

 スープ皿を両手で包み込むようにし、そのまま呷るように飲み干す。

 先程まで死んだ魚のようだったモニカの目が、すっかり元の輝きを取り戻していた。

 またヘソを曲げられても面倒なので、リサはあえて行儀の悪さは指摘しなかった。


 どんよりとした曇り空の、蒸し暑い陽気だった。

 海が近いので風が吹いているのが、せめてもの救いと言えるだろう。

「相変わらず色気のねえ格好だな、お前さん方は!」

 顔なじみの屋台の親爺が、無遠慮な言葉を投げかけてくる。

 リサもモニカも、革鎧に長ズボン、革のブーツという暑苦しい装いだ。

 いつ、何が起きるか分からない稼業なので致し方ないところではあるが、確かに色気は皆無であろう。

 苦笑いするリサに対し、モニカは仏頂面で何やらブツブツと呟いている。

 基本的に、彼女は無口で人見知りする性分なのだ。


「あ、リサお姉さま! へへへ~、やっぱり来ましたね~」

 グウェンの診療所に着くと、入り口には先客――自称・東南区一の情報屋『犬鼻』こと、ロッテがいた。

 猫のような大きな目を、例によって好奇の光で輝かせている。


「その様子だと、もう昨日の一件は耳に入っているようね?」

「もちろんですよ~。まあ、当事者の方に話を聞くのが一番確実ですからね~。あ、白雪ちゃん、お久し~」

 手をひらひらと振る彼女に、モニカがすっと右手を挙げて軽く答える。

 年齢も背丈もほぼ同じな二人だが、こういう所は本当に対照的だ。

「相変わらず騒々しいな、お前は」

「そう言う白雪ちゃんは、いつものように二日酔い~?」

「何だ、その言い方は! まるであたしがただの酔っぱらいみたいじゃないか!」

 会えば毎回この手のやり取りをしている。

 もっとも、お互いに相手の力量は認め合っているようであるが。


「すいませ~ん。先生が起きちゃうので、じゃれあうのはよそでお願いしま~す」

助手のココが、小声で二人の間に割って入ってきた。

「昼間からすまないわね、ココ。例の彼の様子はどう?」

「大丈夫ですよ、リサさん。明け方に一回目を覚まして、また寝ちゃいました。今日一日は、何も食べさせずに安静にって、先生が言っていましたよ」

「ココちゃん、彼、何か言ってなかった? 刺した連中のこととか」

 ロッテが目を輝かせながら迫る。

 何か掴めば、すぐにでも商売にしてやろうという魂胆が見え見えだ。

「いえ、何も。名前だけは聞けましたけれどね。バドっていうそうです」

「変な名前だな」

「人の名前にケチつけちゃダメだよ~、白雪ちゃん。それに、変わった名前の方が情報を集めやすくて助かるし~」

 実際、ロッテにとっては名前を訊き出せただけでも収穫だろう。

 名前、おおよその年齢、身体的特徴さえ把握すれば、彼女なら一日二日でかなりの量の情報を集められるはずだ。


「あ、ちょうど良かった。私、これから買い物に行こうと思うんですけれど、留守番をお願いしてもいいですか~?」

「お安い御用よ、ココ」

「あたしも付き合おう。グウェン先生が起きていたら、二日酔いに効く薬を貰おうと思っていたのだが……お休み中では仕方ないからな」

(……そんなことを言ったら、きっと先生『知るか! あたしは外科医だって何べんも言ってんだろ!』って怒ったでしょうけれどね……)

 彼女が眉を吊り上げるさまが、リサの脳裏にありありと浮かんだ。


「……で、ロッテ。他に何か動きはある?」

 二人きりになったところで尋ねた。

 待ち合い用に置かれた長椅子に腰掛け、出がけにココが淹れてくれたお茶を飲む。

 井戸の周りで、近隣の主婦たちが集まって雑談をしている。

 子供たちがはしゃぎ回る声。

 平和な昼下がりだ。


「んー、まあ何とも言えませんね」

「歯切れの悪い言い方ね。貴女らしくもない」

「噂ならいくつかありますが、まだ『商品』にできるような段階ではないってことですよ」

 金になる話ではない、ということだろう。

 この辺り、彼女はしっかりしている。

 情報屋の中には、信頼度の薄い情報でも平気で売り捌く者もいるというが、彼女は決してそのようなことはしない。

 信用第一、というのが彼女のモットーなのだ。


「成程ね。奥で寝ている彼も、刺した連中も見かけない顔だったけれど……。最近、そういう連中が増えている、ってこと?」

「そうですね~。連絡船が着くのは来週ですし、別の区から流れてきたって線が濃いんじゃないかと思いますけれど」

 連絡船とは、リサの出身地である東方及び、東南諸島と大陸を結ぶ定期船のことだ。月に一度、出稼ぎや旅行者を乗せて東南区の港にやってくる。

「別の区、ねえ……」

 隣接する区ということであれば、南区か東区だ。

 何度か足を踏み入れたことはあるが、情勢には疎い。


「ま、とりあえず探ってみますよ。当人が目を覚ましたら、色々聞いておいてくれますか?」

「そうね……と、ロッテ。奥に入って」

 不穏な気配を感じたリサが囁くと、無言で頷き物陰に身を潜めた。

 外の声が途絶えている。

 耳を澄ませた。

 慌てて戸を閉める音。数人の足音と、金属音。武装している。


(保安隊、ではなさそうね)

 昨夜の騒ぎについて、彼らの耳に届いているか否かは定かではない。

 だが、もし情報が入っていれば、当事者のバドを取り調べに来るのは当然のことであろう。

 しかし、それにしてはあまりに剣呑な空気だ。

 商売柄、リサは殺気に敏感である。

 それに、表から聞こえる足音から、三人以上いることは間違いなかった。

 保安隊は基本的に二人一組で巡回する。

 と、いうことは――。

(グイード様の部下、あるいは昨日の連中ね)

 リサは腰を上げ、静かに杖を構えた。


 この一帯は、元締『人斬りグイード』の縄張りだ。裏の世界を牛耳る彼らもまた、保安隊同様、バドの一件に関心を寄せているはずである。

 よそ者が好き勝手に暴れているのを放置してしまっては、沽券に係わる。

 何よりもメンツを重んじる彼らには、看過できない問題なのだ。

 それに、こういったトラブルを未然に防ぐことが、彼ら『地廻り』と呼ばれる者たちの存在理由の一つでもあった。

 幸い、リサはグイードとは友好的な関係を築いている。

 また、グウェンの診療所は、刃傷沙汰の絶えない彼らにとって欠かせない場所である。

 実際グウェンも、

「まーた、あんたたちかい! あたしの仕事ばっかり増やしやがって。グイードとヤンに言っておきな、たまにはあたしの手を煩わせずにカタをつけろって!」

 などと、街の人々に恐れられる彼らに対しても遠慮会釈のない物言いをするぐらいだ。


「おい、間違いないんだろうな」

「ああ、兄貴。ここらじゃ有名な闇医者らしいぜ。バドの野郎、昨日のアレでくたばってりゃあ、問題ねえんだが……」

(どうやら、一番望ましくないお客さんのようね……)

 戸の外から洩れ聞こえる男たちの短い会話で、状況を全て把握することができた。

 やはり手練れとは程遠い連中だった。

 不意討ちを狙うなら、事前に襲撃場所は探り当てておくべきだ。

 その上で、いざ決行という時には静かにかつ迅速に襲うのが常道である。

(それにしても、闇医者呼ばわりとは……グウェン先生が聞いたら、また怒るわね)

 杖を中段に構えたまま、息を殺す。


 相手の正確な人数は不明だが、こちらが数的不利な立場にあることは間違いない。

 だが、地の利はある。

 どこに何があるかはリサの方が熟知しているし、このように狭い場所では数の優位を活かすことは難しい。

 しかも、会話の様子から察するに、相手はすっかり油断しきっている。

 彼らの獲物であるバドは手負いであるし、何しろここは診療所だ。

 危険な敵が入り口で待ち構えていようなどとは、想像すらしていないのだろう。


 木戸が乱暴に開け放たれた瞬間、リサは一気に踏み込んで杖を突き出した――。


(続く)

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