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レディ・マーセナリー  作者: 加持響也
命の代償
29/51

1章 暴れ熊の馴らし方(2)

夜はすっかり更けていた。

 喧騒のやまない歓楽街を港方面に抜けると、途端に人通りが少なくなる。

 この辺りは港湾労働者の住居がひしめき合っていて、この時間は朝の仕事に備えて眠りについている者がほとんどだ。


 リサは先導するディノの背を追いつつ、傭兵仲間に担がれる若者の様子を窺った。

 ギラギラと目を輝かせ、しきりに悪態をつく姿を見るに、重傷による痛みよりも怒りの方が遥かに上回っているようだ。

 一見すると元気なように思えるが、

(むしろ、こういう時の方が危ないのよね……)

 気力が一瞬でも萎えると、そのまま昏倒してしまう――そのようなケースを、これまでリサは何度か目にしてきた。


 ディノが小路に入った。石畳で舗装されていない砂利道で、所々に水溜りができている。黒猫が、静寂を破られたことに抗議するように鳴き声をあげた。

 木造の粗末な小屋が、お互いに寄りかかり合うように並んでいる。

 月と星灯りだけが、わずかに足元を照らしていた。

 ディノに先導を任せたのは、仲間内では最も夜目が利き、荒れた道にも慣れているからだ。このような条件下でも、つまずくこともなく全力で走っていく。

 ちなみに、モニカもその点では彼以上の能力を持っているが、さすがに今は役に立たない。


「おーい、グウェン先生!」

 ディノが場違いなほど陽気な声を上げ、手を振った。

 狭い小路の突き当りで、数人が焚火を取り囲んでいた。

 そこだけは少し開けていて、奥には井戸がある。この周辺の住民の、憩いの場であった。


「うるせえよ、ディノ。何だ、リサも一緒か。まーた、厄介事かい?」

 一人が立ち上がり、呆れたように返してきた。

 左手には焼き魚の串、右手には盃。晩酌を邪魔されて不機嫌そのもの、といった女性の顔が焚火に照らされた。

「すいません、グウェン先生」

 リサが頭を下げると、ぶつぶつと文句を言いながら盃をぐいと呑み干し、串にかぶりつきながら若者の方に目を向けた。

「あー、こりゃあ、あたしの仕事だな、うん。久し振りの、あたしの本業って奴だね」

 あっという間に焼き魚を咀嚼し終えると、

「ココ、起きな! 仕事だよ!」

 すぐに「はい!」と元気な少女の声が返ってきて、奥の小屋に灯りが点った。


「久し振りなんですか、先生?」

「ああ、そうだねリサ。まったくここらの住民ときたら、あたしを呪い師か何かと勘違いしてやがるんだよ。やれ腹を下したとか、腰が痛いだとか……そのうち女房が産気づいたとか、探し物を見つけてくれとか頼まれかねないよ。冗談じゃない、あたしゃ外科医だってえの!」


 グウェンドリン・アシュフォードは、この界隈では一番の有名人だった。

 若いながら評判の良い外科医で、その気になればもっと大きな診療所を構えてもおかしくない程なのだが、何故かこのような場所で闇医者まがいのことをしているのがその理由だ。

 もっとも本人によれば、

「闇医者? ふざけないでほしいね、あたしは医師ギルド所属のれっきとした外科医だよ? ……まあ、ギルドの月会費はいつも滞納しているけどさ」

 ということらしい。

 ともかく、彼女が東南区でも知られた外科医であることは間違いない。

 加えて「来る患者はいつ、誰であろうと拒まず」という姿勢と、治療費の安さも有名で、港で働く荒くれ男たちやリサたちのような傭兵、裏社会の人間からも全幅の信頼を得ている。


「で、見たことねえ奴だけど、一体どこのバカなんだい? グイードのところか?」

 ボサボサの金髪を後ろで無造作に束ねながら、グウェンが訊いてきた。

 所々が継ぎはぎだらけで、血染みも点々と残された白衣姿だが、当人曰くちゃんと洗ってはいるらしい。

「いえ、私も今さっき会ったばかりで名前も知りません」

「おいおい、どこの馬の骨とも分からん奴を、あたしの所に担ぎ込んできたってわけかい」

「ええ。ですが、先生は慣れっこじゃないですか」

「そりゃそうだけどさ、リサ。素性が分からねえ奴はさ、後で困るんだよ。治療費ばっくれたりしやがるからさあ。いくらあたしが安価で引き受けるからって、ロハってわけにゃあいかねえんだよ? こっちも商売なんだからね」

 文句をずらずらと並べながらも、診療所に入っててきぱきと準備を進める。

 丸眼鏡の奥の碧眼は真剣な光を放っていた。

 彼女は三十代前半の中央人だが、他民族に対する差別意識などとは縁のない人物だ。それどころか、鬼族や亜人、半亜種といった者であっても、

「あたしの診療台に上げたからにゃあ、必ず治療してやるよ」

 と豪語していて、それを実践してしまう。

 リサが、この東南区で尊敬する人物の一人であった。


「先生、準備完了でっす!」

 東南諸島系の少女・ココの快活な声。

 彼女はグウェンのただ一人の弟子で、診療の助手を務めるだけではなく、家事全般が苦手な師匠の身の回りの世話を全て行っている。

 仕事柄、凄絶な状況でに出くわしても顔色一つ変えることがない、浅黒い肌に短い黒髪のエネルギッシュな少女だ。


「おし、始めるか! じゃ、そのデカいのを診療台に乗せてくんな」

 傭兵たちが若者を診療台にうつ伏せに乗せた。

 若者の巨躯を乗せても充分に余裕のある、大きなベッドだ。決して広いとは言えない部屋全体を占めている。

「こら、暴れるンじゃねえよ!」

 ディノが声を荒げ、若者の後頭部を軽く叩いた。

「てめえ、何しや……もがっ!」

 若者が噛みつかんばかりの勢いでディノに首を向けた瞬間、ココが素早く彼の口に棒を押し込んだ。

 棒には布が何重にも巻かれている。手術中、患者が痛みのあまり舌を噛まないようにするための道具であった。

 ココが手際よく布の先端を結ぶ。これでもう、どんなに暴れても外すことはできないだろう。


「ココ、ご苦労……っと、そうだ。せっかくだからアレ、試してみようか?」

「え、もしかしてアレですか、お師匠様?」

「うん。ちょいと勿体ない気もするが、一回は実際に使ってみないとな。ま、この兄ちゃんは丈夫そうだし、平気だろ」

 まるでこれから悪戯をする子供のようなグウェンの表情と、嬉しそうに好奇の目を輝かせるココに、リサは急速に不安を覚えた。

「すいません、先生。『アレ』って、何でしょう?」

「ああ、心配するなよ、リサ。この間、ギルドの薬師から薬を仕入れてね。開発したばかりの新薬だから、試しに使ってみてくれって言われてたんだよ」

「え……」

 心配をするなと言われても無理な話であるが、リサには止める権限も義理もない。


 ココが戸棚から、緑色の粉末の入った小さな瓶を取り出してきた。

 粉を指先に乗せると、

「あ、ディノさん。この人の首、がっちり抑えてくれます?」

 ディノがお安い御用と頭をがっちり掴むと、

「はーい、怖くない怖くなーい。この粉、ちょっと吸ってみてくださいねー」

 満面の笑みで若者の鼻に近づける。

 得体の知れない粉を前に、必死に抵抗しようとしたが、何しろ口で呼吸ができないのだから仕方がない。

 若者はその粉を吸うと――わずか数秒で、がっくりと首を垂れてしまった。


「成功ですね、お師匠様!」

「うんうん、効くなあ、これ。今度あいつが来たら、報告しておこう」

 満足げに何度も頷くグウェンに、

「今の粉は、一体……?」

「ああ、『麻睡散』って粉でね。鼻から吸うと、あっという間に眠っちまうって奴さ。ちょっとやそっとじゃ起きないって触れ込みだったけれど、本当にその通りなら手術する時に便利だなあって」

「……そのまま永眠、ってことはないですよね?」

「……さて、おとなしくなったところで手術を始めっか!」

 リサの問いを無視すると、グウェンは彼女の『本業』を開始した。


 およそ一時間後――。

 周辺は、すっかり晩夏の夜の静寂を取り戻していた。

 傭兵たちはリサを除く全員が『カモメの歌声亭』に戻っている。おそらく、これからこの一件を肴にしてまた呑み直すことだろう。

 若者は一命をとりとめた。

 グウェンは、相変わらずの見事な手捌きで傷口を縫合すると、

「後は化膿しないように注意だな。それと、しばらくは動かせないね。また傷口が開いちまうからさ」

 薬草を磨り潰して調合した薬を塗り、包帯を巻いた。

 完全に癒えるまでは、だいたい一週間前後はかかるだろう、という話であった。


 例の薬が効いたのか、若者は静かな寝息を立てて診療台に伏している。傍らではココが寝ずに番をするという。

「まあ大丈夫だろうけど、あいつが目を覚ますまで油断はできないからね」

「お疲れ様でした、先生。ありがとうございます」

 リサはグウェンと二人、消えかけた焚火の前で晩酌を交わしていた。

 月は東にやや傾いていて、もう人影はどこにもない。


「礼には及ばないよ。これがあたしの仕事だからね。それに、縁もゆかりもない奴の命を助けたからって、お前さんが頭を下げる義理は無いだろ?」

「私が先生の所に担ぎ込んだ時点で、もう『縁』はありますよ」

「ふふ、いかにもお前さんらしい答えだね。ホント、傭兵にしては変わり者だよ。お人好しにも程があるんじゃないか?」

 呆れたように、白く濁った東方産の酒を傾ける。


 空になった盃にリサが酌をして、

「……僭越ながら、先生と同じですよ」

「あたしと? はは、このあたしがお人好しだってのかい?」

「できる限り、人の命を救いたいのです」

 リサの言葉に、一瞬キョトンとした顔になったが、すぐに眼鏡の奥の碧眼が輝いた。

「あたしは外科医、でもってお前さんは傭兵だろ? 普通なら、やってることは真逆だってのに……はは、本当にお前さんは面白いな。意地悪な見方をすりゃ、傭兵失格だぜ」

「ふふ、私にとっては褒め言葉ですよ、先生」

 今度はリサの盃に、グウェンが酒をなみなみと注ぐ。

「だがな、リサ。お前さんの稼業、それだけじゃ済まないだろ?」

「ええ」

 グウェンの問いの真意とその重さを、リサは瞬時に理解した。


 リサは傭兵だ。

 戦うことを生業とする人間であり、そのための武を日々磨いている。

 そして戦いの結果として、直接的にしろ間接的にしろ人を傷つけ殺めるのは珍しいことではない。

 むしろ傭兵として生きる以上、『日常茶飯事』のことであった。

(……そう、私の手は、すでに汚れている……)

 傭兵稼業を始めておよそ一年、厳しい状況を幾度も潜り抜けてきた。

 その中で、殺した敵は数知れない。

 そういう意味において、自分は『純粋無垢な乙女』などではないのだ。

 そこが、グウェンとの決定的な違いであることをリサは認めていた。


「……全て承知の上、か」

「ええ。逆に私自身が傷つけられ、命を落とすことも覚悟しています」

 静かな口調であるが、リサの言葉には強い意志がみなぎっていた。


「……そうか。ま、お前さんにもし何かあったら、いつでもあたしの所に来な。どんなにひどい手傷を負ってても、必ず治してやるからさ」

「先生にそう言って頂けると、心強いですね」

「だけどな、くれぐれも無茶はするなよ。いくらお前さんがタフな傭兵で、あたしが腕の立つ外科医だからって、どうにもならねえことだってあるんだからな」

「ふふ、分かりましたよ先生。肝に銘じておきます」

「どうだかね。お前さん、日頃は冷静なのに、時々とんでもない無茶をやらかすからな!」

 先日の誘拐師の一件を思い出し、今度は返す言葉もないリサであった。


(続く)

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