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レディ・マーセナリー  作者: 加持響也
命の代償
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1章 暴れ熊の馴らし方(1)

1章 暴れ熊の馴らし方


 どうやら喧嘩は、『カモメの歌声亭』のすぐ目の前で起こっているらしい。

 下に降りてみると、酔い潰れている者を除けば、客はみんな入り口周辺に集まって見物を決め込んでいる。

 揃いも揃って、荒事が大好きなのだ。

 定番だが、どちらが勝つかの賭けも始まっている。


「オッズはどうなっていますか?」

 人が多すぎて見えないので、集団の後ろから尋ねてみた。

 賭け率を聞けば、だいたいの状況は見当がつくからだ。

 戦闘を飯の種にしている百戦錬磨の傭兵たちだけに、戦況を見極めることには長けている。


「ごつい兄ちゃんが5倍、囲んでる4人組が2倍だぜ!」

 威勢の良い声が返ってきた。

 一対四という状況であるが、その『ごつい兄ちゃん』はかなり善戦しているのだろう。そうでなければ、賭けそのものが成立しない人数差だ。


 少しだけ、その男のことが気になった。

 敵に回るか味方になるかは別として、この世界で稼業を続けていけばどこかで出くわす可能性もある。

 また、今後の戦い方の参考になるかもしれない。

 厄介事に巻き込まれない限りは、できるだけ色々な物事に目を向けておくのが、リサの流儀だ。

 もっとも、その旺盛な好奇心が災いすることも多々あるわけだが。


 野次馬の群れをかき分け、店の外に出る。

 案の定、喧嘩が三度の飯より好きなディノが、群れの最前列にいた。

「どんな塩梅です?」

「おう、リサか。へへっ、あの兄ちゃン、なかなか頑張ってるぜ。根性はありそうだな」


 長身の若い男を、四人の男が取り囲んでいる。

 浅黒い肌の若い男は肩幅が広く、確かに『ごつい』という言葉がふさわしい偉丈夫だ。

 薄汚れたシャツの半袖が、筋肉ではち切れんばかりに盛り上がっている。

 首から肩、広い背中にかけてもゴツゴツとしていて、それを支える下半身も申し分ない。

(まるで熊、ね)

 鍛えに鍛えて造り上げた身体というよりは、生まれたままの強健な肉体といった印象だった。

 次に襲いかかる敵に備え、太い首を左右に目まぐるしく動かしている。

 そのたびに、無造作に束ねた黒髪が激しく揺れた。

 怒りに満ちた凄い形相になっているが、顔にはまだ幼さが残っていた。

 モニカとさして変わらないぐらいかもしれない。

 髪と肌の色、顔だちから察するに、東南諸島系の血筋であろう。


 一方の四人組はといえば、雑多な人種構成だった。

 背丈も体格もバラバラで、年齢はリサと同じか少し上程度だろう。

 見た顔は一人もいない。

 東南区の裏社会を仕切るのは、『人斬り』グイードと『宵闇の女王』アーシュラという二人の元締だ。

 リサは、彼らの下にいる人間の顔は一部を除き見知っている。

 どこか別の区から流れてきた荒くれ者ども、といったところだろうか。

 いずれにせよ、四対一で苦戦している様子を見るに、手練れとは言い難い。


 背後から掴みかかろうとする小太りの男を、若者が剛腕の一撃で振り払った。

 よろめいたところに、すぐさま前蹴りを入れる。

 下腹を蹴られ、小太りの男がその場に悶絶した。

 それを見て、残る三人が一斉に飛びかかった。

 若者は背中を蹴られ、頬を殴られたが、倒れない。

 嵩にかかって三人が殴り続けるが、

「がああああああっ!」

 獣の如き咆哮をあげた若者が、メチャメチャに腕を振り回すと包囲が解かれてしまった。


(なるほど、ディオの見立て通りですね)

 確かに喧嘩根性はある。

 戦闘技術は皆無に等しいが、頑強な肉体と精神力の持ち主のようだ。

 もっとも、この状態が続けば最後には敗れてしまうだろう。

 四対一という苦境を跳ね返すには、足りないものが多すぎる。


「おーい、そこの兄ちゃン! おいらが加勢してやろうか!?」

 ディノが目を輝かせながら野次を飛ばす。

 彼が与太や冗談ではなく、本気でそう言っていることをリサはよく知っていた。『港通りの狂犬』は、三度の飯より喧嘩が大好きなのだ。

(まあ、この人は三度のご飯も大好きですけれどね……)

 年頃の女性としては大食家のリサも、呆れるほどの健啖ぶりなのだ。


(それにしても、あまり余計なお世話は焼かない方が……)

「あぁん!? 余計なお世話だ! おっさんはすっこんでろ!」

 若者がディノの方は向かないまま、怒声を返す。

 ちょうど同じことを考えていたところだったので、思わずリサは吹き出してしまった。

「なンだとてめえ! 誰がおっさンだぁ!」

 言うが早いか、ディノは駈け出していた。

 リサが止める間もなく、若者に一直線に突っ込んでいく。まさに狂犬だ。

「どりゃあ!」

 ディノの飛び蹴りが、若者の顔面にヒットした。

 身長差をものともしない、驚異的な跳躍力だ。

 四人組の攻撃ではビクともしなかった若者の巨体が、轟音を立てて石畳に崩れ落ちる。


「おいディノ! そっちに加勢してどーすんだよ!」

「バカヤロー! 賭けがおじゃんになっちまうじゃねーか!」

 傭兵仲間が野次を飛ばす。

 誰一人止めたり自分も参戦しよう、などとはしない。

「乱戦でディノのがいたら、巻き添えを食うから手は出さない」は、彼らの暗黙のルールだった。それぐらい、メチャメチャな戦いぶりなのだ。


「おら! てめーらは俺が遊んでやらあ!」

 突然の乱入者に茫然となった三人が、一瞬のうちにディノに叩きのめされた。

 先程のダメージが和らぎ、どうにか立ち上がった小太りの男も、顎を真下から拳で突き上げられ、そのまま吹っ飛ばされる。

 彼らにしてみれば、迷惑千万なことこの上ない話だろう。


「くっそがあ! 何なんだよ、おっさん!」

 顔の下半分が鼻血まみれになった若者が起き上がり、ディノに殴りかかる。

 風を切る音がリサの耳にまで聞こえてきそうな豪快な一撃だったが、ディノは悠々とかわしていた。

「おっさンって言うンじゃねえ、このクソガキがっ!」

 隙だらけになった若者の脇腹に、踏み込んで素早く鉤突きを叩きこむ。

 苦痛で動きが止まった若者の顎を突き上げ、すぐにステップして距離をとる。


「ちょこまかと動くんじゃねえ!」

 若者が今度は突進し、肩の上から叩きつけるように拳を振るうが、横についと回避したディノが足を軽く引っ掛け、

「あらよっと!」

 バランスを崩した若者の脇腹、胃袋の辺りに追い討ちの拳を入れる。

(大したものね、やっぱり勝負にならないわ)

 ディノの戦いぶりは何度も目にしているが、リサはそのたびに感心させられる。 狂犬と呼ばれる気性の激しい男であるが、実際の戦いぶりはとてもクレバーだ。 もっとも、だからこそこれまで生き延びてこられたのだとも言える。


 単純な体力、体格だけを比較すれば若者の方が上かもしれない。

 特にリーチ差などは圧倒的だ。

 だが、ディノにはその不利を補って余りある戦闘技術と経験、それに加えて

(戦闘における勘の良さが、図抜けているのよね)

 強力な武器を持っているのだ。


 動かない物を殴るだけなら腕力や瞬発力の勝負になる。

 だが、実際の戦闘においてはそれのみでは役に立たない。

 動き、さらにこちらを狙ってくる『敵』に有効な打撃を与えるには、勘の良さも必要となるのだ。

 ディノはその勘働きが尋常ではない。加えて目も耳も良い。

 優れた五感、的確で鋭敏な判断力、頭から下される指令に忠実に動く身体、どれをとっても一級品だ。

 まさに『戦うために生まれてきた』ような、生粋の戦士である。


 だが、若者もやはり只者ではなかった。

 先程からの一連の攻撃は全て虚しく空を切り、そのたびにディノに痛めつけられているが、

(最初の飛び蹴り以外、一回も倒れてないわ……凄いわね)

 あの飛び蹴りが不意討ちだったことも考慮すると、実質、一度もダウンしていないと言ってもいいかもしれない。


 リサの見立てでは、今のディノはまだ本気を出しきってはいなかった。

 むしろ若者との殴り合い――いや、結果だけを見れば彼が一方的に殴っているのだが――を楽しむような余裕すら表情からは窺える。

 それにしても、鍛えられた拳をあれだけガツガツ入れられているのだから、ダメージは相当受けているはずだ。

 それでも、若者は膝を屈しない。

 大量の鼻血と連戦で呼吸も苦しかろうと思うのだが、動きはまるで止まらなかった。

 それに何より、

(目が、死んでいないわね)

 黒い瞳は爛々と輝き、煮えたぎるような熱い闘志に満ち溢れていた。


「おい、兄ちゃん頑張れ!」

「ディノ! おめーも一発ぐらい殴らせてやれよ!」

 苦しみながらも奮闘する若者に、野次馬たちが声援を送る。

 無責任な話だが、彼らは面白いものが見物できればそれでいいのだ。


(それにしても、そろそろ保安隊かグイード様の部下が駆けつける頃合いよね)

 この辺り一帯は、『人斬りグイード』の縄張りだ。

 よそ者がこんな風に暴れていれば、本来なら真っ先に駆けつけてその場を仕切るのが彼らの使命である。街の治安を守る保安隊も同様だ。

(もしかしたら、どちらもここには構っていられないような別の事件が起きているのしら? それはそれで、気になるわね)

 目の前で繰り広げられる喧嘩よりも、リサにはそちらの方が気になっていた。

 傭兵特有の思考とも言える。「常に広い視点で物事を考えろ」とは、リサの傭兵の師匠の教えだ。


「へへっ、兄ちゃン。どうしたい? おっさン相手に息切れかよ?」

「るせえ! ぶっ殺してやらあ!」

 疲労がピークに達したか、若者がついに足を止めた。

 口を大きく開けたまま肩を弾ませる若者を、軽快なステップを踏んだままのディノが、ニヤニヤと笑みを浮かべて挑発する。


 だが、次の瞬間――。

「後ろよ!」

 リサが凛とした声で警告を発した。

 修羅場慣れしたディノは、さすがにいち早く危険を察したようであったが、リサを知らぬ若者は反応が僅かに遅れた。

「……がっ!」

 その場に居合わせた者の大半が、すっかり忘れていた四人組。

 その一人、小柄で似合わない口髭を生やした男が、若者の腰の後ろに刃物を突き立てていた。


「てっめえ……や、やりやがったな……」

 若者が鬼の形相で振り返ると、小男はひっと短い悲鳴をあげて後ずさった。

 四人のリーダー格と思しき男が、ちらりとリサの顔を一瞥すると、一目散に駈け出した。残る三人も、慌ててそれに従っていく。

(……まずかった、かしらね……。いや、今はそれどころじゃないわ!)

 彼らのような連中の一人に顔と声を知られたことは、あまり喜ばしいことではない。だが、あの場で黙っていられるようなリサではなかった。


「ま、待ちやがれ! くそっ、ざけやがって……」

 若者が痛みに顔をしかめながら、震える手を背後に回して短剣を抜こうとする。

「ここで抜いたら死ぬわよ! ディノ、みんな、取り押さえて!」

 リサは若者に駆け寄った。若者が反発するような目を向けてきたが、リサは恐れもせず彼の肩に手を置き、傷の具合を確かめる。

 刃は深々と刺さっていた。じわりと漏れ出てきた血がみるみるうちに広がり、シャツを赤黒く染めていく。

 なおも逃げ去った四人組を追おうとする若者を、ディノと傭兵仲間たちががっしりと抑え込んだ。

 手負いの獣も、百戦錬磨の傭兵たちにかかっては抗する術もない。


「動かないで! とりあえず血を止めるわよ!」

 リサは厳しい声で制すと、仲間が用意した包帯で傷口の周りを縛る。

「で、どーすンだい、リサ?」

「グウェン先生のところに運ぶわ。ディノ、先駆けをお願いします」

「お安い御用だぜ。おら、野次馬ども、道を開けな!」

 威勢のいいディノの声に先導され、リサたちは『東南区で一番口が悪く、一番腕の立つ外科医』の元へと急行していった。


(続く)

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