終章 一番、幸せな場所――私はレディ・マーセナリー
東の空が茜色に染まりかけている。
日の出は間近だった。
「ウフフ、それにしても長い一日だったわねえ。でも最高に面白かったわ」
「色々とお世話になりました。数々のご支援、誠にありがとうございます。アーシュラ様に楽しんでいただけて光栄の至りです」
お世辞ではなく、心の底から彼女に感謝していた。
もちろん、彼女だけではない。
この一件をどうにか片付けることができたのは、協力してくれた皆のおかげだ。
自分一人では、どうすることもできなかっただろう。
「固いこと言わなくていいのよ。ウフフ、これからも私を大いに楽しませてくれることを期待しているわ、リサちゃん」
それはまた、応えるのがなかなか困難な要望だった。
だが、期待されることは嫌いではない。
誰にも期待もされない人生など、それこそ面白くないだろう。
「リサお姉さま~」
ロッテの元気な声が、朝の静寂を破った。
数台の馬車が入口正門をくぐってくる。
武装したアーシュラの配下たちだ。
先頭の御者台の隣で、ロッテが手を振っている。
「ウフフ、やっと迎えが来たようね。それでは勇敢で清廉な淑女の傭兵さん、ごきげんよう」
「ごきげんよう、アーシュラ樣」
今にもスキップしそうな軽やかな足取りのアーシュラと、入れ違いでロッテが駆けてきた。
その勢いのまま飛びついてくる。
満身創痍のリサには、少々手荒い抱擁だった。
「リサお姉さま……。良かった、無事で……。あたし、心配で、心配で……」
感極まったのか、ポロポロと涙をこぼしている。
「おかげさまでこの通り、どうにか無事に切り抜けられたわ……」
声がすっかり疲れきっているのが、自分でもよく分かった。
だが、もう幕は降りたのだ。
楽屋にいる時ぐらい、リラックスした顔を見せてもいいだろう。
それに今日はもう、これ以上危険な目に遭うこともないはずだ。
「リサお姉さまの勘、大当りでしたね」
「ん? ああ、そうねぇ」
リサの足元には、気絶したリオネルとチャンが荒縄で厳重に縛られていた。
マオの姉は、先程からずっと、リサの足にしがみつくようにして立っている。
「みんなを出し抜いて、賭けはリサお姉さまの一人勝ち。あは、これぞまさに、『蛇目』で親の総取りってところですかね」
「そ、残念ながら一銭も稼げてないけれどね」
お互いに顔を見合わせ、腹の底から笑った。
しばらくそのまま無駄話をしていたが、
「おおっと、どうやら怖い怖い『鬼姫』樣のご登場のようですね。じゃ、あたしはこれで」
「こら、最後まで付き合いなさいよ。それに今逃げても、どうせまた呼び出されるわよ」
苦笑してたしなめたが、
「えへ、分かってますって。でも、もう丸一日働いて、さすがのあたしもおねむなので退散しますぅ。ああっと、ご飯奢るって約束、忘れないでくださいね」
「大丈夫よ。今夜、『赤速亭』ってことでどう?」
「アルバおばさんのパスタなら、飛んで行きます!」
弾むような声で答え、両手を肩の横でパタパタと羽ばたかせる。
鳥、いや、コウモリにでもなったつもりだろうか。
文字通り風のような速さで、ロッテは裏門に消えていった。
そこに勤めている者でもない限り、日に何度も保安隊本部に足を運ぶことはないだろう。
(それが今日はこれで三回目ですか。いくら何でも多すぎですよね)
正確に言えば前の二回はもう昨日の出来事であるが、一睡もしていないリサにとっては同じ一日のことだ。
本部入口ロビーのソファに座り、早朝だというのに忙しなく目の前を行き交う保安隊員たちの様子を眺めていた。
廊下の奥の方から、恐らく誘拐師の一味の誰かであろう、悲痛な叫びをあげている者がいる。
苛烈すぎる拷問は先帝の代に禁じられているが、悪逆非道の輩に対する保安隊の詮議はやはり厳しいままだ。
(まあ、さすがにドブ水を飲まされたりはしていないでしょうけれどね)
速やかに消し去ってしまいたい忌まわしい記憶であるが、そう簡単に忘れられるものでもない。
芳醇な味わいの赤葡萄酒で口直しをしたい気分だった。
先程モーリーンから聞いた話では、誘拐師たちの大半は呆れるほど早く口を割ったらしい。
さすがにレダやチャンは黙して語らなかったそうだが、意識を取り戻したリオネルは、『素直に応じれば減刑もある』という一言でべらべらと己の悪事を白状したそうだ。
それによれば、彼が誘拐師どもと知り合ったのは、昨年、商用で東南諸島を訪れた時のことらしい。
そこで現地の元締の一人に誘われ、少女だけを扱った売春窟に足を運んだのがきっかけだそうだ。
いたいけな少女たちを手ごめにするという背徳的な行為に目覚めた彼は、そのままさらなる悪の道に深入りしていった。
すぐに彼は売春窟で買うだけでは満足できなくなり、奴隷市場で少女を買い、別宅で飼うようになった。
そしてそれだけではなく、ついには自らが彼女たちを捕らえて商品として扱うようになってしまったのだという。
「真面目に商いをやっていた自分が、バカらしく思えてきたそうだ」
モーリーンは苦々しい顔で吐き捨てた。
それほどまでに、奴隷商売は儲かるということなのだろう。
本当に胸の悪くなる話だった。
「だが、奴の証言で奴隷市場の実態はだいぶ掴めた。すぐに一斉検挙して、ひとり残らず処刑台に送ってやる」
そう語るモーリーンの瞳には悪を決して許さぬ、正義の炎が揺らめいていた。
「しかし減刑、ですか。いくら有力証言を得られたとはいえ……」
リサは眉をしかめたが、モーリーンはこともなげにこう答えた。
「ああ、減刑はしてやるさ。本来ならば一週間は広場で晒し者にし、その上で火刑に処すところだ。だから約束通り減刑し、『火刑のみ』にするつもりだ」
それを告げられた時のリオネルの顔を想像してみたが、同情はまるで湧いてこなかった。
「リサ、待たせたな」
「モーリーン隊長。あれ、そちらは……」
例によって、濃紺の制服を完璧に着こなしているモーリーン。
その後ろには、あのアジトから救出した少女たちが身奇麗になってずらりと並んでいた。
みな一様に、キラキラと瞳を輝かせてリサを見つめている。
「今ちょうど、風呂に入って食事を済ませたところだ。お前にお礼を言いたいそうだよ」
あの地下室で絶望と恐怖に心身を蝕まれていた彼女たちも、身体を洗い、腹を満たしたことで子どもらしい快活さを取り戻していた。
ユキが最初に飛びつくと、それを追うように他の子どもたちもリサを取り囲み抱きついてきた。
マオと彼女の姉も仲良く顔を並べている。
「お礼なんてとんでもない。むしろ感謝しなくちゃいけないのは、私の方ですよ」
マオがいなければ、チャンの存在を知ることもできなかった。
彼女と出会えたのは、姉が咄嗟に彼女を助けたおかげだし、ユキがあの場にいなければあの悪党どもに陵辱を受けていたに違いない。
はしゃぎ回る彼女たちに笑顔を向けていると、
「マオ! マナ!」
東南諸島特有の訛りがある声がロビーに響きわたった。
驚いた姉妹が同時に振り向き、すぐにぱあっと満面の笑顔を輝かせる。
浅黒い肌に黒髪の若い男女が、目に涙を浮かべて立っていた。
その後ろには、やはり同じ東南諸島、それに東方諸島の出自らしい男女が数名並んでいる。
「お母さん! お父さん!」
少女たちがリサから離れ、父母の元へと駆け寄る。
どの親子も、涙で顔をくしゃくしゃにしながら抱擁を交わしあっていた。
(お父さん、お母さん、か……)
リサは天国にいる自分の父母を思い浮かべ、胸を熱くした。
(父上、母上……。無茶なことばかりしている愛娘ですが、皆さんのおかげでどうにかこうにか元気でやっていますよ)
きっと心配ばかりかけていることだろう。
だが、こうして罪なき少女たちを悪党どもの魔手から救うことができたのだ。
多少の無茶は目をつぶってもらいたいところである。
やがて父母たちが娘から話を聞いたようで、リサに近づいてきた。
両手を合わせ、何度も何度もお辞儀をされてしまう。
涙ながらに口々に感謝の言葉を述べられるのが、何ともこそばゆい。
ロビーに居合わせた保安隊員たちは、しばし呆然と成り行きを見守っていたが、その内に誰かが拍手をし始めた。
すぐに誰かが続き、気がつけばリサは一同による万雷の拍手に包まれていた。
(は、はは……。これはまた何とも……)
もう芝居は閉幕のつもりだったが、これは所謂カーテンコールというものだろうか。
「リサ」
困惑していたところに、モーリーンがつかつかと近づいてきた。
彼女もまた、周囲の人々に合わせて拍手している。
顔はあまり楽しそうではなかったが。
「モーリーン隊長、その……」
「ふむ、本当ならば、これからたっぷりと今回の件について話を聴かせてもらうところだがな。今日のところはもういい、このまま帰って休め」
「よろしいのですか?」
「致し方なかろう? 今日のお前は『悪漢どもから少女たちを救った英雄』なのだ。詮議などできる空気ではない。それとも、私に憎まれ役を演じろとでも?」
眉間にシワをよせ、複雑な表情を浮かべるモーリーン。
失礼とは思いつつも、ついぷっと吹き出してしまった。
「滅相もない。モーリーン様には、むしろお姫様役を演じて頂きたいところですよ」
「バカ者」
口を尖らせて『東南区の鬼姫』が呟く。
だがすぐに、呆れたように肩をすくめた。
「しつこいようだが、私はお前を諦めていないぞ、リサ。お前に相応しい役柄を用意して待っているからな」
「身に余る光栄にございます、モーリーン隊長」
拍手と歓声を背に浴びつつ、リサは正面玄関を出た。
太陽が東の空から顔を出し、空をオレンジ色に染めている。気持ちの良い朝だ。
「ん、何だぁ? おお、リサじゃねえか」
怪訝そうな声をあげたのは、背後に屈強な護衛二人を伴った『人斬り』グイードだった。
「これはグイードの元締。お久しぶり……ではなかったですね」
「おいおい。今朝……じゃねえ、昨日の朝会ったばっかりじゃねえか」
リサが思わず指で自分の頬をポリポリと掻くと、グイードも同じ仕草をした。
「失礼しました。ところで今日はまた、何の御用でしょう?」
「俺はこんなとこに用はねえんだけどよ。モーリーンが呼び出しやがってな」
明らかに不機嫌そうな表情だった。
もっとも、保安隊に早朝から召喚されて機嫌の良い者など、裏社会に限らず一人もいないだろうが。
「リオネルの野郎のとばっちりさ。あのクズ、誘拐師どもの首領だったんだってな。それでドジ踏んで捕まったらしいじゃねえか。それだけならざまあみろって話なんだけどよお。モーリーンの奴、この俺が手助けしてたんじゃねえかって疑ってやがんのよ」
「元締が、ですか?」
よっぽど腹に据えかねたのだろう、グイードはいつになく早口でまくし立ててきた。
「まったく冗談じゃねえぜ。お前も知ってんだろうが、俺は誘拐師とか、ああいう外道どもが一番大っ嫌いなんだ。子どもを使ってド変態相手に商売だなんて、考えただけで虫酸が走らあな。この人斬りグイード樣が叩っ斬ってやりてえよ」
「はあ……」
「朝からついてねえぜ、ホントに。今日もクソ暑くなるだろうってのによ、狭い取調室で延々と詮議されるんだぜ? どうせモーリーンはお茶も出しゃしねえだろうし」
しかも彼女、リサを詮議できなかった鬱憤をこのグイードで晴らそうとするかもしれない。
リサは心底同情した。
(飴玉でも差し入れしようかしら。いや、大きなお世話ですか)
「ま、悪いことばっかじゃねえけどな」
不満を一通りぶちまけたグイードであったが、不意に声を潜め冷たい笑みを浮かべた。
「と、言いますと?」
「へっ、あんまり大きな声じゃ言えねえがよ。最近、俺の縄張りを荒らしていた連中がいたんだがな、昨日、そいつらの居所を突き止めたのよ」
「……もしかして、東北区ですか?」
「……へっ、そこから先は聞くなよ、リサ」
「了解いたしました、元締」
グイードの笑みが瞬時に消えたのを見て、リサもしっかりと口を閉じる。
昨日から気になっていた『亡霊』の一件も、これで納得ができた。
誘拐師事件とは全くの別件だったというわけだ。
(この点だけは、私の勘は見事に大外れでしたね)
マナが保護された件と、彼が『亡霊』を動かしたタイミングがあまりにも合致していたために、見当違いをしてしまったということになる。
もっとも、何だかんだで上手く事を収めることができたのだから、結果良ければ全て良し、と考えるべきだろう。
(それにしてもまあ、グイードの元締に喧嘩を売るとは。無謀にも程がありますね)
恐らくその哀れな賭場荒らしどもの死体は、近日中にロネット川に浮かぶか、どこか人目につく橋に吊るされることになるだろう。
そうしてまた、モーリーンと保安隊の仕事が増えるというわけだ。
同情を禁じえないが、それが彼女らの『役割』だから仕方ない。
「ま、そっちの件はヤンに任せてあるよ。あいつなら、万事抜かりなくやるだろうからさ」
「そうですね」
保安隊も、今日一日は誘拐師の件でかかりっきりになるだろう。
『人喰いヤン』が仕事をするには絶好の機会とも言える。
つくづく、彼らを敵に回すことにならなくて良かったと、リサは胸をなで下ろした。
戦う相手はできる限り選べ、というのは傭兵の鉄則だ。
「じゃ、またな。何か用があったら声をかけるぜ。よろしくな」
「はい、よろしくお願いします。ああ、そういえば……すいません、私としたことが、元締にお礼を申さなければならなかったのを失念しておりました」
「礼? そりゃまた何でだよ?」
「元締から頂いた鉄扇、早速使わせていただきましたよ。おかげで九死に一生を得ました」
ウィンクをし、懐から取り出した鉄扇を颯爽と広げた。
グイードは一瞬、虚をつかれたような顔になった後、呆れたように小首を傾げると、
「ふうん、何だかよく分からねえが、そりゃ良かった。しかしまた、随分とお前にしちゃ芝居がかった振る舞いじゃねえの。まさか傭兵やめて、舞台女優にでもなるつもりかい?」
「ふふ、それも一興ですね。なかなか面白いかもしれません。でも、どうやら私、実は歌が不得手なようでして……。少なくとも、歌劇には向いてませんね」
「へえぇ、何だ、お前にも苦手なものがあったのか。意外だな。ま、お前はさ、俺の見立てじゃあ、やっぱり『今のお前』が一番お似合いだよ」
「元締。それ、褒め言葉ですよね?」
爽やかな夏の朝であっても、巷には揉め事が絶えないようだ。
グイードたちと別れ、玄関から正門までトボトボと歩くリサを、大勢の隊員たちがすれ違っていく。
泥酔して意味不明のことを叫ぶ中年の男が連行されていた。
(本当に、皆さん毎日ご苦労樣ね。でも、私は今度こそぐっすり寝かせてもらいますわ)
今日はもう、何があってもベッドから出ない、という決意を固めていた。
部屋のドアに『本日閉店』と札を吊るしておこう、そうしよう。
疲れきった顔で何度も溜め息と欠伸を繰り返しながら正門までたどり着くと、天使が慈愛に満ちた微笑みを浮かべて待っていた。
「アン!」
「おかえりなさい、リサさん」
眠気と疲れが一気に吹き飛んだ。
チャンに斬りつけられた肩と、レダに踏まれた脚の痛みなど、まるで無かったかのように記憶から消えてしまう。
改めて気づいたことだが、どうやら彼女の笑みはリサにとって最良の薬のようだ。
様々な想いが頭を交錯し、言葉がとめどなく溢れてきそうになったが、結局何一つ口にできなかった。
それぐらい、今日は一日色々なことがありすぎた。
アンも何も言わず、ただじっと待っている。
その後ろに、保安隊の馬車が停っていた。
「あれからずっと、教会で待っていたのですが……。先程、モーリーン先輩から連絡がありまして、こちらの馬車で送っていただいたところです」
「じゃあ、もしかして全然寝てないの?」
「ええ、当たり前じゃないですか。リサさんが心配でしたもの」
悲しげに眉根を寄せるアンの表情に、胸が詰まった。
「えっと、その……ゴメン」
やはり彼女にだけは、どうにも頭が上がらない。
ドタバタした一日だったが、素直に頭を下げたのはこれが初めてのような気がする。
「あ、私の方こそすいません……。そんなつもりでは……」
アンが慌てたように手を振った。
リサはすっと身体を寄せ、彼女を優しく抱きしめる。
「ありがとう、アン」
「私は何もしていませんよ。ただ、リサさんがご無事であることを祈っていただけです」
「それで十分よ。貴女が祈っていてくれる、貴女がいてくれただけで、それで私は自分を支えることができたのだから」
あの苛烈な拷問に耐えられたのも、地下室で窮地を逃れられたのも、仇敵との闘いに勝つことができたのも――彼女が、自分の心にいてくれたからだ。
(ありがとう)
心の中でもう一度、感謝した。
あまりに何度も言葉にすると、軽くなってしまう気がする。
だが、一度きりで済ませるのも足りないように思えた。
「モーリーン様のはからいで、教会までこちらの馬車で送ってくださるそうです。リサさん、今日はうちで休んでいってくださいね」
「うん、それじゃお言葉に甘えさせてもらおうかな」
教会で午前中から一人で寝続けるというのも、何だか妙な気分であるし非礼な行為かもしれないが、神様だって今日ぐらいは大目に見てくれるはずだろう。
「ああ、そうだ、アン。私、傭兵やめないよ」
「……このまま、帝都に残るおつもりなのですね?」
「うん。何ていうかね、仇は討つことができたのは勿論嬉しいというか肩の荷が下りたような気持ちなんだけれど……。実を言うとそれ以上にね、あの子たちを救えたことの方がずっとずっと嬉しいんだよね」
アンは何も言葉を返さずに、ただ微笑を浮かべてリサの眼をじっと見つめていた。
「でね、思ったの。きついし、命の危険もあるし、色々と後味の悪いことだってあるけれど、こんな気持ちを味わえるなら、これからも続けていこうって。私みたいな『変わり者の傭兵』がさ、この広い帝都に一人ぐらい、いてもいいんじゃないかなってね」
「そうですね。リサさんは絶対に『必要な方』ですよ。この帝都にとっても、勿論私たちにとっても」
それは今のリサにとって、何より嬉しい褒め言葉だった。
「ありがと。ま、あまり先のことは分からないけれどね。でも帝都の女傭兵って、私には結構お似合いの役柄なんじゃないかな?」
誰しもが好むと好まざるとにかかわらず、何かしらの『役柄』を演じている。
だとすれば、己の流儀や心情に逆らうことなく、あくまでも自然体でその『役柄』を演じることができれば、それはとても幸せなことではないだろうか――。
「リサさんはさしずめ『淑女の傭兵』という役柄でしょうか? 確かに変わってますね、ふふ」
「それ、褒め言葉として受け取っておくわよ?」
肩をすくめておどけてみせる。
淑女で傭兵とは、なるほどどう贔屓目に見ても変わり者だ。
だが、だからこそ面白いではないか、とも思う。
数え切れないほどの人が溢れるこの帝都でも、そんな役柄を好き好んで演じているのはきっと自分だけだろうから。
『淑女傭兵』『傭兵淑女』。うん、悪くない。
朝の清澄な空気を、胸いっぱいに吸い込んでみた。
最高の気分だった。
アンに手を引かれ、馬車に乗り込む。
正門の上で雀たちがしきりに囀っていた。
ちょうど朝市に向かうところなのだろう、上半身裸の老爺が山ほどの荷物を載せた荷車を引いてすれ違っていく。その頭上をカモメが横切っていった。
馬車が石畳の上をゆっくりと走り出す。
椅子に背を預けると、途端に強烈な眠気に誘われてしまった。
馬車の微妙な揺れが、それをさらに加速させる。
よほど眠たげな顔をしていたのだろう。隣に座ったアンが、柔らかな声音で囁いた。
「お疲れでしょう? どうぞお休みください、リサさん」
心地よく耳朶をくすぐるその声に、リサは安堵したように瞳を閉じた。
「うん、教会に着いたら起こしてね」
「いえ、ご心配なく。その時には私が運んで差し上げますから」
少女たちを救った英雄も、舞台を降りたらまるで子ども扱いというところだろうか。
(いや、この場合はさしずめお姫様役ってところですかね)
その配役が適切かどうかは、判断の難しいところであろう。
「それは嬉しいわね。でも大丈夫? こう見えても私、けっこう重たいらしいんだけど」
「うふふ、それなら大丈夫ですよ。こう見えても私、けっこう力持ちなんですから」
リサが重たげに目蓋を開ける。
二人は顔を見合わせて、クスクスと笑った。
ややあって、リサは再び目を閉じた。
その肩をアンがそっと抱いて己の側に引き寄せる。
リサはもう、なされるがまま彼女に身を委ねた。
どこか懐かしいような優しい香りが鼻腔を流れ、心が芯から安らぐ温もりが身を包む。
(ふふ……。この広い帝都で今、ここが一番幸せな場所ですね)
リサは幸福に満ちた笑みを浮かべたまま、深い眠りの世界へと落ちていった。
(終)