3章 その一撃に全てを懸けて(4)
「リサお姉さまぁ!」
玄関を出ると、真っ先に聞こえてきたのは馴染みのある明るい声だった。
全てが終わったわけではなく、むしろ本当の戦いはこれからだが、思わず顔がほころんでしまう。
屋敷が燃え落ちるまでにはいくらか余裕があったので、表に出る前に鎧を身につけることができた。
ザイツと彼の配下には今回の件で世話になったが、下着一枚の艶姿というサービスを提供するのはリサの流儀ではない。
「ありがとう、ロッテ。心配をかけたわね」
「ホントですよ! あたし、ずっとずっと外で見張っていたんです……リサお姉さまの声が聴こえてきたときには……本当に悔しくて、辛くて……」
リサの胸元に飛び込み、鼻を何度もすすりながら泣きじゃくる。
あの拷問を受けている間中、身を伏せてじっと耐えていたのだろう。
胸に熱い気持ちが沸き上がるのを覚え、リサは彼女の頭を何度も撫でた。
「ご苦労だったな」
ザイツが、やはり先刻までと同様、まるで動じない姿勢で歩み寄ってきた。
彼の指示で配下たちが屋敷内に入り、気絶したレダたちを引きずり出している。
「いえ、とんでもない。元締には本当にお世話になりました」
「はは、そりゃこっちの台詞さ。おかげで、俺の区に住みついていやがったダニどもを一掃できたわけだからな」
快活に笑うザイツの背後に、いつの間に現れたか、アーシュラの姿があった。
漆黒の優美なドレスに身を包んだ彼女は、この廃屋敷にはまったく似つかわしくない存在だった。
「ウフフ、ここまでは順調じゃないの、リサちゃん」
「はい。ですが、本番はまだこれからです……と、その前に……」
リサは大声でユキたちを呼んだ。
少し間をおき、茂みから少女たちが恐る恐る顔を出す。
アーシュラに言った通り、これからが正念場だ。
一つ大きく溜め息をついたところで、門外に無数の気配を感じた。
ザイツたちもそれに気づき、一斉に振り返る。
月明かりが、腰に細剣を帯びた濃紺色の制服を映し出した。
「ウフフ、ちょっと遅かったようねえ、モーリーンちゃん」
アーシュラがさも愉快そうに笑みを浮かべた。
それにしても、『東南区の鬼姫』をちゃん付けで呼ぶのは、やはり彼女ぐらいであろう。
「保安隊だ! 全員、そこを動くな!」
凛とした声が周囲の空気を圧する。
心配そうな面持ちのロッテの肩をポンと叩き、リサは一同の前に歩み出た。
その表情はいつになくリラックスしていた。
「リサ。どういうことだ、説明しろ」
モーリーンは険しい表情を浮かべていた。
背後には、顔なじみの東南区保安隊員たちがずらりと並んでいる。
見覚えのない者もいるが、恐らくここ東北区の隊員たちであろう。
「見ての通りですよ、モーリーン樣。誘拐師どものアジトをザイツ樣が突き止め、一網打尽にしたというわけです。もっとも、首領はまだ捕まってはいませんが」
「そんなことは分かっている。私が聞いているのは、なぜ、この場にお前がいるのか、ということだ」
「私がここにいる理由ですか? ええ、どうやらあの連中、私を奴隷市場で売り飛ばすつもりだったようで。要するに、拐われてしまった、ということですよ」
リサのとぼけた返答に、モーリーンは変わらず厳しい顔のまま、部下を促した。
隊員たちが一斉に動き、庭にぶざまな姿で並べられた誘拐師たちを縄で縛り始める。
「詳しくはまた後日、改めてお話致します。今は一刻を争う事態でして」
「仇を追うつもりか?」
「いえ、違います。先程お話した首領が、女の子を……マオの姉を連れ去っています。すぐに追って彼女を救い出さなければなりません」
「いや、それは私たち保安隊の仕事だ。お前の出る幕ではない」
「いえ、それはできません」
「何だと?」
眉をしかめ、真正面から睨みつけてくる。
よほどの度胸がない限り、思わずたじろいでしまうほどの強い眼力だ。
だが、今のリサはたとえ相手が何者であろうとも恐れなかった。
「この一件は、いえ、この『お芝居』の主役は、私なのですから」
「な、何をふざけたことをっ!?」
あまりに意外な一言だったのだろう、日頃冷静なモーリーンの声が裏返っていた。
同時に、アーシュラがさも可笑しそうに笑い転げる。
「アハハ、いやぁ面白いわぁ。そうよ、モーリーンちゃん。この面白いお芝居の主演女優はリサちゃんなの。助演の私たちが見せ場を取ったりしちゃあいけないわ」
対峙する二人の間に、つかつかとアーシュラが割って入ってきた。
モーリーンが悔しそうな顔で歯噛みする。
いくら彼女でも、東南区裏社会の半分を治める元締であり、しかも吸血鬼のアーシュラに対しては迂闊に手を出せないはずだ。
「で、リサちゃん。その首領だけど、どこにいるかは分かるの?」
「あ、それならちょうど今追っているところです!」
駆け寄ってきたロッテが、早口で一連の経過を語った。
リサが捕われた後、首領とチャンは馬車でこのアジトまでやってきたという。
そして、やはりその馬車にマオの姉を押し込み、去っていったのだそうだ。
それを今、ロッテと共に屋敷を見張っていた東北区の情報屋が追っているという。
「場所を突き止めたら、すぐにここまで戻る手筈になっていますけど……」
「それでは遅すぎるわ。今から行きましょう」
リサの提案に、ロッテが目を丸くした。
「えっ、でも、場所も分からないのに……」
「ええ、確かにそう。でも、首領の正体が私の睨んだとおりであれば、彼女を連れ去った場所も自ずと限られてくるわ」
リサはかいつまんで、首領とこの屋敷で対面した時の模様を一同に語った。
「ば、バカな……」
モーリーンが信じられないといった顔で、何度も首を振った。
ロッテは当初キョトンとした表情を浮かべていたが、リサの説明で納得した様子であった。
ただ一人、アーシュラだけは終始愉快そうに笑っていた。
「ロッテ。貴女なら、首領の居場所……おおよその見当はつくわよね?」
「ええっと……うん、そうですね。事が事だけに、本邸ということはないでしょうから別宅でしょうね。旧アーヴィン邸ですよ。今年の初めに買い取っていましたから、まあ時期的にも場所的にもあそこが一番クサいんじゃないかと」
「上出来よ、ロッテ」
「待て! リサ、本当に今から行くつもりか!?」
「はい」
血相を変えたモーリーンの問いにも、リサは静かな声音で答えた。
「今、お前が話したのは……あくまでも、お前個人の推理に過ぎない。奴らの一味は捕らえたのだから、尋問して居所を吐かせるのが正道だ。もし、お前が間違っていたら……」
「その時には、我が身をもってしかるべき責を負う所存です」
「リサ……」
「モーリーン様は高潔で勇敢な、法の守護者です。私は貴女の思想、生き方を尊敬しています。しかし私は……弱者を救い、卑劣な悪漢を葬るためであれば、それがたとえ法に触れる行為であろうとも、躊躇いなく実行します」
「しかし、リサ……」
「それが私の生き方です」
毅然としたリサの言葉に、モーリーンはじっと、普段と同じ真摯な眼差しを向けてきた。
「私とは違う、ということだな」
ややあって、寂しそうな口調で呟いた。
「ええ。ですが、向いている方向がそれほど違うとは思っていません」
リサが微笑むと、彼女も少しだけ頬を緩めた。
「さてさて、それじゃあ早速その別宅に向かいましょうかね、リサちゃん。ウフフ、舟なら用意してあるわよ」
アーシュラに肩を叩かれ、リサは小さく溜め息をついた。
頭の中を、様々な思考が浮かんでは消えていく。
(舟……陸路よりは速く移動できますが、それでも間に合うかどうか……)
今こうしている間にも、マオの姉に危機が迫っている。
(魔法でも使って、瞬時に移動できればいいのですがね)
魔術を操り、様々な奇跡を生み出す存在・魔女。
しかしこの広大な大陸全土でも、彼女たちはわずか数百名ほどしかいないと言われている。
当然ながら、ここにもそんな便利な魔法を使えるような人物はいなかった。
(そうですね、そんなに都合良くは……って、いや、違う! 何とかできるかもしれません!)
リサはきっと顔を上げ、傍らで笑みを浮かべる『宵闇の女王』に目を向けた。
「なあにリサちゃん? もしかして、また面白いことでも思いついちゃったのかな?」
リサの心中を知ってか知らずか、アーシュラは小首を傾げて次の言葉を待っている。
その腹の底は全く読めないが、ここまで来たら迷ってはいられない。
毒を食らわば皿まで、だ。
それに今さら、何を恐れることがあろうか。
「アーシュラ樣、折り入ってお願いがございます」
「ウフフ、何でも言って頂戴な。見ての通り、今宵の私はとってもご機嫌なの。リサちゃんの面白~いお芝居のためなら、たとえ火の中水の中って心持ちなんですからねぇ」
「そう仰って頂けるとありがたいです。お言葉に甘えさせて頂きましょう。ですが、今の私が行きたいのは火の中でも水の中でもありません」
リサはすっと人差し指を立て、星々が煌々と瞬く夜空を差した。
「空、飛んで頂けますか?」
我ながら、気は確かかと問いたくなるような無茶な願いであった。
(続く)