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レディ・マーセナリー  作者: 加持響也
リサの眠れない一日
22/51

3章 その一撃に全てを懸けて(3)

 一連の立ち回りに地下室の隅で怯えていた少女たちが、互いに顔を見合わせる。

 目をキラキラと希望で輝かせたユキが先頭になって、リサについてきた。


(さて、そうは言ったものの……どこから手をつけましょうかね)


 ここは慎重にならなければならない。

 今のところ武器になりそうな物は、男たちが腰にしていた短剣が二本、それにリサを拘束していた鎖だけだ。

 少女たちを戦いに巻き込むわけにはいかない。

 とはいえ、このまま地下室に待たせておくといざという時に連中が人質に使う可能性がある。

 リサは気配を探りながら階段を一歩一歩進んだ。

 階上に人のいる様子は無い。

 どうやらあの二人には、万が一のために上に見張りを置いておくという発想はなかったようだ。

 あのバカさ加減を見た限りでは、それも納得できてしまうが。


 板を持ち上げ、闇の中で目を凝らす。誰もいない。

 耳を澄ませた。

 夏虫の声が奏でるハーモニーに加え、本宅から野卑な笑い声がかすかに聞こえてくる。

 酒盛りでもしているのか、それとも一応は寝ずの番などを置いているのか。


(まずは荷物を……せめて杖だけでも取り返したいですね)


 今朝、グイードから受け取った報酬を含めた貴重品は、作戦決行前にロッテに預けてあった。

 武具である鎧も杖も、特注品というわけではない。

 だが、やはり戦いになるならばなるべく普段使い慣れた得物を手にしたいところだ。


(ああ、それと……元締から頂いた鉄扇もありましたね)


 思い出してつい、笑みが溢れてしまった。

 あの品もせっかくのプレゼントなので取り返しておきたいところだ。

 貰ったその日になくすというのも失礼であろう。


 リサはユキを小声で呼び寄せ、指示を与えた。


「いい、よく聞いてね。あそこに茂みがあるでしょ? そう、それよ。私がいいっていうまで、あそこに皆で隠れていなさい。もし、私以外の誰かが来たら、大声で私を呼ぶのよ」


「うんっ!」


 大きく頷いたユキと、他の子どもたちの頭を優しく撫でてあげる。

 彼女たちの緊張が、若干であるがほぐれていくのが分かった。


(よしっ、行きますよ! っと!)


 ユキたちが指示通り茂みに隠れたのを確認し、本宅に向けて忍び足で近づき始めたところで、只事ではない気配を感じ取った。

 無数の足音。それに金属類の音も混ざっている。

 音は川の方角からこちらに向けて真直ぐに近づいてきている。

 手勢、しかも統率のとれた者たちだ。


(来たわね! いや、もしかしたら保安隊?)


 思わず駆け寄ってしまいたくなる衝動を抑え、冷静に成り行きを見守る。

 それぞれ刀や棍棒、手槍などで武装した、黒ずくめの一団だった。

 ざっと数えても四十人近くいるだろう。

 後方に、一際強い気配を放つ男がいた。


(良かった! ありがとう、ロッテ!)


 ザイツだった。

 散歩でもしているかのような呑気な格好で、得物も手にしていない。


「おい! 囲まれてるぞ!」


「バカ野郎! 見張りは何してやがった!」


 屋敷内から聞こえてくる、誘拐師どもの慌てふためく声。

 文字通り、蜂の巣をつついたような騒ぎになっているようだ。

 質、数共に劣勢の上に、不意打ちである。

 どう考えても誘拐師側に勝てる要素が見当たらない。


(これはもう、あっさり決着がつきそうですね)


 ザイツは屋敷の入口にでんと仁王立ちで構えたまま、特に指示を与えたりもしない。

 だが、彼の手勢は流れるような動きであっという間に陣を組み、屋敷に向かって前進を始めた。

 訓練も相当積んでいるようだが、それ以上に修羅場慣れしているのは明白だ。


(それに引きかえ、まあこの連中ときたら……)


「やべえ! やべえよ、どうなってんだ、チクショウ!」


「うるせえっ、ガタガタ騒ぐんじゃねえ! おら、さっさとこっちに来いよぉ!」


「お、おい、ちょっと、ちょっと待ってくれよぉ! 置いてかねえでくれよ!」


「くそっ、俺の剣はどこだぁー! あ、てめえ、それ俺の剣じゃねえか! 返せよ!」


 敵ながら少し同情したくなるほどの大混乱ぶりだ。

 これならアンの教会にいる孤児たちの方が、はるかにマシな行動ができそうなものだ。

 しかし、


「うおっ、やっべえ! 火が!」


「バカ、何やってんだよ、おめーは! 早く消せよ!」


「おい、全然消えねえぞ! くそっ、外に逃げるぞ!」


 慌ててランプでも倒したのだろうか。

 情けない悲鳴に、思わず頭を抱えてしまった。


(ホントに何をやっているのですか! だけど、これはまずいですね)


 戦いの帰趨はもう決したも同然だが、放っておくとリサの荷物も焼失してしまう。

 ザイツと彼の部下の前に、下着一枚で武器も持たずに子どもたちを連れて現れる、というのではあまりにも格好がつかない。

 あちらはむしろ喜んでくれるかもしれないが。


(仕方ないですね。行きましょう!)


 火事さえなければ、戦っているうちにこっそり忍び込んで荷物を取り戻す予定だったが、こうなっては致し方ない。

 迷っている時間はなかった。


(火急の件、とは正にこのことですね)


 腐りかけた木窓に近づき、隙間から窺う。

 誰もいないのを確認し、中に飛び込んだ。

 玄関の方角から聞こえてくる喧騒。どうやら戦いが始まったようだ。

 屋敷の奥から漂う煙の匂い。本格的に燃え広がり出したようだ。

 連中は底抜けのバカ揃いだから、水と間違えて油を注いだとしても不思議ではない。

 リサの服や荷物は、例の応接間――いや、拷問部屋の片隅に投げ捨てられたままのはずだ。

 あの後で、連中がわざわざ洗濯をしたりどこかに片付けたりしておくとも思えない。


(変態が、私の移り香を嗅いで昂奮してたりしないといいのですが)


 それは非常に気分の悪い話だが、いずれにせよ一件落着したら丁寧に洗っておく必要があるだろう。

 今はとにかく、一刻も早く取り戻すのが先決だ。


 ドタバタと廊下を駆けていく連中を物陰でやり過ごし、応接間に忍び込む。

 全てはリサが地下に連れ去られた時のままだった。

 床に自分の吐瀉物まで残されているのは誠に遺憾である。

 もっとも、屋敷はこのまま燃え落ちそうな勢いなので問題ないが。


(ありました!)


 片隅に無造作に放置されていた杖と皮鎧、それに鉄扇と荷物を見つけた。

 まずは鎧を、と拾い上げたところで、


「くっそ! 退け!」


 玄関先からレダの声が聞こえてきた。

 それに呼応して、何人かの足音がこちらへ向かってくる。

 鎧を身に付けている余裕はない。

 リサは諦めて、杖を中段に身構えて待った。


(それにしても退け、とは。屋敷がガンガン炎上中なのをお忘れ?)


 進むも地獄、退くも地獄という状況にあっては、たとえどんな強敵が待ち構えていようと前に出るのが常道だ。

 退いてもジリ貧になるのがオチだからである。

 しかしそんな戦場の常識も、この連中の頭にはないのかもしれない。

 その愚かさのとばっちりで、リサの余計な仕事が増えてしまったというのも皮肉な話であるが。


「くっそお! いったい何がどうなって……って、お前!」


 応接間に、若い男が蒼白な面持ちで駆け込んできた。

 下着一枚に剣だけ手にした、誰がどう見ても奇襲をかけられました、という装いである。

 リサは素早く間合いを詰めた。

 相手に構えさせる暇など与えない。

 低い姿勢から、男の鳩尾に向けて突きを放つ。

 余計な力を入れたり、体重をかける必要はない。

 剥き出しの急所への攻撃は、軽く当てるだけでも充分だ。


「がっ!」


 男が突きを捌けず、まともに受けた。

 斬り払うような攻撃に比べて、突きを受けるのは熟達の腕をもってもなかなか難しいものだ。

 左右いずれかに回避するのがベストだが、部屋の入口なのでそのスペースがない。

 それを見越した上でのリサの一撃だ。


 悶絶した男を飛び越えるように、別の一人が襲いかかってきた。

 浅黒い肌の南方人だ。

 滑り止めのために縄をくくりつけただけの、簡素な棍棒で武装している。

 がっちりした体躯で、力だけはありそうだ。

 後方に跳躍し、男との間合いを空ける。

 すぐ傍に、例の横倒しにされた椅子があるのを目の端で確認した。

 忌々しい記憶を呼び起こさせる品であるが、


(使えますね)


 口元に不敵な笑みを浮かべ、男の次の動きを窺う。

 男がチラリと入口に目をやった。

 足音の近さから察するに、すぐ新手が登場するだろう。


(時間稼ぎはさせませんよ!)


 顔は男に向けたまま、リサは椅子に向けた杖を伸ばした。

 それを引っ掛けるようにして拾い上げ、そのまま素早く振り回す。

 椅子は狙い通り、男の頭部めがけて飛んでいった。


「うおっ!」


 男が咄嗟に身をかがめて避ける。

 反射神経は悪くないようだが、隙だらけになった。

 椅子が壁に激突すると同時に、男の懐に飛び込む。

 中段の構えから上段。

 杖の先端を、男の喉と鎖骨の間に容赦なくめり込ませた。ここも急所の一つだ。

 男がくぐもった声を上げ、吐瀉物を口から撒き散らしながら床に倒れた。


「ってめえ……いつの間に出てきやがった!」


 新手に登場したのはレダだった。

 右手に偃月刀を下げ、鬼気迫る顔でリサを睨みつけてくる。

 その後方、玄関先の方角からは男たちの悲鳴が続けざまに上がっていた。


「いつの間にって、そうですねえ、貴女たちがおバカさんみたいなお顔で眠っている間にですよ?」


 杖を下段に構えたまま、軽く肩をすくめる。

 バカにしきった態度で挑発してやったが、


「ゲロ女が。おとなしく地下室でピイピイ泣いて助けを待ってりゃ良かったのにな。のこのこ出てくるなンてバカな奴。ちょうど良かったぜ、てめえを人質にしてやるよ」


 レダは不敵な笑みを浮かべて一歩前に出てきた。


「貴女こそ、玄関でワンワン泣いて命乞いしていれば良かったのに。のこのここっちに来るなんてホントにお馬鹿さん。ちょうど良かったわ、貴女に借りを返して差し上げますよ」


 言われたら言い返す。

 口喧嘩でも決して負けないのがリサの流儀だった。

 また、レダのようなタイプに限って、


「てめえ……調子に乗るンじゃねえ!」


 自分が逆に挑発されると、頭に血が昇りやすかったりするものだ。

 これは道場の試合ではない。

 どんな手段を用いてでも、自分に有利な展開へ持ち込むのが正道だ。

 不意打ち、騙し討ち、飛び道具、何でも構わない。

 その中でも挑発は、リサの得意芸の一つだ。


 レダが怒りの表情を露わにして、一歩踏み込んでくる。

 リサは油断なく間合いを計った。

 敵の得物は偃月刀。曲線を描く刃は、間合いこそ狭いものの、斬れ味は抜群である。

 しかしそれ以上に、


(手首の返しが怖いのですよね)


 リサは相手の武器の性能を熟知していた。

 傭兵仲間で、この武器によって片腕を失った者もいる。

 ただ振り回すだけならば怖くない。

 問題は、斬りつけを避けた直後の『返し』の一撃だ。

 腕をブンブンと振るのではなく、手首の先だけを返して連続で攻撃する。

 その連撃を、近い間合いで回避し続けるのは至難の業だ。


(まあ何より、近づけないことですね)


 レダの間合いを嫌い、軽快な足取りで右回りに円を描くように動く。

 太ももの傷がチクリチクリと疼くが、気力でそれをねじ伏せた。

 足を止めての攻防には持ち込みたくない。


「ちょこまか動くンじゃねえ!」


 苛立っているのだろう、偃月刀の動きが徐々に大振りになってきた。

 すかさず、杖を中段に構えてレダの刀を持った手首を狙う。

 突き、払い、叩く。

 杖を細かく動かし続け、相手の目を幻惑させる。

 本気で打ち落とそうというのではなく、あくまでも牽制だ。


「うぜぇ! ぶった斬ってやらぁ!」


 レダが大きく上段に振りかぶった。


(ふふ、隙だらけですね)


 思いっきり踏み込んで斬りつけてくるのを、左にすっと躱して回避する。

 それと同時に、


「ンあっ!」


 無防備になった脇腹を突いた。

 紫電流表芸の七・霞返しだ。

 動きが一瞬止まったレダの背後に回り、右の肘を上段から叩く。

 偃月刀が床にカランと音を立てて落ちた。

 もちろん、それだけで油断するようなリサではない。

 レダが振り返り、ヤニで汚れた歯を剥き出しにして飛びかかってきた。

 組み合っての格闘戦なら勝てると踏んだのかもしれない。

 だが、それは甘い考えだ。


(残念ですが、むしろ私の得意分野ですよ)


 杖術はそもそも、刀槍を持つことを禁じられた東方の民が編み出した護身の武術だ。

 当然ながら、素手での戦いは想定している。

 投げ技も関節技もお手の物であった。


 レダは技も何もなく、ただがむしゃらに掴みかかってきた。

 首を引いて避け、その手首をがっちりと捕まえて、逆に捻る。

 この紫電流裏芸の二・裾絡みは、極まったら最期、どうあっても逃れられない。

 悲痛な声を洩らし、レダが膝を突いた。

 続けて肘を捉えて背中の後ろに回し、無慈悲に捻り上げる。

 ゴキッという音と共に、肩が外れた。

 裾絡みからの裏芸三・蔓外しだ。


「がっ、あああああああっ!」


 レダが絶叫した。

 その眼からはボロボロと涙がこぼれ落ちている。


「汚い声で啼くのですね。でも私、貴女と違って悪趣味ではないもので。もう聴きたくはありませんわ」


 首筋に手刀を叩き込む。

 レダが白目をむき、力なくその場に倒れ伏した。

 気がつけば、屋敷内の喧騒はすっかり止んでいた。


(続く)

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