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レディ・マーセナリー  作者: 加持響也
リサの眠れない一日
21/51

3章 その一撃に全てを懸けて(2)

 闇の中で耳に入るのは、少女たちの泣き声とポタポタと落ちる水音だけだった。


「ねえみんな、お姉さんの話を聞いて」


 落ち着いた声で語りかける。

 泣き声は止んだが、答える者は誰一人いなかった。


(おっと、共用語は分からなかったのでしたね)


 学校では必ず習う共用語も、まだ就学前の彼女たちには理解できないようだ。


「ええっと、お姉さんの話、分かるかな?」


 久しぶりに口にした東方語だった。

 帝都に渡ってからのこの一年間、ほとんど使う機会はなかったが、さすがに忘れたりはしない。


「うん! わたし、わかるよ!」


 先程までとは打って変わった、弾むような明るい返事が返ってきた。

 リサの同胞、東方諸島系の少女だ。

 リサは暗闇の中で会心の笑みを浮かべた。


「良かったわ。私はリサよ。あなたのお名前は?」


「ユキ!」


「可愛い名前ね。ユキ、これからお姉さんがあなたたちを助けるわ。もちろん、さっき連れて行かれた女の子もね。だから、今からお姉さんがお話することをよく聞いてね?」


「うん!」


 ユキの元気な返答に、自ずと心に張りが生まれるのを感じた。


「よし、じゃあユキ、ちょっとこっちに来てくれるかな。暗いから足元に気を付けてね」


 闇の中でユキの気配が動いた。

 恐る恐る、一歩ずつこちらに近づいてくる。

 大丈夫よ、怖がらないでね、と繰り返し励ました。


「うん、よく頑張ったわね、ユキ。偉いわよ」


 ユキがすぐ傍まで来たところで、ゆっくりと身を起こす。

 レダに踏み抜かれた太ももの傷がじくりと痛んだ。

 だが、それで挫けるようなリサではない。

 寝不足に空腹に吐き気、傷だらけのまさに満身創痍ではあるが、心は熱く燃えていた。


「じゃあユキ、お姉さんの髪を触ってみて?」


「え? こ、こう?」


 背を向けると、すぐに小さな手指の感触を後頭部に感じた。


「そうよ。それじゃあユキ、お姉さんの髪のリボン、ほどいてくれるかな?」


「ええっ? く、暗いから……できないよぉ」


「大丈夫よ。ゆっくりでいいわ。落ち着いてやれば、きっとできるから、ね?」


 不安げな彼女の答えに、暖かな声をかけて励ました。


「う、うん、やってみる……」


「ありがとう。頑張ってね」


 ユキがたどたどしい手つきで、何とかリボンを解こうと試み始めた。

 リサはじっと動かず、彼女に全てを委ねる。

 ゆっくりで良いと言ったものの、本当は一刻も早く解いてもらわなければまずい状況だった。

 いや、正確に言えば、たとえそれが解けたとしても全てが灰燼に帰す可能性はある。

 それでも目的を達するため、勝利を得るために少しでも前に進むのが彼女の流儀だ。

 神に祈り、助けを乞うのは死ぬ間際でも遅くはない。


(焦ってはダメよ。ユキにそれが伝わってしまうわ。落ち着くの、落ち着くのよ)


 深く息を吸い、己に言い聞かせる。

 幼い頃に耳にした子守唄が、不意に脳裏に浮かんできた。

 東方諸島に伝わる旧い歌だった。

 まだあどけない子供だった頃、なかなか寝つけない夜に父が枕元で歌ってくれたのを覚えている。

 静かに歌い始めると、少女たちの泣き声がピタリと止んだ。

 心無しか、リボンと格闘するユキの指先も先程より落ち着いているようにも思える。

 何よりリサの心持ちが、いつもの彼女に戻っていた。

 チャンへの、誘拐師どもへの怒りが鎮まってくるのが自分でも分かる。

 もちろん、彼らを許すつもりなど毛頭ない。

 仇を討つ、受けた屈辱と痛みにきっちりと報復する、悪逆の徒を処刑台に送り込む、その気持ちは変わらなかった。

 だが、それに過分の『怒り』など必要ない。

 いつものように、クールに片付けるのだ。


「ぷっ、クスクスクス……」


 背後のユキが唐突に笑い出した。

 暗いのではっきりとは見えないが、他の子供たちも同じように笑いを堪えようとして、耐えられずに吹き出しているようだった。


「どうしたの?」


 訝しげに問うと、ユキが震え声で答えた。


「お姉ちゃん……あのね、ぷっ、くくくくくっ」


「なあに?」


「お姉ちゃんって、お歌、とっても下手なんだね!」


「……そ、そう……」


 これにはさすがのリサも、絶句するよりなかった。

 少なくとも自分は、歌劇女優としての才能は持ち合わせていないらしい。

 仕方ない、誰にでも得手不得手はあるものだ。


「あ、ほどけたよ、リサお姉ちゃん!」


 しばらくして、ユキが歓喜の声を上げた。

 同時に、小さな金属音が耳に入る。

 上出来だ。

 ユキの頭を撫でてあげたいところだったが、あいにく両手はまだがっちりと拘束されている。

 万事解決したら、たくさん飴玉でも買ってあげよう。


「ありがとう、ユキ! じゃあ、ちょっと離れていてね」


 後ろ手に縛られたまま、床を探る。

 あった。

 こんなこともあろうかと、リボンに仕込んでおいた錠前外し用の針金だ。

 ちなみに同じ物をブーツにも隠してあるが、そちらは没収されてしまっている。


(さて、練習の成果を発揮する時ですね!)


 指先でつまみ上げ、身体をくねらせて錠前を探り当てる。

 ロッテから教わり、つい昨夜もヒューイを張り込んでいた時に練習していた錠前外しの技。

 ついにお披露目の時だ。

 さすがにここまで厳しい条件下での練習はしてこなかったが、それでもやるしかない。


(ラッキーですね。このタイプの錠前なら、何とかなります)


 錠前にもいくつかの形があるが、リサを拘束していたのはその中でも安価で開錠が容易な物だった。

 もしこの場にロッテがいれば、


「あは、何ですかこれ、こんなのちょちょいのチョイ、ですよぉ~」


 などと笑っていたことだろう。

 とはいえ、あまり呑気にも構えていられない。

 読みが正しければ、そろそろ奴らが現れてもおかしくない時間だ。

 リサは作業に集中した。


(あと少しですね。ここをこう、っと……。ん、どうやら来ましたね)


 タイミングとしてはギリギリだった。

 ゴソゴソ、という音が地下室の入口辺りから聞こえてくる。

 少女たちもその音に気づいたのか、不安げに息を呑む。


(大丈夫、大丈夫よ)


 何度も自分に言い聞かせ、作業を続けた。

 ゴトっという音と共に、わずかな光が階段を照らす。

 慎重な足取りで、二人の男が階段を降りてくるのが見えた。


「な、何?」


 リサが怯えた口調で声をかけると、男たちが足を止めた。

 ランプの灯りに照らされたのは、予想通り、先程リサにイヤらしい目を向けていた男たちの顔だった。


「へへっ、そう怖がるなって。仲良くしようじゃねえか、なあ?」


「おうよ、俺たちはな、お前さんを愉しませにきてやったんだからよお」


 下衆の極みといった笑い声が、地下室の冷たい空気を震わせる。


「な……や、やめて……お願いだから……」


 男たちの嗜虐心を煽るよう、かすれた涙声で洩らす。

 今は寸毫でも時間を稼ぎたかった。


「へへっ、お前もよ、期待してたんだろ? さっき俺の顔をチラチラ見てやがったしなあ」


「はあ? 何言ってやがんだよ。違えっての! 俺の方を見てたんだよ!」


「おいおい、そりゃ気のせいだぜ。てめえなんかじゃねえ、この女は俺を見てたんだよ!」


 男たちが、本当にどうでもいいことで口論を始めた。

 その僅かながら無益な時間は、リサにとっては何よりも有難い一時だった。

 まさかリサがたった今、錠前の鍵を外したことなど想像すらしていないだろう。


(よしっ! さて後は鎖をちょっと緩めて、っと)


 リサがもぞもぞと動いている一方で、男たちが今度は「どちらが先に頂くか」で喧嘩になっていた。

 つくづく救いがたいバカさ加減である。


(よし、これでいつでも動けますね!)


 呼吸を深く吸い、気息を整える。

 大した相手ではないが、こちらは何しろ素手の上に下着一枚という姿だ。

 油断はできない。


「くっ、しょうがねえ、こうなったらもう、ジャンケンで決めるぞ!」


「いいぜ! っと、ちょっと待て、そのジャンケンはよお、三本勝負かぁ!?」


「おうよ! 先に言っとくがな、てめえ、後出しなんてしやがるんじゃねえぞ」


「馬鹿野郎、この俺様が、んな汚ねえマネするかよ! あっ、そうだ。最初はグーか?」


(どーでもいいから、は・や・く・し・な・さ・い!)


 バカ二人にこれ以上付き合っている暇は無い。

 このまま放っておくと、貴重な時間が失われてしまうだけだ。

 仕方ない。リサは不本意ながら、男たちをおびき寄せることにした。


「ねえ」


 日頃は決して口にすることのない、艶のある声で語りかける。

 昂奮しきった様子の男たちが、あんぐりと口を開けてリサに向いた。


「私、明日には奴隷市場で……。金持ちのヒヒ爺に買われて、オモチャにされてしまうのでしょ?」


 涙を目の縁に浮かべて、上目遣いで見つめる。

 我ながら名演技だ。

 その証拠に、男たちが同時に喉をゴクリと鳴らしている。


(間違ってもアンには……いや、誰にも見せられない演技ですけれどね)


 天国にいる両親のことは――あまりにも申し訳ないので考えないことにした。

 どんな手段を用いてでも勝つ、今考えるべきはそれだけだ。


「ね? だから……お願い、今晩だけは……。優しく、して……。私は、二人一緒でもいいから……ね?」


 甘い声に、いかにも彼らを待ち望むかのように身を悩ましくくねらせる。

 後ろで怯える少女たちには教育上大変よろしくない芝居であるが、背に腹は代えられない。


 一連の演技は、どうやら効果抜群だったようだ。

 男たちが目を血走らせ、耳障りな奇声をあげながらリサに向けて飛びかかってくる。


「あぎゃっ!」


「ぬごっ!」


 男たちが短い悲鳴をあげた。

 身を起こしたリサは右側の男の両目めがけて、瞬時に解いた鎖を鞭のように叩きつけていた。

 同時に、左側の男の股間を足で思いっきり蹴り上げる。

 この薄闇の中での戦いで、目を潰されるのは致命的だ。

 また、男性にとって股間を蹴り潰されるのは色々な意味で致命的だが、リサに同情する気持ちは微塵もなかった。


(ま、私の色っぽいお芝居が鑑賞できたのですから、その代金というところですね)


 股間を潰された男が、たまらず膝をつく。

 もう一人の男が目を押さえている間に、素早くその背後に回り込んだ。


「おぐっ!」


 体重を掛けて、肘打ちを背中の真ん中に叩き込む。

 膝をついたところで、今度は同じように首の後ろ、急所の延髄に体重をかけて打ち込んだ。

 男が身体をビクッと痙攣させ、そのまま動かなくなる。

 完全に失神したのを確認し、もう一人に目を向ける。

 身体をダンゴムシのように丸まらせ、苦悶の顔のまま股間を押さえて震えていた。

 もはや戦闘力は皆無に等しいが、大声を出されてもまずいことになる。

 首筋を後ろから踵で踏み抜いて、気絶させた。


「さっ、みんな。逃げるわよ」


(続く)

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