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レディ・マーセナリー  作者: 加持響也
リサの眠れない一日
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序章 真夏の夜に一仕事(後)

 リサは左手に握った杖をつき、静かに身を起こした。

 この長さ百七十センチ程の、頑丈な樫の杖が彼女の得物だ。


 両手で構えて低い姿勢になり、一気に草原を駆け抜ける。

 うっかりすれば草に足を取られてしまうところだが、リサは夜目が利く。

 こういった足場で戦うことにも、子どもの頃から慣れていた。

 狩り場としては最適だ。


 先頭の大男がリサの足音に気づいた。

 ランプを手にしたまま、腰に差した剣を抜きながら振り返る。

 灯りに照らされたそのごつい顔が、醜く歪んだ。


「おいっ!」


 大男の怒声に、真ん中の男がビクッと肩を縮めさせた。

 最後尾の小男も振り向き、腰の得物を抜こうとした。

 だが、緊張と恐怖に拠るものだろう、だいぶまごついている。


(ふむ、やは先頭の男が一番手馴れですね。後回しにするとしましょう)


 瞬時に判断した。

 複数の敵を相手にする際には、何より頭数を減らすことが第一だ。

 ましてや、先頭の男以外はまだ戦う態勢ができていない。

 その隙をついて無力化させてから、余裕をもって一対一で対峙するのが常道というものだ。


(遅い!)


 小男に向けて一気に間合いを詰め、杖の先端を水月に突き入れる。

 胸骨の真下、狙いやすい急所の一つだ。

 紫電流杖術表芸の一・雷破をまともに受けた小男は、低く呻いて膝をついた。

 的確に打ち込んだので、当分は動けないだろう。


 ひょろりとした男に目を移すと、リサの奇襲によって完全に狼狽していた。

 慌てて抱きしめた麻袋から、じゃらじゃらと音が鳴っている。

 中身は予想通りだった。


(間違いない、ヒューイさんですね)


 この男については、できれば生かして連れてくるというのが依頼主の意向だ。

 他の二人は依頼の範疇に入っていない。

 かといって、現状では無視するわけにもいかないのだが。


 リサが杖を軽く突き出して牽制すると、ヒューイは草に足を取られて尻餅をついた。

 腰が抜け、膝も笑っているような状態なので逃げられることはないだろう。

 残るは一人。

 彼を倒せば、この依頼もほぼ遂行となる。


「棒術か。ふん、お前のような美人が追っ手とはなぁ。こいつは驚いたぜ」


 大男は刃先の重そうな反身の剣を下段に構え、不敵な笑みを浮かべた。


(はい、残念。正解は杖術でした)


 リサの得物は、街の治安を守る保安隊などがよく用いる六尺棒ではない。

 それよりも短い杖を使った武術だ。

 一般的には棒術の一種と認知されているが、彼女の流派はいかに棒術の弱点を克服するかという点に固執し、独自の進化を遂げていた。

 これから一戦交える相手が棒術と勘違いしてくれるのはありがたいことだ。

 もちろん、わざわざ敵の誤解を解くようなお人よしなことはしない。

 美人、という点は積極的に肯定したいところであるが、それで手加減をするつもりは毛頭無かった。

 そこはそれ、別の話というものである。


 両手で持った杖を斜めに構えて、右半身をやや後ろに引く。

 重心を低くしたこの『静舟』という構えは、防御を重視している。

 相手の攻撃に合わせて打ち払い、すぐさま反撃に移るという狙いだ。

 上段・中段・下段の、斬りつけ・払い・突きのいずれにも対応できる。 

 身体を前後にゆっくりと揺すり、いつでも動けるようにしながら男の様子を窺った。


(さあ、どうしますか?)


 リサの眼は茫洋としている。

 一点を集中して見ると短時間の内に思いがけず疲労するものだ。

 相手の身体全体を視界に入れ、そのわずかな所作から次の動きを察知し、対応する。

 それが彼女の修得した『紫電流杖術』の真髄であると、師でもある亡き父は語っていた。


「へっ、お前さん、グイードの野郎に雇われてこいつを追ってきたんだろ? まあまあ、落ち着いて俺の話を聞きなって。な? 手を引くならお前さんにも分け前をやるぜ?」


 剣を下段に構えたまま、油断のない目配りをリサに向けてくる。

 大男の推察は大当たりだった。


 リサは、東南区港通り周辺の裏社会を束ねる『人斬り』グイードから依頼を受けていた。

 賭博場の売上金を横領して逃亡したヒューイという男を捕えてほしい、という話だった。

 すでに前金もしっかりと頂いている。

 リサは特に肯定も否定もせず、無言のまま微笑した。


「いやぁ、女にしちゃさっきの奇襲は大したもんだったぜ。感心したよ。へへっ、でもよお、もしここで俺たちを倒したとしても、大した金が貰えるわけじゃねえんだろ? 俺たちの手元にゃ金がわんさとあるんだ、悪い話じゃねえと思うがな」


 顎鬚をたくわえた豪胆そうな風貌に似合わず、この大男は割とお喋りなようだ。

 しかし、リサはその提案を呑むつもりはさらさらなかった。

 ここで金に目がくらみ、裏切るようなことをすればグイードは容赦なく彼女を殺すだろう。

 帝都に居を定めてからおよそ一年。

 その間に彼からの依頼は何度か受けてきたし、我ながらけっこう気に入られている方だと思っている。


 だが、裏切り者は決して許さない。

 それが裏社会の掟だ。


 せっかく積み上げてきた彼の信頼を失いたくはないし、金に目がくらんで裏切りを働いたとなれば、仮に東南区から逃亡しても今後の仕事に影響が出る。

 リサにとっては、まるで利のない話だった。


「さあ姐さんよ、どうするんだい?」


 大男の口元に下卑た笑いが浮かぶ。

 彼の狙いは何なのか。

 本気でリサを買収しようと思っているのか。

 あるいは彼女を惑わせ、油断を誘うためか。


(援軍を待つための時間稼ぎ、という線もあるかもしれませんね)


 あるいは、ただ単にお喋り好きなだけなのかもしれない。

 自分の少しふざけた発想に、リサはふっと笑みをこぼした。

 大男の表情を窺う。

 目線が何度か、リサの斜め後方に向けられている。

 そこでは、先程水月を打たれた小男が膝をついて苦悶の声をあげていた。


(ふむ、彼の回復待ちですか)


 不意を突いて後ろと前から挟み撃ち、という目論見なのだろう。

 そのためにリサの注意を引きつけておこうというわけだ。

 あいにくだが、そこまで間抜けではない。


「そうですね。貴方のお話、考えてみる価値はあるかもしれません」


 構えを解き、いかにも興味があるかのような顔を向ける。


 だが、反応を見ようとした次の瞬間、男が唐突に剣を振り上げてきた。


(あらあら、焦っちゃダメでしょ、そこは)


 てっきり交渉が始まってから襲ってくると踏んでいたが、男はかなりせっかちな性分のようだった。

 もっとも、リサもこのタイミングで攻撃にくる線は薄いと思っていたので、そういう意味では不意討ち成功とも言えたのだが。

 しかし、最初から話に乗る気もないリサに油断はなかった。

 後方にすっと下がり、上段から袈裟がけに振り下ろされる剣をかわす。

 同時に、横から杖で剣先を払った。

 紫電流表芸の三・切水。

 一見すると軽く払った程度に見えるが、しっかりと腰を入れての一撃だ。

 単純な腕力ではなく、身体の内側で練った内功を籠め、さらに相手の力を利用して戦う。

 これもリサの学んだ杖術の極意である。

 膂力で劣る女性の場合、力任せで男に勝つのは難しい。

 ありとあらゆる手段を用い、理に適った戦い方をするのが勝利への道だ。


 剣先を真横に流され、男が一瞬驚愕する。

 だが、すぐに踏み止まって今度は横からリサの胴を薙ぎにかかった。

 その動きは想定していた。

 斜め後方に半歩退きつつ、パシリと剣を握る手の甲を打つ。

 紫電流表芸の六・水晶割。

 上から振りかぶって打つのではなく、手首のスナップを利かせて素早く叩く。

 それだけで十分だ。手甲骨は真上から叩かれると非常に脆弱である。

 鋭い痛みに男が顔を歪める。

 すかさず一歩踏み込み、喉仏の下を狙って杖を鋭く突き出した。

 水晶割からの虎骨砕。

 間髪を入れない連続技を受けた男が、草の上を転がり悶絶する。


(はい、これにて終幕ですね)


 ヒューイが全身をガタガタ震わせながら、リサを見上げている。

 武術の心得もなく、怯えきった彼を依頼主の元まで連行するのは、さして難しいことではないだろう。


「お待たせしました、ヒューイさん。グイードの元締がお待ちかねですよ」


 にっこりと微笑みかけたが、彼の恐怖を和らげることはできなかったようだ。


(続く)

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