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レディ・マーセナリー  作者: 加持響也
リサの眠れない一日
19/51

2章 たった一つの危険な橋(9)

「なんだァ、てめえ……」


 リサの変化に、虚を突かれたレダが力なく呟いた。

 再び足を振り上げ、太ももを踏みつけようとする彼女に、リサは鋭い視線を飛ばした。

 強い意志を込め、相手の目を真直ぐに見据える。

 あんたたちなんかに、もう絶対に屈しないと、目で語った。


「なっ、てめっ……ガン飛ばしてンじゃねえ!」


 振り上げた足を床に降ろし、繰り返し往復での平手打ちを浴びせてくる。

 頬が腫れ、爪でできた傷から血が垂れた。

 だが、リサは臆することなく彼女を見つめ続けた。

 レダが手を止めた。肩で息をしている。

 悔しそうに睨みつけているが、その目の奥にわずかに怯えが潜んでいることをリサは見逃さなかった。

 人は理解できないものに対して恐怖を抱く。

 先程まで身も心も憔悴しきっていたリサが、なぜ突如として精気を取り戻しのか。

 それを図りかねているのだろう。


「貴方たちのボスは、まだ来ないの?」


 ここが頃合と見て、静かに呟く。

 場の空気が一瞬凍った。


「あぁ? 何言ってやがンだ、てめえ」


「ボスが貴方たちに命じたのでしょう? 私を拐ってこいと。もちろん、茶飲み話をしようってことじゃないわよね? 私が何で探りを入れているのか、誰の差し金で動いているか、知りたいわけよね、貴方たちのボスは」


「ああ、そうだ。やっと話す気になったのかよ、ゲロ女」


 今までの人生における最低最悪の呼称だったが、この際あまり気にしないことにした。


「ええ。でもね、貴方たちには話さないわ」


「ンだとぉっ! てめえ、また痛い目に遭いてえのかっ!」


「やりたければどうぞ? 後々困ったことになるのは貴方たちの方だけれどね?」


「どういうことだ?」


「それも貴方たちには教えられないわね。私が話をするのは、ボスだけよ。さっさと連れてきてくれない? せっかくのおいしい話が期限切れになる前にね」


 おいしい話、というところを強調すると連中の表情に困惑が広がった。

 皆が皆、リサをどのように扱うべきか判断がつかない様子であった。


(なんてね、ただのハッタリなんですけれど)


 あくまでも時間稼ぎだ。

 頭が多少でも回る者ならば、リサの真意をすぐに見破ってしまうだろう。

 いや、連中の粗末な脳みそでも看破してしまうかもしれない。

 それでも構わなかった。

 今、リサがやるべきことは援軍の到着までこの連中を釘付けにすることなのだ。


(それも、できれば一同そろい踏みの状況で、ですね)


 手間はできるだけ省いた方がいい。

 チャンも含めて一網打尽にするのが理想的な展開だ。

 首領やチャンが姿を見せる前に援軍が来てしまったら、この連中に別のアジトの場所を聞き出さなくてはならなくなる。


(ま、その時は……。あの噴水の水でも、ガブガブ飲んでもらいましょうか)


 嗜虐趣味はないリサであるが、やられたことはきっちりやり返すのが傭兵の流儀だ。


「おい、どうすんだよ、レダ?」


「俺は知らねえぞ? てめえが痛めつけたんだからな?」


「うっせぇ! 黙ってろ!」


 口々に罵り合う彼らを、リサは冷徹な目で観察した。

 レダ以外の男たちは、あからさまに怯えの色を見せ、互いに責任を擦り付けようとしている。

 先程までの調子に乗った悪漢ぶりが嘘のようだ。

 己の立場が悪くなると途端に弱くなるのは、組織に頼って生きる人間の典型だ。


(その点、私は一本独鈷ですからねえ)


 もちろんリサも、グイードやアーシュラが束ねる裏社会の組織、モーリーンが隊長を務める保安隊などといった『組織』と協力すること、力を借りることはある。

 実際のところ、今だってそうだ。

 だが、リサは組織に帰属してはいない。

 リサの失敗の責任を、誰かが背負ってくれることはないのだ。

 己がしくじれば、己で何とかする。

 品のない表現だから口にこそしないが、『てめえのケツはてめえで拭け』が、フリーランスで生きるリサの流儀であった。


(ま、どっちにしても狼狽えてくれるのはありがたいですね)


 何よりも今は、時間を稼ぐことが先決だ。

 あのまま苛烈な拷問を受け続けることは望ましくない。

 肝心のチャンと立ち合うときに、まともに身体が動かないようでは困る。

 鋭い目で連中を睨めまわしつつも、リサは内心ほくそ笑んでいた。

 だが――。


「おい、御頭が着いたぜ!」


「チャンの兄貴も一緒だ!」


 ドアの外から聞こえてきたダミ声で、室内の重苦しい空気が一変した。

 レダだけは相変わらず険しい顔のままだったが、他は明らかにホッとしたような顔を浮かべている。

 彼らの気性から察するに、慕われているということではないだろう。

 恐らく、何をしていいのか分からないこの状況で、自分たちに明確に指示を下してくれる人物が現れたことに安堵しているのだ。


(さて、いよいよ御対面ですね。気を引き締めないと)


 この悪漢どもの首領と、仇敵であるチャン。

 この二人が、ついに目の前に現れる。

 モーリーンたち保安隊よりも先に接触を果たすという、当初の目的の一つは達成できたのだ。

 だが、もちろん本当の意味での本番はこれからだ。

 ここからどうやってチャンとの戦いを実現させるか、そして誘拐師どもを一網打尽にするかが肝心要のところである。

 アーシュラたちが今このタイミングで襲撃してくれれば話は早い。

 しかし、そんなに都合良く事が運ぶことを願うのではダメだ。

 むしろ、最悪のケースを想定するのが修羅場を生き抜くためのセオリーである。


 耳に残る不愉快なきしみを立てて、扉が開かれた。

 浅黒い肌の長身の男。

 そして、この場にはそぐわない瀟洒な上衣を纏った中肉中背の影。


(チャン! ……と、え? まさか!)


 思わず声をあげそうになったが、咄嗟にそれを呑み込んで下を向いた。

 鼓動が高鳴るのを、どうにか鎮めようと試みる。

 想定を越えた状況に、口中が瞬時に乾いていった。

 嫌な汗が背筋を伝う。


(あれは、まさか……)


 浅黒い肌の男は、まさしく父の仇であるチャン・ヴァン・クォンであった。

 鋭い目と、薄い唇。そして首筋に描かれた双頭の蛇と、腰に下げた二振りの厚刃刀。

 間違いない。この男だ。

 一年間追い続けた、父の仇だ。

 ここまでは何の問題もない。想定通りの展開だ。

 自らを餌にし、苛烈な拷問を受けてまで釣り上げた甲斐があったというものである。

 あとはただ、本懐を遂げるだけだ。

 

 だが問題は、その後ろに控える男――この誘拐師一味の首領である男の姿だった。

 よほど警戒心の強い者なのだろう、この暑いのに頭からすっぽり絹の頭巾をかぶっている。

 リサが瞬時に確認できたのは、その男の目だけであった。

 中央人特有の碧眼。

 リサを見た瞬間、それがかっと大きく見開かれ、すぐに鋭い光を帯びて細められた。

 それだけなら、リサも驚きはしなかっただろう。

 しかし――その男の左手には――扇が握られていた。

 もちろん、リサが今朝グイードから貰い、今はレダたちに没収されてしまった鉄扇ではない。

 黒を基調とした色合いで、金糸で模様が描かれた高級品。

 今朝、まさにリサの目前で使われていた品だった。

 男もそれに気づいたのか、少し慌てたように扇を畳み、懐に入れた。


(まずい……まずいです、これは……)


 その可能性は考慮していた。

 だからこそ、アーシュラを頼りとしたのだ。

 ロッテにも話したように、『亡霊』を動かしたのは恐らく誘拐師絡みであろう。

 そして彼が裏で糸を引いていたのであれば、『亡霊』にこの誘拐師たちの一件を片付けさせようとしたはずだ。


(だけどこれまで……私が東北区に来てから『亡霊』の影は全く見えてなかったのに……)


 ザイツたちからも、彼らに関する情報は全くと言っていいほど入っていない。

 いくら諜報に長けた者たちとはいえ、そこまで完璧に姿を消せるものだろうか。

 だからリサは、「まだ彼らも誘拐師たちには接触できていない」と踏んでいた。

 そしてグイードが黒幕という可能性も、夕刻にリサを拉致した手際の悪さから「限りなくゼロに近い」と考えていた。

 もし『亡霊』たちが彼らと通じているのであれば、もっと早い段階で、鮮やかにリサを片付けていたはずだ。

 それに、グイードにはヤンという智謀に長けた右腕がいる。

 昼間、『風知草』で出くわした際には、リサを警戒している節も見受けられた。

 それが、今のあの首領の態度である。

 明らかに「捕らえた密偵らしき女が、リサだとは知らなかった」という様子だった。

 扇を見られて慌てて隠すような失態を、果たして彼らが犯すだろうか――?


(おかしい……おかしいです……。いや、待って。落ち着いて考えるのよ)


 あの扇子を持っているから、というだけでは特定はできない。

 しかし、あの品は間違いなく高級品だ。

 誰もが簡単に入手できるような物ではないだろう。


(この香りは!?)


 カビと埃に加え、むさ苦しい男たちの汗の臭いが入り混じった室内に漂う爽やかな芳香。

 レダの平手打ちを何度も受け、血が流れ出ているリサの鼻でも、しっかりと感じ取ることができた。

 紛れもなくそれは、グイードが自慢していた『最果ての霧』であった。

 リサをじっと見つめていた首領が、数歩後ろに下がってチャンに耳打ちする。

 頬を引きつらせた非対称の笑みを浮かべていたチャンの眼光が、鋭さを増した。


「こいつは東南区のリサって女傭兵らしいぜ。有名人だとさ」


 せせら笑いを浮かべたチャンの言葉に、一同が一瞬静まり返る。

 レダがその沈黙を破った。


「傭兵? 有名人? はン、こんな情けねえ奴がかい? 東南区の連中は骨のある奴が多いって聞いてたけど、案外大したことねえンだな!」


 そのバカにしきった口調に合わせ、周囲の男たちが一斉に笑い出す。

 リサはちらりと首領の様子を窺い、彼がまるで動じた様子も見せていないことを確認した。

 それから、うつむいたまま悔しそうに唇を噛み、総身を震わせる。


 だがそれは――あくまでも『演技』であった。


 心の中では、


(ははっ、これはこれは……。やっぱり、おバカさんたちが相手だと助かりますね)


 胸の中で渦巻いていた数々の疑問。

 それらが一連の会話の中で全て解け、思わず小躍りしたくなるような心持ちであった。

 後はもう、この場で殺されないようにどうにか凌ぐだけだ。

 そのためなら、連中の汚い靴でも喜んで舐めてやるとまで心に決めていた。


(必ず送り込んで差し上げますからね――処刑台に)


 そんな心中で燃える闘争心を抑え込み、リサはすすり泣いた。

 身ぐるみ剥がされた上に拘束され、拷問を受けて心身ともに衰弱し切った無力な女傭兵という役柄を必死で演じる。


「お願い……お願いだから……あたしの話を聞いて……」


「ああン? さっきまでの強気な態度はどうしたンだよ、お前?」


 レダが鬱陶しそうに顔を歪め、顎をぐいと掴んでくる。


「あたしは……その、ある方の使いで……貴方たちと交渉するために……」


「はっきり喋れよコラァ!」


 歯切れの悪いリサの口調に、苛立ったレダの平手打ちが飛んでくる。


「儲け話よ。東南区で、その……」


「儲け話だと?」


 レダが訝しげに呟き、首領とチャンに向かって振り返る。

 首領が再び耳打ちすると、チャンが悠長な足取りで近づいてきた。


「気にするな、レダ。どうせ大した話じゃねえ。こいつは地下にぶち込んでおけ」


「え、でもよお……」


「うるせえ。御頭の命令だ。この女は他のガキどもと一緒に、明日には売り飛ばす。東方系の女はウケがいいからな、値が高くつくだろうよ」


 レダは渋々ながら従い、男たちもそれに倣った。

 もう興味はないといった様子で、首領がチャンを伴って部屋を出ていく。


「ま、待って……お願い、話を、話を聞いて!」


 声をかすれさせて叫びつつ、リサはこの場を凌ぎきったことに安堵していた。


(殺すよりは売り飛ばして金を稼ごう、ですか。なるほどね)


 リサは自分の推理に強い確信を抱いた。

 それと同時に、誘拐師どもを何としても壊滅させなければという強い思いが込み上げてくる。


(アーシュラ樣たちが今、来てくだされば……)


 襲撃の混乱に乗じ、チャンを討つこともできるだろう。

 このアジトに囚われているマオの姉や、他の子どもたちも救い出せる。だが、


(甘い期待は抱かない、が傭兵の鉄則ですよね)


 万事が自分の思い描いた通りに進むなら、これほど楽なことはない。

 しかし、そうそう上手くはいかないのが現実だ。

 今日一日を振り返ってみても、良かったことと悪かったことの繰り返しである。


(朝の予定だと、今頃は川辺の居酒屋で優雅に夕涼みしながら一杯呑んで、でしたからね)


 現実は、カビ臭い部屋で半裸にされて拷問を受けた挙句、ドブ水を飲まされて嘔吐するという有様だ。

 あまりにも落差が酷すぎる。

 だが、悪いことばかりでもない。

 探していた仇を遂に見つけることができたのだ。

 そして何より、ここまで酷い目に遭っても


(まだ、死んではいません!)


 死ぬより辛いということもあるが、何はともあれ死んでしまえば『全て終わり』だ。

 親の仇討ちどころの話ではない。

 どんな些細なことすら、何一つできなくなるのだ。


(だから生きている限り、自分の力で何とかするしかありませんね)


「ピイピイ泣いてンじゃねえ! さっさと歩け!」


 レダに尻を蹴飛ばされ、男たちの嘲笑を浴びながら地下室まで連れて行かれる途上、リサはずっと『最悪の状況』に思考を巡らせていた。


(続く)

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