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レディ・マーセナリー  作者: 加持響也
リサの眠れない一日
16/51

2章 たった一つの危険な橋(6)

 ロッテと別れ、地図に従って川沿いの界隈を一人で周り始めた。

 ただブラブラと歩くのではなく、キビキビとした物腰で歩を進め、時折足を止めて周囲を見回す。

 暇そうな屋台の店主たちに声をかけ、世間話をした。


「私、今さっき東南区から来たんですけれどね。最近、街で子どもの誘拐が多いじゃないですか? それで今朝がた、東南区で子どもが保護されたらしいんですけれどね……」


 そんな感じで話題を切り出し、相手の眼をじっと見る。店主たちは大抵その段階で、


(何だこの女……怪しいぜ。保安隊の犬か?)


 と、不審そうな表情を浮かべた。

 彼らは商売柄、一度見た顔は忘れない。

 見かけたことのない女が、いきなりこんな話題をしてくれば怪しむのも無理はないだろう。

 それがリサの狙いだった。


 彼らに聞き込みをして、誘拐師一味の情報を得られることは、はなから期待していなかった。

 もちろん、目撃情報でも聞くことができればそれに越したことはない。

 だが、それよりも、


「東南区から来たっていう妙な女、知ってるか?」


「杖を持った、長い黒髪の女だろ? それなら俺のところにも話を聞きにきたぜ?」


「お前のところもかよ! で、あの姉ちゃん、誘拐師の件で探りを入れてこなかったか?」


「ああ、してきたしてきた。あれさ、保安隊の密偵じゃねえのかな」


「やっぱりお前もそう思う? 俺もそう睨んでたんだけどよぉ」


「へへ、やっぱそうかあ。いやしかし、それにしてもいい女だったなあ」


 といったような噂を広めることが一番の目的だった。

 最後の『美女だったかどうか』はこの計画の成否に特に関係はないが、個人的には重要なことである。


 酒場、茶店、散髪店、露店の立ち並ぶマーケットと、人が集まり噂話の飛び交う場所を選び、とにかく片っ端から歩き回って話をした。

 リサに対して逆に探りを入れてくるような者や、いかにも長話が好きそうなおばさんなどは早々に話を切り上げる。

 今は何より、広く浅く顔を売りまくることが先決だ。

 それにそういう連中は、思わせぶりに話を一方的に切れば、尾ヒレをつけて噂を広めてくれる。


(でもこれで、今後は東北区で仕事をやりにくくなるかもしれませんが)


 元々、まるで縁のなかった地区だけに不利益はないが、自分の知らない所で根も葉もない噂が信じられるというのはあまり気分のよいものではない。

 だが、そうも言ってはいられないのが、今のリサの状況だ。


(さてさて、ロッテは上手くやってくれているかしらね?)


 彼女に頼んだのは、東北区を根城とする情報屋たちとの接触だ。

 東南区ではそれなりに有名な彼女も、この地区では全く無名である。

 そこで、ザイツの紹介ということにして彼らと通じ、裏社会にリサの存在を広めようというのが狙いだった。

 街の噂話とは違い、彼らが扱う裏社会の情報は金で売り買いする商品だ。

 重要度と緊急度、そして確度によって値段は様々であり、特に緊急度の高いものはあっという間に広められる。


「最近頻発している誘拐師のアジトが東北区ということを、保安隊が突き止めた」


「東南区の『人斬りグイード』が、精鋭の『亡霊』部隊を今日、東北区に派遣した」


「その件に絡んでか、東南区の女傭兵が東北区界隈で昼間から探りを入れてきている」


「その女傭兵は、保安隊ともグイードとも懇意にしているらしい」


「黒髪にポニーテールの若い女で、えらい美人らしい」


 といった数々の情報とリサの似顔絵が、ロッテから彼らに流される。

 最後の情報はやはり本件とは直接関わりはないが、きっとロッテのことだから伝えられているだろう。


 これらの情報は、街の噂話とは違う。

 最後の件も含め、全て紛れもない事実だ。

 後はこの情報を入手した者たちが、それぞれの情報をどう結びつけて考えるか、である。

 ある者はリサを保安隊の密偵と考えるだろうし、グイードに雇われて探りを入れていると推測する者もいるだろう。

 保安隊はともかく、なぜグイードが動いたのかを訝しむ者も当然いるはずだ。

 裏社会に生きる連中は、街の『気配』に敏感だ。

 見知らぬ者が動く気配を察すれば、ある程度以上の権力を持つ者や用心深い者、それに後ろめたいことのある者は警戒を強める。

 また、リサのようにフリーで動いている者の中には「ここで一稼ぎしてやろう」と目論む者もいることだろう。

 そうやって、街を『刺激』するのがリサの狙いであった。


 当然ながら、これらの情報は誘拐師どもの耳にも届く。

 連中がよほどの間抜け揃いでない限りは、裏社会の情報には常に気を配っているはずだ。

 ましてや彼らは昨晩、仕事をしくじっているのだから。

 情報を入手した首領がどう動くか、それが問題だ。

 選択肢はいくつかある。


「荷物をまとめてさっさとアジトを引き払う」――一番安全な選択ではあるが、無闇に動けばかえって目立つ恐れもあるだろう。


「ここが潮時と考え、足を洗う」――そんな殊勝な連中ではないだろうし、保安隊の密偵程度でそこまで震え上がったりはしないはずだ。


「密偵など気にせず、これまで通り誘拐稼業に精を出す」――そこまでトンマな集団とは思えない。

 もしそうであればリサの仕事も随分楽になるが、とっくの昔に保安隊に捕まっていただろう。


「とりあえず、その女傭兵が何者かを探る」――これが最も妥当な選択だ。

 保安隊は別として、グイードについては目的が不明だ。

 リサもまた彼らにしてみれば目的が不明な存在ではあるが、少なくとも『亡霊』よりはくみしやすい相手と考えるだろう。


(もっとも、グイードの元締と誘拐師の連中が裏で繋がっているとしたら、事情はだいぶ変わってきますけれどね)


 名前こそ伏せて行動しているが、正体はすぐにバレるだろう。

 リサが動いていると知れば、グイードはどのような対応を示すか。

 だが、いざとなればアーシュラとザイツの手勢がリサの後ろには控えている。

 危険ではあるが、絶対に助からないというほど絶望的ではない。

 リサはその後も東北区の界隈を周り、夕刻の鐘が鳴る頃、ザイツにあらかじめ指定された木賃宿へと向かった。


 東北区でも堅気はまず近づこうとしない貧民街の一角に、その木賃宿はあった。

 入口に看板らしき物の残骸はあるが、何が書かれてあったか読み取ることは不可能だった。

 所々がささくれだった丸太で組まれた、何とも頼りなげな造りの宿だ。


(ここで一夜を過ごす気にはなれないわね。失礼だけど、留置場の方がまだマシだったわ)


 一目見ただけでうんざりしたが、いずれにしてもここに泊まるわけではなかった。

 リサがここを定宿にしている、という情報をロッテたちが広めているので立ち寄っただけのことだ。

 それは彼女たちが街に流した中で、ただ一つの『偽情報』でもあった。


 沈みかけた夕陽に照らされた貧民街は、常よりも一層侘しさと危険度を増していた。

 乾いた風に舞う砂埃と、漂う悪臭。

 道端に座り込み、虚ろな視線を宙空に向ける物乞いの老婆。

 物陰に潜み、鋭い視線を浴びせてくる垢に汚れた浮浪児たち。

 掘っ立て小屋の窓から、不穏な気配を感じた。

 若い南方系の男、二人組だ。

 リサを値踏みするようにじっと見つめている。

 一人が耳打ちすると、もう片方が窓の外に唾を吐き捨てた。

 チンピラのお行儀の悪さは、区が違っても大差ないようである。


(困ったものですね。まあ、今回に限っては心配無用ですけれど)


 傭兵稼業を一年続けているリサであっても、本来ならば警戒を怠らずに歩かなければならない土地だ。

 ましてや、勝手知ったる東南区ではない。

 だが、すでにこの一帯の住人には「リサという女傭兵に手を出すな」とザイツから釘が刺されている。

 彼の直接支配下に置かれている地域ではないが、あえて彼の意向に逆らう者はいないだろう。

「敵に回すべきでない相手を心得ておく」のは、裏社会で生き延びるための絶対条件だ。


 リサは木賃宿には入らず、周囲を見渡した。

 向かいの小屋の前に座っている小柄な影。

 フードを目深にかぶっているので顔は見えないが、すぐにロッテだと判った。

 さすがに声はかけてこない。

 リサの視線に気づいたか、フード越しに頭を数度掻き、いかにも億劫そうな物腰で立ち上がると、トボトボと裏路地に姿を消していった。

 リサは小さく息を吐いた。

 ロッテの一連の動作は、『獲物が近い』という合図だった。

 もう一度、今度は深く呼吸をして気持ちを整える。

 後には退けない。

 もちろん、全て覚悟の上であるが、今朝のヒューイのように自分が一方的に追う立場の時とはわけが違う。


(追われるよりも追う方が気楽ですね、やっぱり)


 しかし贅沢は言っていられない。

 今の自分は誘拐師どもと、チャンを釣るための『餌』なのだ。

 餌なら餌らしく、いかにも美味しそうに振舞わなくてはならない。

 疲れたように肩を落とし、舗装されていない道を杖で突きながらロッテとは反対方向に歩き始めた。

 私は昼間からの聞き込み調査で疲れていますよ、ここには一人きりですよ、空腹の上に寝不足ですよ、と心の中で呟く。

 不思議なもので、声には出さずともこのような心の呟きはその人の纏う空気に影響を与えるものだ。

 もっとも、最後の空腹で寝不足というのは嘘偽りのない本心であるが。


(と、さっそくお出ましのようですね)


 細い通りを折れたところで、夕焼け空を背景に二つの影が小道からすいと現れた。

 フードを被り、口元を布で覆って人相を隠しているが、目つきの鋭さが尋常ではない。

 驚いたふりをして立ち止まり、すぐに踵を返す。

 足早に立ち去ろうとしたところで、前方を同じような風体の二人組が塞いだ。

 四人いずれも帯剣しているものの、柄に手はかけていない。

 といっても油断しているというわけではなさそうで、間合いをジリジリと詰めてきている。


(さぁて、名女優リサ、一世一代の大芝居を打たないと)


 問答無用で全員叩きのめしてしまっては、情報を流した意味がない。

 尋問してアジトを聞き出しても、その頃には他の連中は逃げ出してしまっているだろう。

 もし四人の中にチャンがいれば、この場で仇討ちを果たすこともできるかもしれないが、それではマオの姉を救い出すことができなくなる。

 リサは自分自身の仇討ちと同時に、誘拐師どもを捕らえることも忘れてはいなかった。


(それに、この中にはいないみたいですね)


 距離を詰めてくる四人組の様子を、引きつった表情で窺う。

 この程度の危機は幾度となくくぐり抜けてきたが、相手に手練と思わせるのは、今この場では得策ではない。

 といって、あまりに無抵抗に捕らえられるのもかえって警戒心を抱かせる恐れがある。


「あんたたち、何の用なの? 追い剥ぎ? お金なら持ってないよ?」


 若干震え気味の声で問いかける。

 普通、リサの年頃の女の子ならばすぐに悲鳴をあげて助けを呼ぶところだろうが、今演じているのは『密偵らしき女』だ。

 少しは場馴れしている、というところも見せなくてはいけない。

 そもそも、普通の女の子はこんな所で一人歩きなどしないものであるが。


「お前こそ何者だ? 昼間からずいぶんと探りを入れていたみたいじゃねえか」


 四人組の一人が、ドスの利いた声で尋ねてくる。


「何のこと? 知らないよ、あたしは」


 口元を歪めながら、伝法な口調で答える。いかにも蓮っ葉な感じで、裏社会で仕事をしている女傭兵っぽい感じだ。

 我ながら上手く演じていると思うが、アンには見せたくない姿であった。


「ハン、とぼけるなよ。まあいい、ちょいと顔を貸してもらおうか」


(よしよし、上手く事が運んでいますね)


 獲物は餌に食いついてきた。

 しかし、ここから見事に釣り上げて調理するまでが大仕事だ。

 焦って竿を引いてはいけない。糸が切れないように注意しつつ、確実に仕掛け針を飲み込ませるのだ。


「くっ!」


 追い詰められて動転したように杖をメチャメチャに振り、隙を見て通りに抜け出そうと試みる。

 場馴れはしているけれど武術の心得のない我流よ、というアピールも兼ねていた。

 四人組の内、二人が素早く腰の剣を抜く。

 鈍く光る刃に、身中の血が沸き上がるのを感じたが、すぐにそれを鎮めた。


(弱いふりをするっていうのも、意外と大変ですね)


 うっかりすると、つい身体が勝手に反応して相手の動きを華麗に回避してしまいそうになる。

 かといって、本当に致命傷を負わされてしまったら間抜けもいいところだ。

 警戒されぬよう、殺されないよう、そして相手も傷つけないように――全くもって面倒な注文である。

 もっとも、それを要求したのは自分自身なので文句のつけようもないが。


「きゃっ!」


 しばしドタバタと不格好な立ち回りを演じ、バランスを崩して尻餅を突く。

 女の子らしい可愛い悲鳴のおまけ付きだ。

 完璧な演技であったろうと自負しているが、杖術の師匠である父は天国で情けないと嘆いているかもしれない。


「へっ、最初からおとなしくしてりゃあ痛い目に遭わなくてすんだのによぉ」


「おい、顔は傷つけんなよ? 値が下がるからなぁ、へっへっへ」


 リサを見下ろす四人組が、下卑た笑い声をあげる。

 元より期待はしていなかったが、やはり誘拐を生業としているような連中はろくなものではなかった。

 唯一つ、自分の演技を全く見抜けていない愚鈍さだけは評価したい。

 四人の一人が腕を掴み、強引に立たせられた。

 よろよろと頼りなげに身体を起こすと、後ろから肩をがっちりと押さえつけてくる。

 外道どもに無抵抗なまま身体を触れられるというのは想像していた以上に不快な体験であったが、ここはとにかく我慢である。


「おらっ!」


 別の男が懐から短い棍棒を取り出し、正面から腹を突いてきた。

 急所の鳩尾をしたたかに一撃され、そのまま意識を失い――はしなかった。


(へ、下手くそ! ちゃんと気絶させなさいよ! 痛いでしょ!)


 完全に無防備な姿勢で攻撃を受け、後は身を委ねるつもりだったが、相手の技量は予想を遥かに下回っていた。急所を外れた打撃は、ただひたすら痛いだけのものだった。

 だが、気絶しなかったのでもう一発、というのはゴメンだ。

 リサは全身の力を抜き、気を失ったふりをした。

 つくづく世話の焼ける連中である。


(ああ、そうか。普段、か弱い子どもばかり標的にしているからかしらねえ……)


 もしかしたらリサの美貌に気を取られ、棍棒を振るう腕に余計な力が入ったのかもしれないが、別段それはありがたいことではなかった。

 倒れこんだリサを、男たちが抱え上げようと試みる。


「ん? 何だ、意外に重てえな、この女」


「ああ、そりゃいつもはもっと軽いガキンチョばっかだからなぁ」


「それにしたって重てえだろ? 大食らいなんじゃねえのかな、こいつ」


(お・お・き・な・お・世・話・よ!)


 口々に勝手なことをほざく男どもに心底怒りがこみ上げてきたが、

 今はこの連中を懲らしめるべき時ではない。

 リサは今日一番の忍耐力を発揮して、『気絶した女』を演じきった。


(さて、後は頼みましたよ、ロッテ)


(続く)

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