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レディ・マーセナリー  作者: 加持響也
リサの眠れない一日
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2章 たった一つの危険な橋(4)

 少し間をおいて『風知草』を出た二人は、並んで大通りを北へ向かって歩いていく。

 念のために尾行の有無を確かめてみたが、どうやら怪しい動きはなさそうであった。


「本当にただの牽制だったのかしらね、グイード様」


「どうでしょ、まあ私たちなんかに割く人手が足りないのかも知れませんね」


 その線が本筋かもしれない。

 何しろ秘蔵の『亡霊』たちを動かすような大きなヤマにとりかかっているところなのだ。

 リサの知る限り、グイードは目の前の大事に持てる全力を注ぎ込むタイプである。


(もっとも、それもヤン様のような方が常に目を配っているからでしょうけれど)


 恐ろしいまでに警戒心が強く、目端の利く参謀がいるからこそ、迷うことなく前に進めるのだろう。

 何でも一人でやらなくてはいけないリサとしては、少々羨ましい話である。


(ま、しょうがないですね。誰でも、自分の持っている武器で勝負しなくてはいけないのだから)


 武勇も知力も財力も人脈も、全て自分が戦うための武器なのだ。

 いざという時にそれらが錆びついていたり、戦力として不足していたりしても、自業自得としかいいようがない。

 いずれにしても、嘆くよりは前に進むのがリサの流儀だ。


 そんなことを考えていると、ふいにロッテが肘を軽く当ててきた。

 前方を見ると、くたびれたザックに荷をはちきれんばかりに詰めて背負った老婆がいる。

 トボトボとした足取りで、リサたちにまるで気づかないかのように直進してきたかと思うと、そのまま二人の間に割って入るようにして通り過ぎていった。


「アーシュラ様の使いの方からの伝言ですよ」


 まるで明日の天気の話でもするかのような何気ない口調で、ロッテが呟く。

 その手元には小さな紙片が収められていた。

 すれ違うほんの一瞬で、老婆が手渡したらしい。

 リサの眼をもってしても、見破れないほど鮮やかな手際だ。


(老婆、というのも恐らく変装でしょうけれどね。ま、どっちにしろ気づかなかったわ)


 少し悔しい気持ちもあるが、それ以上に素直に感心してしまう。

 やはり本職の密偵や盗賊の『仕事』には恐ろしいものがある。

 刃を向けられることだけは避けなければ。


「一つ先の船着場――カナリヤ橋の処まで歩いてくるように、だそうです」


「了解。じゃあ、背中に気をつけながら行きますかね」


 それから二人は、尚も尾行に注意を払いながらカナリヤ橋まで向かった。

 グイード一行の思いがけない登場により、予定に若干の狂いが出てしまったが、致し方ない。

 計画に変更は付き物である。

 船着場に到着したリサたちは、川辺の大きな桜の木陰に並んで座り、舟を待った。

 他に客はいない。

 待合用の、簡素な木製のベンチもあったが、強烈な日差しですっかり熱くなってしまっていて、とても座る気にはなれなかった。

 先程渡された情報によれば、『風知草』の船頭・ロドニーが、こちらに向かっているらしい。

 東南区の船頭では、一番腕が良いと評判の男だ。

 愛想のなさも一番であるが、物見遊山で乗るわけではないので、この際全く問題ではない。

 むしろ口の堅い彼は適任である。


(さて、これからが正念場ですね)


 拭っても拭っても、額に汗が玉のように浮かんでくる。

 気候の暑さだけではない。

 普段よりも心臓の鼓動が速まっているのが、自覚できた。

 緊張と焦燥。頭上で鳴き続ける蝉が、苛立ちをさらに募らせる。


(焦るな焦るな、緊張しすぎたって良いことないんですからね)


 考えなければならないことは山ほどあるが、今の心理状態では思うように整理ができない。

 心と体は連動している。

 せめてもう少し涼しくなってくれれば、落ち着いて物事を考えられるのだが。

 懐から手拭いを出し、首筋を軽く叩いて汗を拭き取る。

 何か扇ぐものでも欲しいわね――と愚痴りそうになった瞬間、グイードから今朝贈られた鉄扇を思い出して苦笑した。

 年頃の娘が涼を取るには、いささか武骨すぎる品物だ。


「その……リサお姉さま、お客さんですよ」


「お客さん?」


 当惑気味のロッテの声で、思考を中断された。

 彼女の口ぶりから、アーシュラの手の者ではないことはすぐに判った。

 それにしても今日は『お客さん』が多すぎる一日だ。

 怪訝な表情で振り向くと、意外な人物がそこに佇んでいた。


「アン! どうしたの!?」


 昼前に、保安隊本部で別れたアンだった。

 尼僧姿そのままで、憂いを帯びた眼をリサに向けている。

 他の客人ならともかく、彼女だけはいつ如何なる時でも大歓迎だ。


「はい。一度、教会に戻ったのですが、アーシュラ様の使いの方がいらっしゃいまして……リサさんがここに居ると教えて頂きました」


「アーシュラ様が……そ、そう……」


 これから死地に向かおうとするリサに対する、アーシュラなりの配慮であろうか。

 動揺するリサをよそに、アンは普段通りの落ち着いた物腰で自然に隣に座った。


(参ったなあ)


 彼女の頼みなら大抵のことは二つ返事で了解するリサであるが、今回の件に関して引き止められたとしても、それだけは断るつもりであった。

 海を渡ったのも、傭兵稼業に身を投じたのも、全ては今日、この日のためなのだ。

 これだけは、たとえ彼女の頼みであっても譲れない。


「リサさん、一つだけお聞きしておきたいことがあるのですが、よろしいですか?」


「え? ああ、うん」


 リサがぎこちなく答えると、アンは一つ呼吸をおいた後、


「この件が終わったら……リサさんはどうするおつもりなのですか?」


「えっ?」


「故郷に戻られるのでしょうか?」


 問いかけるアンの瞳に、光るものが浮かんでいた。

 想定していなかったその問いに、リサは咄嗟に言葉を返すことができなかった。

 思わず地面を見つめると、すぐ足元で、蟻の行列が乾ききった虫の死骸を運んでいた。

 ややあって、リサは申し訳なさそうに後頭部を掻いた。


「ごめん、そこまで考えてないのよね」


 他ならぬアン相手に、嘘はつけなかった。

 今の自分は、明日のことすら考えることができなくなっている。

 チャンを倒す、思い浮かべるのはただその一点のみだ。


「故郷に戻るか、帝都に留まるか、ということもそうだけど……。たとえ帝都に残ったとしても、傭兵を続けるかどうか……。何も分からないわ」


 リサは己の思考を一つひとつ確かめるように、言葉を繋いでいった。

 その答えに、アンはゆっくり何度も頷いた。

 そして、先程よりもやや安堵したような表情で、


「正直に答えていただいてありがとうございます。おかげで安心いたしました」


「え? 安心?」


「ええ。私の知るリサさんは、気休めのようなお返事をする方ではありませんから」


「そんなに普段の私っぽく見えてなかった?」


 アンがわずかに頷いたのを見て、そういうことかと納得した。

 保安隊本部でチャンの手掛かりを掴んだ瞬間から、恐らく自分でも気づかない内に張り詰めた表情になっていたのだろう。

 いや、上辺の部分は隠していたつもりであったが、アンには全てお見通しだったようだ。


「アンには敵わないね、ホント」


「え?」


「フフ、気にしなくていいわ。でもありがとう、おかげで何だか気が楽になったみたいよ」


 これからリサが向かうのは、まぎれもなく『死地』だ。

 勝算を見込んだ上で挑んではいるが、それこそコインの引っ繰り返り方次第では命を落とす。

 命を賭けることに慣れてはいるが、緊張しないわけではない。


(いや、それだけじゃありませんね)


 今回は、チャンが絡んでいることで無意識の内に気負ってしまっていたのだろう。

 何としても仇を討つ、という一心が己の視野を狭め、不必要なまでにプレッシャーをかけていたということかもしれない。

 死地に臨む者としては、危険な心理状態とも言えた。


(そう、いつもどおりですよね)


 何があっても生き残る。

 それが傭兵の戦い方だ。

 たとえ失敗しても、命があれば挽回の機会はある。

 その上で考えるのが『目的を達成する』ことだ。


「ところであの子……マオは大丈夫?」


「ええ、食事を摂って落ち着いたようです。今はモーリーン樣の部屋でお昼寝してますわ」


「そう。そこなら安心ね。鬼姫様の寝室っていったら、この東南区で一番安全な場所だし」


 リサの冗談に、アンがクスクスと笑う。

 自分の心にだいぶ余裕が出てきたことを、リサは自覚していた。

 今回も上手くいく、そんな予感がする。


 それからしばらく後、船宿『風知草』が抱える優秀な船頭の中でも、一番速いと評判のロドニーが操る船に乗り、リサ一行は東北区を目指していた。

 ロドニーは褐色の肌に黒髪の南方人だ。

 ロッテ情報では二十代後半らしいが、もっと老けて見える。

 驚くほど無口かつ無愛想で、何度か利用しているリサも彼の笑顔を一度も見たことがない。

 客商売に携わる者としては致命的とも思えるが、腕が確かなのと、逆にその淡々と仕事をこなすところを気に入って指名する客も多いのだという。


「それがですね~、リサお姉さま。お家では奥さんと子どもにデレデレしっぱなしらしいんですよ~」


「へえ、そうなの? 失礼だけど、普段の様子からは想像もできないわね」


「いやぁ、この春に産まれたばっかりですからね。今はとにかく可愛くて仕方ないんですよ、きっと。奥さんも美人ですし。ね、ロドニーさん?」


 揶揄するようなロッテの投げかけにも、ロドニーは口をへの字に結んで答えようとしなかった。

 いつもの彼らしい反応であったが、ここまで無愛想だと、その噂の『デレデレした顔』をちょっと見てみたくもなる。

 もっとも、簡単には見せてくれそうにもないが。


 夏の午後の陽射しは更に厳しさを増していたが、川面を流れる風は心地よい。

 船中でアーシュラの使いとの打ち合わせを終えたところで、ロッテがニヤニヤ笑いながら、


「それにしても相思相愛ですね、リサお姉さまとアンさんは。羨ましいなあ」


「なに馬鹿なこと言ってんのよ」


「いやいやホント、見てるこっちが恥ずかしくなるほどのイチャツキっぷりでしたから」


「私、そんなに楽しそうに見えた?」


「今日一番の笑顔でしたよ。銀貨五十枚分くらいの笑顔ですね」


 それは高いのか安いのか、判断の難しいところだ。


「でも、だいぶ肩の力が抜けたみたいで、あたしも安心しましたねー。いやはや、やっぱりアンさんは凄いなあ」


「やっぱりそんなに肩肘張ってたのね、私」


「ええ、そりゃもう。いかにも死を覚悟してるって感じで。カッコイイですけど、ちょっと怖かったですし、正直これはやばいなあって思ってましたよ」


「人が悪いわね、貴女も。それならそうと一言あってもいいんじゃないの?」


「そりゃ言いたいのは山々でしたけど。でも、多分あたしが言ってもリサお姉さまは聞く耳持たなかったというか……うん、あんまり効果無さそうにも思えたんですよね」


 他人の忠告は割と素直に受け入れる性格と自負していたが、どうやら周りはそうと思っていなかったらしい。

 いや、先程までの自分はそこまで張り詰めていたということか。


「何を言うかという内容よりも、誰が言うかが重要ってこと、ありますよね。あたしや他の誰かの言葉よりも、アンさんの言葉の方がリサお姉さまには強く響くってことですよ」


 確かに彼女の言う通りかもしれない。

 先刻のアーシュラ相手の危険な交渉も、彼女がお気に入りのリサが口にしたからこそ成功したとも言えるだろう。

 余人であれば、問答無用で八つ裂きにされていた可能性もある。


「驚いたわ」


「えっ、何がです?」


「貴女って、意外に物を考えているのね。私の中でほんのちょっとだけ評価が上がったわ」


「んぐっ……ほんのちょっと、ですか?」


「うん、銅貨五枚分ぐらい」


「ひっどーーーい!」


(続く)

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