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レディ・マーセナリー  作者: 加持響也
リサの眠れない一日
11/51

2章 たった一つの危険な橋(1)

(さてさて、それにしても忙しくなりましたね)


 保安隊本部の建物から出たリサを、夏の強い日差しが出迎えた。

 眩しげに目を細めつつ、これから自分がなすべきことに思案を巡らす。

 やるべきことはいくつもあった。

 モーリーンの前では大見得を切ったものの、やはり自分一人ではできることは限られてしまう。

 目的を達成するためには、人手が必要だった。


 この一年間で知り合った、同じ傭兵仲間の顔を思い浮かべてみた。

 こういう状況で頼りになる者もいれば、正直あまり絡んで欲しくない者もいる。

 だがあいにく、最も信頼できて腕も立つ三人は、先週からとある豪商の護衛で帝都を離れていた。


(困りましたね。ま、仕方がありません。まずは何より情報収集ですね)


 東南区内に限って言えば、この一年間でかなり顔が広くなった。

 問題は、チャンが目撃されたのが全く馴染みのない東北区であるということだ。

 著名な通りや建物は頭の中に入っているが、それだけでは捜索には心もとない。


(コネもありませんしねえ……)


 東北区の裏社会を牛耳る元締は、リサの記憶が正しければ三人いるはずだ。

 だが、残念ながら面識はない。

 これからのこのこ出向いていって、親の仇を探しているので協力して欲しいなどと言っても、一笑に伏されるだけだろう。


(そうすると、やっぱりグイードの親分に一言添えてもらうのがベストでしょうか)


 元締同士は、対立関係にある場合もあれば同盟関係、時には兄弟杯を交わしていることもある。

 グイードに近しい人物が東北区の三人の中にいれば、話は早いだろう。


(もっとも、その元締が誘拐師の後ろで糸を引いているってこともあるでしょうけれど)


 グイードのように、誘拐を『外道の振舞い』と嫌う元締ばかりではない。

 むしろ裏社会は金のためなら何でもやる、という者が大勢を占めている。

 そのことは、この一年間の帝都での傭兵生活で嫌というほど思い知らされてきた。


(そうですね、元締の前にあの娘に話をしておくのが賢明というものでしょう)


 正門を抜け、表通りに出たところで大きく深呼吸した。

 慣れてきたとはいえ、保安隊本部はやはり息が詰まる。

 モーリーンの思惑通り、ここで働くことになれば気にならなくなるのかもしれないが。


「あ、リサお姉さま!」


 通りを歩き始めたところで、背後から声をかけられた。

 振り向くまでもなく、自称『東南区一の情報屋』ロッテだと判った。


「間が良いわね。ちょうど貴女に話をしようと思っていたところよ」


「えへへ、それは良かったです。あたしも大事な話があったもので」


「それで保安隊本部の入口で待っていたってわけね。よく私の居所が分かったものだわ」


「えへ、ま、それはもう愛のなせる業ってことで」


(よく言うわ、全く)


 彼女のことだ、保安隊内部にも有力な情報源を抱えているのだろう。

 保安隊にとっても、彼女の持つ数々の情報は有益なものが多い。

 だからリサがモーリーンに呼び出された件も、その後、アンを伴って再訪した件も彼女には筒抜けなのかもしれない。

 それにしても、朝から、いや昨日の夜からずっと慌ただしい身の上だが――チャンの件といい、今の自分には運が味方についているのかもしれない。

 バクチは打たない主義だが、いわゆる『流れが来ている』状態とでも言うべきだろうか。

 だとすれば、きっかけは恐らくアンの手料理を食べた辺りからだ。

 やはり、持つべきものは友である。


「じゃあまず、貴女の話から聞きましょうかね」


 保安隊本部から徒歩十分ほどの居酒屋『偉大な鯨亭』。

 その名の通り、だだっ広い造りの店を選んだのは、内密の話をするには最適の場所だからだ。

 夕方以降は酔客でごった返すこの店も、昼間は常連客がポツリポツリといるだけで、リサたちの話は耳に届かない。


「えへへ、毎度あり~」


 前金を受け取り、ご機嫌顔のロッテ。

 今日だけで随分な稼ぎっぷりである。


「実は……例の男の、目撃情報が入りました」


 彼女の満面の笑顔が一転、鋭い刃物のような目付きに変わった。

 しかしリサの口元がふっと和らぐと、途端に拍子抜けしたような顔になる。


「あの……あれ、もしかしてご存知で?」


「ついさっき、ね」


 それまでの経緯をかいつまんで話した。

 ロッテは興味深げに身を乗り出し、何度も相槌を繰り返しながらそれを聴く。


「で、貴女のその目撃情報っていうのはどこが出処なの?」


「ええ、渡し舟の船頭からの情報でして。頭巾を目深に被っていたらしいんですが、たまたま風が吹いて、一瞬だけ顔と首元が見えたそうで」


「それで双頭蛇の刺青が見えたってわけね。場所はどの辺り?」


「東南区の舟着場ですよ、白鷺橋手前の。で、東北区まで乗せていったそうです。他にも同じような風体の男女が三人、いたそうですが」


「四人、ね。時間は?」


「明け方、一番の舟って言っていましたよ。昨日の夜はこの東南区にいたってわけです」


(マオの証言と一致するわね)


 マオと姉が誘拐師どもに襲われたのが昨日の夕方。

 マオが川に逃げ込み、命からがら救われて保安隊に保護されたのが昨夜遅くのことだ。

 姉妹を襲った誘拐師一味の男と、その船頭が今朝見かけた男は同一人物と考えるのが自然だろう。

 そもそも、不吉な刺青を同じ箇所に入れている男などそうはいない。


(もっとも、それがチャンであるとは断言できませんけれどね)


 しかしいずれにせよ、この帝都で悪事を働く卑劣漢であることに変わりはない。

 アンの胸で泣きじゃくるマオの姿を思い浮かべた。

 決して許すことのできない者どもだ。


「そう、貴重な情報ありがとうね」


 昂る気持ちを抑えるため、グラスの冷えた茶をぐっと飲み干す。


「で、リサお姉さまはどうするつもりです?」


「決まっているでしょ? 行くわよ、東北区に」


「はあ。ま、そう言うと思ってましたけど。でも、大丈夫なんですか?」


 昨日から一睡もしていないが、気が張っているためか眠気は一切なかった。

 それに、この絶好の機会をみすみす逃すわけにはいかない。


「大丈夫。保安隊が動いているのよ? 悠長にしてはいられないわ」


 これがただ単にリサの仇を追うだけであれば、慎重に情報収集を行い、準備万端整えてから戦いに臨む余裕もあっただろう。

 だが、誘拐師の一味として保安隊が本気で追いかけている現状で、一介の傭兵である自分が呑気に構えているわけにはいかない。


「ならいいですけど。で、東北区に何かコネはあるんですか?」


「残念ながら一切無いわ。そこで貴女をあてにしていたってわけ」


「あー、なるほど。私に話があるってのはそういうことでしたか。なあんだ、てっきり愛の告白だと思って心と身体の準備をしてたのにぃ」


 不服そうに唇を尖らせる仕草は愛らしいが、彼女の冗談に付き合っている暇はない。


「はいはい。で、コネはあるの?」


「いやそれがですね、正直な話、あたしも東北区はあんまり……」


「あらあら、自称東南区一の情報屋さんにしては随分と情けない話ね」


「ぶ~、いくら優秀で可愛い『犬鼻』ちゃんだって、そこまで手広く商売できませんよ~」


 リサが茶化すと、駄々をこねる子供のようにドカドカと床を踏み鳴らした。


(やれやれ。それにしても、これはちょっと困りましたね)


 ロッテ以外の情報屋とは、それほど親しくしていない。

 東南区内で仕事をする上では、彼女から得られる情報だけで事足りていたからだ。

 また、あまりに多くの情報屋と関わると、情報量が増える分、ガセネタを掴まされる確率も上がってしまうということもある。

 だが、頼みの綱の彼女にコネがないというのでは仕方がない。

 ここはやはり、グイードの手を借りるしかないのか。


 リサが難しい顔で腕組みし、薄暗い天井を仰いでいると、


「あっ、もう一つ大事なことを言い忘れていました!」


「まだあるの? 今の話に関係あること?」


「ええっと、うーん、それはまだ何とも断定できませんが……」


 ロッテがさりげなく首を巡らし、周囲を確認する。

 その様子から、只事ではないことは明らかだった。

 彼女が椅子を少し前に出し、口元を隠しながら、


「その、絶対に内密でお願いしますね。ヘタを打つと、あたしもリサお姉さまもコレですから」


 指先でトントンと自分の首の横を叩いた。

 言うまでもないが、殺されるという意味だ。


「もちろんよ。孫やひ孫に囲まれて温かいベッドで静かに大往生するのが、私の遠い未来の人生設計なんですからね」


「はあ。でもリサお姉さまそれ以前に結婚できるかどうか……」


「大きなお世話よ。で、何の話?」


「……グイードの親分が『亡霊』を動かしました」


 ロッテの張り詰めた声。リサも思わず息を呑んでしまった。

 なるほど、これは白昼堂々と往来で話せるような内容ではない。


『亡霊』とは、グイードの抱える諜報部隊の通称だ。

 グイード直属の部隊で、そのメンバーの素性は元締と一部の幹部しか知らないという。

 全員が変装・隠密行動に長けていて、単に情報を集めるというだけではなく、謀略や暗殺を働くと言われている。

 いかなる理由があろうとも、絶対に関わり合いになりたくない連中だ。


「それはまた、随分と大事じゃないの。詳しく教えて欲しいわね」


「はい。今朝リサお姉さまがお屋敷を出てすぐ、元締が『亡霊』を招集したらしいんですよ」


 そうすると、ちょうどリサがリオネルと立ち話をしていた頃だろうか。


「で、どんな密命を与えられたかまでは分かりませんが、『亡霊』はすぐに散っていったそうです。その目的地が、どうやら東北区らしいんですよ」


「東北区ねえ。何か最近、元締と東北区の間で揉め事とかあったかしら?」


 少なくともリサの記憶にはない。

 ロッテも真剣な顔のまま首を横に振った。


「元締が『亡霊』を動かすような懸案は一切ないですね。特別、親しくしている相手も敵対している者もいないはずですよ」


 ならばなぜ、そこに子飼いの部隊を送り込んだのか。

 諜報部隊であるから、秘密裏にことを運びたい、ということだろう。

 もっとも、表立って部下を派遣したらそれこそ大抗争に発展しかねないわけだが。


(それにしてもこの娘、かなり中枢まで潜り込めているのね)


 情報源は恐らく、幹部の誰かであろう。これは確かに、元締にバレたら命が危うい話だ。

 リサは頭の中を整理した。

 東北区といえば、先程の誘拐師ども――チャンとその一味の件だ。

 だが、元締が招集をかけた時間には、まだモーリーンたちは奴らの根城が東北区という結論には至っていない。

 しかし――。


「ねえ、ロッテ。元締は、どれぐらい保安隊の内部と通じていると思う?」


「え? うーん、そうですねえ。まあ、元締ですから、かなり上の方々とお付き合いしてるでしょうね~。もちろん、あのモーリーン隊長は除外するとして」


 清廉潔白な人格の彼女は、裏社会の人間と親しくしたりはしないだろう。

 少なくとも、一定の距離は置いているはずだ。

 ましてや、賄賂などは絶対に受け取るまい。

 だが、全ての保安隊長が彼女と同じ高潔な人物とは限らない。

 むしろ、裏社会の人間と接点を持つことで治安を維持しようと考える者もいるはずだ。

 ただ単に賄賂に目が眩んで、という者もいるに違いないが、役人の腐敗について嘆くのはまた別の機会にするべきだろう。


(そうすると、マオが保護されたことは元締の耳に入っている可能性が高い、と)


 しかし彼女が東北区から来た、ということが判明したのはつい先程のことだ。

 それよりも早く、彼は『亡霊』に指令を下していた。

 これは一体何を意味するのか――。


「ロッテ、意見を聞かせて。グイードの元締は、どうして『亡霊』を動かしたと思う?」


「ええっと、そうですね。まず、誘拐師たちとは関係なく、何かあたしたちが知らない件で動かした、という可能性はありますよね」


「でも、めったに動かさない『亡霊』を緊急で集めるような事態なら、何らかの気配がもっと前にあってしかるべきよね? それにタイミングが良すぎるわ」


 ロッテは小さく頷き、


「では誘拐師絡みとすると……。まあ、元締はああいう類の連中を本当に嫌っていますから、東南区に被害が及ぶ前に叩き潰すつもりなんじゃないでしょうかね?」


 無法がまかり通る裏社会にも、裏社会なりの『法』と『秩序』がある。

 リサの知るグイードの性格から、連中の情報を掴んで即座に配下を動かした、というのは納得ができる話だ。


「あと朝も言いましたけど、最近資金繰りで頭を痛めているらしいですからね。ここで一稼ぎしよう、という目論見もあるかもしれません」


「一稼ぎ?」


「誘拐師ども、ここ最近荒稼ぎしていましたからね。そいつらの蓄えた金を根こそぎ奪ってやろうってわけですよ。堅気の人間や他の元締たちと違って、あんな外道を殺して金を奪ったって、誰も文句は言わないでしょ?」


 それも一理ある。

 これが自分の縄張り内であれば堂々と兵を動かせるが、他地区なので隠密行動に長けた『亡霊』を動かした、ということだろう。


「それに、首尾良く一味を捕まえることができれば、他に使い道がありますからね」


「使い道?」


「売るんですよ、保安隊に」


 なるほど。思わず笑みがこぼれてしまった。

 近頃巷を騒がしている誘拐師一味を捕らえ、保安隊に引き渡すというわけだ。

 恐らくは、『売る』といっても現金での取引ではないだろう。

 帝都の治安を守る保安隊であるから、体裁というものもある。

 彼らのメンツに傷をつけないようにしつつ取引を行うはずだ。

 あるいは条件などグイードは提示しないかもしれない。

 保安隊に一つ大きな貸しを作っておく、というだけでも有意義なことだ。


(もしそうなったら、モーリーン隊長はさぞや悔しがることでしょうけれどね)


 歯噛みするさまが目に浮かぶようである。

 表立っては保安隊の手柄ということになっても、街には真相が噂として流れるのは間違いない。

 街の平和を脅かす悪漢どもを一網打尽にしたグイードの評判は、確実に上がることだろう。


 だが――。


「もしその線であれば、私も万々歳よ。すぐにでも元締の屋敷で事情を説明して、誘拐師退治のお手伝いをさせてもらうところだわ」


 恐らくその申し出が断られることはないだろう。

 リサと元締の利害は一致している。

 これまでの付き合いもあるから、喜んで参画させてくれるはずだ。


「でもね、もう一つ……最悪のケースも考えられるのよね」


「と、言いますと?」


 彼女も薄々勘づいてはいるのだろう、顔色が明らかに悪くなっている。


「元締が裏で誘拐師どもを使っていた、ということよ」


 ロッテが息を呑んだ。

 チラリと周囲に目を配るが、当然リサもその点には充分気を付けている。

 こんな発言が誰かの耳に入れば、明日の朝にはリサの絞殺死体が市場通りの大橋で発見され、モーリーンの仕事を増やすことになるだろう。


「そんな……ありえませんよ、グイードの元締に限って」


「そうね、私もそう信じたいわ。でも、可能性はゼロではないでしょ? 違う?」


 金銭面で苦慮していた元締が、外道を承知の上で誘拐と人身売買を行う。

 自分の縄張り内では何かと都合が悪いので、他の地区を荒し回るというわけだ。

 東区と東北区であれば、川を利用すれば移動にもそれほど手間はかからない。


「それで今朝、マオの件を知って『亡霊』を動かした、というシナリオよ」


 誘拐師どもがヘマをやらかしたので、隠密部隊を使って後始末をさせようということになるだろう。

 そう仮定すると、保安隊よりも早く動いている件も説明がつく。


「事が表に出ない内に、静かに消し去るってわけですか」


「そうね。誘拐師どもを殺すつもりなのか、それとも手引きして帝都の外に逃がす算段なのか、そこまでは分からないけれど」


 いずれにせよ、リサにとっては都合の悪い話だ。

 のこのこ屋敷に出向いていって、仇討ちをしたいなどと言ってもにべなく断られるのがオチであろう。

 むしろ、リサのその後の行動をマークすることは間違いないから、なおさら都合が悪くなる。


(ただでさえ、保安隊よりも先に事を進めないといけないというのにね……)


 もちろん、これはあくまでも仮定の話だ。

 これまでに知っているグイードの性分から考えれば、薄い線であるとも思える。

 だが、完全にこの線を消せない以上、危険な賭けに打って出る気にはなれなかった。


(だとすると……手は一つ、か)


 思わず溜め息が出てしまった。

 保安隊も敵、ロッテも不案内な土地で、頼りになる仲間の傭兵たちは不在、さらにグイードにも頼れずとなれば、リサの取ることのできる手段はただ一つだった。

 しかし、正直に言えばあまりこちらから積極的に近づきたくはない相手である。


(いやいや、贅沢を言っている場合ではないですね)


 何よりも時間が惜しい。

 重苦しい沈黙を破るように大きく息を吐き、リサは席を立った。


「どうするんですか?」


 恐る恐るといった様子で、ロッテが尋ねてくる。

 察しの良い彼女だ、きっとリサが何を言い出すか、おおよその見当はついているのだろう。


「背に腹は代えられないからね、アーシュラ樣にお願いすることにするわ」


「リサお姉さま……。気は確かですか?」


 ある程度予測はしていたが、それにしても酷い言われようである。


(続く)

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