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レディ・マーセナリー  作者: 加持響也
リサの眠れない一日
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序章 真夏の夜に一仕事(前)

 序章 真夏の夜に一仕事


 リサの耳元で、鈴虫がしきりに鳴いていた。

 星々に飾られた夜空の西側に上弦の月が浮かぶ。

 傾きから察するに、夜明けにはまだ時間がありそうだ。

 雲一つない。この様子だと明日もきっと晴れるだろう。


(それはいいことですが、今年は蒸し暑いですね。島にいた頃を思い出します)


 大海に面し、街中をいくつもの川が流れるここ帝都は『水の都』とも称されている。

 その恩恵で内陸部に比べれば比較的過ごしやすいが、それでも真夏はかなり暑いのだ。


 帝都を縦断するロネット川。

 そのほとりの草むらに、リサは身を潜めていた。

 近くには船着場も無く、まばらに小屋が立ち並ぶだけで、その大半は廃屋と化している。


 緩やかな夜風が、心地好く頬を撫でた。

 辺りを無数の蛍が舞っている。

 蛍に交じって、乳白色の肌の小さな者たちが跳ねていた。

 姿こそ人に似ているが、身体のサイズはリサの掌にすっぽり収まるほどしかない。

 彼らの背からは肌と同色の薄い羽根が生えていて、せわしなく羽ばたいていた。

 小妖精だ。

 人間を極端に恐れる彼らは、街中ではほとんど見かけることはない。

 警戒心を全く見せず、無邪気に遊びまわっている今の様子からすると、どうやらリサはまるで無害な存在と認知されているようだ。


(ふふ、可愛らしいですね。でも妖精って、穢れを知らない乙女と無垢な子供にしか視ることができないと聞いていますが……あれって本当なのですかね?)


 身体的な意味で純潔であることは間違いないが、精神が本当に純真かというとあまり自信はない。

 そもそも、一体何をもってその人の精神が『穢れを知らない』のかという定義も、いまいちピンとこないのだが。


(それにしても、夜の川辺に鈴虫の声、それに蛍と妖精、あと――あ、流れ星――恋人と二人っきりだったら、さぞかし良い雰囲気なのでしょうけれど)


 残念ながら今のリサは一人きりで、しかも大事な『仕事中』だ。

 幻想的な夜の雰囲気など楽しんでいる場合ではない。

 ついでに言っておけば、恋人もいないのだった。


 リサは背の後ろまで伸ばした黒髪を、うなじの辺りで緋色のリボンで結んでいる。

 子供の頃はずっと短くしたままで、その活発すぎる性格もあいまって男の子と間違われることもしばしばだった。

 髪は伸びたが、性分はあまり変わっていないかもしれない。

 切れ長の目と桃色の唇。

 色白のきめ細やかな肌。

 全体的に、東方諸島系特有の涼やかな顔立ちをしている。

 商売柄、普段は化粧っ気こそ乏しいが、人目を惹く美貌と言えよう。

 ただし昔から、どちらかというと異性よりも同性に好意を持たれるタイプであった。


 細身で引き締まった体躯を、皮をなめした鎧に包んでいる。

 胴と肩を守るだけの軽量化された鎧であるが、今までに何度となく彼女の窮地を救ってきてくれた。


(動きは無しですか。ま、仕方ないですね。我慢、我慢)


 当初思っていたよりも長丁場になるかもしれない。

 だが、待つことには慣れている。

 この稼業は何より忍耐力が大事なのだ。気の短い者は早死にする。


 リサは傭兵だ。

 この帝都の東南区を本拠地とし、これまでに様々な依頼をこなしている。

 傭兵といっても、大陸ではかれこれ十年以上、大きな乱は起きていない。

 そんな平和な時代であっても、傭兵に舞い込む依頼はある。

 隊商の護衛、豪商の屋敷や店舗の警備、裏社会の抗争の助っ人などといった荒っぽい仕事だ。


 リサはここ東南区でも「変わり者の傭兵」で知られていた。

 女だてらに傭兵稼業というだけでなく、裏社会に関わる者にしては珍しく物腰が柔らかい、というのがその理由だった。


(これも一種の『クセ』みたいなものなのでしょうか……)


 当の本人は、ことさら自分が礼儀正しい人間だとは思っていなかった。

 ただ単に、荒々しい言葉遣いや粗暴な態度をとる必要性を感じていないというだけだ。

 しかし、敵にまでついつい丁寧な口調になってしまう、というのは我ながらどうかと思ってはいる。

 これも、幼少の頃から父親に厳しく躾けられたためだろうか。


 それにしても手持ち無沙汰だった。

 交代要員がいれば、任せて一眠りするところだろう。

 仕方がないので、懐から細い針金と錠前を取り出した。

 半月程前から始めた、鍵開けの練習だ。

 いざという時のために、情報屋のロッテから一通りのやり方を教わっている。

 やってみると、これがなかなか面白い。

 あとはひたすら地道に練習し、腕を磨くだけだ。


(嗚呼……父上、母上、誠に申し訳ありません。愛娘はこんな夜更けに泥棒の真似事をするようになってしまいました……)


 心の中で詫びてみる。

 天国にいる両親も、まさか自分たちの一人娘がこんなことを練習するようになるとは想像だにしていなかっただろう。されていたら悲しいが。


 二本の針金を差し込み、指先でチャカチャカといじる。

 小さな音であるし、川のせせらぎもあるから小屋にいる連中に気づかれたりはしないだろう。

 そもそもこの程度の物音が耳に入るようなら、リサの存在も察知するはずである。

 心配は無用だ。


(うむ、我ながら結構速く外せるようになりましたね。もしかしたら才能があるのかしら)


 幼い頃から、手先の器用さと呑み込みの早さには自信がある。

 この要領でさっさといい男を捕まえて結婚となれば、一般的な女性としては上出来なのかもしれない。

 だが、あいにくそちら方面は一向に不器用なままであるし、そもそも当人にその気がなかった。


(はて、女の幸せとは一体何なのでしょうね?)


 そんな難しいことを自問してみる。

 明快な答えは出なかった。

 だが少なくともそれは、夜更けに草むらに隠れて錠前外しの練習をしながら、オンボロ小屋を監視することではないはずだ。

 そう信じたい。


(……っと! 遊んでいる場合じゃなくなりましたね)


 見張っていた小屋に動きがあった。

 リサの全身に緊張が走る。

 だが、慌ててはいけない。

 これは狩りなのだ。

 気配を悟られては、大事な獲物を逃がすことになる。

 寝そべった姿勢のまま懐に錠前を戻し、ヘソの下にある丹田を意識して深く息を吸う。

 深く、細く、静かに口から息を吐いた。


 小屋の明かりが消えた。

 ここまで尾行してきてからの間、ずっとこの時を待っていた。

 これから眠りにつくか、あるいはどこか別の場所に移動するのか。

 いずれにせよ、今が絶好の機会だ。

 これ以上仲間と合流されると、少々厄介なことになってしまう。


(ふむ、やはり三人ですか)


 尾行してきた時は二人だった。

 中で待っていたらしい男が恐らく一人。

 小屋の大きさからして、それ以外に誰かがいるとは考えにくかった。


(ふふ、出てきましたね)


 寝入ったところを奇襲、という理想的な展開とはならなかった。

 朽ちかけた扉が開かれ、ぞろぞろと男たちが姿を現す。


 先頭の大柄な男。ランプを掲げ持ち、周囲に目を配っている。

 顔の下半分が硬そうな髭で覆い隠されていて、いかにも腕力がありそうだ。

 リサはわずかな気配も漏らさぬよう、息を殺した。

 一切の気を放たず、ただじっと醒めた目で標的を見据える。

 まずは敵をじっくりと観察し、襲撃のタイミングを計ることだ。


 大男に続いて、ひょろりとした体格の男が、遠目にもビクビクとした様子で外に出てくる。

 小脇に大きめの麻袋を、さも大事そうに抱えていた。

 三人目は、せわしなく首を巡らせている小柄な男だった。

 後ろ手に扉を荒々しく閉めたこの男が、小屋の番をしていたということになる。

 推察通り、四人目はいなかった。


(さて、始めるとしましょうか)


 男たちはリサの潜む位置に背を向け、川岸に向けて歩き始めた。

 係留してある小舟に乗るつもりなのだろう。

 あいにくだが、それを許すつもりはなかった。


 リサは基本的に手荒なことは好まない。

 だが、相手側が穏便に済ませる気がないというのであれば、戦うことは厭わない主義だ。

 今回の場合、彼らが素直にリサの要求に応えるとはまず考えられなかった。

 ならばもう、武で語るのみだ。


(続く)

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