Mother
母はわたしが五歳のときに亡くなった。
まだ二十五歳と若く、至って健康だった彼女の死を誰もが悲しみ、涙を流していたらしい。
寝顔のような母の顔を、今でも忘れられない。
「十二年経った今、優子さんからわたしに手紙?」
「うん、ずっと言われてたんだ。綾子が十七になったら渡してくれって」
にこり、優しく笑い父は振り返る。
「透さんは中身、見た?」
「まさか。優子さんの言いつけだからね」
見てないよ、と言った。
わたしは父を透さん、と呼び、母を優子さんと呼んだ。
それはわたしが物心ついた頃からのだからね愛称でもある。
「読まなきゃダメ?」
「読みたくないの?」
「なんとなく、ね」
手紙とは言えないような分厚い紙を、わたしは両手で包んだ。
少し紙は汚れ、黄ばんでいて、十二年という月日を感じさせるには十分だった。
「優子さんからもらった言葉、一つしか覚えてないの」
「なに、教えて?」
「原稿の締切に間に合ったら、教えてあげるわ」
ソファーから立ち上がり、透さんの肩を軽く叩く。
すると透さんは思い出したような
「あっ」とした声を出す。
「忘れてたよ!もうこんな時間だ!」
「ほら早く部屋行って、小説書く」
父は勢いよく頷き、作りかけのビーフシチューのおたまをわたしへと渡した。そして部屋兼書斎に駆け込んでいった。
「全く、世話が焼ける父親だ」
笑いながらため息を付き、おたま片手にもう一度、手紙を見つめる。
「…優子さんからの」
手紙。
いつでも笑顔で、子供のような人だった。
わたしとよく透さんに悪戯をしていた。
コメディアンのようで、八方美人で、寂しがり屋で、強がりなひと。
とても美しかった人。
わたしの母は、有名な女優だった。