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天使の歌声  作者: 紅凛
第一章:ジュリア
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救いの手




 どこをどう走ったのか定かではないものの、人気のないゴミ捨て場の近くにきた所で限界が来て座り込む。

 何だか色々な事が一気に起こった気がしたが、何もかもが、どうでもよくなるくらいに疲れ果てていた。


「どうしたの、あなた。その格好」


 声をかけてきたのは柔和な顔をした十代後半の若い女性で、酷く疲れた様子で涙ぐむジェルの姿を見咎めて絶句した。


「何でも、ありません……」


 ジェルが悲鳴をあげる身体に鞭をうって立ち去ろうとした時、思いのほか強い力で引き寄せられる。


「こっちへ来て!」


 その女性は有無を言わさず、ジェルを近くの小さな家に押し込んでドアに鍵をかける。


「ここは私の家よ。誰にやられたの?」

「……」


 怖い顔をした女性に問われるが、それよりも何か羽織るものが欲しかった。

 酷く痛む背中を庇って壁に寄り添い、胸を庇って破けた衣類を所在投げに抱え、溢れる涙を拭う気力すらないジェルを見て、何かを察したのか、その女性はジェルを促して小さな浴室に連れてくる。


「手伝いましょうか?」

「いいえ……」


 惰性で風呂場を借りる事になり、汗だくの身体を清めると、少しばかり気分がスッキリした。

 浴室の傍で待機していた女性は、声をかけてくる。


「着替え、置いておくわ」


 脱衣所に置いてあったのは、陽の香りのするタオルと、厚手のワンピース等だった。

 ピンクの花柄ワンピースは驚くほど身体にピッタリで。

 ビジュアル的には、どこからどう見ても女の子だった。

 居間に戻ったジェルに笑いかけてくる女性。


「その服、捨てようと思ってたものだけど。良かったらあげるわ」

「ありがとうございます……」

「私、リーゼルっていうの。あなたの名前は?」


 リーゼルと名乗る親切なその女性は、テーブルの椅子を引いてくれる。

 テーブルの上には暖かい紅茶が淹れてあり、促されて一口飲むと甘過ぎる程だったが、それが逆に気分を和らげてくれた。


「……ジュリアです……」


 腹や足、特に背中が痛んで時折、顔をしかめつつ、咄嗟に思いついたその名前を名乗るジェル。

 女性と思われているのならば、いっそ、そのままの方がいいと判断する。

 リーゼルはジェルの乱れた髪を梳いてくれ、長い前髪を両脇でピン留めし、乾いた唇にグロスまで塗ってくれる。


「ジュリア。自警団まで一緒に行きましょう」

「一人で、大丈夫です」

「そう……?」

「この服……貰ってしまってかまいませんか?」

「ええ。でも、一人で本当に大丈夫?」


 リーゼルが心配そうに顔を覗き込んできた時、ドアが叩かれる。


「どなた?」


 僅かに緊張した面持ちのリーゼルが声をかけると、ドアの向こうから青年の声が聞こえてきた。


「僕だよ。リーゼル」

「名を名乗りなさい」

「え? クレイだけど……」


 リーゼルは安心した様子でドアを開けた。


「どうしたの? お客さん?」


 戸惑った様子で入ってきたのは、人の良さそうな灰褐色の髪と緑色の瞳を持つ青年で、潤んだ瞳のジェルを見つめて首を傾げる。


「暴漢よ。それらしい男、見なかった?」

「え……暴漢?」


 青年はチラリと俯き加減のジェルを伺い、ジェルの足元に落ちている破れた衣服を見つめた。


「大丈夫。いなかったよ」

「そう……」

「僕が自警団……ジョージに知らせて来ようか?」


 クレイの提案に驚いたジェルは、慌てる。


「もう大丈夫です。自分で知らせますから。リーゼルさん……お邪魔しました」


 衣服を掴んで、そのまま去ろうとした時、リーゼルは紙袋を持たせてくれた。


「くれぐれも気をつけてね」

「何から何まで……ありがとうございました」


 一礼してジェルは自分の身体を守るように両腕を掴みつつ、痛む足を引きずって家を後にする。


「リーゼル。一体、どういう事?」


 二人きりになった後、クレイは眉間に皺を寄せた。


「風呂を貸して、古着をあげただけ、か……」


 事情を聞いて渋い顔をするクレイ。

 一方、リーぜルは足元に落ちていた物を拾った。


「あら? これって……ジュリアのかしら?」


 ヴェリオンの紋章の入った財布を見つめるリーゼル。


「まさか……でも、僕が返してくるよ。君は危ないから、ここにいて」

「ええ。お願いね」


 リーゼルは、心配そうにクレイを見送った。




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