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天使の歌声  作者: 紅凛
序章
4/50

ピンチ




 まずい。

 まずい。


 とりあえずジェルは髪をしばっている組み紐をほどいて背中を隠し、破かれた上着で胸を隠して、ひたすら走る。


「おい、待て!」


 背後からトール達の声がした。


 ドン!


 背後を振り返りつつ走っていた為、前方不注意で誰かにぶつかってしまう。


「痛ぇな」


 見れば、青い髪に赤い目、小麦色の肌という何とも危険な香りのする色男がジェルを睨みつけてきた。


「すみません」

「おいおい、謝って済む問題じゃないぜ?」


 何とも柄の悪い男に当たってしまった。


 ――なんて運が悪いんだ……。


 ジェルは腹の痛みが高じて吐き気をこらえつつ逃げ出そうと踵を返すが、髪の毛を掴まれてしまって喉をひきつらせる。


「痛っ……離せ!」

「いいから、静かにしろ」


 男は何故か自分の上着をジェルに被せると、半ば引きずるようにして、飲み屋が立ち並ぶ胡散臭い通りに連れてきた。

 周囲には人も多少いたが、男を見つめては怯えて、視線を泳がせた。


「部屋、空いてるか?」

「205。悪いけど、未成年は面倒になるからお断りだよ」


 宿屋の亭主は、色男とジェルを見て、嫌そうな顔を隠さなかった。


「野暮なこと言うなよ」


 こうして訳がわからない内に古びた宿屋の一室に連れこまれてしまった。


「そう怯えた顔すんな。オレは親切で連れてきてやったんだぜ? お前みたいに綺麗な子供が、そんな格好で街中ウロウロしてたら死ぬより酷い目にあうぞ」


 ジェルが、さっと部屋を見渡すと、ここは二階のようで。

 天井も然程、高くない。


「お前、何でそんな格好で……ん?」


 首を傾げた男がツカツカと歩み寄ってきて、ジェルの持っていた服を奪い取る。


「何をする!」

「あん? って事は」

「やめろ……!」


 男は悲鳴を無視して、ジェルの身体をベッドにうつ伏せに押し付けた。


「こりゃあ驚いた。お前、何モンだ?」

「っ……離せ!」


 背中に男の手の感触を感じた瞬間、ジェルの身体は強烈な痛みで不自然に跳ねた。


「いっ……あああああぁぁぁ……!」


 あげるつもりはなかったが、悲鳴が喉から沸いて出る。


「五月蝿い」


 無情にも手で口を塞がれると、息が苦しいのと酷い痛みとで驚くほど涙が溢れてきた。


「……ん~~~~……!」


 一際、強烈な痛みを感じた直後。


 バサッ。


 何故か、背後で鳥の翼が羽ばたくような音がして、ジェルの狭い視界に真っ白な羽が幾つか舞う。


「お前、もしかして……?」


 心底、驚いたような声がするが、それ所じゃない。


「いたい! 痛い! ……やめろ!」

「やめねぇよ」


 男の無情な言葉。

 背中から手を離さない。

 段々、痛みが増してくるので、目眩がしてくる。

 ジェルの荒い息使いが部屋に響き渡った。


「はっ……あ……嫌だ……」


 ジェルは背中に強烈な痛みを感じて、目の前が暗くなる。


「途中でやめると逆に辛いぜ? とはいえ……こりゃ時間が、かかるな」

「いっ……!」


 身を縮めたジェルは、堪らず手足をバタつかせる。


「暴れるんじゃない。余計、痛くなるぞ?」


 色男が呆れたように告げた時、突然、部屋のドアが滅茶苦茶に叩かれる音がした。


「何だ……?」


 その一瞬を逃さず、ジェルはベッドから飛び降りてドアノブにすがりつく。


「待て!」と男の声。


 カチャ。


 意外と簡単にドアが開いた。

 滑り込むように上半身だけ外に出た所で、辺りを見回すと複数の心配そうな人々と目があった。

 涙で視界が歪んではいたが、中でも一番間近にいたその人物は――顔を歪めたエブリア・トールだった。


「だ、大丈夫か?」

「たすけ……」


 ――この際、誰でもいい。


 ジェルは、トールに手を伸ばす。

 トールも、それに応えようとしてくれたのだが。


 ぐい。


 背後から腕を掴まれて、ジェルは絶望感で一杯になった。


「ガキは引っ込んでろ!」


 色男が底冷えのするような声でトールを一喝し、再びジェルを部屋に引き込む。

 そして、ドアを乱暴に閉めた。


「おい! ジジイ! 巫山戯んな! 開けろ!」


 トールの怒鳴り声が聞こえてくる。


「何だよ、アレ。お前の知り合いか? 面倒くせぇ」


 色男が溜息をついた時、ジェルは目の前の窓が開いているのが見えた。

 そして、ジェルは色男の腕を振り切ると、足元に転がっていた自分の衣服を拾い上げて、迷わず窓から飛び降りる。


「おい! 待て!」


 男は窓から身を乗り出して驚いた表情をみせている。

 歪んだ視界の中、ジェルは構わず足を引きずるように走り出した。




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