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竜の忘れもの  作者:
2/4

2 子ども部屋事件

 イーガン・ハモンドは六時の船で帰っていき、〈仕立てとがらくたの店トゥールズ〉は、また静かになりました。夕暮れ時の、はちみつをとかしたような金色の空を窓の外に感じながら、ミラベルが夕食のしたくをしている間、ジオはひとりで裏道に出て、棒切れで地面に絵を描いていました。いいえ、ジオ以外のものはみんな、彼がそうしているものだと信じていました。実際、アズールなどは、裏庭のデッキチェアで〈子どものためのヨット大辞典〉を読んでいる時、くりくりの巻き毛の小さなうしろ姿が、垣根の外にしゃがみこんでいるところを見たのです。けれど、ミラベルが裏庭をのぞいた時には、ジオの姿はもうありませんでした。

「ジオはどこに行ったんだい?」

 ミラベルが、本に夢中になっているアズールに言いました。

「そのへんに」アズールはまず、顔もあげずに答えましたが、ミラベルの厳しい眼差しを感じて、本にしおりをはさみました。「あれ? さっきまで‥‥」

 ミラベルは裏の木戸を開けて、小さな男の子をさがしました。木戸を出てすぐのところの地べたに、釣り船、クジラ、ヤシの木、なんだかわからない毛虫のようなものなどがにぎやかに落書きされていて、棒切れが一本落ちていました。ジオはお世辞にも絵が上手とは言えませんでしたが、気まぐれに描いた絵には、男の子らしいおおらかさと力強さがあって、なかなか見ごたえがありました。そんな素敵な作品も、ミラベルのむっつりした顔をなごませることはできませんでしたけれどね。

「まあ、すぐにもどってくるだろう」

 ミラベルの口調はずいぶんさっぱりしていて、まるで、あんなわんぱくぼうずはつかまえようとするだけむだだと言っているようでした。

「アズール、あたしは村長のところへ行ってくる。おまえたちの今夜の仕事について、相談をするのさ。おまえはジオが悪さをしないよう、目を光らせておいておくれ」

「心配しないで。ジオはあれでも、いい子なんだ」

「そう願いたいね」

 ほんのすこし前まで、太陽の熱に焼かれてじりじりしていた風が、ようやくほてりを冷ましはじめたようでした。ミラベルはエプロンをはずし、うすい麻の上着をはおって出かけていきました。

 アズールは台所に行ってみて、テーブルのうえに、ふたをしたフライパンがあるのに気がつきました。中身は鶏肉と野菜でした。アズールはほほえみました。ミラベルは感情というものをどこかに置き忘れてきたような女の人だけれど、主婦として、子どもたちの世話を忘れたことは、一度もないのです。彼女はしばらくもどってこないはずですから、夕食はジオと食べることになるでしょう。そうして、真夜中という時間が近づいてくるのを、子どもたちふたりで待つのです。それでいい、というのが、アズールの意見でした。


 北の高台にある村長の家までの、それほど長くない道のりを、ミラベルはゆっくりと歩いていきました。

 平和な、すばらしい宵でした。紫色の空には明るい星がまたたき、どこかの台所から、夕食のために焼いたパンのこうばしいにおいがただよっていました。むこうのほうで舗道を横切っていく小さな白い影は、ふだんは港で飼われている、老ペリカンのヴァルキンでしょう。〈おばけの木〉は、枝という枝をさわさわゆらしていましたし、プルメリアの茂みは、ろうのようになめらかな肌の花ばなを、惜しみなく咲かせていました。坂をのぼりきったあたりから見おろすと、いまではどの家にもあかりがともっていました。守り神のほこらの横にある、赤や白や青のタイルでモザイクを作った水槽には、いつでも水路からの新鮮な水が流れてきていて、坂をのぼってくたびれた人は、だれでもその水を飲んでいいことになっていました。

「ここは、いい島だ」

 ミラベルは、口に出して言いました。広い海へのあこがれを思いおこさせるような潮の香りは、浜辺から離れていても感じられました。

(あらゆる島をめぐり、あらゆるものを見たような気がする)ミラベルは、だれにも話したことのない胸の内をふりかえって思いました。(船が行き来するのを見、人が行き来するのを見、山が火を噴くところも見た。いいかげん、驚くこともすくなくなった頃、カーテンがめくられたように人生が変わり、マルーセットにやってきた。アズールを拾い、ジオを拾い、今日という日を待っていた。今夜、彼女がやってくる)

 ミラベルは、布のこすれる軽やかな音を聞いた気がして、振り向きました。その人を見た時も、ミラベルはほとんど表情を変えませんでした。いつのまにか、守り神のほこらの前に、白い服を着た、髪の長い女の人が立っています。ミラベルよりずっと若く、ほっそりした人でしたが、あたりはすっかり暗くなっていたので、顔立ちはよくわかりませんでした。その人は、靴をはいていませんでした。

(驚くことはない。彼女がここにいるはずがない。想像しただけだ。あたしの心が、彼女の姿を見せているんだ)

 ミラベルは冷静に考えました。

「約束して。あたしを待っていて。あたしの力がたりなくて、大きな助けが必要になった時、あたしはかならず、この輝く海を越えて、あんたのもとにたどり着くから」

 女の人が、歌うように言いました。その声は、まるで記憶の底から響いてくるように、何重にもこだまして聞こえるのでした。

「わかっているさ」

 ミラベルがぽつりと言いました。

 遠くでミラベルを呼ぶ声がして、彼女は現実に引きもどされました。庭にテーブルを出して、星を見ながらお酒を楽しんでいた村長が、ミラベルの姿に気づいたのです。豆つぶのように見える村長が、垣根の外までやってきて、手を振るかわりにグラスを掲げました。

 ミラベルは片手をあげてから、もう一度ほこらを振り返りました。けれど、白い服を着たはだしの女の人は、どこにもいませんでした。


「ジオ、いないのか? 手伝えよ、ジオ!」

 アズールは大声をあげながら、階段を駆けあがりました。

 けれど、返事はありませんでした。〈仕立てとがらくたの店トゥールズ〉の二階は、この建物がホテルだった頃の姿をそのまま残していて、小さな客室が四つ、せまい廊下に面してならんでいます。いまは一番手前の部屋がアズールのもの、次の部屋がジオのものでしたが、どちらのドアも開いていて、部屋にはだれもいないのがわかりました。アズールは一瞬、自分の部屋に飛びこんで窓を閉めようかとも考えましたが、その必要はない、あの部屋に風でとばされるようなものは置いていないと思い直して、さらに上の階へ駆けあがりました。

「ジオ、いないのか? 食料庫の窓を閉めて!」

 ミラベルの部屋は、アズールが思っていたとおりのありさまでした。つまり、いつも開けはなしてある窓から、なまあたたかい風と大粒の雨が、ばたばたごうごう、音を立てて吹きこんでいました。つい何十分か前まではあんなにいい天気だったのに、家を守る主婦が出かけたとたん、空は子どもたちに試練をあたえることにしたようです。カーテンはくるったようにはためいていましたし、机にのせてあったはずの手紙のたば(それは、おみやげを買って帰った客から、ミラベルが受けとったものでした)は、なだれを起こして床のあちこちに散らばっていました。一番ひどいのは、ミラベルがゆり椅子のうえに重ねておいた服でした。それらはみんな、縫い目がほころびていたり、かぎ裂きができたりしたもので、ミラベルは時間ができた時に繕おうと思って、そこに置いたのです。けれど、せっかく洗濯したシャツも綿のニットも、すっかりぬれてしまっているのでした。

 だれも聞いている人がいないので、アズールは乱暴な言葉をつぶやいて、窓をぴしゃりと閉めました。

(嵐が来ることは、わかっていたんだ)アズールは、窓に映った自分の青白い顔を見ながら、心のなかで言いました。(今夜は仕事のある晩なんだから、嵐が来るに決まっている。ああ、ミラベルは窓を閉めておいてくれたらよかったのに! でも窓を閉めたら、うちのなかは蒸し風呂みたいになっちまう。ミラベルはそれがいやだったんだろう。あのひとは、ひどく暑がりだから)

 アズールは、すぐにも部屋を出るつもりでいました。ふだんなら、部屋のあるじに呼ばれた時以外、ミラベルの部屋に入ることはありませんでしたし、いまは家じゅうの窓を閉めるまで、安心できない天気でしたから。けれど、アズールが足を止めたのは、ミラベルのベッドのうえに、青や緑や紫の入りまじった、深海の水で染めたような色の服がたたまれているのを見つけたためでした。その服はてかてか光る生地で作られていて、襟も袖もない女の子のワンピースのような形をしていましたが、正真正銘アズールのものでした。アズールが着ると、ひらひらしたスカートがひざまで届いて、まるではるか古代に神さまが着ていた服のように見えるのです。首のうしろには、ボタンのかわりに、魚の骨から削りだしたピンがついていることも、よく知っていました。

「おかしいな」

 アズールは、不思議なワンピースを持ちあげて言いました。

 本当なら、ここにはそっくりおなじ色、そっくりおなじ形のワンピースが、二枚重ねてあったはずでした。今朝ミラベルが、かげ干しが済んだ二着をたたんでいるところを、アズールはたしかに見たのです。そのあたりに落ちてしまったのかと思って、アズールは床をきょろきょろ見まわし、ベッドの下ものぞきこみました。すると、せまい暗がりのなかから、キラキラしたふたつの瞳が見つめ返したので、背すじが寒くなるぐらいびっくりしました。「こんなとこで、なにしてるんだよ!」

「ぼくが悪いんじゃないよ。ぼくだって、アズールが急に部屋に入ってきたから、びっくりしてかくれたんだもの」

 ジオがけろりとして言いました。

「かくれなきゃいけないようなことを、していたって言うのか」と、アズールはなかば怒って言いましたが、這いだしてきたジオの姿を見て、だいたいの疑問は解けました。

 ジオは青や緑や紫色の入りまじった、深海の水で染めたような色のワンピースを着ていました。そんな格好をしていると、愛らしい顔立ちのジオは、本当に女の子のように見えました。けれど問題は、そんなことではありませんでした。ミラベルは、彼女自身が言いつけた時以外、子供たちがこの服を身につけることを禁じていました。

「まだ〈衣〉を着けるのは、早いんじゃないか? おまえが楽しみにしているのはわかるけれど、真夜中がやってくるまでには、だいぶあるよ」

 アズールが、いくらかおだやかに言いました。

「ミラベルが、こんなところに置いておくからいけないんだ」ジオが責めるように言いました。「ぼく、部屋の外から〈衣〉がたたんであるのを見つけて、どうしても着たくなっちゃったんだもん。ねえ、前に着た時より、ちょっと短く見えると思わない? ぼく、大きくなったんだよ。どう? 強い男に見える?」

 ジオはすそをひらひらさせながら、力こぶをつくって、男らしさをあらわしました。もっとも、ふわふわのマシュマロでできたようなジオの腕では、虫に刺されたほどのふくらみをつっくるのがやっとでしたけれど。

 アズールはよっぽど、なにか意地悪なことを言ってやろうかと思いましたけれど、こんな時にはお兄さんらしく、ちびすけの機嫌を取ってやるのが、彼の常でした。

「まあね。ところで、おまえの服はどこだ? ミラベルが帰ってくる前に着替えろよ。ミラベルったら、出かける前におまえのことをさがしていたんだぜ」

 ジオはきょろりと目をまわして舌を出し、ベッドの下にかくしてあったプリントのTシャツやら泥だらけの靴下やらを、手品のように取りだしました。その時、雷のゴロゴロいう音にまじって電話が鳴ったのが聞こえたので、アズールはジオの腕をむりやり引っぱって、二階へ駆けおりました。

「いそいで窓を閉めて。おれの部屋もだ。それが済んだら着替えて、〈衣〉をミラベルの部屋にもどしておけよ」

 ジオ自身の部屋に、部屋の持ち主を押しこんで、アズールが早口に言いつけました。

「閉めるの? どうして?」

 ジオがばかみたいに言いました。

「水びたしになった部屋で、おぼれたくないだろ!」

 あんまり頭に来たために、居間の電話を取った時も、アズールはほどんどさけんでいました。「もしもし?」

 電話のむこうで、親しみのある、太い笑い声が響きました。

「ずいぶんご立腹だな。おれの贈った〈子どものためのヨット大辞典〉はどうなってる? おまえのために活躍しているか?」

「パパ・ヤーガ!」

 アズールの顔に、花が咲いたような笑みが広がりました。土砂降りの夜の〈仕立てとがらくたの店トゥールズ〉に、光が差しこんできたようでした。ミラベルのいない時に、パパ・ヤーガの明るい声は、どんなに心強く聞こえることでしょう。

 パパ・ヤーガは三十七歳。頭のてっぺんがうすくなりはじめた、胸板の厚い男の人で、日焼けした鼻の頭は、いつでも赤らんでいるのでした。その顔色のために、彼はこの島にやってきた頃はうわばみとみなされ、年寄りたちの差しだすビールを断るのに、たいへんな苦労をしたのです。本当のパパ・ヤーガはといえば、酸味の強いコーヒーと、コンデンスミルクをかけたかき氷が大好物でした。そして彼が、休みの日には一日じゅう島びとたちとボールを蹴りあったり、船の模型を組みたてたりしてすごしたいと思っていることは、今ではだれもが知っていることでした。

 では、パパ・ヤーガはすっかり島になじんでいるのでしょうか? そうとも言いきれませんでした。いつでも人を寄せつけないミラベルが、島の女の人たちからちょっと遠巻きにされているのはしかたのないことだとして、島の男の人たちと楽しそうに遊んでいるパパ・ヤーガも、彼らから腹を割った話しあいを持ちかけられたり、仲間うちのもめごとについて助言をもとめられたりといったことは、決してなかったのです。パパ・ヤーガとミラベルを本当の意味で必要としているのは村長だけだな、とアズールは考えていました。

「マル―セットもバケツをひっくり返したような大雨だろうな。おれも全身ずぶぬれだ。ひどい嵐で船が出なくてな、まだヴェッパ島にいる。ミラベルはどうしている?」

 パパ・ヤーガが大儀そうに、けれどどこか楽しそうに言いました。

「村長のところに行っているよ。夕方、イーガン・ハモンドという人が話をしにきてさ、今夜うちに、急な仕事が入ったんだ。あんたが受けるはずだった仕事だよ。ミラベルはそのことについて、村長と相談しなくちゃならなかった。この仕事、てっきりミラベルは断ると思ったんだけど、あの人、あんたが帰ってこないもんだから、ぼくとジオにまかせるって言いだした」

 アズールの口調は落ち着いていましたが、彼をよく知っているものが気をつけて聞けば、ちょっとした不満がかくれているのがわかりました。

「イーガン・ハモンド! なつかしいな。そしておれはどうやら、おまえたちに迷惑をかけたことになる。だが、記念すべき初仕事の機会が早まってよかったじゃないか」

パパ・ヤーガがおもしろそうに言いました。

「だけど、おれたちは一人前じゃないもの」

 アズールが用心深く言いました。

「だれだって、はじめから一人前ってわけじゃない。大丈夫、おまえとジオはおれといっしょに、夜中の海にもぐったことだってあるじゃないか。おれがもりを投げて〈闇を這うもの〉に傷を負わせたところだって見ていたじゃないか。で、おまえたちの今夜の相手は何者だね? 闇の妖精、それとも、あの世に行けないウミヘビの魂かな?」

 パパ・ヤーガが電話のむこうでこう言ったあと、かりっと固いものの砕ける音が、アズールの耳に届きました。どうやらパパ・ヤーガはまたナッツを食べている、とアズールは思いました。

「〈竜〉だよ」

 アズールは短く言って、相手の答えを待ちました。イーガン・ハモンドがそうだったように、アズールとジオが〈竜〉退治にくりだすと聞けば、さすがのパパ・ヤーガも仰天するにちがいないと思ったのです。

 パパ・ヤーガが黙りこみました。ナッツをかみ砕く音が続いたあと、小さなため息が聞こえました。

「マル―セットのそばに〈竜〉があらわれるなんていう話は、はじめて聞くなぁ」

 パパ・ヤーガは、まのびした調子で言いました。アズールは気を悪くしました。ミラベルのいない家を守るだけでも大変なのに、もうちょっと心配してくれてもいいじゃないか、と思えました。

「心配しなさんな」パパ・ヤーガが力強く言いました。「おまえは用心深く、落ち着いている。ジオは向こう見ずだが、おそれることを知らない。ふたりで力を合わせるんだ。〈竜〉について、おれが教えたことを覚えているだろう?」

「覚えている。〈竜〉をおかに上げてはならない」

 パパ・ヤーガは先生のような話し方をする、と思いながら、アズールは答えました。

「そう。〈竜〉を陸に上げてはならない。〈竜〉は海のなかでもっとも古い生きもので、おれたちとはちがう世界の住人だ。彼らの一族は、ずっとむかし、闇に堕ちたと伝えられている。彼らの吐く息、彼らの流す血は、島の土をけがしてしまう。彼らにそうするつもりがなくてもね。おれたち〈運び手〉にできることは、彼らをちょっとおどかして、深い海の底に帰ってもらうことだけだ。おれが教えたことを思い出して、手順どおりにするんだ」

 パパ・ヤーガの声は、いつのまにか、まじめな響きに変わっていました。そして、どうしてかアズールも、すっかり安心して彼の教えに耳を澄ましているのでした。

「わかった」アズールは素直に言いました。「やってみる」

 パパ・ヤーガが、ふくみ笑いをしました。「いい子だ」

 電話を切った時、アズールはまるでミラベル特製のハッカのお茶を飲んだ時のような、晴れ晴れとした気持ちになっていました。彼はほほえみをうかべて、階段をのぼっていきました。けれども、いい気分はそこまででした。アズールの部屋から、ズルッ、 ドシーン! と、いやな音が聞こえてきました。

「見て、アズール!」

 アズールがドアを開けてみると、ジオはベッドの前の床に寝そべっていて、天井にむかって足をばたばたさせていました。あいかわらず、深い海のような色のワンピースを着ていて、すそが胸までめくれあがり、パンツもおへそも見えているのでした。

「おれは、窓を閉めてって言ったのに」

 アズールがうんざりして言いました。いったいなにが起きたのか、尋ねなくてもわかったのです。風向きが変わったおかげで、開けはなたれた窓から、雨が入ってくる心配はなくなったようでした。かわりに、ベッドカバーがぐちゃぐちゃになっていて、マットレスの真ん中がへこんでいました。枕は部屋のすみまで投げとばされ、サイドテーブルに立ててあった三冊の本はなぎ倒され、昼間飲んだコーラのあき缶は、床に転がっていました。そして窓の外では、真っ白な稲光がいくすじも、柱のように立ちあがっていました。つまり、窓を閉めようと部屋にやってきたジオが、すばらしい稲光に興奮して駆けまわり、ベッドのうえで飛びはねたあげく、足をすべらせて落っこちたのです。

「頭打たなかった?」

 アズールはしかたなくといった感じでそう言って、あき缶を拾うと、もう片方の手でジオを助けおこしました。

「全然! ちょっと痛いだけだよ」

 と、言ったジオがはっと口をつぐむと、その顔色がほんの一瞬青白く変わりましたが、ちょうど窓を閉めていたアズールは気がつきませんでした。

「ぼく、稲妻が見えると、さけびだしたくなるんだ」ジオが目を輝かせて言いました。「空がぴかっと光ると、世界が割れるんじゃないかと思って、すごくわくわくするんだもの。〈竜〉が生まれたむかしの世界も、こんなふうだったんじゃないかな」

「着替えてきて」

 アズールはもうくたびれていて、議論につきあう気はありませんでした。もちろん、ジオが両手を体のうしろにまわして、ワンピースのすその破れたところをきゅっとつかんでかくしていることにも、気がつきませんでした。

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